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	<title>Docs - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-05-03T14:25:24Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>トーク:日本巫女史/第一篇/第五章/第五節</title>
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		<updated>2024-06-11T14:20:59Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 修正箇所 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 &lt;br /&gt;
** s/Phalicism/Phallicism/ --[[利用者:たちゃな|たちゃな]] ([[利用者・トーク:たちゃな|トーク]]) 2024年6月11日 (火) 14:20 (UTC)&lt;br /&gt;
* 底本 p.238&lt;br /&gt;
** 「邪視」の振り仮名「イブルアイ」を「イビル・アイ」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 02:24 (JST)&lt;br /&gt;
** 日本書紀の引用部「而{赤偏駞旁}然似赤酸醬也」を「而赩然似赤酸醬也」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 02:04 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.241&lt;br /&gt;
** 「生命の指標」の振り仮名「ライフインデッキス」を「ライフ・インデックス」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 02:24 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.239&lt;br /&gt;
**「新猿楽記」引用中&lt;br /&gt;
*** 外字「{鼻偏亢}」は「鼿」ではないのか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 02:04 (JST)&lt;br /&gt;
*** 外字「{魚偏笠}あり。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 02:04 (JST)&lt;br /&gt;
** 「雲州消息」引用中&lt;br /&gt;
*** 外字「{女偏它}」あり。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 02:04 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.242&lt;br /&gt;
** 註一一にある「最高調」は「最高潮」の誤植と思われる。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月16日 (土) 00:16 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.243&lt;br /&gt;
** 註一三に対応する本文からのリンクがない。註一三ではなく註一二ではないのか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 02:24 (JST)&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
* 底本 p.239&lt;br /&gt;
** ムツクジャについては確認できぬ。引用文献を調べる必要もあるかもしれない。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年1月25日 (日) 21:48 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.241&lt;br /&gt;
** 「孝徳紀」大化の詔の引用文について、「改新の詔」ではなく「革弊の詔」によるものである。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年1月26日 (月) 23:50 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.243&lt;br /&gt;
** 註一三「××天皇」とは孝霊天皇か。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 02:04 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%AF%80&amp;diff=1429</id>
		<title>日本巫女史/第一篇/第五章/第五節</title>
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		<updated>2024-06-11T14:18:31Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 第五節　性器を利用した呪術 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[日本巫女史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第一篇|第一篇　固有呪法時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第一篇/第五章|第五章　巫女の作法と呪術の種類]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第五節　性器を利用した呪術==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
我国の性器崇拝（Phallicism）は遠く神代から存していた。天鈿女命が磐戸の斎庭で神懸りせる折に『胸乳掻出し、裳紐を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;番登&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ホド&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に押垂れ』たのは、性器に呪力があるものと信じたからの所作である事は既述した。「古語拾遺」に、御歳神が怒って、大地主神の営田を損ぜしとき、大地主神が片巫・肱巫に占わせて、田の溝口に「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;男茎形&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヲバセガタ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」を作って立てたことが記してある。これも性器の呪力を信じた結果であることは言うまでもない。古墳から発掘された男子の土偶埴輪のうち、性器を露出したもののあるのも又これが為めで、殊に元正陵の倍家から出たという伝えのある怪奇なる石人は〔一〕、此の種の信仰を現わした、代表的のものとして人口に膾炙されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は茲に、我国における性器崇拝の起原とか、発達とか云う問題に触れることは、努めて回避したいと思う。何となればそれは余りに周知されている問題であると同時に、また余りに本書の柵外に出るからである〔二〕。従って私は巫女史の立場から、巫女が呪術を行うに際して、如何に性器を利用したかに就いて記述するにとどめるとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記・紀の神代巻を読んで、誰でも驚くことは、我国の神々なるものが、性道徳の方面において、全く洗練を欠いていたと云う点である。換言すれば、神代巻に現われた神々の性的生活なるものは、必ずしも道徳的に完全なるものではなかった。更に露骨に言えば、神々は性的方面において道徳的に完全なるものであらねばならぬと云う思想は、まだ是等の神話を構成した、古代人の間には存していなかったのである。従って神代巻に記された巫女が、性器を利用する呪術に大胆であったことも、当然の帰結として考えられるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平田篤胤翁の「宮比神御伝記」に、天鈿女命の磐戸の所作に就きて『女神の恥ぢて得すまじき胸乳を掻き出し、内股さへに顕はし給ひ、裳の紐を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;陰&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ホド&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の辺までおし垂れ、わざと可笑しく物狂はしく舞をどり給ひけり』とある註に『今の世に縫物すとて針を失ひたるときに、その女ひそかに信仰の神を念じて、前の毛を三返かき上げ、三返たたけば、失せたる針必ず出づるを、出たるときに前の毛を三返かき下すと云ふ&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;厭勝&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;マジナヒ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;も、此のわざの残れるなり』と記している。而して此の厭勝なるものが、果して平田翁の説の如く天鈿女の所作の残れるものか否かに就いては、多少の疑いなきを得ぬのであるが、兎に角に此の種の呪術が古くから在ったことだけは承認しても差支あるまいと思う〔三〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して更に一段と注意すべき事は、天孫降臨の際に於ける鈿女命の所作である。「日本書紀」に此の光景を記して、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 且降之間、先駆者還白、有一神、居天八達之衢（中略）。即遣従神往問、時有八十万神、皆不得&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;目勝&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;マガチ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;相問、故特勅天鈿女曰、汝是目勝於人者、宜往問之、天鈿女乃露其胸乳、抑垂裳帯於臍下、而笑噱向立、云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるが、此の衢の神が猿田彦命であることは言うまでもない。然も、此の記事のうちには、巫女として天鈿女命が行うた三つの重要なる呪術の存していることが発見されるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一は目勝と云うことである。目勝は即ち&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;邪視&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イビル・アイ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（Evil eye）であって〔四〕、眼光に呪力あることを意味した語である。猿田彦の眼光が『如八咫鏡、而赩然似赤酸醬也』と照り輝くので〔五〕、八十万の従神は、咸な此の視害のために神名を問うことすらも出来なかったのを、独り鈿女命だけが、更に此の猿田彦に目勝したとあるのは、取りも直さず、両神の間に邪視の呪術が闘わされた結果、鈿女命の呪術が猿田彦のそれに打ち勝ったことを、意味しているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その二は天鈿女が、例の胸乳を露わし、裳帯を臍下に抑し垂れたことであるが、かく鈿女が、呪術を行う毎に、一度ならず二度までも、性器を利用した点から見ると、此の所作は太古の巫女の常に執ったところの、呪術的作法とも考えられるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その三は少しく私の想像が加わるのであるが、此の際に猿田彦と天鈿女との間に呪術としての媾合が行われたのではないかと信ぜられることである。それは、昭和四年二月に、豊前国京都郡城井村大字城井馬場の八幡宮に伝わりし神代神楽というのが、国学院大学の郷土会で開催されたが、私は此の古雅なる神楽を参観し、その「天孫降臨」と云う一齣において、猿田彦に扮せる者と、天鈿女に扮せる者とが、顕然として媾合の所作を演じたのに驚異の眼を以て見守らざるを得なかったのである〔六〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は原始的の形式とを伝えている神楽——若しくは祭式舞踊において、此の種の所作が、拝観者の面前にて無遠慮に演じられる幾多の資料に接しているのである。例えば、原始的の匂いと彩りとをそのままに保存している琉球各地のムツクジャと称するものは、全く露骨なる交接祭である〔七〕。内地にあっても、此の種のものは殆んど枚挙に堪えぬほどある〔八〕。殊に信濃国下伊那郡且開村字島田に、毎年正月十五夜に行われる田遊びの神事には、昭和の現代にも尉と嫗に扮した者が、神楽殿において見物の見る眼も憚らず、その所作を演ずると聞いては〔九〕、民俗の永遠性を考えさせられると同時に、その起原の呪術に出発していることを想わせられるのである。時代は下るが、平安朝に書かれた「新猿楽記」に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 野干坂伊賀専之男祭、叩&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;蚫苦本&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アワビクボ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;舞、稲荷山阿小町之愛法、{鼻偏亢}&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;{魚偏笠}破前&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カハラハビ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;喜云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのや、同じ頃に記された「雲州消息」巻上の一節に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 今日稲荷祭云々。又有散楽之態、仮成夫婦之体、学衰翁為夫、模{女偏它}女為婦、始発艶言後及交接、都人士女之見者、莫不解頤断腸云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるなど〔一〇〕、実に際限ないほど在って存している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而してかかる予備知識から導かれていた私は、窃かに、天鈿女と猿田彦との邂逅の場合に、呪術として此の種の事が行われていたのではないかと疑うていたところへ、此の露骨なる神楽の所作を見せつけられて、多年の疑いが解けたと共に、性器を利用する呪術の真相が釈然したのである〔一一〕。我国の現在の学問は種々なる方面から多大の束縛を受けている。就中、性的神事の詳細を記こすとは、稍もすると宜ろしからざる事とされているので、茲にこれ以上を明白に記す事を欲せぬけれども、巫女の性器利用は常人が後世から考えるより以上に、深刻であり、且つ露骨であったことを注意しなければならぬのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
性器崇拝の当然の派生として、異相の性器を有する巫女ほど、その呪力の増加するものであると考える信仰が伴っていたことも、此の場合に逸することの出来ぬ問題である。而して此の信仰は「七難の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;揃毛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ソソゲ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」という名で呼ばれているので、私も此の通称に従うこととした。勿論、七難とは、奈良朝から平安朝へかけて民間信仰となった仏説仁王経の七難即滅七福即生の経文から出た語であるから、これを以て仏教渡来以前の古代の信仰に冠することは元より妥当を欠いているが、茲にはその七難の揃毛の古い相——即ち我国固有の信仰を記すにとどめ、詳細は仁王信仰の隆盛を極めた平安朝において記述する。誤解を防ぐために敢て附言する次第である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
讃岐国大内郡誉水村大字水主の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;水主&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミズシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;神社の祭神は比売神であるが、俚俗の伝えに、此の神は&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;御陰&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミホド&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の毛が甚だ長いので、親神が恥じ給い、独木船に乗せて海に放ち流してしまった。それで比売神は、何処ともなく流れ漂うた末に、同郡（？）馬篠の浜に着いた所、同地の土人が比売神の上陸を拒み、船を突いて沖へ流したので、それより東方に漂い、同郡安戸ノ浦へ着き、そこより上陸して鎮座すべき浄地を其処彼処と覓め給うて、遂に水主村に留り、後に水主神社と祭られたのであると云うている〔一二〕。此の俚伝に残った比売神の正体が、地方&amp;lt;u&amp;gt;わたらい&amp;lt;/u&amp;gt;の巫女であることは、多くの説明を俟たずして、直ちに会得されるものがある。殊に陰毛が甚だ長かったということは、即ち異相の性器の持主で、然も呪力の効験なる（[[日本巫女史/第二篇/第五章/第三節|後章]]の七難の揃毛を参照せられたい）ものと信じられていた為めである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全体、私が改めて言うまでもなく、我国にも、毛髪が一種の呪力を有していたものと考えた思想は、古代からあった。神代に素尊が罪を贖うために、八束ノ髯を斬ったのは、ただにその威厳を損じて、懲罰に換えるというだけの意味ではなくして、素尊にとっては、髯は一種の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;生命の指標&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ライフ・インデックス&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;であるとも云えるのである。大己貴命が素尊の女なる須勢理媛命と奔るとき、素尊の髯を室戸に繋いだとあるのは、私にそう考えさせる暗示を与えているのである。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;案山子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カカシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の語源も&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;嗅&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;か&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;がしであって、古く人毛を焼いた匂いを鳥獣が恐れて、作物に近づかぬ呪術的の意味が含まれていたのである〔一四〕。「孝徳紀」の大化の詔の一節に於て『為亡人断髪刺股』ことを禁じたのは、髪を断ることは肉に活きても霊に死ぬと云う意味を現したからの迷信を停めるためであった。従って陰毛の甚だ長かったことが、呪力の強烈であるとした考慮のうちには、此の種の毛髪に対する信仰の多分に加っていることを注意しなければならぬ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
七難の揃毛は、此の両者の歩み寄りによって、大成された信仰である。而して是等の毛髪の所有者が、古い巫女であったことは言うまでもない。猶お代々の性器利用の呪術や、是れに伴う毛髪信仰などは、各時代の下に詳述する考えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 〔註一〕 : 藤貞幹の「好古小録」及びその他の書物にも載せてある。&lt;br /&gt;
; 〔註二〕 : 我が国の性器崇拝に関する書物は夥しきまでに存していて、世の所謂好事家なる者で、此の事を知らぬ者は無いほどである。併し、好事家の手にかかったために、却って学術的には幾分割引された傾きがある。是等のうちで、沢田四郎作氏のファルス・クルッス（全一五輯）。出口米吉氏の「生殖器崇拝の話」及び「原始母神論」の如きは、頗る真摯なもので、学問的にも価値の多いものである。&lt;br /&gt;
; 〔註三〕 : 在朝鮮の未見の先輩である今村鞆氏の示教によると、縫針の失せたときに牝部を撫す呪術は、徳川氏の大奥にあっては、幕末まで行われていたということである。&lt;br /&gt;
; 〔註四〕 : 我国で邪視のことを初めて学術的に論じたのは、実に南方熊楠氏である。氏は「南方随筆」所収の「児童と魔除」の条において、氏一流の内外古今の例を集めて論じている。敢て参照を望む。&lt;br /&gt;
; 〔註五〕 : 赤酸醬（あかがち）とは鬼火の古名で、猿田彦神の眼球の赤いことを形容したものである。此の一事から推して、猿田彦神は異人種であるなどと言う人もあるが、勿論、私は賛成しかねる説である。&lt;br /&gt;
; 〔註六〕 : その折に恰も先輩の金田一京助氏が隣席に居られたので、互いに顔を見合せて、一寸苦笑させられたと同時に驚かされたものである。&lt;br /&gt;
; 〔註七〕 : 琉球本島のことを書いた「山原の土俗」に、二三の実例が載せてある。此の外にも、琉球の島々には、此の種の祭が尠からず存していたのである。&lt;br /&gt;
; 〔註八〕 : 我国の交接祭は、農業の俗信と交渉するところが深い。これに就いては、拙著「日本民俗志」に収めた「農業祭に現われた生殖器崇拝」に多数の例を挙げて述べて置いた。参照くださると幸甚である。&lt;br /&gt;
; 〔註九〕 : 此の祭礼を目撃された折口信夫氏の談に拠る。&lt;br /&gt;
; 〔註一〇〕 : 「新猿楽記」も「雲州消息」も共に群書類従本に拠った。&lt;br /&gt;
; 〔註一一〕 : 私の知人である川口芳彦氏が、「同人会」と称する相当知名の人の集る会合の席上において語られた所によると、東京府大森町に近き某所の祈祷所の所主は婦人であるが、常に二三名の若き男子を雇い置き、最も大切なる占いをするときは、その男子と合衾し、最高調に達した際に発する言語であって、これを託宣と称しているとて、神前及び託宣する部屋の構造まで詳説された。私は此の一事を以て、古代の巫女が行うた性器利用の呪術を推論する者ではないが、併しかかる原始的のことが、此の祈祷女の発明とも思われぬので、或は遠い昔から彼等の間に伝っていたものでは無いかと想うとき、これに類似したような呪術が、古代に存したのではなかろうかと考えても見たのである。&lt;br /&gt;
; 〔註一三〕 : 讃岐国官社考証（神祇全集本）巻上。因に「全讃史」には、水主神を××天皇第一の皇女百襲媛命としてあるが、元より信用することの出来ぬ附会説である。我国の各地に、高貴の方々の流謫を説く民間伝承は、夥しきまでに存しているが、是れに就いて、柳田国男先生が「巫女考」において説かれた如く、殆んどその全部が、田舎あるきした巫女の身の上に関したものである。猶お陰毛の長かった神のことが「予樟記」にも載せてあったと記憶しているが、座右に同書が無いので、今はこれだけ言うに留める。&lt;br /&gt;
; 〔註一四〕 : 斐騨中学校長であった川口孫次郎氏が「飛騨史壇」の誌上で詳説されたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:中山太郎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1386</id>
		<title>Docs:談話室</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1386"/>
		<updated>2014-01-14T13:59:40Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 談話室 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ここでは、サイトの運営に関する話題や、&lt;br /&gt;
個別のページでは扱えない広い話題を扱います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 談話室 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
気軽な雑談・相談用にお使い下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;comments /&amp;gt;&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* [http://books.google.co.jp/books/about/日本巫女史.html?id=eWFMADW-OTsC&amp;amp;redir_esc=y 日本巫女史 (Google eブックス)]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* [http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00100104-19300600-0175.pdf?file_id=44001 史學 第九巻第二號 (348) 176 書評 日本巫女史(中山太郎著 大岡山書店發行) ] --[[利用者:たちゃな|たちゃな]] ([[利用者・トーク:たちゃな|トーク]]) 2014年1月14日 (火) 22:54 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 「斯様に考えると、亜細亜の東北方・西比利亜全体・満洲・朝鮮・露領トルキスタン方面に掛けて行われて居る宗教はシャーマンである。斯の如く、シャーマンが広く分布して居る上から日本の原始神道を観れば、之れとよほどよく似た点がある。今、軽々しく結論は与えないが、日本の神道即ち、吾等祖先の固有の宗教中には此のシャーマンの分子が可なり多い。高天原・中つ国夜見の国等シャーマンの哲学的考察、神に奉仕する巫子のあること、政治・宗教の接着していること其の他、種々の儀式も非常に両者似て居る。鏡・鈴等もそうであるし、鈿女命などの動作、神社に仕える巫覡が古く女の巫人であること等、シャーマン的色彩を帯びて居る。故に、日本の神道研究には、東北方亜細亜のシャーマニズムを度外視することは出来ない。朝鮮と日本との関係あることを考えるについて、両者がシャーマンにて結ばれている事をも考えの内に入れるべきである。」鳥居龍蔵『日本周囲民族の原始宗教 神話宗教の人種学的研究』&lt;br /&gt;
