「日本巫女史/第一篇/第八章/第四節」を編集中
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とあるのは、察するに諏訪社に伝えた鳥薬と思われるのである。後世の書物(延喜頃のものか)ではあるが、「本草和名」を見ると、左の記事がある。 | とあるのは、察するに諏訪社に伝えた鳥薬と思われるのである。後世の書物(延喜頃のものか)ではあるが、「本草和名」を見ると、左の記事がある。 | ||
: | : 石斛 一名林蘭(中略)。 石斛者山精云々。 和名須久奈比古乃久須禰、一名以波久須利。 | ||
是によれば、石斛を少名彦命の遺方として薬用としたことが窺われ、更に同書には、此の外に幾多の呪術から出発した民間療法薬を載せている〔一四〕。而して「医疾令」によれば、医師の外に、呪禁師と呪博士とがあって、古き医呪同根の面影を残し、未見の書ではあるが、伴信友翁の「方術原論」に引用された「医心方」には、一剤毎に一首の呪歌が添えてあるといえば、これも呪術が医薬の先駆をなしたことを示しているのである。そして是等の施術者が巫女であったことは言うまでもなく、然も永い間を——医術と呪術とが全く分離した後までも〔一五〕、此の事に関係を有していたのである。 | 是によれば、石斛を少名彦命の遺方として薬用としたことが窺われ、更に同書には、此の外に幾多の呪術から出発した民間療法薬を載せている〔一四〕。而して「医疾令」によれば、医師の外に、呪禁師と呪博士とがあって、古き医呪同根の面影を残し、未見の書ではあるが、伴信友翁の「方術原論」に引用された「医心方」には、一剤毎に一首の呪歌が添えてあるといえば、これも呪術が医薬の先駆をなしたことを示しているのである。そして是等の施術者が巫女であったことは言うまでもなく、然も永い間を——医術と呪術とが全く分離した後までも〔一五〕、此の事に関係を有していたのである。 |