「日本巫女史/第一篇/第七章/第六節」を編集中
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; 〔註一〕 : 学友ニコライ・ネフスキー氏の談に、日本のオドリの語原は、男子が腕力を以て女子を掠奪したことをメトル(娶る)というたに対して、女子が舞踊を以て男子の注意を惹いたオトリ(男取り)の意であると言われたのは卓見だと思う。躍(オトリ)と男取り(ヲトリ)とは、仮名遣いが違うと云うかも知れぬが、囮がオトリであるのを知れば、これは問題にならぬと思う。 | ; 〔註一〕 : 学友ニコライ・ネフスキー氏の談に、日本のオドリの語原は、男子が腕力を以て女子を掠奪したことをメトル(娶る)というたに対して、女子が舞踊を以て男子の注意を惹いたオトリ(男取り)の意であると言われたのは卓見だと思う。躍(オトリ)と男取り(ヲトリ)とは、仮名遣いが違うと云うかも知れぬが、囮がオトリであるのを知れば、これは問題にならぬと思う。 | ||
; 〔註二〕 : 我国における女性の祭式裸体踊は、明治初年頃まで、各地に行われていた。それを一々挙げることは省略するが、琉球の各嶋々には、現にその風習を偲ぶべき舞踊が残っていて、伊波普猷氏は曾てこれを論じ、その著「琉球古今記」に収めてある。 | ; 〔註二〕 : 我国における女性の祭式裸体踊は、明治初年頃まで、各地に行われていた。それを一々挙げることは省略するが、琉球の各嶋々には、現にその風習を偲ぶべき舞踊が残っていて、伊波普猷氏は曾てこれを論じ、その著「琉球古今記」に収めてある。 | ||
; 〔註三〕 : | ; 〔註三〕 : 上銘氏の談による。人形の拵え方で、殊に注意すべき点は、千人の人に踏ませるということである。これは既述した辻占の呪力の源泉となった屍体の埋め方と共通した信仰から出たものと思う。因みに、上銘氏は民俗学に深い興味を有していた青年学徒であったが、急病のために永眠されたことは遺憾であった。 | ||
; 〔註四〕 : 「八幡愚童訓」を始め、その他の書物に磯良神のことが載せてあり、此の神の所作が、細男(斎男、精農、声納など書く)の最初のように記してあるが、これは猶お研究の余地があるようである。山城の離宮八幡社にある細男は、平板を人物態に截ったもので、両手は別にとり付け、動くようになっていて、頗る後世の人形じみたもので、古代の細男の形かどうか明確でない。更に、細男は、八幡神系以外の賀茂社や、春日社にも伝えられているので、これ等の社と八幡社との関係も調べて見なければならぬ。折口信夫氏は「民俗芸術」第二巻第四号で「才の男は人形であるのが本体である」と、例の天才振りを発揮されているが、私の不敏なる、氏の説明だけでは、まだ納得されぬ点がある。猶お研究して見たいと思っている。 | ; 〔註四〕 : 「八幡愚童訓」を始め、その他の書物に磯良神のことが載せてあり、此の神の所作が、細男(斎男、精農、声納など書く)の最初のように記してあるが、これは猶お研究の余地があるようである。山城の離宮八幡社にある細男は、平板を人物態に截ったもので、両手は別にとり付け、動くようになっていて、頗る後世の人形じみたもので、古代の細男の形かどうか明確でない。更に、細男は、八幡神系以外の賀茂社や、春日社にも伝えられているので、これ等の社と八幡社との関係も調べて見なければならぬ。折口信夫氏は「民俗芸術」第二巻第四号で「才の男は人形であるのが本体である」と、例の天才振りを発揮されているが、私の不敏なる、氏の説明だけでは、まだ納得されぬ点がある。猶お研究して見たいと思っている。 | ||
; 〔註五〕 : 扶桑国、黒歯国などそれであるが、一条兼良は「日本紀纂疏」において、我国の黥面国なることを肯定している。而して我国に「魏志」に載せたほどの黥面文身の民俗があったかどうか判然しない。各地から発掘された土偶にも、それを証拠立てるものが今に見出されぬのである。これも今後の研究に俟つべきものである。 | ; 〔註五〕 : 扶桑国、黒歯国などそれであるが、一条兼良は「日本紀纂疏」において、我国の黥面国なることを肯定している。而して我国に「魏志」に載せたほどの黥面文身の民俗があったかどうか判然しない。各地から発掘された土偶にも、それを証拠立てるものが今に見出されぬのである。これも今後の研究に俟つべきものである。 | ||
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