** [http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983313 近代デジタルライブラリー - 日本周囲民族の原始宗教 : 神話宗教の人種学的研究]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 非常に膨大な量で示唆に富むこの本がまさかこうした形で読めるとは・・。 --[[特別:投稿記録/223.135.29.185|223.135.29.185]] 2012年5月6日 (日) 23:42 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 著作権が切れてるとなると結構重要どころが抜けちゃいますね --[[特別:投稿記録/114.51.11.194|114.51.11.194]] 2012年3月6日 (火) 21:56 (JST)&lt;br /&gt;
** フリーで提供できるものを集めるという趣旨ですから仕方ないです。新しい本はお金を出して読みましょう。というか、そんな腑抜けた批評する暇があったら何かコントリビューションをお願いします。(笑)&lt;br /&gt;
** 話は変わりますが、もうすぐ柳田国男先生の没後五十年を迎えます。柳田国男集がフリーで読めるようになれば、より広い読者を獲得することになり、民俗学周辺がまた賑やかに、面白くなると思われませんか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2012年3月9日 (金) 02:53 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* Mac OS X 10.6 に付属の日本語インプットメソッド「ことえり」にて「うねめ」を漢字変換すると「[[find:釆女|釆女]] (ノ+米)」となり、本文中の「[[find:采女|采女]] (ノ+ツ+木)」に検索がヒットしないという問題を発見。&amp;lt;s&amp;gt;なんだこれは…。(恐らく「ことえり」側の問題)&amp;lt;/s&amp;gt; --[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月16日 (水) 00:41 (JST)&lt;br /&gt;
** もしかして機能 (のフェイク) にて逃げ。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月18日 (金) 01:07 (JST)&lt;br /&gt;
** 前者は地名 (三重県四日市市釆女町) で、後者が一般名詞らしい。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年6月12日 (日) 03:47 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* ページの更新にかかる時間を大幅に短縮できたと思います。(やれやれ…)　技術的な面については[http://macwiki.sourceforge.jp/wiki/index.php/MacWiki:MediaWikiのインストール#.E5.85.A8.E6.96.87.E6.A4.9C.E7.B4.A2.E3.81.AE.E6.A9.9F.E8.83.BD.E6.94.B9.E5.96.84_.28experimental.29 こちら]を参照ください。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年9月29日 (火) 10:55 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 「日本巫女史」中、「じゅず」に「数珠」と「珠数」の表記の揺らぎがあります。「数珠」に統一すべきかも知れません。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年8月28日 (金) 01:11 (JST)&lt;br /&gt;
** この辺についてはたちゃなさんの判断に譲ります。 --[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月1日 (火) 00:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
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		<title>Docs:談話室</title>
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		<updated>2014-01-14T13:54:43Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 談話室 */&lt;/p&gt;
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&lt;div&gt;ここでは、サイトの運営に関する話題や、&lt;br /&gt;
個別のページでは扱えない広い話題を扱います。&lt;br /&gt;
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== 談話室 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
気軽な雑談・相談用にお使い下さい。&lt;br /&gt;
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&amp;lt;comments /&amp;gt;&lt;br /&gt;
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* [http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00100104-19300600-0175.pdf?file_id=44001 史學 第九巻第二號 (348) 176 書評 日本巫女史(中山太郎著 大岡山書店發行) ] --[[利用者:たちゃな|たちゃな]] ([[利用者・トーク:たちゃな|トーク]]) 2014年1月14日 (火) 22:54 (JST)&lt;br /&gt;
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* 「斯様に考えると、亜細亜の東北方・西比利亜全体・満洲・朝鮮・露領トルキスタン方面に掛けて行われて居る宗教はシャーマンである。斯の如く、シャーマンが広く分布して居る上から日本の原始神道を観れば、之れとよほどよく似た点がある。今、軽々しく結論は与えないが、日本の神道即ち、吾等祖先の固有の宗教中には此のシャーマンの分子が可なり多い。高天原・中つ国夜見の国等シャーマンの哲学的考察、神に奉仕する巫子のあること、政治・宗教の接着していること其の他、種々の儀式も非常に両者似て居る。鏡・鈴等もそうであるし、鈿女命などの動作、神社に仕える巫覡が古く女の巫人であること等、シャーマン的色彩を帯びて居る。故に、日本の神道研究には、東北方亜細亜のシャーマニズムを度外視することは出来ない。朝鮮と日本との関係あることを考えるについて、両者がシャーマンにて結ばれている事をも考えの内に入れるべきである。」鳥居龍蔵『日本周囲民族の原始宗教 神話宗教の人種学的研究』&lt;br /&gt;
** [http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983313 近代デジタルライブラリー - 日本周囲民族の原始宗教 : 神話宗教の人種学的研究]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 非常に膨大な量で示唆に富むこの本がまさかこうした形で読めるとは・・。 --[[特別:投稿記録/223.135.29.185|223.135.29.185]] 2012年5月6日 (日) 23:42 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 著作権が切れてるとなると結構重要どころが抜けちゃいますね --[[特別:投稿記録/114.51.11.194|114.51.11.194]] 2012年3月6日 (火) 21:56 (JST)&lt;br /&gt;
** フリーで提供できるものを集めるという趣旨ですから仕方ないです。新しい本はお金を出して読みましょう。というか、そんな腑抜けた批評する暇があったら何かコントリビューションをお願いします。(笑)&lt;br /&gt;
** 話は変わりますが、もうすぐ柳田国男先生の没後五十年を迎えます。柳田国男集がフリーで読めるようになれば、より広い読者を獲得することになり、民俗学周辺がまた賑やかに、面白くなると思われませんか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2012年3月9日 (金) 02:53 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* Mac OS X 10.6 に付属の日本語インプットメソッド「ことえり」にて「うねめ」を漢字変換すると「[[find:釆女|釆女]] (ノ+米)」となり、本文中の「[[find:采女|采女]] (ノ+ツ+木)」に検索がヒットしないという問題を発見。&amp;lt;s&amp;gt;なんだこれは…。(恐らく「ことえり」側の問題)&amp;lt;/s&amp;gt; --[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月16日 (水) 00:41 (JST)&lt;br /&gt;
** もしかして機能 (のフェイク) にて逃げ。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月18日 (金) 01:07 (JST)&lt;br /&gt;
** 前者は地名 (三重県四日市市釆女町) で、後者が一般名詞らしい。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年6月12日 (日) 03:47 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* ページの更新にかかる時間を大幅に短縮できたと思います。(やれやれ…)　技術的な面については[http://macwiki.sourceforge.jp/wiki/index.php/MacWiki:MediaWikiのインストール#.E5.85.A8.E6.96.87.E6.A4.9C.E7.B4.A2.E3.81.AE.E6.A9.9F.E8.83.BD.E6.94.B9.E5.96.84_.28experimental.29 こちら]を参照ください。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年9月29日 (火) 10:55 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 「日本巫女史」中、「じゅず」に「数珠」と「珠数」の表記の揺らぎがあります。「数珠」に統一すべきかも知れません。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年8月28日 (金) 01:11 (JST)&lt;br /&gt;
** この辺についてはたちゃなさんの判断に譲ります。 --[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月1日 (火) 00:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
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		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1384</id>
		<title>日本巫女史/第一篇/第一章/第一節</title>
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		<updated>2012-12-18T16:59:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 第一節　我国に於ける神の発生と巫女 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[日本巫女史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第一篇|第一篇　固有呪法時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第一篇/第一章|第一章　原始神道に於ける巫女の位置]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第一節　我国に於ける神の発生と巫女==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
我々日本人の遠い祖先達が、始めて発見した神の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;相&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;すがた&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（超自然的の力と云おうか、非人格的の力と云おうか、神と云うには相当の距離のあるもの）は、それは疑いもなく&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;魔&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;デーモン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;であった。而してその第一は病魔であった。「古事記」に冊尊が火之迦具土神を産んだ為めに『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;美蕃登炙&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミホトヤカ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;えて&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;病臥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヤミコヤ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;せり』とあるのがそれであって〔一〕、「日本書紀」の一書に同じ事象を記して『伊弉冉神、軻遇突智を生ましむとしたまふ時に、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;悶熱懊悩&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アツカヒナヤム&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、因て&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;吐&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;クグリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;したまふ、此れ神と&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;化為&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ナ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;りましつ、名を金山彦といふ。次に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;小便&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ユマリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;したまふ、神と&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;化為&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ナ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;りましつ、名を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;罔象女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミヅハノメ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;といふ。次に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;大便&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;クソ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;まりたまふ、神と化為りましつ、名を植山姫といふ』とあり〔二〕、是等の神々は、冊尊が病魔に悩された為めに成りました&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;魔&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;デーモン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;であった〔三〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して其の第二は、死魔であった。「古事記」に、諾尊が冊尊の後を追うて&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;黄泉&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;よみ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に往き、冊尊の神避りし屍体を見ると、『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;蛆集&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウジタカ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;れ&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;蘯&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トロロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ぎて、御頭には大雷居り、御胸には火雷居り、御腹には黒雷居り、御陰には拆雷居り、左の御手には若雷居り、右の御手には土雷居り、左の御足には鳴雷居り、右の御足には伏雷居り、併せて八の雷神成り居りき』とある。而してここに雷とあるのは蛇の意であって〔四〕、即ち蛇の如き形した汚き蛆の居るを言うたのである。而して此の死魔に驚いて諾尊が逃げ還える折に、冊尊が追わしめた&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;黄泉醜女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨモツシコメ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;魔&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;デーモン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;であることは言うまでもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
魔を発見した古代人は、直ちにこれを払うべき呪術を併せて発見した。即ち冊尊を死に導いた火ノ神を払うべく、水ノ神と土ノ神を生み〔五〕、更に諾尊が黄泉醜女——即ち&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;魔&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;デーモン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に追われる途上に於ける状態を「古事記」は記して、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: &amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;爾&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カレ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、伊邪那岐命、黒御鬘を取て投棄てたまひしかば、乃ち&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;蒲子生&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;エビカツラノミナ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;りき。是を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;摭&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヒリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ひ食む間に逃行でますを、猶追ひしかば、亦其の右の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;御角髪&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミミヅラ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に刺せる湯津々間櫛を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;引闕&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヒキカ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;きて、投棄てたまひしかば、乃ち&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;筍生&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タカムナ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;りき。是を抜き食む間に逃行でましき。且後には、其の八の雷神に、千五百の黄泉軍を副へて、追はしめき。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;爾&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カレ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;御佩&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミハカ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;せる&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;十拳剣&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トツカノツルギ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を抜きて、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;後手&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シリヘデ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;揮&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;フ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;きつつ逃げ来ませるを、猶追ひて、黄泉比良坂の坂本に到る時に、其の坂本なる&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;桃子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;モモノミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;三個取りて、御撃ちたまひしかば、悉に逃げ返りき（中略）。最後に其の妹伊邪那美命、身自ら追来ましき。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;爾&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;スナハ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ち、千引石を其の黄泉比良坂に引塞へて、其の石を中に置きて、各対立して、事戸を度す（中略）。其の黄泉坂に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;塞&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;サヤ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;れり石は、道反大神とも号し、塞坐黄泉戸大神とも&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;謂&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;マヲ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある如く、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;魔&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;デーモン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を払う呪術として、鬘、櫛、剣、桃、石の五つが、それに当てられたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して此の記事は、種々な暗示を投じているが、その第一は、我国における原始的神聖観念（まだ宗教とか神道とかいう段階に達せぬ）とも見るべきものであって、魔に対する呪術の発生を説くものとして注意すべきである〔六〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二、此の記事に現われた諾尊の位置は、宗教学的又は民族心理学的に言えば、全くの呪術師としての仕事をなされた結果となっているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第三は、その呪術師の投げ棄てた物のうちで、鬘より蒲子、櫛より筍、及び桃と、三つまで人類の食料となるべきものが含まれていることである。これは我国の原始時代が未だ農耕期に入らずして、野に山に食料を蒐めた奪略生存時代であることを知ると同時に、呪術師の第一の仕事が食料を齎らすことにあったことが知られるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第四、是等の食料に対して、一種の霊のあることを認めていたのは、当時の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;万物有霊&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アニミズム&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の思想を表わしているのである。是等は元より神話のことであるから、直ちにこれを以て人類生活の状態と見ることは出来ぬけれども、由来、神話なるものは、その習慣なり、民俗なりが存していたので構成されるものであって、神話の機構から習慣や民俗が生れぬことを知るとき、此の神話中に太古の人類生活の状態が濃厚に反映していることが認められるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした最初の発見の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;魔&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;デーモン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;は、一面社会的であると同時に、一面個人的のものであった。而して前者の社会的魔は山や河に潜む魔になり、更に森や野に、又は時として空中に迷い、地下に潜む魔となった。そして後者の個人的魔は死体より出ずる魔、病気を起す魔となったのである。けれども、魔は個性を有せず、類型的であるために、後には雑糅されて、魔から幽霊へ、更に幽霊から霊魂へと過程して、遂に精霊なるものとなって信仰されるようになった。即ちこれが&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;古有霊&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;プレアニミズム&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;から&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;精霊&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;スピリット&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;への発見の過程である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
