「日本巫女史/第一篇/第一章/第四節」を編集中
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此の記事は有名であるだけに、我国の古代史を研究するほどの者ならば、誰でも知らぬ者は無いのであるが、然らば此の卑弥呼なる者は何であるかという事になると、誰にでも判らぬほどの難問なのである〔一八〕。私は卑弥呼の研究が目的でないから、これ以上には触れぬこととするが、更に此の記事を巫女史の立場から考覈するとき、左の如き事象を認識することが出来るのである。 | 此の記事は有名であるだけに、我国の古代史を研究するほどの者ならば、誰でも知らぬ者は無いのであるが、然らば此の卑弥呼なる者は何であるかという事になると、誰にでも判らぬほどの難問なのである〔一八〕。私は卑弥呼の研究が目的でないから、これ以上には触れぬこととするが、更に此の記事を巫女史の立場から考覈するとき、左の如き事象を認識することが出来るのである。 | ||
: | : 第一、卑弥呼は即ち日女子であって男子の日子と対立して、我が古代の女性を云い現わす最高の名であること。 | ||
: 第二、卑弥呼が鬼神に事え、能く衆を惑すとは、即ち巫女であったことを意味していること。 | : 第二、卑弥呼が鬼神に事え、能く衆を惑すとは、即ち巫女であったことを意味していること。 | ||
: 第三、卑弥呼が、年已に長ずるも夫婿の無きは、巫女は夫を有たぬ(その実は夫を有していても)のを、原則にしたこと。 | : 第三、卑弥呼が、年已に長ずるも夫婿の無きは、巫女は夫を有たぬ(その実は夫を有していても)のを、原則にしたこと。 |