「日本巫女史/第一篇/第五章/第五節」を編集中
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記・紀の神代巻を読んで、誰でも驚くことは、我国の神々なるものが、性道徳の方面において、全く洗練を欠いていたと云う点である。換言すれば、神代巻に現われた神々の性的生活なるものは、必ずしも道徳的に完全なるものではなかった。更に露骨に言えば、神々は性的方面において道徳的に完全なるものであらねばならぬと云う思想は、まだ是等の神話を構成した、古代人の間には存していなかったのである。従って神代巻に記された巫女が、性器を利用する呪術に大胆であったことも、当然の帰結として考えられるのである。 | 記・紀の神代巻を読んで、誰でも驚くことは、我国の神々なるものが、性道徳の方面において、全く洗練を欠いていたと云う点である。換言すれば、神代巻に現われた神々の性的生活なるものは、必ずしも道徳的に完全なるものではなかった。更に露骨に言えば、神々は性的方面において道徳的に完全なるものであらねばならぬと云う思想は、まだ是等の神話を構成した、古代人の間には存していなかったのである。従って神代巻に記された巫女が、性器を利用する呪術に大胆であったことも、当然の帰結として考えられるのである。 | ||
平田篤胤翁の「宮比神御伝記」に、天鈿女命の磐戸の所作に就きて『女神の恥ぢて得すまじき胸乳を掻き出し、内股さへに顕はし給ひ、裳の紐を<ruby><rb>陰</rb><rp>(</rp><rt>ホド</rt><rp>)</rp></ruby> | 平田篤胤翁の「宮比神御伝記」に、天鈿女命の磐戸の所作に就きて『女神の恥ぢて得すまじき胸乳を掻き出し、内股さへに顕はし給ひ、裳の紐を<ruby><rb>陰</rb><rp>(</rp><rt>ホド</rt><rp>)</rp></ruby>の辺までおし垂れ、わざと可笑しく物狂はしく舞をどり給ひけり』とある註に『今の世に縫物すとて針を失ひたるときに、その女ひそかに信仰の神を念じて、前の毛を三返かき上げ、三返たゝけば、失せたる針必ず出づるを、出たるときに前の毛を三返かき下すと云ふ<ruby><rb>厭勝</rb><rp>(</rp><rt>マジナヒ</rt><rp>)</rp></ruby>も、此のわざの残れるなり』と記している。而して此の厭勝なるものが、果して平田翁の説の如く天鈿女の所作の残れるものか否かに就いては、多少の疑いなきを得ぬのであるが、兎に角に此の種の呪術が古くから在ったことだけは承認しても差支あるまいと思う〔三〕。 | ||
而して更に一段と注意すべき事は、天孫降臨の際に於ける鈿女命の所作である。「日本書紀」に此の光景を記して、 | 而して更に一段と注意すべき事は、天孫降臨の際に於ける鈿女命の所作である。「日本書紀」に此の光景を記して、 |