併しながら、魔と云い、霊魂と云い、精霊と云うも、所詮は眼に見ることの出来ぬものに対する心の力である。此の心の力の動きは即ち宗教的感情そのものであらねばならぬ。而して古代人は、人は各一つの霊魂を有し、その霊魂は或は身体と共に存し（ヴントはこれを&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;一般的身体魂&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アルゲマイネ・ケルパーゼーレ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;といっている）、又は一時的に身体から去り、離れた所に現れると信じられ、この思想を拡大して行って、土地や、動物や、植物まで、霊魂を有すると考え、更に死によって、霊魂と身体とが永久的に分離する所に、精霊が生ずるのであると信じた。或はこれを価値批判の立場から、精霊の崇高なるものは、土地や、山海や、河川の精霊であって、その最も簡単なるものは、人間や、動物の精霊であって、元の肉体から分離したものであると考えた。精霊は外の生物の中に入って住む事が出来るが、その肉体に属するものとして入っているのではない。実際、霊魂は体と分離し得るとしても、それは生きているうちは、睡眠中における夢の如く一時的のものか、それでなければ死んだ場合に限られるとしていた。こうした思想から導かれて、我国の古代人の世界観は、無数の霊魂と精霊——即ち体を離れた霊魂によって満たされているものと信じていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
然るに我々の遠い祖先である日本人は、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;魔&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;デーモン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を発見する以前——若しくは同時に、一種の神聖観念である神秘的の力の信念とも云うべきものを有していた。そしてこれを「いつ」（稜威、厳）という語で現わしていた。而して此の「いつ」の観念は、我国の原始時代の神聖観念の源泉であり、基調であって、神を発見する以前にあっては、専ら此の観念が活いたもので、最近の宗教学、民俗学・乃至社会学者の間において、深甚の研究と、多大の興味を維がれている彼のメラネシヤ民俗の有するマナ（mana）又はイロクオア人（アメリカ・インディアンの一部族）の有するオレンダ（Orenda）、又は支那の「精」（Tsing）（精は気（Khi）の中に示現して、生物を発生せしめる意）と同じようなものを有していた〔七〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して此の「いつ」の我国の用法及び観念は、漢書の註に「神霊之威曰稜」と同じく〔八〕、語源は倭訓栞に『いつ、神代紀に稜威をよみ、皇代紀に厳をよめり、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;気出&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イツ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の義なるべし』とある如く、これが&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神秘力&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミスティック・パワー&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;となって、稲の精霊を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;厳稲魂女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イツノウカノメ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云い、呪詛することを&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巌呪詛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イツノカジリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云い、呪力を有する武器を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;稜威之高鞆&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イツノタカトモ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云い、天皇の御大言を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;厳勅&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イツノクシキミコトノリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云い、国家の大典を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;憲法&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イツクシキノリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云い。更に祭具を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;厳瓮&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イツベ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云い、斎主を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;厳媛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イツヒメ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云い、これより転じて斎きとなり、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;厳忌&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イチハヤシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;となるなど、我国古代の、神聖とか、神秘とか、霊験とか、威厳とかいうべき思想は、悉く此の「いつ」の語によって表現されているのである。従って、我国上代の生命の本質は、実に此の「いつ」の観念に存していたのである。而して此の神聖観念は、精霊観念と或は併行し、或は抱合して、遂に神なるものを発見するまでに進んだのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
我が日本人が、始めて神を発見したときの神の力は、守護の神霊ともいうべきほどのものであって、個人的の精霊よりは一歩すすめたが、まだ社会的の神とはならなかった。謂わばその中間にある部族を守護する神霊（後の氏神）に過ぎなかったのである。「日本書紀」の一書、諾尊が冊尊と&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;絶妻誓&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;コトドワタ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;しの条に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 盟ひて曰く、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;族離&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウカラハナ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;れなむ、又曰く、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;族負&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウカラマケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;じ。乃ち&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;唾&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツバ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;く時に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;化為&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ナ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;る神の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;号&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミナ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を速玉之男神と曰ふ。次に掃ふ時に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;化出&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ナ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;る神の号を泉津事解之男神と云ふ（中略）。其の妹（中山曰。冊尊なり）と泉津平坂に相鬪ふに及びて、伊弉諾尊曰く、始め&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;族&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウカラ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;が為めに悲しみ、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;思哀&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シノ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;びけることは、是れ吾が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;怯&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツタナキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;なり。時に泉津守道といふもの白して曰く、言あり（中山曰。冊尊の意を取次ぐもの）曰く、吾れ汝と已に国を生みにき、奈何ぞ更に生まむことを求めんや、吾れ則ちまさに此の国に留まりて、共に去るべからずといふ。是の時に菊理媛神（中山曰、此の神は巫女である。後にやや詳述する）亦白す事あり、伊弉諾尊聞しめして&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;善&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ホ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;めたまひて、乃ち&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;散去&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アラケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ましぬ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある「族離れ」「族負けじ」及び「族の為めに悲しむ」の意は、従来の所謂国学者に解釈させたら、種々なる異説もあることと思うが、神の進化の過程から言えば、それは諾尊が冊尊と絶妻したために部族を離れることであって、冊尊が『吾れまさに此の国に留まりて』とあるのは、即ち冊尊が黄泉の神となられたことを示しているのである。而して此の解釈から、当然導き出されることは、当時の我国の社会組織は、一種の「呪術集団」を以て単位としていたという点である。当時、まだ神という観念が固定せぬので、単なる神聖観念を基調として、専ら同じ呪術を信ずる部族が相集って社会をなし、これが紐帯は同じ祭儀を営み、同じ墳墓を有し、同じ言語と、同じ習慣を有する者のみで組織されていたのである。而して此の精霊から部族の神へ、更に部族の神から社会の神へと聖化し、発展したに就いては、此の神徳を称え広めた巫覡の運動が与って力があったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 〔註一〕 : 「古事記」の国訳は岩波文庫本に拠った。訓み方に多少の疑いもあるが、今は姑らくこれに従う。以下総てこれに同じである。&lt;br /&gt;
; 〔註二〕 : 「日本書紀」の国訳も、同じく岩波文庫本に拠った。ただ私が本書を執筆した際には、「神代巻」だけしか発行されなかったので、それ以下は国史大系本の原文に拠るとした。記事の統一を欠く憾みがあるも致し方がない。&lt;br /&gt;
; 〔註三〕 : 本居翁の「古事記伝」の該条に、詳しく病魔の事が載せてある。&amp;lt;br/&amp;gt;猶、この機会に言うて置くが、「古事記」に、諾冊二尊が蛭子を儲けた折に、「天神の命を請い」云々とあるより推して、病魔や死魔以前に、既に神の存したことを説く学者が多いのであるが、私は、此の神は、神話が永く伝承される間に構成されたものだと考えている。&lt;br /&gt;
; 〔註四〕 : 我が古代では蛇と雷は一体であると信じていた。詳細は「郷土趣味」特別号の雷神研究号の拙稿に尽した考えである。&lt;br /&gt;
; 〔註五〕 : 我国では、火の神より、水の神に対する信仰の方が、古くから在ったように思う。火の無い時代は考えられるが、水の無い時代は想像されぬ。これに就いても「郊外」誌上に拙稿を載せたことがある。&lt;br /&gt;
; 〔註六〕 : こう云うと、如何にも我国には宗教に先って呪術が在った——所謂呪術先行説のように解せられるのであるが、私の知る限りでは、我国に呪術先行を積極的に証示すべき手掛りは、無いように思われる。勿論、私はかかる問題に対しては門外漢であるが、思いついたままを記すとする。&lt;br /&gt;
; 〔註七〕 : 赤松智城氏の「輓近宗教学説の研究」所収下編の「神聖観念論」「宗教と呪法」「マナの観念」等の各篇に拠った。&lt;br /&gt;
; 〔註八〕 : 同上。猶この機会に一言するが、我が古代の霊魂観には、身分の高き者は、その身分に相応した高き霊魂を有しているものと考えていた。即ち稜威（いつ）の活きある者は、その霊魂まで稜威を有していると信じていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:中山太郎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
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		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1383</id>
		<title>トーク:日本巫女史/第一篇/第一章/第一節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1383"/>
		<updated>2012-12-18T16:58:10Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.89&lt;br /&gt;
** 「古有霊」に「フレアミズム」の振り仮名がなされているが、「プレアニミズム」の誤植であろうと思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月17日 (日) 21:48 (JST)&lt;br /&gt;
** 「一般的身体魂」に「アルケツスイネ・ケルベルビール」の振り仮名がなされているが、Die allgemeine Körperseele のことと思われる。アルゲマイネ・ケルパーゼーレあたりが妥当か。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]]（[[利用者・トーク:たちゃな|トーク]]） 2012年12月19日 (水) 01:58 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.90&lt;br /&gt;
** 「神秘力」に「ミステツクパワー」の振り仮名がなされているが、「ミスティック・パワー」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月2日 (火) 07:16 (JST)&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.87&lt;br /&gt;
** &amp;lt;s&amp;gt;古事記引用中「蛆集（ウジタカ）れ盪（トロヽ）きて」は「蛆集（ウジタカ）れ盪（トヽロ）ぎて」ではないかと思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月3日 (水) 01:06 (JST)&amp;lt;/s&amp;gt;&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
* 底本 p.89&lt;br /&gt;
** ヴント: Wilhelm Max Wundt (1832-1920)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
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		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1382</id>
		<title>Docs:談話室</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1382"/>
		<updated>2012-08-02T12:40:20Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 談話室 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ここでは、サイトの運営に関する話題や、&lt;br /&gt;
個別のページでは扱えない広い話題を扱います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 談話室 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
気軽な雑談・相談用にお使い下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;comments /&amp;gt;&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 「斯様に考えると、亜細亜の東北方・西比利亜全体・満洲・朝鮮・露領トルキスタン方面に掛けて行われて居る宗教はシャーマンである。斯の如く、シャーマンが広く分布して居る上から日本の原始神道を観れば、之れとよほどよく似た点がある。今、軽々しく結論は与えないが、日本の神道即ち、吾等祖先の固有の宗教中には此のシャーマンの分子が可なり多い。高天原・中つ国夜見の国等シャーマンの哲学的考察、神に奉仕する巫子のあること、政治・宗教の接着していること其の他、種々の儀式も非常に両者似て居る。鏡・鈴等もそうであるし、鈿女命などの動作、神社に仕える巫覡が古く女の巫人であること等、シャーマン的色彩を帯びて居る。故に、日本の神道研究には、東北方亜細亜のシャーマニズムを度外視することは出来ない。朝鮮と日本との関係あることを考えるについて、両者がシャーマンにて結ばれている事をも考えの内に入れるべきである。」鳥居龍蔵『日本周囲民族の原始宗教 神話宗教の人種学的研究』&lt;br /&gt;
** [http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983313 近代デジタルライブラリー - 日本周囲民族の原始宗教 : 神話宗教の人種学的研究]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 非常に膨大な量で示唆に富むこの本がまさかこうした形で読めるとは・・。 --[[特別:投稿記録/223.135.29.185|223.135.29.185]] 2012年5月6日 (日) 23:42 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 著作権が切れてるとなると結構重要どころが抜けちゃいますね --[[特別:投稿記録/114.51.11.194|114.51.11.194]] 2012年3月6日 (火) 21:56 (JST)&lt;br /&gt;
** フリーで提供できるものを集めるという趣旨ですから仕方ないです。新しい本はお金を出して読みましょう。というか、そんな腑抜けた批評する暇があったら何かコントリビューションをお願いします。(笑)&lt;br /&gt;
** 話は変わりますが、もうすぐ柳田国男先生の没後五十年を迎えます。柳田国男集がフリーで読めるようになれば、より広い読者を獲得することになり、民俗学周辺がまた賑やかに、面白くなると思われませんか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2012年3月9日 (金) 02:53 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* Mac OS X 10.6 に付属の日本語インプットメソッド「ことえり」にて「うねめ」を漢字変換すると「[[find:釆女|釆女]] (ノ+米)」となり、本文中の「[[find:采女|采女]] (ノ+ツ+木)」に検索がヒットしないという問題を発見。&amp;lt;s&amp;gt;なんだこれは…。(恐らく「ことえり」側の問題)&amp;lt;/s&amp;gt; --[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月16日 (水) 00:41 (JST)&lt;br /&gt;
** もしかして機能 (のフェイク) にて逃げ。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月18日 (金) 01:07 (JST)&lt;br /&gt;
** 前者は地名 (三重県四日市市釆女町) で、後者が一般名詞らしい。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年6月12日 (日) 03:47 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* ページの更新にかかる時間を大幅に短縮できたと思います。(やれやれ…)　技術的な面については[http://macwiki.sourceforge.jp/wiki/index.php/MacWiki:MediaWikiのインストール#.E5.85.A8.E6.96.87.E6.A4.9C.E7.B4.A2.E3.81.AE.E6.A9.9F.E8.83.BD.E6.94.B9.E5.96.84_.28experimental.29 こちら]を参照ください。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年9月29日 (火) 10:55 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 「日本巫女史」中、「じゅず」に「数珠」と「珠数」の表記の揺らぎがあります。「数珠」に統一すべきかも知れません。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年8月28日 (金) 01:11 (JST)&lt;br /&gt;
** この辺についてはたちゃなさんの判断に譲ります。 --[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月1日 (火) 00:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
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		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1381</id>
		<title>トーク:日本巫女史/第二篇/第一章/第一節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1381"/>
		<updated>2012-07-15T23:33:10Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 人の魂神鳥に化する信仰&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.384&lt;br /&gt;
** 底本には「五行&#039;&#039;&#039;纖&#039;&#039;&#039;緯の説」とあるが「五行&#039;&#039;&#039;讖&#039;&#039;&#039;緯の説」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.385&lt;br /&gt;
** 底本には「瀰&#039;&#039;&#039;蔓&#039;&#039;&#039;」とあるが「瀰&#039;&#039;&#039;漫&#039;&#039;&#039;」に改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月25日 (火) 17:31 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.386&lt;br /&gt;
** 底本には「後一條帝」とあるが「後朱雀帝」の誤植なので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月25日 (火) 17:31 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.388&lt;br /&gt;
** 「賊盗律」引用部分の組版が、底本では若干乱れているので、適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
** 「賊盗律」脚註の「剋」の字は、底本では{克篇刂}となっている。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
** 底本「帰附彦人皇子水派宮」を「帰附彦人皇子於水派宮」に修正した。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月26日 (水) 02:36 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.389&lt;br /&gt;
** 「祈りて竹柏を折る」直後の読点を句点に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.391&lt;br /&gt;
** 「橘千陰」を「橘千蔭」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
** 「安部佐由美」を「安都佐由美」に改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月27日 (木) 02:14 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.392&lt;br /&gt;
** 「習俗があったので〔一六〕」直後の句点を読点に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.398&lt;br /&gt;
** 「皆一と見ゆ」直後の読点を句点に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.399&lt;br /&gt;
** 「弓立でと同じ」を「弓立てと同じ」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.400&lt;br /&gt;
** 多田南嶺の引用部&lt;br /&gt;
*** 組版が底本では若干乱れているので適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
***「蒼朮の事也（中略）」直後に句点を補った。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
*** 「合湯を用ゆ」直後の読点を句点に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.405&lt;br /&gt;
** 註一八「琴の始めだなと云う説は」を「琴の始めだなどと云う説は」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.386&lt;br /&gt;
** 「葬送令」は「喪葬令」ではないのか。&lt;br /&gt;
*** 『養老令』喪葬令第二　服錫紵條：凡天皇，為本服二等以上親喪，服錫紵。為三等以下及諸臣之喪，除帛衣外，通用雜色。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月25日 (火) 17:38 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.389&lt;br /&gt;
** 「過房」は「過防」ではないのか。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月26日 (水) 02:36 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.392&lt;br /&gt;
** 「書いて造る習俗」は「書いて送る習俗」ではないのか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
* 底本 p.391&lt;br /&gt;
