「日本巫女史/第一篇/第八章/第三節」を編集中
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'''四 原始農業と女子の位置''' | '''四 原始農業と女子の位置''' | ||
「古事記」に雀を碓女としたことを載せ、「万葉集」に『稲春けば<ruby><rb>胼</rb><rp>(</rp><rt>カカ</rt><rp>)</rp></ruby>る我が手を今宵もか、殿のわく子がとりて嘆かむ』とあるのや、同集に『住の江の岸に田を<ruby><rb>墾</rb><rp>(</rp><rt>ハ</rt><rp>)</rp></ruby>り蒔きし稲、秀てて刈るまで逢はぬ君かも』とあるなどは、共に古く女性が農業の主要なる働き人であったことを証明している。而して穀神に対する信仰は、依然として女性が中心となっていた。それ故に、我国には御田植の神事に、男子が特に女装して祭儀を勤める例が多い。これは言うまでもなく、巫女が農業に関与した遺風をとどめるものと考えられるのである。 | |||
例えば、信州諏訪神社の田遊びの神事は、毎年小正月の夕刻に行われるが、その時に楽員一名が婦人に扮し、振袖の衣服を着て、頭に綿帽子を載せ、折櫃に鏡餅を盛りて神前に向いこれを供え〔一〇〕、その他種々なる式があって終る〔一一〕。山城国葛野郡七条大字西七条でも、小正月の夜に、頭座の男子一人麗しき女の小袖(この小袖はその前年に新婚せる妻女の物に限る)を着し、赤き帯を結び、顔に紅粉を粧い、大なる<ruby><rb>盒子</rb><rp>(</rp><rt>ユリ</rt><rp>)</rp></ruby>に注連を曳いて頭に頂く。これをオヤセという。外に鋤鍬を持てる者二人、オヤセの前に立ち、村中の家々に入り、耕作の真似をする。即ち田遊びの祭儀である〔一二〕。 | 例えば、信州諏訪神社の田遊びの神事は、毎年小正月の夕刻に行われるが、その時に楽員一名が婦人に扮し、振袖の衣服を着て、頭に綿帽子を載せ、折櫃に鏡餅を盛りて神前に向いこれを供え〔一〇〕、その他種々なる式があって終る〔一一〕。山城国葛野郡七条大字西七条でも、小正月の夜に、頭座の男子一人麗しき女の小袖(この小袖はその前年に新婚せる妻女の物に限る)を着し、赤き帯を結び、顔に紅粉を粧い、大なる<ruby><rb>盒子</rb><rp>(</rp><rt>ユリ</rt><rp>)</rp></ruby>に注連を曳いて頭に頂く。これをオヤセという。外に鋤鍬を持てる者二人、オヤセの前に立ち、村中の家々に入り、耕作の真似をする。即ち田遊びの祭儀である〔一二〕。 |