「日本巫女史/第二篇/第一章/第一節」を編集中
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'''A、巫女の梓弓は外来の呪法''' | '''A、巫女の梓弓は外来の呪法''' | ||
巫女が、古くは梓弓を、今は竹弓を用い、その弦を叩きながら、神降ろしの呪文を唱えて、自己催眠(神かがりの状態)に入ることは、文献にも存し、実際にも見るところであって、然も巫女の別名を<ruby><rb>梓</rb><rp>(</rp><rt>アヅサ</rt><rp>)</rp></ruby>ミコとも、又は単にアヅサとも言っているほどであるから、巫女と梓弓との関係は、切っても切れぬほどの親密さを有しているのである。併しながら、仔細に巫女が梓弓を用いしことを考究するとき、それは我が固有の呪具ではなくして(神道者の行う鳴弦式も又た道教の影響である)、支那からの輸入であることが知れるのである。従来の俗説によると、巫女が弓を用いる起原は、天ノ磐戸の斎庭において、鈿女命が弓六張を並べて、その弦を弾き、琴の代用としたのにあるとか、又は神功皇后が征韓に際し神を降ろすとき同じように弓を並べて弾いたのにあるとか言っているが〔一〇〕、是等は記・紀その他の信頼すべき記録には全く見えぬことで、所詮は何事にも古代の箔をつけて、無理勿体に俗人を嚇そうとする者の<u>さかし</u>らにしか過ぎぬのである。 | 巫女が、古くは梓弓を、今は竹弓を用い、その弦を叩きながら、神降ろしの呪文を唱えて、自己催眠(神かがりの状態)に入ることは、文献にも存し、実際にも見るところであって、然も巫女の別名を<ruby><rb>梓</rb><rp>(</rp><rt>アヅサ</rt><rp>)</rp></ruby>ミコとも、又は単にアヅサとも言っているほどであるから、巫女と梓弓との関係は、切っても切れぬほどの親密さを有しているのである。併しながら、仔細に巫女が梓弓を用いしことを考究するとき、それは我が固有の呪具ではなくして(神道者の行う鳴弦式も又た道教の影響である)、支那からの輸入であることが知れるのである。従来の俗説によると、巫女が弓を用いる起原は、天ノ磐戸の斎庭において、鈿女命が弓六張を並べて、その弦を弾き、琴の代用としたのにあるとか、又は神功皇后が征韓に際し神を降ろすとき同じように弓を並べて弾いたのにあるとか言っているが〔一〇〕、是等は記・紀その他の信頼すべき記録には全く見えぬことで、所詮は何事にも古代の箔をつけて、無理勿体に俗人を嚇そうとする者の<u>さかし</u>らにしか過ぎぬのである。 | ||
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'''D、巫女の間に行われた湯立''' | '''D、巫女の間に行われた湯立''' | ||
現在でも京阪の神社に参拝すると、巫女が社前に据えた大釜の湯を、両手に持った笹の葉を束ねたもので掬いあげ、それを自分の身体に振りかけながら神いさめするのを目撃する。これが即ち湯立の神事であって、参拝者は此の湯の飛沫を浴びると除災するとて、好んで釜の近くに押しかけているのを見ることがある。而して此の湯立の起原に就いては、これ又、余り深く研究されず、例の天鈿女の俳優の余風であるとか〔一九〕、更に奇抜なのは、武内宿禰の<ruby><rb>探湯</rb><rp>(</rp><rt>クガタチ</rt><rp>)</rp></ruby>の遺俗であるとか〔二〇〕、殆んど耳を捉えて鼻へ押し付けようとするが如き気楽な事ばかり言われているが、私の考えた所では、此の呪法も又た道教の影響であると信じている。 | 現在でも京阪の神社に参拝すると、巫女が社前に据えた大釜の湯を、両手に持った笹の葉を束ねたもので掬いあげ、それを自分の身体に振りかけながら神いさめするのを目撃する。これが即ち湯立の神事であって、参拝者は此の湯の飛沫を浴びると除災するとて、好んで釜の近くに押しかけているのを見ることがある。而して此の湯立の起原に就いては、これ又、余り深く研究されず、例の天鈿女の俳優の余風であるとか〔一九〕、更に奇抜なのは、武内宿禰の<ruby><rb>探湯</rb><rp>(</rp><rt>クガタチ</rt><rp>)</rp></ruby>の遺俗であるとか〔二〇〕、殆んど耳を捉えて鼻へ押し付けようとするが如き気楽な事ばかり言われているが、私の考えた所では、此の呪法も又た道教の影響であると信じている。 | ||