** 「梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?02/0098 万葉集 2-98]）&lt;br /&gt;
** 「梓弓 末者師不知 雖然 真坂者&amp;lt;君&amp;gt;尓 縁西物乎」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?12/2985 万葉集 12-2985]）&lt;br /&gt;
** 「梓弓 引見&amp;lt;緩&amp;gt;見 思見而 既心齒 因尓思物乎」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?12/2986 万葉集 12-2986]）&lt;br /&gt;
** 「安豆左由美 欲良能夜麻邊能 之牙可久尓 伊毛呂乎多弖天 左祢度波良布母」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?14/3489 万葉集 14-3489]）&lt;br /&gt;
** 「安都左由美 須恵波余里祢牟 麻左可許曽 比等目乎於保美 奈乎波思尓於家礼」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?14/3490 万葉集 14-3490]）&lt;br /&gt;
* 底本 p.397&lt;br /&gt;
** 「人の魂神鳥に化する信仰、印度外にもあり」&lt;br /&gt;
***「山海経」北山経にも見え、『有鳥焉、其狀如烏、文首、白喙、赤足、名曰精衛、其鳴自詨。是炎帝之少女名曰女娃、女娃游于東海、溺而不返、故為精衛、常銜西山之木石、以堙于東海。』とある。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月8日 (月) 05:39 (JST)&lt;br /&gt;
*** [[日本巫女史/第一篇/第四章/第四節|第一篇第四章第四節]]の「三　鵜」にも「人は死ぬと鳥の形となって天に昇る」信仰への言及あり。&lt;br /&gt;
*** 古代エジプトにおいても見受けられる。&lt;br /&gt;
* 底本 p.401&lt;br /&gt;
** 「寛文頃の記録〜我国の原始神道には、湯を用いて身体を浄める思想は無く、従って道教の輸入以前には湯立というが如き神事は存しなかった」: 寛文年間は西暦1661〜1673年、即ち応仁の乱の200年後であり、この時代の宮中における女官のしきたりが原始神道のそれを直接反映しているとは言い切れないのでは。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.403&lt;br /&gt;
** 註四「郊祀霊畤の用語」：『神武紀』に「詔曰：『我皇祖之靈也，自天降鑑，光助朕躬。今諸虜已平，海內無事。可以&amp;lt;b&amp;gt;郊祀&amp;lt;/b&amp;gt;天神，用申大孝者也。』乃立&amp;lt;b&amp;gt;靈畤&amp;lt;/b&amp;gt;於鳥見山中。」がある。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月31日 (月) 18:18 (JST)&lt;br /&gt;
** 註十一に「梓弓を折つて橋の代りとした。」は出所不明と書いたが、『倭姬命世記』による『伊勢國風土記逸文』の引用である。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月31日 (月) 18:18 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
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		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8&amp;diff=1380</id>
		<title>メインページ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8&amp;diff=1380"/>
		<updated>2012-05-20T11:24:32Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==ようこそ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
巫研 Docs Wiki は、民俗学や文学など、巫女に多少なりとも関連のあるテキスト（著作権が切れているか、自身に著作権が帰属するもの）を、皆で好き勝手に持ち寄って楽しむためのサイトです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
各ページは自由に編集できますので、関連する項目にハイパーリンクを張ったり、各ページに対応するノートに書き込みをおこなうことで、共同研究を円滑に進めることができます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
趣旨に賛同してくださるかたのご参加をお待ちしております。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ページ一覧==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[特別:AllPages|ページ一覧]]&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;[[日本巫女史]]&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[特別:Categories|カテゴリ一覧]]&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;[[:Category:折口信夫|折口信夫]] [[:Category:小酒井不木|小酒井不木]] [[:Category:中山太郎|中山太郎]] [[:Category:ニコライ・ネフスキー|ニコライ・ネフスキー]]&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[特別:RecentChanges|最近更新したページ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[Project:談話室|談話室]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[Help:編集の仕方|編集の仕方]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1375</id>
		<title>Docs:談話室</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1375"/>
		<updated>2012-03-08T17:58:38Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 談話室 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ここでは、サイトの運営に関する話題や、&lt;br /&gt;
個別のページでは扱えない広い話題を扱います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
気軽な雑談・相談用にお使い下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;comments /&amp;gt;&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 著作権が切れてるとなると結構重要どころが抜けちゃいますね --[[特別:投稿記録/114.51.11.194|114.51.11.194]] 2012年3月6日 (火) 21:56 (JST)&lt;br /&gt;
** フリーで提供できるものを集めるという趣旨ですから仕方ないです。新しい本はお金を出して読みましょう。というか、そんな腑抜けた批評する暇があったら何かコントリビューションをお願いします。(笑)&lt;br /&gt;
** 話は変わりますが、もうすぐ柳田国男先生の没後五十年を迎えます。柳田国男集がフリーで読めるようになれば、より広い読者を獲得することになり、民俗学周辺がまた賑やかに、面白くなると思われませんか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2012年3月9日 (金) 02:53 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* Mac OS X 10.6 に付属の日本語インプットメソッド「ことえり」にて「うねめ」を漢字変換すると「[[find:釆女|釆女]] (ノ+米)」となり、本文中の「[[find:采女|采女]] (ノ+ツ+木)」に検索がヒットしないという問題を発見。&amp;lt;s&amp;gt;なんだこれは…。(恐らく「ことえり」側の問題)&amp;lt;/s&amp;gt; --[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月16日 (水) 00:41 (JST)&lt;br /&gt;
** もしかして機能 (のフェイク) にて逃げ。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月18日 (金) 01:07 (JST)&lt;br /&gt;
** 前者は地名 (三重県四日市市釆女町) で、後者が一般名詞らしい。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年6月12日 (日) 03:47 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* ページの更新にかかる時間を大幅に短縮できたと思います。(やれやれ…)　技術的な面については[http://macwiki.sourceforge.jp/wiki/index.php/MacWiki:MediaWikiのインストール#.E5.85.A8.E6.96.87.E6.A4.9C.E7.B4.A2.E3.81.AE.E6.A9.9F.E8.83.BD.E6.94.B9.E5.96.84_.28experimental.29 こちら]を参照ください。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年9月29日 (火) 10:55 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 「日本巫女史」中、「じゅず」に「数珠」と「珠数」の表記の揺らぎがあります。「数珠」に統一すべきかも知れません。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年8月28日 (金) 01:11 (JST)&lt;br /&gt;
** この辺についてはたちゃなさんの判断に譲ります。 --[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月1日 (火) 00:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1374</id>
		<title>Docs:談話室</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1374"/>
		<updated>2012-03-08T17:53:28Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 談話室 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ここでは、サイトの運営に関する話題や、&lt;br /&gt;
個別のページでは扱えない広い話題を扱います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 談話室 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
気軽な雑談・相談用にお使い下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;comments /&amp;gt;&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 著作権が切れてるとなると結構重要どころが抜けちゃいますね --[[特別:投稿記録/114.51.11.194|114.51.11.194]] 2012年3月6日 (火) 21:56 (JST)&lt;br /&gt;
** フリーで提供できるものを集めるという趣旨ですから仕方ないです。新しい本はお金を出して読みましょう。というか、そんな腑抜けた批評する暇があったら何かコントリビューションをお願いします。(笑)&lt;br /&gt;
** 話は変わりますが、もうすぐ柳田国男先生の死後五十年を迎えます。柳田国男集がフリーで読めるようになれば、より広い読者を獲得することになり、民俗学周辺がまた賑やかに、面白くなると思われませんか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2012年3月9日 (金) 02:53 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* Mac OS X 10.6 に付属の日本語インプットメソッド「ことえり」にて「うねめ」を漢字変換すると「[[find:釆女|釆女]] (ノ+米)」となり、本文中の「[[find:采女|采女]] (ノ+ツ+木)」に検索がヒットしないという問題を発見。&amp;lt;s&amp;gt;なんだこれは…。(恐らく「ことえり」側の問題)&amp;lt;/s&amp;gt; --[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月16日 (水) 00:41 (JST)&lt;br /&gt;
** もしかして機能 (のフェイク) にて逃げ。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月18日 (金) 01:07 (JST)&lt;br /&gt;
** 前者は地名 (三重県四日市市釆女町) で、後者が一般名詞らしい。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年6月12日 (日) 03:47 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* ページの更新にかかる時間を大幅に短縮できたと思います。(やれやれ…)　技術的な面については[http://macwiki.sourceforge.jp/wiki/index.php/MacWiki:MediaWikiのインストール#.E5.85.A8.E6.96.87.E6.A4.9C.E7.B4.A2.E3.81.AE.E6.A9.9F.E8.83.BD.E6.94.B9.E5.96.84_.28experimental.29 こちら]を参照ください。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年9月29日 (火) 10:55 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 「日本巫女史」中、「じゅず」に「数珠」と「珠数」の表記の揺らぎがあります。「数珠」に統一すべきかも知れません。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年8月28日 (金) 01:11 (JST)&lt;br /&gt;
** この辺についてはたちゃなさんの判断に譲ります。 --[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月1日 (火) 00:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97:%E7%B7%A8%E9%9B%86&amp;diff=1371</id>
		<title>ヘルプ:編集</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97:%E7%B7%A8%E9%9B%86&amp;diff=1371"/>
		<updated>2011-11-23T19:32:19Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* ファイルのアップロード */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== 使い方 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページの編集 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 編集したいページの上部にある「編集」というリンクをクリックします。&lt;br /&gt;
** ただし、管理者によって[[#管理者によるページの保護|保護]]されているページでは、「編集」のリンクは表示されません。&lt;br /&gt;
* [[#テキスト整形のルール|テキスト整形のルール]] に従ってテキストを編集します。&lt;br /&gt;
* 「プレビューを表示」ボタンを押すと、テキストが整形されて表示されます。&lt;br /&gt;
** 気の済むまで何度でも繰り返し編集〜プレビューによる確認がおこなえます。この段階では、書き込みはまだおこなわれません。&lt;br /&gt;
* 「ページを保存」ボタンを押すと、編集したテキストが保存されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページの新規作成 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 新しく作成したいページの名前を(画面右上の)検索ボックスに書き入れ、「表示」のボタンを押してください。&lt;br /&gt;
* 同名のページが存在していなければ、「このウィキでページ「ほにゃらら」を新規作成する」と表示されますので、ページ名のリンクをクリックします。&lt;br /&gt;
* あとは通常のページ編集と同様にテキストを編集し、保存してください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 管理者によるページの保護 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページ上部に「編集」のリンクが存在しないページは、管理者によって保護されています。&lt;br /&gt;
* 保護には二段階のレベルがあります。&lt;br /&gt;
*# 管理者は、管理者以外がページを編集できないように設定できます。&lt;br /&gt;
*# 管理者は、新規利用者・匿名利用者がページを編集できないように設定できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 変更履歴の表示 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページ上部の「履歴表示」をクリックすると、ページの変更履歴が表示できます。&lt;br /&gt;
* 変更履歴のページでは、以下のような操作が可能です。&lt;br /&gt;
*# 任意のバージョン間での差分を表示できます。&lt;br /&gt;
*# 過去の任意の時点におけるページを表示できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページの削除 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページの削除は管理者でないとおこなえません。&lt;br /&gt;
** 必要があれば管理者に御依頼ください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ノートの使いかた ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページにはそれぞれ「議論(トーク)」と呼ばれる別ページが用意されています。&lt;br /&gt;
* トークは、たとえば以下のような場合に使います。&lt;br /&gt;
*# 記事の内容に対する意見や指摘をおこないたい場合。&lt;br /&gt;
*# 記事を更新する際に、執筆者間でのコンセンサスを取っておきたい場合。&lt;br /&gt;
* トークは、いわゆる「編集合戦」を避けるための場所なので、常に使わなければならないという性質のものではありません。記事に明らかな間違いがあるのなら、どなたでも直接書き直して頂いて構いませんし、誰にとっても有用な内容であれば、躊躇せずにどんどん記事に書き足していってください。&lt;br /&gt;
* トークにコメントを書き込んだりする際には、誰がいつ書いたコメントであるかを判りやすくするため、[[#署名|署名]]を付けるようにしてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アカウントの登録 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ゲストアカウントでも書き込みは可能ですが、利用者登録をすることで、より高度な機能を使うことができます。&lt;br /&gt;
** ウォッチリストが使えます。事前に登録したページが書き変わった際に、お知らせメールを受け取ることができます。&lt;br /&gt;
** 外装や色々なオプションを自分好みにカスタマイズできるようになります。&lt;br /&gt;
** ページの更新履歴に利用者名が表示されるようになります。（ゲストアカウントでは IP アドレスが表示されます。）&lt;br /&gt;
** 利用者個人のページを持つことができます。&lt;br /&gt;
** 画像をアップロードできるようになります。&lt;br /&gt;
* 利用者登録をするには、画面右上の「ログインまたはアカウント作成」をクリックしてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== テキスト整形のルール ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入力したテキストは、次のルールに従って整形されます。&lt;br /&gt;
書き込みの練習をする場合は、[[Project:サンドボックス|サンドボックス]] ページを自由に利用して下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 基本ルール ===&lt;br /&gt;
* 連続した複数行は連結されます。&lt;br /&gt;
* 空行は段落の区切りとなります。&lt;br /&gt;
* 行頭がスペースで始まっていると、その段落は整形済みとして扱われます。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;nowiki&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; で囲んだ部分はタグが無効化されます。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;br /&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; で強制的に改行させることもできますが、必要のない限り使わないでください。&lt;br /&gt;
** XHTML に準拠させるため、&amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;br&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; ではなく &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;br /&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; となります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 文字飾り ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&#039;&#039;italic&#039;&#039;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;i&amp;gt;italic&amp;lt;/i&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &#039;&#039;italic&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&#039;&#039;&#039;bold&#039;&#039;&#039;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;b&amp;gt;bold&amp;lt;/b&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &#039;&#039;&#039;bold&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;s&amp;gt;strike&amp;lt;/s&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;del&amp;gt;strike&amp;lt;/del&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &amp;lt;s&amp;gt;strike&amp;lt;/s&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;u&amp;gt;underline&amp;lt;/u&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;ins&amp;gt;strike&amp;lt;/ins&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &amp;lt;u&amp;gt;underline&amp;lt;/u&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;tt&amp;gt;typewriter&amp;lt;/tt&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;code&amp;gt;typewriter&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &amp;lt;tt&amp;gt;typewriter&amp;lt;/tt&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;SO&amp;lt;sub&amp;gt;4&amp;lt;/sub&amp;gt;&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;amp;amp;minus;&amp;lt;/sup&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || SO&amp;lt;sub&amp;gt;4&amp;lt;/sub&amp;gt;&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;amp;minus;&amp;lt;/sup&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* シングルクォート2個ではさんだ部分は、&#039;&#039;イタリック&#039;&#039; になります。&lt;br /&gt;
* シングルクォート3個ではさんだ部分は、&#039;&#039;&#039;ボールド&#039;&#039;&#039; になります。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;b&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;i&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;s&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;u&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;tt&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; 等の HTML タグも使えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 見出し、箇条書き、水平線 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;==h2==&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;===h3===&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;====h4====&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;=====h5=====&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;======h6======&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || H2 〜 H6 の見出し&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;* Jan&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;* Feb&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;* Mar&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 箇条書き&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;# Jan&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;# Feb&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;# Mar&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 箇条書き(番号リスト)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;: Jan&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;:: Feb&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;::: Mar&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || インデント&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;; 語句 : 定義&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 定義&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;----&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 水平線&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 2個〜6個のイコール (&amp;lt;tt&amp;gt;=&amp;lt;/tt&amp;gt;) で囲むと、見出しになります。&lt;br /&gt;
