「日本巫女史/第三篇/第三章/第四節」を編集中
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市子は、名こそ変ったが、今に各地方に歴然と残っている。呪術も、方法こそ変ったが、今猶お顕然として存している。彼等は、明治の禁断以来は、宗派神道の教会に属して、肩書を教師と改め、神降しの呪文の代りに、御禊祓とか、中臣祓とかを唱えているが、その実際の所業は、昔の市子のそのままを伝えているのである。彼等は、素性の知れぬ依頼者に対しては、官憲の禁止を楯にして、古き呪術は一切行わぬが、顔馴染の者には公然と、是れが依頼に応ずるのである。 | 市子は、名こそ変ったが、今に各地方に歴然と残っている。呪術も、方法こそ変ったが、今猶お顕然として存している。彼等は、明治の禁断以来は、宗派神道の教会に属して、肩書を教師と改め、神降しの呪文の代りに、御禊祓とか、中臣祓とかを唱えているが、その実際の所業は、昔の市子のそのままを伝えているのである。彼等は、素性の知れぬ依頼者に対しては、官憲の禁止を楯にして、古き呪術は一切行わぬが、顔馴染の者には公然と、是れが依頼に応ずるのである。 | ||
殊に民間における彼等の勢力には、実に驚くべきものがあって、私が昭和四年六月に常陸の潮来島に遊びしとき、近村に有名なる巫女の在ることを聞知して訪ねたところ、同人は旧正月に家を出たまま、篤信者にそれからそれへと招かれて、今に帰宅せぬとのことであった〔二〕。更に同年七月陸前の松嶋に遊び、同じく附近の高城町に知名の巫女が居ると聞き、人を派して在否を確かめさせたところが、これも三ヶ月前から村から村へ稼ぎ歩いているとのことであった。而して私は此の二回の失敗に就いて、これは巫女の方で特に辞を設けて遁げているのではないかと疑って見たが、これは私の僻見であって、実際に斯うして例は各地に存していることを耳にした。 | |||
是等の事実を目睹した私は、窃に斯う考えている。市子というが如き迷信は、恐らく人類の存する限り、時に消長あるも、永久に存するものではなかろうかと、市子の力も亦た偉なりと言うべきである。 | 是等の事実を目睹した私は、窃に斯う考えている。市子というが如き迷信は、恐らく人類の存する限り、時に消長あるも、永久に存するものではなかろうかと、市子の力も亦た偉なりと言うべきである。 |