「日本巫女史/第二篇/第五章/第一節」を編集中
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我国における蠱術は、巫女よりは修験道の山伏が、深い関係を有していた。巫女がこれに交渉を持つようになったのは、恐らく山伏と性的共同生活を送るようになってから、これに教えられたものと思われる。此の見地に立てば、憑き物の考察は、巫女よりも山伏が対象となるのであるが、教えられたにせよ、巫女が此の事に多少とも関係を有していたことも事実であるから、今は巫女を中心として、簡単に記述することとした。既に憑き物に就いては、諸先輩の研究が発表されているので〔一〕、詳細はそれに就いて知る便宜があるからである。 | 我国における蠱術は、巫女よりは修験道の山伏が、深い関係を有していた。巫女がこれに交渉を持つようになったのは、恐らく山伏と性的共同生活を送るようになってから、これに教えられたものと思われる。此の見地に立てば、憑き物の考察は、巫女よりも山伏が対象となるのであるが、教えられたにせよ、巫女が此の事に多少とも関係を有していたことも事実であるから、今は巫女を中心として、簡単に記述することとした。既に憑き物に就いては、諸先輩の研究が発表されているので〔一〕、詳細はそれに就いて知る便宜があるからである。 | ||
而して茲に、憑き物とは、上下両野のオサキ狐、信濃のクダ狐、三河のオトラ狐、飛騨のゴホウ種、近畿のスイカズラ、四国の犬神、出雲のジン<ruby><rb>狐</rb><rp>(</rp><rt>コ</rt><rp>)</rp></ruby> | 而して茲に、憑き物とは、上下両野のオサキ狐、信濃のクダ狐、三河のオトラ狐、飛騨のゴホウ種、近畿のスイカズラ、四国の犬神、出雲のジン<ruby><rb>狐</rb><rp>(</rp><rt>コ</rt><rp>)</rp></ruby>、中国のトウビョウ等を重なるものとして、此外に、猫神、猿神、飯縄、蟇つき、狸つきなどの名で呼ばれ、更に<ruby><rb>白神筋</rb><rp>(</rp><rt>シラカミスジ</rt><rp>)</rp></ruby>、ナマダコ、ゲトウ、院内等の「物持筋」となり、一般に社会から嫌厭される家筋まで含めての意である。従ってここに言う憑き物とは、悪霊、死霊、生霊等の人間の霊魂が、人間に憑くという意味よりは、動物の霊が人間に憑くという方に重きを置くことになっているのである。而して是等の憑き物に共通している大体の俗信は、 | ||
: 一、是等の憑き物は、年々のように繁殖して、常に飼っている家でも困却しているということ。 | : 一、是等の憑き物は、年々のように繁殖して、常に飼っている家でも困却しているということ。 | ||
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狐憑きの発生が、憑り祈祷にある事は、これから見るも明かであって、憑座に対して<ruby><rb>問</rb><rp>(</rp><rt>ト</rt><rp>)</rp></ruby>い<ruby><rb>口</rb><rp>(</rp><rt>クチ</rt><rp>)</rp></ruby>(大昔の<ruby><rb>審神</rb><rp>(</rp><rt>サニワ</rt><rp>)</rp></ruby>の役)をする者が、仕向けるままに放言する<ruby><rb>与多</rb><rp>(</rp><rt>ヨタ</rt><rp>)</rp></ruby>が〔七〕、遂に厭うべく悲しむべき結果を生むようになったのである。 | 狐憑きの発生が、憑り祈祷にある事は、これから見るも明かであって、憑座に対して<ruby><rb>問</rb><rp>(</rp><rt>ト</rt><rp>)</rp></ruby>い<ruby><rb>口</rb><rp>(</rp><rt>クチ</rt><rp>)</rp></ruby>(大昔の<ruby><rb>審神</rb><rp>(</rp><rt>サニワ</rt><rp>)</rp></ruby>の役)をする者が、仕向けるままに放言する<ruby><rb>与多</rb><rp>(</rp><rt>ヨタ</rt><rp>)</rp></ruby>が〔七〕、遂に厭うべく悲しむべき結果を生むようになったのである。 | ||
飯縄信仰は、信州の飯縄山に起り〔八〕、室町期に猖んに行われたものであって、殊に武田信玄と上杉謙信は、これが篤信者であったと伝えられている。併しながら、その行法は吒吉尼を学んだもので、他の巫覡と同じように狐を遣い、飯縄遣いとは狐遣いの別名の如く民間からは考えられていた。飯縄に関する資料も相当に存しているが、今は深く言うことを避けるとする。 | |||
'''二 蛇神託とトウビョウ''' | '''二 蛇神託とトウビョウ''' | ||
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; 〔註六〕 : 同上。 | ; 〔註六〕 : 同上。 | ||
; 〔註七〕 : ヨタと云う言葉は、現時では、出鱈目とか、戯談とかいう意味に用いられているが、その起源は、神託に関係ある言語であるらしい。近江の官幣大社多賀神社を初めて祀った者を与多麿と称し、紀州の官幣大社日前国県神宮に与多と称する神職があり、更に下総の官幣大社香取神宮に近きところを与多浦というなどは、此の考えを裏付けるものと思うている。 | ; 〔註七〕 : ヨタと云う言葉は、現時では、出鱈目とか、戯談とかいう意味に用いられているが、その起源は、神託に関係ある言語であるらしい。近江の官幣大社多賀神社を初めて祀った者を与多麿と称し、紀州の官幣大社日前国県神宮に与多と称する神職があり、更に下総の官幣大社香取神宮に近きところを与多浦というなどは、此の考えを裏付けるものと思うている。 | ||
; 〔註八〕 : | ; 〔註八〕 : 飯縄信仰に就いては、記述すべき多くの資料を有しているが、余りに長文になるのを恐れて省略した。そして此の信仰を言い立てた行者は、山伏と殆んど択むなき呪術を行ったもので、信仰の対象にこそ多少の相違はあれ、実質は両者ともに同じようなものである。 | ||
; 〔註九〕 : 「雪窓夜話」の筆者である上野忠親は、宝暦七年に七十二歳で死んでいる。更に同書巻七に「備前の<u>たふべう</u>の事」と題せる記事が載せてあるが、此の方のトウビョウは蛇だとあるから、古くから此の物の正体が不明であったことが知られる。私は是等の動物(オサキ狐、クダ狐、ジン狐、トウビョウなど)は、所謂、妄想上の動物であると信じているから、正体を見た者がなく、従って正体不明が却って正当だと考えている。 | ; 〔註九〕 : 「雪窓夜話」の筆者である上野忠親は、宝暦七年に七十二歳で死んでいる。更に同書巻七に「備前の<u>たふべう</u>の事」と題せる記事が載せてあるが、此の方のトウビョウは蛇だとあるから、古くから此の物の正体が不明であったことが知られる。私は是等の動物(オサキ狐、クダ狐、ジン狐、トウビョウなど)は、所謂、妄想上の動物であると信じているから、正体を見た者がなく、従って正体不明が却って正当だと考えている。 | ||
; 〔註一〇〕 : 前掲の「憑物研究号」。 | ; 〔註一〇〕 : 前掲の「憑物研究号」。 |