** これらは &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H2&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H3&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H4&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H5&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H6&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; に対応します。&lt;br /&gt;
* アスタリスク (&amp;lt;tt&amp;gt;*&amp;lt;/tt&amp;gt;) を行頭に書くと、箇条書きになります。&lt;br /&gt;
** 複数のアスタリスクを続けて書くことで、深度が深くなります。&lt;br /&gt;
* ハッシュ (&amp;lt;tt&amp;gt;#&amp;lt;/tt&amp;gt;) を行頭に書くと、番号リストになります。&lt;br /&gt;
** 複数のハッシュを続けて書くことで、深度が深くなります。&lt;br /&gt;
** アスタリスクとハッシュは混用できます。&lt;br /&gt;
* 4個のハイフン (&amp;lt;tt&amp;gt;-&amp;lt;/tt&amp;gt;) を行頭に書くと、水平線になります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ハイパーリンク ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* &amp;lt;nowiki&amp;gt;http://www.mediawiki.org/&amp;lt;/nowiki&amp;gt; のような URL は自動的に外部リンクになります。&lt;br /&gt;
** 別名でリンクを張りたい場合には、&amp;lt;nowiki&amp;gt;[http://www.mediawiki.org/ 別名]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; などとします。&lt;br /&gt;
* 他のページへのリンク（内部リンク）を張りたい場合には &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ページ名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; とします。&lt;br /&gt;
** ページ名には日本語が使えます。スペースを含めても構いません。&lt;br /&gt;
** 別名でリンクを張りたい場合には、 &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ページ名|別名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書きます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テーブル ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* テーブルは以下のようにして作成できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+ 表のタイトル&lt;br /&gt;
! 見出し0 !! 列見出しA !! 列見出しB !! 列見出しC&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 行見出し1&lt;br /&gt;
| セル1A || セル1B || セル1C&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 行見出し2&lt;br /&gt;
| セル2A || セル2B || セル2C&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+ 表のタイトル&lt;br /&gt;
! 見出し0 !! 列見出しA !! 列見出しB !! 列見出しC&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 行見出し1&lt;br /&gt;
| セル1A || セル1B || セル1C&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 行見出し2&lt;br /&gt;
| セル2A || セル2B || セル2C&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;table&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; 等の HTML タグを使って書くこともできます。&lt;br /&gt;
* 詳しくは [[Wikipedia:Help:表の作り方]] などを参照して下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テキストのべた書き（pre機能） ===&lt;br /&gt;
* 行頭がスペースで始まっていると、その段落は整形済みとして扱われます。リンクや文字飾りは有効です。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;pre&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; でくくられた行は書いたまま表示されます。リンクや文字飾りも無視されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== コメント入力欄 ===&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;comments /&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; と入力することで、コメント入力欄を設置できます。&lt;br /&gt;
* コメント入力欄は１ページに１つしか設置できません。&lt;br /&gt;
* スパム対策のため、コメント投稿には以下の制限があります。&lt;br /&gt;
** ゲストアカウントでは日本語（ひらがなかカタカナ）を一切含まないコメントを書き込むことはできません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== リンクの省略記法 (InterWiki) ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* {{SITENAME}} では、リンクの省略記法 (InterWiki) として次の４種類が使えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Google:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || Googleで検索&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Find:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || {{SITENAME}} 内を検索&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ISBN:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ASIN:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || Amazon.co.jp にジャンプ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Wikipedia:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Wikipedia-en:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || Wikipedia (jp/en) にジャンプ&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 引数に日本語やスペースが含まれていても構いません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 署名 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[#ノートの使いかた|ノート]]にコメントを書き込んだりする際には、誰がいつ書いたコメントであるかを判りやすくするため、署名を付けるようにしてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || --[[利用者:WikiSysop|WikiSysop]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || --[[利用者:WikiSysop|WikiSysop]] 2007年5月1日 (火) 08:02 (JST)&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 3個のチルダ (&amp;lt;tt&amp;gt;~&amp;lt;/tt&amp;gt;) で署名がおこなえます。&lt;br /&gt;
* 4個のチルダで時刻付きの署名がおこなえます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== カテゴリ ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 記事中のどこかに &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Category:カテゴリ名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書いておくことで、その記事をカテゴライズすることができます。&lt;br /&gt;
** 記事を適切にカテゴライズしておくことで、記事数が増えても快適な検索性を保つことができます。&lt;br /&gt;
* カテゴリのタグはページ末尾にまとめて書くスタイルを推奨します。（統一されていないと、見つけにくくなります。）&lt;br /&gt;
* 記事のページ名が漢字や片仮名で始まっている場合には、&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Category:カテゴリ名|よみ]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; とします。&lt;br /&gt;
** よみはカテゴリ内におけるインデックス化の際に使われます。全てひらがなで書きます。濁音は清音にしてください。&lt;br /&gt;
* カテゴリページ自体へのリンクを作りたい場合には、&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[:Category:カテゴリ名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書きます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テンプレート・変数 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* &amp;lt;nowiki&amp;gt;{{テンプレート名}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書くことで、記事内にテンプレートをインクルードすることができます。&lt;br /&gt;
** この場合、Template:テンプレート名 というページがもしあれば、その内容が記事内に取り込まれます。&lt;br /&gt;
** テンプレートには引数を与えて呼び出すこともできます。詳しくは [[Wikipedia:Help:テンプレート]] などを参照してください。&lt;br /&gt;
* いくつかのビルトイン変数が用意されています。たとえば &amp;lt;nowiki&amp;gt;{{NUMBEROFARTICLES}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt; は {{SITENAME}} の総記事数を返します。詳しくは [[Wikipedia:Help:マジックワード]] などを参照してください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== リダイレクト ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 記事の中身を &amp;lt;nowiki&amp;gt;#REDIRECT [[リダイレクト先]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; のみとすることで、ページのリダイレクトをおこなうことができます。&lt;br /&gt;
* 外部リンクに対してのリダイレクトはできません。&lt;br /&gt;
* 一旦リダイレクトにした記事を再度編集しなおしたい場合には、リダイレクト先のページ上部に表示される「&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[リダイレクト元]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; から転送」のリンクを辿ってください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファイルのアップロード ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[#アカウントの登録|利用者登録]]をおこなうことで、ツールボックスの「アップロード」から {{SITENAME}} にファイルを登録できるようになります。&lt;br /&gt;
* 登録したファイルは &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ファイル:ファイル名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; を使ってページに貼り付けることができます。&lt;br /&gt;
** 現時点では、拡張子が png, gif, jpg, jpeg の画像ファイルのみを受け付けています。これ以外のファイルをアップロードしたい場合には、管理者にご相談ください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 画像 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ツールボックスの「アップロード」を使って {{SITENAME}} に画像を登録することができます。&lt;br /&gt;
* 登録した画像は、以下のようにして呼び出すことができます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ファイル:ファイル名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ファイル:ファイル名|代替文]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 画像の表示&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ファイル:ファイル名|frame|代替文]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || フレーム内に表示&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ファイル:ファイル名|thumb|代替文]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || フレーム内にサムネイルとして表示&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[:ファイル:ファイル名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[:ファイル:ファイル名|代替文]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 画像に対するテキストのリンク&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 参考リンク ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[Wikipedia:Help:ページの編集]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97:%E7%B7%A8%E9%9B%86&amp;diff=1370</id>
		<title>ヘルプ:編集</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97:%E7%B7%A8%E9%9B%86&amp;diff=1370"/>
		<updated>2011-11-23T19:13:58Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== 使い方 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページの編集 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 編集したいページの上部にある「編集」というリンクをクリックします。&lt;br /&gt;
** ただし、管理者によって[[#管理者によるページの保護|保護]]されているページでは、「編集」のリンクは表示されません。&lt;br /&gt;
* [[#テキスト整形のルール|テキスト整形のルール]] に従ってテキストを編集します。&lt;br /&gt;
* 「プレビューを表示」ボタンを押すと、テキストが整形されて表示されます。&lt;br /&gt;
** 気の済むまで何度でも繰り返し編集〜プレビューによる確認がおこなえます。この段階では、書き込みはまだおこなわれません。&lt;br /&gt;
* 「ページを保存」ボタンを押すと、編集したテキストが保存されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページの新規作成 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 新しく作成したいページの名前を(画面右上の)検索ボックスに書き入れ、「表示」のボタンを押してください。&lt;br /&gt;
* 同名のページが存在していなければ、「このウィキでページ「ほにゃらら」を新規作成する」と表示されますので、ページ名のリンクをクリックします。&lt;br /&gt;
* あとは通常のページ編集と同様にテキストを編集し、保存してください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 管理者によるページの保護 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページ上部に「編集」のリンクが存在しないページは、管理者によって保護されています。&lt;br /&gt;
* 保護には二段階のレベルがあります。&lt;br /&gt;
*# 管理者は、管理者以外がページを編集できないように設定できます。&lt;br /&gt;
*# 管理者は、新規利用者・匿名利用者がページを編集できないように設定できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 変更履歴の表示 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページ上部の「履歴表示」をクリックすると、ページの変更履歴が表示できます。&lt;br /&gt;
* 変更履歴のページでは、以下のような操作が可能です。&lt;br /&gt;
*# 任意のバージョン間での差分を表示できます。&lt;br /&gt;
*# 過去の任意の時点におけるページを表示できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページの削除 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページの削除は管理者でないとおこなえません。&lt;br /&gt;
** 必要があれば管理者に御依頼ください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ノートの使いかた ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページにはそれぞれ「議論(トーク)」と呼ばれる別ページが用意されています。&lt;br /&gt;
* トークは、たとえば以下のような場合に使います。&lt;br /&gt;
*# 記事の内容に対する意見や指摘をおこないたい場合。&lt;br /&gt;
*# 記事を更新する際に、執筆者間でのコンセンサスを取っておきたい場合。&lt;br /&gt;
* トークは、いわゆる「編集合戦」を避けるための場所なので、常に使わなければならないという性質のものではありません。記事に明らかな間違いがあるのなら、どなたでも直接書き直して頂いて構いませんし、誰にとっても有用な内容であれば、躊躇せずにどんどん記事に書き足していってください。&lt;br /&gt;
* トークにコメントを書き込んだりする際には、誰がいつ書いたコメントであるかを判りやすくするため、[[#署名|署名]]を付けるようにしてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アカウントの登録 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ゲストアカウントでも書き込みは可能ですが、利用者登録をすることで、より高度な機能を使うことができます。&lt;br /&gt;
** ウォッチリストが使えます。事前に登録したページが書き変わった際に、お知らせメールを受け取ることができます。&lt;br /&gt;
** 外装や色々なオプションを自分好みにカスタマイズできるようになります。&lt;br /&gt;
** ページの更新履歴に利用者名が表示されるようになります。（ゲストアカウントでは IP アドレスが表示されます。）&lt;br /&gt;
** 利用者個人のページを持つことができます。&lt;br /&gt;
** 画像をアップロードできるようになります。&lt;br /&gt;
* 利用者登録をするには、画面右上の「ログインまたはアカウント作成」をクリックしてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== テキスト整形のルール ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入力したテキストは、次のルールに従って整形されます。&lt;br /&gt;
書き込みの練習をする場合は、[[Project:サンドボックス|サンドボックス]] ページを自由に利用して下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 基本ルール ===&lt;br /&gt;
* 連続した複数行は連結されます。&lt;br /&gt;
* 空行は段落の区切りとなります。&lt;br /&gt;
* 行頭がスペースで始まっていると、その段落は整形済みとして扱われます。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;nowiki&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; で囲んだ部分はタグが無効化されます。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;br /&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; で強制的に改行させることもできますが、必要のない限り使わないでください。&lt;br /&gt;
