「日本巫女史/総論/第四章/第四節」を編集中
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第一は、巫女は神に仕えているために、自由に神を駆使するものとして、換言すれば、<ruby><rb>犬神</rb><rp>(</rp><rt>イヌガミ</rt><rp>)</rp></ruby>なり、<ruby><rb>管狐</rb><rp>(</rp><rt>クダキツネ</rt><rp>)</rp></ruby>(これ等の詳細は本文に述べる)なりを、思うがままに他人に依憑せしむることが出来るもの、更に換言すれば、巫蠱の厭魅を行うものとして恐れられた。 | 第一は、巫女は神に仕えているために、自由に神を駆使するものとして、換言すれば、<ruby><rb>犬神</rb><rp>(</rp><rt>イヌガミ</rt><rp>)</rp></ruby>なり、<ruby><rb>管狐</rb><rp>(</rp><rt>クダキツネ</rt><rp>)</rp></ruby>(これ等の詳細は本文に述べる)なりを、思うがままに他人に依憑せしむることが出来るもの、更に換言すれば、巫蠱の厭魅を行うものとして恐れられた。 | ||
第二は漂泊者なる故を以て恐れられた。昔の世間は旅の者には油断をしなかった。何処の馬の骨だか知れぬと云う者に対しては、常に警戒と疑惑の眼で見るのであった。又実際に旅の者は何をするか知れたものではなかったのである。村民の多数の生命を奪うような悪疫も、概して旅の者が持込んだものである。平和な村人の心持を不安に陥れるような蜚語も、多くは旅の者が齎らしたものである。これでは田舎わたらいする巫女が恐れられたのも無理からぬことである。それでは巫女も漂泊をやめて、早く土着したら宜かろうというに、これには又そうせぬ事情が潜んでいたのである。それは古い俚諺に「他国坊主に国侍」とあるように、霊界の仕事に従う者は、余りに素性が知れていたのでは有難みが薄い。ツイ二三年前まで<ruby><rb>青鼻汁</rb><rp>(</rp><rt>あおばな</rt><rp>)</rp></ruby>たらして子守りしていた少女が、僅かの修業で巫女になったというても、それでは世間の人が信頼してくれぬ。理窟では承認しても感情が許容せぬ。少しく比喩が大き過ぎて、鰯の譬に鯨を出すようであるが、予言者が故郷に容れられぬのも、此の理由に過ぎぬのである。而して此の理由は巫女の身の上にも移して言うことが出来るので、彼等が他国人として嫌われ、漂泊者として<ruby><rb>疎</rb><rp>(</rp><rt>うとま</rt><rp>)</rp></ruby>れながらも、猶その生活を続けて来た所以である。 | |||
第三の理由は、巫女は梅毒の伝播者たる故であった。即ち悪種の性病の持主として恐れられたのである。出雲の巫女お国に関係した結城秀康が、狂死したという史実が雄弁に総てを物語っている。古川柳に「竹笠を被り×××を寄せるなり」とあるのは、巫女の性的方面を喝破したものである。 | |||
以上の三つの理由を主たるものとし、これに幾多の従たる理由が加って、遂に巫女を趁うて特種階級の賤民とまで沈落させたのである。猶お巫女の慣習に就いては、民俗学的に記すべき問題が残されているが、それは本文において機会のある毎に述べるとして今は省筆する。 | 以上の三つの理由を主たるものとし、これに幾多の従たる理由が加って、遂に巫女を趁うて特種階級の賤民とまで沈落させたのである。猶お巫女の慣習に就いては、民俗学的に記すべき問題が残されているが、それは本文において機会のある毎に述べるとして今は省筆する。 | ||
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