** XHTML に準拠させるため、&amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;br&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; ではなく &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;br /&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; となります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 文字飾り ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&#039;&#039;italic&#039;&#039;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;i&amp;gt;italic&amp;lt;/i&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &#039;&#039;italic&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&#039;&#039;&#039;bold&#039;&#039;&#039;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;b&amp;gt;bold&amp;lt;/b&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &#039;&#039;&#039;bold&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;s&amp;gt;strike&amp;lt;/s&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;del&amp;gt;strike&amp;lt;/del&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &amp;lt;s&amp;gt;strike&amp;lt;/s&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;u&amp;gt;underline&amp;lt;/u&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;ins&amp;gt;strike&amp;lt;/ins&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &amp;lt;u&amp;gt;underline&amp;lt;/u&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;tt&amp;gt;typewriter&amp;lt;/tt&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;code&amp;gt;typewriter&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &amp;lt;tt&amp;gt;typewriter&amp;lt;/tt&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;SO&amp;lt;sub&amp;gt;4&amp;lt;/sub&amp;gt;&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;amp;amp;minus;&amp;lt;/sup&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || SO&amp;lt;sub&amp;gt;4&amp;lt;/sub&amp;gt;&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;amp;minus;&amp;lt;/sup&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* シングルクォート2個ではさんだ部分は、&#039;&#039;イタリック&#039;&#039; になります。&lt;br /&gt;
* シングルクォート3個ではさんだ部分は、&#039;&#039;&#039;ボールド&#039;&#039;&#039; になります。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;b&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;i&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;s&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;u&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;tt&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; 等の HTML タグも使えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 見出し、箇条書き、水平線 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;==h2==&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;===h3===&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;====h4====&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;=====h5=====&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;======h6======&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || H2 〜 H6 の見出し&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;* Jan&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;* Feb&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;* Mar&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 箇条書き&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;# Jan&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;# Feb&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;# Mar&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 箇条書き(番号リスト)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;: Jan&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;:: Feb&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;::: Mar&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || インデント&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;; 語句 : 定義&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 定義&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;----&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 水平線&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 2個〜6個のイコール (&amp;lt;tt&amp;gt;=&amp;lt;/tt&amp;gt;) で囲むと、見出しになります。&lt;br /&gt;
** これらは &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H2&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H3&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H4&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H5&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H6&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; に対応します。&lt;br /&gt;
* アスタリスク (&amp;lt;tt&amp;gt;*&amp;lt;/tt&amp;gt;) を行頭に書くと、箇条書きになります。&lt;br /&gt;
** 複数のアスタリスクを続けて書くことで、深度が深くなります。&lt;br /&gt;
* ハッシュ (&amp;lt;tt&amp;gt;#&amp;lt;/tt&amp;gt;) を行頭に書くと、番号リストになります。&lt;br /&gt;
** 複数のハッシュを続けて書くことで、深度が深くなります。&lt;br /&gt;
** アスタリスクとハッシュは混用できます。&lt;br /&gt;
* 4個のハイフン (&amp;lt;tt&amp;gt;-&amp;lt;/tt&amp;gt;) を行頭に書くと、水平線になります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ハイパーリンク ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* &amp;lt;nowiki&amp;gt;http://www.mediawiki.org/&amp;lt;/nowiki&amp;gt; のような URL は自動的に外部リンクになります。&lt;br /&gt;
** 別名でリンクを張りたい場合には、&amp;lt;nowiki&amp;gt;[http://www.mediawiki.org/ 別名]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; などとします。&lt;br /&gt;
* 他のページへのリンク（内部リンク）を張りたい場合には &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ページ名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; とします。&lt;br /&gt;
** ページ名には日本語が使えます。スペースを含めても構いません。&lt;br /&gt;
** 別名でリンクを張りたい場合には、 &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ページ名|別名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書きます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テーブル ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* テーブルは以下のようにして作成できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+ 表のタイトル&lt;br /&gt;
! 見出し0 !! 列見出しA !! 列見出しB !! 列見出しC&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 行見出し1&lt;br /&gt;
| セル1A || セル1B || セル1C&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 行見出し2&lt;br /&gt;
| セル2A || セル2B || セル2C&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+ 表のタイトル&lt;br /&gt;
! 見出し0 !! 列見出しA !! 列見出しB !! 列見出しC&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 行見出し1&lt;br /&gt;
| セル1A || セル1B || セル1C&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 行見出し2&lt;br /&gt;
| セル2A || セル2B || セル2C&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;table&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; 等の HTML タグを使って書くこともできます。&lt;br /&gt;
* 詳しくは [[Wikipedia:Help:表の作り方]] などを参照して下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テキストのべた書き（pre機能） ===&lt;br /&gt;
* 行頭がスペースで始まっていると、その段落は整形済みとして扱われます。リンクや文字飾りは有効です。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;pre&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; でくくられた行は書いたまま表示されます。リンクや文字飾りも無視されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== コメント入力欄 ===&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;comments /&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; と入力することで、コメント入力欄を設置できます。&lt;br /&gt;
* コメント入力欄は１ページに１つしか設置できません。&lt;br /&gt;
* スパム対策のため、コメント投稿には以下の制限があります。&lt;br /&gt;
** ゲストアカウントでは日本語（ひらがなかカタカナ）を一切含まないコメントを書き込むことはできません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== リンクの省略記法 (InterWiki) ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* {{SITENAME}} では、リンクの省略記法 (InterWiki) として次の４種類が使えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Google:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || Googleで検索&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Find:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || {{SITENAME}} 内を検索&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ISBN:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ASIN:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || Amazon.co.jp にジャンプ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Wikipedia:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Wikipedia-en:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || Wikipedia (jp/en) にジャンプ&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 引数に日本語やスペースが含まれていても構いません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 署名 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[#ノートの使いかた|ノート]]にコメントを書き込んだりする際には、誰がいつ書いたコメントであるかを判りやすくするため、署名を付けるようにしてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || --[[利用者:WikiSysop|WikiSysop]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || --[[利用者:WikiSysop|WikiSysop]] 2007年5月1日 (火) 08:02 (JST)&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 3個のチルダ (&amp;lt;tt&amp;gt;~&amp;lt;/tt&amp;gt;) で署名がおこなえます。&lt;br /&gt;
* 4個のチルダで時刻付きの署名がおこなえます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== カテゴリ ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 記事中のどこかに &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Category:カテゴリ名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書いておくことで、その記事をカテゴライズすることができます。&lt;br /&gt;
** 記事を適切にカテゴライズしておくことで、記事数が増えても快適な検索性を保つことができます。&lt;br /&gt;
* カテゴリのタグはページ末尾にまとめて書くスタイルを推奨します。（統一されていないと、見つけにくくなります。）&lt;br /&gt;
* 記事のページ名が漢字や片仮名で始まっている場合には、&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Category:カテゴリ名|よみ]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; とします。&lt;br /&gt;
** よみはカテゴリ内におけるインデックス化の際に使われます。全てひらがなで書きます。濁音は清音にしてください。&lt;br /&gt;
* カテゴリページ自体へのリンクを作りたい場合には、&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[:Category:カテゴリ名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書きます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テンプレート・変数 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* &amp;lt;nowiki&amp;gt;{{テンプレート名}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書くことで、記事内にテンプレートをインクルードすることができます。&lt;br /&gt;
** この場合、Template:テンプレート名 というページがもしあれば、その内容が記事内に取り込まれます。&lt;br /&gt;
** テンプレートには引数を与えて呼び出すこともできます。詳しくは [[Wikipedia:Help:テンプレート]] などを参照してください。&lt;br /&gt;
* いくつかのビルトイン変数が用意されています。たとえば &amp;lt;nowiki&amp;gt;{{NUMBEROFARTICLES}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt; は {{SITENAME}} の総記事数を返します。詳しくは [[Wikipedia:Help:マジックワード]] などを参照してください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== リダイレクト ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 記事の中身を &amp;lt;nowiki&amp;gt;#REDIRECT [[リダイレクト先]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; のみとすることで、ページのリダイレクトをおこなうことができます。&lt;br /&gt;
* 外部リンクに対してのリダイレクトはできません。&lt;br /&gt;
* 一旦リダイレクトにした記事を再度編集しなおしたい場合には、リダイレクト先のページ上部に表示される「&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[リダイレクト元]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; から転送」のリンクを辿ってください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファイルのアップロード ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[#アカウントの登録|利用者登録]]をおこなうことで、ツールボックスの「アップロード」から {{SITENAME}} にファイルを登録できるようになります。&lt;br /&gt;
* 登録したファイルは &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:ファイル名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; を使ってページに貼り付けることができます。&lt;br /&gt;
** 現時点では、拡張子が png, gif, jpg, jpeg の画像ファイルのみを受け付けています。これ以外のファイルをアップロードしたい場合には、管理者にご相談ください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 画像 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ツールボックスの「アップロード」を使って {{SITENAME}} に画像を登録することができます。&lt;br /&gt;
* 登録した画像は、以下のようにして呼び出すことができます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ファイル:ファイル名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ファイル:ファイル名|代替文]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 画像の表示&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ファイル:ファイル名|frame|代替文]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || フレーム内に表示&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ファイル:ファイル名|thumb|代替文]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || フレーム内にサムネイルとして表示&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[:ファイル:ファイル名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[:ファイル:ファイル名|代替文]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 画像に対するテキストのリンク&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 参考リンク ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[Wikipedia:Help:ページの編集]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97:%E7%B7%A8%E9%9B%86%E3%81%AE%E4%BB%95%E6%96%B9&amp;diff=1369</id>
		<title>ヘルプ:編集の仕方</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97:%E7%B7%A8%E9%9B%86%E3%81%AE%E4%BB%95%E6%96%B9&amp;diff=1369"/>
		<updated>2011-11-23T19:13:25Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: ヘルプ:編集の仕方をヘルプ:編集へ移動&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#転送 [[ヘルプ:編集]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97:%E7%B7%A8%E9%9B%86&amp;diff=1368</id>
		<title>ヘルプ:編集</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97:%E7%B7%A8%E9%9B%86&amp;diff=1368"/>
		<updated>2011-11-23T19:13:25Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: ヘルプ:編集の仕方をヘルプ:編集へ移動&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== 使い方 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページの編集 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 編集したいページの上部にある「編集」というリンクをクリックします。&lt;br /&gt;
** ただし、管理者によって[[#管理者によるページの保護|保護]]されているページでは、「編集」のリンクは表示されません。&lt;br /&gt;
* [[#テキスト整形のルール|テキスト整形のルール]] に従ってテキストを編集します。&lt;br /&gt;
* 「プレビューを実行」ボタンを押すと、テキストが整形されて表示されます。&lt;br /&gt;
** 気の済むまで何度でも繰り返し編集〜プレビューによる確認がおこなえます。この段階では、書き込みはまだおこなわれません。&lt;br /&gt;
* 「保存する」ボタンを押すと、編集したテキストが保存されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページの新規作成 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページを新規作成する前に、似たようなページがないかどうか、左の検索ボックスを使って調べてください。&lt;br /&gt;
** 同様のページが二重に登録されるのを防ぐためです。&lt;br /&gt;
* 左の検索ボックスにページ名を入力し、表示のボタンを押してください。&lt;br /&gt;
** ページが存在していなければ、「&amp;quot;〜&amp;quot; というタイトルのページは存在しませんでした。」というメッセージが表示されるはずです。&lt;br /&gt;
** メッセージの末尾にある「新規作成する」というリンクをクリックすることで、ページの編集を開始できます。&lt;br /&gt;
* 前項「ページの編集」と同様にテキストを編集し、保存して下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 管理者によるページの保護 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページ上部に「編集」のリンクが存在しないページは、管理者によって保護されています。&lt;br /&gt;
* 保護には二段階のレベルがあります。&lt;br /&gt;
*# 管理者は、管理者以外がページを編集できないように設定できます。&lt;br /&gt;
*# 管理者は、新規利用者・匿名利用者がページを編集できないように設定できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 変更履歴の表示 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページ上部の「履歴」をクリックすると、ページの変更履歴が表示できます。&lt;br /&gt;
* 変更履歴のページでは、以下のような操作が可能です。&lt;br /&gt;
*# 任意のバージョン間での差分を表示できます。&lt;br /&gt;
*# 過去の任意の時点におけるページを表示できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページの削除 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページの削除は管理者でないとおこなえません。&lt;br /&gt;
** 必要があれば管理者に御依頼ください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ノートの使いかた ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページにはそれぞれ「ノート」と呼ばれる別ページが用意されています。&lt;br /&gt;
* ノートは、たとえば以下のような場合に使います。&lt;br /&gt;
*# 記事の内容に対する意見や指摘をおこないたい場合。&lt;br /&gt;
*# 記事を更新する際に、執筆者間でのコンセンサスを取っておきたい場合。&lt;br /&gt;
* ノートは、いわゆる「編集合戦」を避けるための場所なので、常に使わなければならないという性質のものではありません。記事に明らかな間違いがあるのなら、どなたでも直接書き直して頂いて構いませんし、誰にとっても有用な内容であれば、躊躇せずにどんどん記事に書き足していってください。&lt;br /&gt;
* ノートにコメントを書き込んだりする際には、誰がいつ書いたコメントであるかを判りやすくするため、[[#署名|署名]]を付けるようにしてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アカウントの登録 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ゲストアカウントでも書き込みは可能ですが、利用者登録をすることで、より高度な機能を使うことができます。&lt;br /&gt;
** ウォッチリストが使えます。事前に登録したページが書き変わった際に、お知らせメールを受け取ることができます。&lt;br /&gt;
** 外装や色々なオプションを自分好みにカスタマイズできるようになります。&lt;br /&gt;
** ページの更新履歴に利用者名が表示されるようになります。（ゲストアカウントでは IP アドレスが表示されます。）&lt;br /&gt;
** 利用者個人のページを持つことができます。&lt;br /&gt;
** 画像をアップロードできるようになります。&lt;br /&gt;
* 利用者登録をするには、画面右上の「ログインまたはアカウント作成」をクリックしてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== テキスト整形のルール ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入力したテキストは、次のルールに従って整形されます。&lt;br /&gt;
書き込みの練習をする場合は、[[Project:サンドボックス|サンドボックス]] ページを自由に利用して下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 基本ルール ===&lt;br /&gt;
* 連続した複数行は連結されます。&lt;br /&gt;
* 空行は段落の区切りとなります。&lt;br /&gt;
* 行頭がスペースで始まっていると、その段落は整形済みとして扱われます。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;nowiki&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; で囲んだ部分はタグが無効化されます。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;br /&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; で強制的に改行させることもできますが、必要のない限り使わないでください。&lt;br /&gt;
** XHTML に準拠させるため、&amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;br&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; ではなく &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;br /&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; となります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 文字飾り ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;8&amp;quot; style=&amp;quot;border-collapse:collapse; background:#eef;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color: #ccf;&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&#039;&#039;italic&#039;&#039;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;i&amp;gt;italic&amp;lt;/i&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &#039;&#039;italic&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&#039;&#039;&#039;bold&#039;&#039;&#039;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;b&amp;gt;bold&amp;lt;/b&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &#039;&#039;&#039;bold&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;s&amp;gt;strike&amp;lt;/s&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;del&amp;gt;strike&amp;lt;/del&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &amp;lt;s&amp;gt;strike&amp;lt;/s&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;u&amp;gt;underline&amp;lt;/u&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;ins&amp;gt;strike&amp;lt;/ins&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &amp;lt;u&amp;gt;underline&amp;lt;/u&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;tt&amp;gt;typewriter&amp;lt;/tt&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;, &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;code&amp;gt;typewriter&amp;lt;/code&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || &amp;lt;tt&amp;gt;typewriter&amp;lt;/tt&amp;gt;&lt;br /&gt;
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| &amp;lt;nowiki&amp;gt;SO&amp;lt;sub&amp;gt;4&amp;lt;/sub&amp;gt;&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;amp;amp;minus;&amp;lt;/sup&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || SO&amp;lt;sub&amp;gt;4&amp;lt;/sub&amp;gt;&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;amp;minus;&amp;lt;/sup&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* シングルクォート2個ではさんだ部分は、&#039;&#039;イタリック&#039;&#039; になります。&lt;br /&gt;
* シングルクォート3個ではさんだ部分は、&#039;&#039;&#039;ボールド&#039;&#039;&#039; になります。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;b&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;i&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;s&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;u&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;tt&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; 等の HTML タグも使えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 見出し、箇条書き、水平線 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;8&amp;quot; style=&amp;quot;border-collapse:collapse; background:#eef;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color: #ccf;&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;==h2==&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;===h3===&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;====h4====&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;=====h5=====&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;======h6======&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || H2 〜 H6 の見出し&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;* Jan&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;* Feb&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;* Mar&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 箇条書き&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;# Jan&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;# Feb&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;# Mar&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 箇条書き(番号リスト)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;: Jan&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;:: Feb&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;::: Mar&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || インデント&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;; 語句 : 定義&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 定義&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;----&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 水平線&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 2個〜6個のイコール (&amp;lt;tt&amp;gt;=&amp;lt;/tt&amp;gt;) で囲むと、見出しになります。&lt;br /&gt;
** これらは &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H2&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H3&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H4&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H5&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H6&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; に対応します。&lt;br /&gt;
* アスタリスク (&amp;lt;tt&amp;gt;*&amp;lt;/tt&amp;gt;) を行頭に書くと、箇条書きになります。&lt;br /&gt;
** 複数のアスタリスクを続けて書くことで、深度が深くなります。&lt;br /&gt;
* ハッシュ (&amp;lt;tt&amp;gt;#&amp;lt;/tt&amp;gt;) を行頭に書くと、番号リストになります。&lt;br /&gt;
** 複数のハッシュを続けて書くことで、深度が深くなります。&lt;br /&gt;
** アスタリスクとハッシュは混用できます。&lt;br /&gt;
* 4個のハイフン (&amp;lt;tt&amp;gt;-&amp;lt;/tt&amp;gt;) を行頭に書くと、水平線になります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ハイパーリンク ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* &amp;lt;nowiki&amp;gt;http://www.sourceforge.org/&amp;lt;/nowiki&amp;gt; のような URL は自動的に外部リンクになります。&lt;br /&gt;
** 別名でリンクを張りたい場合には、&amp;lt;nowiki&amp;gt;[http://www.sourceforge.org/ 別名]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; などとします。&lt;br /&gt;
* 他のページへのリンク（内部リンク）を張りたい場合には &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ページ名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; とします。&lt;br /&gt;
** ページ名には日本語が使えます。スペースを含めても構いません。&lt;br /&gt;
** 別名でリンクを張りたい場合には、 &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ページ名|別名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書きます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テーブル ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* テーブルは以下のようにして作成できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! Wikiの名前  !!  作者 !! URL &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Wiki || Ward Cunningham || http://www.c2.com/&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| YukiWiki || Hiroshi Yuki || http://www.hyuki.com/&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| WalWiki || Makio Tsukamoto || http://digit.que.ne.jp/&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| MacWiki.cgi || Seiji Zenitani || http://homepage.mac.com/zenitani/&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! Wikiの名前  !!  作者 !! URL &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Wiki || Ward Cunningham || http://www.c2.com/&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| YukiWiki || Hiroshi Yuki || http://www.hyuki.com/&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| WalWiki || Makio Tsukamoto || http://digit.que.ne.jp/&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| MacWiki.cgi || Seiji Zenitani || http://homepage.mac.com/zenitani/&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;table&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; 等の HTML タグを使って書くこともできます。&lt;br /&gt;
* 詳しくは [[Wikipedia:Help:表の作り方]] などを参照して下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テキストのべた書き（pre機能） ===&lt;br /&gt;
* 行頭がスペースで始まっていると、その段落は整形済みとして扱われます。リンクや文字飾りは有効です。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;pre&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; でくくられた行は書いたまま表示されます。リンクや文字飾りも無視されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== コメント入力欄 ===&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;comments /&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; と入力することで、コメント入力欄を設置できます。&lt;br /&gt;
* コメント入力欄は１ページに１つしか設置できません。&lt;br /&gt;
* スパム対策のため、コメント投稿には以下の制限があります。&lt;br /&gt;
** ゲストアカウントでは日本語（ひらがなかカタカナ）を一切含まないコメントを書き込むことはできません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== リンクの省略記法 (InterWiki) ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* リンクの省略記法 (InterWiki) には次の４種類があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;8&amp;quot; style=&amp;quot;border-collapse:collapse; background:#eef;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color: #ccf;&amp;quot;&lt;br /&gt;
! Wiki テキスト !! 結果&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Google:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || Googleで検索&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Find:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || {{SITENAME}} 内を検索&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ISBN:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ASIN:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || Amazon.co.jp にジャンプ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Wikipedia:キーワード]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || Wikipedia にジャンプ&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 引数に日本語やスペースが含まれていても構いません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 署名 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[#ノートの使いかた|ノート]]にコメントを書き込んだりする際には、誰がいつ書いたコメントであるかを判りやすくするため、署名を付けるようにしてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 3個のチルダ (&amp;lt;tt&amp;gt;~&amp;lt;/tt&amp;gt;) で署名がおこなえます。&lt;br /&gt;
* 4個のチルダで時刻付きの署名がおこなえます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== カテゴリ ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 記事中のどこかに &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Category:カテゴリ名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書いておくことで、その記事をカテゴライズすることができます。&lt;br /&gt;
** 記事を適切にカテゴライズしておくことで、記事数が増えても快適な検索性を保つことができます。&lt;br /&gt;
* カテゴリのタグはページ末尾にまとめて書くスタイルを推奨します。（統一されていないと、見つけにくくなりますので。）&lt;br /&gt;
* 記事のページ名が漢字や片仮名で始まっている場合には、&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[Category:カテゴリ名|よみ]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; とします。&lt;br /&gt;
** よみはカテゴリ内におけるインデックス化の際に使われます。全てひらがなで書きます。濁音は清音にしてください。&lt;br /&gt;
* カテゴリページ自体へのリンクを作りたい場合には、&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[:Category:カテゴリ名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書きます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テンプレート・変数 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* &amp;lt;nowiki&amp;gt;{{テンプレート名}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書くことで、記事内にテンプレートをインクルードすることができます。&lt;br /&gt;
** この場合、Template:テンプレート名 というページがもしあれば、その内容が記事内に取り込まれます。&lt;br /&gt;
** テンプレートには引数を与えて呼び出すこともできます。詳しくは [[Wikipedia:Help:テンプレート]] などを参照してください。&lt;br /&gt;
* いくつかのビルトイン変数が用意されています。たとえば &amp;lt;nowiki&amp;gt;{{NUMBEROFARTICLES}}&amp;lt;/nowiki&amp;gt; は {{SITENAME}} の総記事数を返します。詳しくは [[Wikipedia:Help:マジックワード]] などを参照してください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== リダイレクト ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 記事の中身を &amp;lt;nowiki&amp;gt;#REDIRECT [[リダイレクト先]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; のみとすることで、ページのリダイレクトをおこなうことができます。&lt;br /&gt;
* 外部リンクに対してのリダイレクトはできません。&lt;br /&gt;
* 一旦リダイレクトにした記事を再度編集しなおしたい場合には、リダイレクト先のページ上部に表示される「&amp;lt;nowiki&amp;gt;[[リダイレクト元]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; から転送」のリンクを辿ってください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファイルのアップロード ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[#アカウントの登録|利用者登録]]をおこなうことで、ツールボックスの「アップロード」から {{SITENAME}} にファイルを登録できるようになります。&lt;br /&gt;
* 登録したファイルは &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[画像:ファイル名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; を使ってページに貼り付けることができます。&lt;br /&gt;
** 現時点では、拡張子が png, gif, jpg, jpeg の画像ファイルのみを受け付けています。これ以外のファイルをアップロードしたい場合には、管理者にご相談ください。&lt;br /&gt;
** ファイルサイズは 150KB 以下を目安にしてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 画像 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ツールボックスの「アップロード」を使って {{SITENAME}} に画像を登録することができます。&lt;br /&gt;
* 登録した画像は、以下のようにして呼び出すことができます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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|-&lt;br /&gt;
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|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 参考リンク ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[Wikipedia:Help:ページの編集]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97:%E7%B7%A8%E9%9B%86&amp;diff=1367</id>
		<title>ヘルプ:編集</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97:%E7%B7%A8%E9%9B%86&amp;diff=1367"/>
		<updated>2011-11-18T23:13:37Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 188.92.75.82（トーク）による編集をWikiSysopによる直前の版へ差し戻しました&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== 使い方 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページの編集 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 編集したいページの上部にある「編集」というリンクをクリックします。&lt;br /&gt;
** ただし、管理者によって[[#管理者によるページの保護|保護]]されているページでは、「編集」のリンクは表示されません。&lt;br /&gt;
* [[#テキスト整形のルール|テキスト整形のルール]] に従ってテキストを編集します。&lt;br /&gt;
* 「プレビューを実行」ボタンを押すと、テキストが整形されて表示されます。&lt;br /&gt;
** 気の済むまで何度でも繰り返し編集〜プレビューによる確認がおこなえます。この段階では、書き込みはまだおこなわれません。&lt;br /&gt;
* 「保存する」ボタンを押すと、編集したテキストが保存されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページの新規作成 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページを新規作成する前に、似たようなページがないかどうか、左の検索ボックスを使って調べてください。&lt;br /&gt;
** 同様のページが二重に登録されるのを防ぐためです。&lt;br /&gt;
* 左の検索ボックスにページ名を入力し、表示のボタンを押してください。&lt;br /&gt;
** ページが存在していなければ、「&amp;quot;〜&amp;quot; というタイトルのページは存在しませんでした。」というメッセージが表示されるはずです。&lt;br /&gt;
** メッセージの末尾にある「新規作成する」というリンクをクリックすることで、ページの編集を開始できます。&lt;br /&gt;
* 前項「ページの編集」と同様にテキストを編集し、保存して下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 管理者によるページの保護 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページ上部に「編集」のリンクが存在しないページは、管理者によって保護されています。&lt;br /&gt;
* 保護には二段階のレベルがあります。&lt;br /&gt;
*# 管理者は、管理者以外がページを編集できないように設定できます。&lt;br /&gt;
*# 管理者は、新規利用者・匿名利用者がページを編集できないように設定できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 変更履歴の表示 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページ上部の「履歴」をクリックすると、ページの変更履歴が表示できます。&lt;br /&gt;
* 変更履歴のページでは、以下のような操作が可能です。&lt;br /&gt;
*# 任意のバージョン間での差分を表示できます。&lt;br /&gt;
*# 過去の任意の時点におけるページを表示できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ページの削除 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページの削除は管理者でないとおこなえません。&lt;br /&gt;
** 必要があれば管理者に御依頼ください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ノートの使いかた ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ページにはそれぞれ「ノート」と呼ばれる別ページが用意されています。&lt;br /&gt;
* ノートは、たとえば以下のような場合に使います。&lt;br /&gt;
*# 記事の内容に対する意見や指摘をおこないたい場合。&lt;br /&gt;
*# 記事を更新する際に、執筆者間でのコンセンサスを取っておきたい場合。&lt;br /&gt;
* ノートは、いわゆる「編集合戦」を避けるための場所なので、常に使わなければならないという性質のものではありません。記事に明らかな間違いがあるのなら、どなたでも直接書き直して頂いて構いませんし、誰にとっても有用な内容であれば、躊躇せずにどんどん記事に書き足していってください。&lt;br /&gt;
* ノートにコメントを書き込んだりする際には、誰がいつ書いたコメントであるかを判りやすくするため、[[#署名|署名]]を付けるようにしてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アカウントの登録 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ゲストアカウントでも書き込みは可能ですが、利用者登録をすることで、より高度な機能を使うことができます。&lt;br /&gt;
** ウォッチリストが使えます。事前に登録したページが書き変わった際に、お知らせメールを受け取ることができます。&lt;br /&gt;
** 外装や色々なオプションを自分好みにカスタマイズできるようになります。&lt;br /&gt;
** ページの更新履歴に利用者名が表示されるようになります。（ゲストアカウントでは IP アドレスが表示されます。）&lt;br /&gt;
** 利用者個人のページを持つことができます。&lt;br /&gt;
** 画像をアップロードできるようになります。&lt;br /&gt;
* 利用者登録をするには、画面右上の「ログインまたはアカウント作成」をクリックしてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== テキスト整形のルール ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入力したテキストは、次のルールに従って整形されます。&lt;br /&gt;
書き込みの練習をする場合は、[[Project:サンドボックス|サンドボックス]] ページを自由に利用して下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 基本ルール ===&lt;br /&gt;
* 連続した複数行は連結されます。&lt;br /&gt;
* 空行は段落の区切りとなります。&lt;br /&gt;
* 行頭がスペースで始まっていると、その段落は整形済みとして扱われます。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;nowiki&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; で囲んだ部分はタグが無効化されます。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;br /&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; で強制的に改行させることもできますが、必要のない限り使わないでください。&lt;br /&gt;
** XHTML に準拠させるため、&amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;br&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; ではなく &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;br /&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; となります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 文字飾り ===&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
* シングルクォート2個ではさんだ部分は、&#039;&#039;イタリック&#039;&#039; になります。&lt;br /&gt;
* シングルクォート3個ではさんだ部分は、&#039;&#039;&#039;ボールド&#039;&#039;&#039; になります。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;b&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;i&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;s&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;u&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;tt&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; 等の HTML タグも使えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 見出し、箇条書き、水平線 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;8&amp;quot; style=&amp;quot;border-collapse:collapse; background:#eef;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color: #ccf;&amp;quot;&lt;br /&gt;
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|-&lt;br /&gt;
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|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;* Jan&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;* Feb&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;* Mar&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 箇条書き&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;# Jan&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;# Feb&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;# Mar&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 箇条書き(番号リスト)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;: Jan&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;:: Feb&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;nowiki&amp;gt;::: Mar&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || インデント&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;; 語句 : 定義&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 定義&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &amp;lt;nowiki&amp;gt;----&amp;lt;/nowiki&amp;gt; || 水平線&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 2個〜6個のイコール (&amp;lt;tt&amp;gt;=&amp;lt;/tt&amp;gt;) で囲むと、見出しになります。&lt;br /&gt;
** これらは &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H2&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H3&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H4&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H5&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt;, &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;H6&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; に対応します。&lt;br /&gt;
* アスタリスク (&amp;lt;tt&amp;gt;*&amp;lt;/tt&amp;gt;) を行頭に書くと、箇条書きになります。&lt;br /&gt;
** 複数のアスタリスクを続けて書くことで、深度が深くなります。&lt;br /&gt;
* ハッシュ (&amp;lt;tt&amp;gt;#&amp;lt;/tt&amp;gt;) を行頭に書くと、番号リストになります。&lt;br /&gt;
** 複数のハッシュを続けて書くことで、深度が深くなります。&lt;br /&gt;
** アスタリスクとハッシュは混用できます。&lt;br /&gt;
* 4個のハイフン (&amp;lt;tt&amp;gt;-&amp;lt;/tt&amp;gt;) を行頭に書くと、水平線になります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ハイパーリンク ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* &amp;lt;nowiki&amp;gt;http://www.sourceforge.org/&amp;lt;/nowiki&amp;gt; のような URL は自動的に外部リンクになります。&lt;br /&gt;
** 別名でリンクを張りたい場合には、&amp;lt;nowiki&amp;gt;[http://www.sourceforge.org/ 別名]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; などとします。&lt;br /&gt;
* 他のページへのリンク（内部リンク）を張りたい場合には &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ページ名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; とします。&lt;br /&gt;
** ページ名には日本語が使えます。スペースを含めても構いません。&lt;br /&gt;
** 別名でリンクを張りたい場合には、 &amp;lt;nowiki&amp;gt;[[ページ名|別名]]&amp;lt;/nowiki&amp;gt; と書きます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テーブル ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* テーブルは以下のようにして作成できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! Wikiの名前  !!  作者 !! URL &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Wiki || Ward Cunningham || http://www.c2.com/&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| YukiWiki || Hiroshi Yuki || http://www.hyuki.com/&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| WalWiki || Makio Tsukamoto || http://digit.que.ne.jp/&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| MacWiki.cgi || Seiji Zenitani || http://homepage.mac.com/zenitani/&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! Wikiの名前  !!  作者 !! URL &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Wiki || Ward Cunningham || http://www.c2.com/&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| YukiWiki || Hiroshi Yuki || http://www.hyuki.com/&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| WalWiki || Makio Tsukamoto || http://digit.que.ne.jp/&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| MacWiki.cgi || Seiji Zenitani || http://homepage.mac.com/zenitani/&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;table&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; 等の HTML タグを使って書くこともできます。&lt;br /&gt;
* 詳しくは [[Wikipedia:Help:表の作り方]] などを参照して下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テキストのべた書き（pre機能） ===&lt;br /&gt;
* 行頭がスペースで始まっていると、その段落は整形済みとして扱われます。リンクや文字飾りは有効です。&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;pre&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; でくくられた行は書いたまま表示されます。リンクや文字飾りも無視されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== コメント入力欄 ===&lt;br /&gt;
* &amp;lt;tt&amp;gt;&amp;amp;lt;comments /&amp;amp;gt;&amp;lt;/tt&amp;gt; と入力することで、コメント入力欄を設置できます。&lt;br /&gt;
* コメント入力欄は１ページに１つしか設置できません。&lt;br /&gt;
* スパム対策のため、コメント投稿には以下の制限があります。&lt;br /&gt;
** ゲストアカウントでは日本語（ひらがなかカタカナ）を一切含まないコメントを書き込むことはできません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== リンクの省略記法 (InterWiki) ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* リンクの省略記法 (InterWiki) には次の４種類があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;8&amp;quot; style=&amp;quot;border-collapse:collapse; background:#eef;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color: #ccf;&amp;quot;&lt;br /&gt;
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=== 参考リンク ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[Wikipedia:Help:ページの編集]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1363</id>
		<title>Docs:談話室</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1363"/>
		<updated>2011-06-11T18:47:16Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 談話室 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ここでは、サイトの運営に関する話題や、&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
気軽な雑談・相談用にお使い下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;comments /&amp;gt;&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* Mac OS X 10.6 に付属の日本語インプットメソッド「ことえり」にて「うねめ」を漢字変換すると「[[find:釆女|釆女]] (ノ+米)」となり、本文中の「[[find:采女|采女]] (ノ+ツ+木)」に検索がヒットしないという問題を発見。&amp;lt;s&amp;gt;なんだこれは…。(恐らく「ことえり」側の問題)&amp;lt;/s&amp;gt; --[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月16日 (水) 00:41 (JST)&lt;br /&gt;
** もしかして機能 (のフェイク) にて逃げ。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月18日 (金) 01:07 (JST)&lt;br /&gt;
** 前者は地名 (三重県四日市市釆女町) で、後者が一般名詞らしい。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年6月12日 (日) 03:47 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* ページの更新にかかる時間を大幅に短縮できたと思います。(やれやれ…)　技術的な面については[http://macwiki.sourceforge.jp/wiki/index.php/MacWiki:MediaWikiのインストール#.E5.85.A8.E6.96.87.E6.A4.9C.E7.B4.A2.E3.81.AE.E6.A9.9F.E8.83.BD.E6.94.B9.E5.96.84_.28experimental.29 こちら]を参照ください。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年9月29日 (火) 10:55 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 「日本巫女史」中、「じゅず」に「数珠」と「珠数」の表記の揺らぎがあります。「数珠」に統一すべきかも知れません。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年8月28日 (金) 01:11 (JST)&lt;br /&gt;
** この辺についてはたちゃなさんの判断に譲ります。 --[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月1日 (火) 00:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%80&amp;diff=1362</id>
		<title>トーク:日本巫女史/第一篇/第六章/第二節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%80&amp;diff=1362"/>
		<updated>2011-04-14T05:44:36Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.251&lt;br /&gt;
** 註一〇「娍」は、底本では女偏盛。娍はその異字体。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月16日 (土) 00:25 (JST)&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
* 「K先生によるとオサメと訓むのが正しい」: [[日本巫女史/総論/第一章/第一節|総論/第一章/第一節]]では「Ｙ先生」とある。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年4月14日 (木) 14:44 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%B7%8F%E8%AB%96/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1361</id>
		<title>トーク:日本巫女史/総論/第一章/第一節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%B7%8F%E8%AB%96/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1361"/>
		<updated>2011-04-14T05:43:28Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.7&lt;br /&gt;
** 「あれは姉子」は「あはれ姉子」の誤植と思われるので修正した。[http://tokyo.atso-net.jp/i/test/mread.cgi/s2/1235772303/40 参考]--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.8&lt;br /&gt;
** 「伊勢斎宮の寮頭藤原通高の妻が、小木古曾と称して詐巫を行い」&lt;br /&gt;
*** 他の箇所では「古木古曾」の表記が使われているため、用語の統一を図った。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年7月13日 (月) 19:24 (JST)&lt;br /&gt;
** 「神社忌河内」は「神社忌寸河内」の誤植なので修正した。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.10&lt;br /&gt;
** 本文中「娍」は、正しくは女偏盛。娍はその異字体。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月21日 (木) 03:49 (JST)&lt;br /&gt;
** 「本朝文集云、大宝元秦都理始建立神殿」は「本朝文集云、大宝元年、秦都理始建立神殿」の誤植と思われるので修正した。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.15&lt;br /&gt;
** 「アリサマ　陸奥国の一部　津軽旧事談」は「アリマサ　陸奥国の一部　津軽旧事談」の誤植と思われるので修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月21日 (木) 03:49 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.22&lt;br /&gt;
** 「イチツコ」: 増補版索引には「イチツコ」とあるが、「ツ」は促音（即ち「イチッコ」）と思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月10日 (水) 06:22 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.24&lt;br /&gt;
** 「ヤカミシユ」: 増補版索引には「ヤカミシユ」とあるが、「ユ」は促音（即ち「ヤカミシュ」）と思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月10日 (水) 06:22 (JST)&lt;br /&gt;
** 「飯縄」→「飯綱」へと用語の統一を図った。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年7月13日 (月) 19:15 (JST)&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.6&lt;br /&gt;
** キネの條に「大歌所」ではなく正しくは「神遊歌」だと思う。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.8&lt;br /&gt;
** 「大化元年春二月」は「大化二年春二月」ではないかと思う。確認を頼む。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.14&lt;br /&gt;
** 「新編常陸国誌」の引用文中「鄽」の偏は、底本では「麻垂に墨」である。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月21日 (木) 03:49 (JST)&lt;br /&gt;
* 「あるに云うが」→「ある&amp;lt;b&amp;gt;と&amp;lt;/b&amp;gt;云うが」か。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年4月14日 (木) 14:40 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
* 底本 p.14&lt;br /&gt;
** 神社老麻呂の歌は、万葉集中 [http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?06/0976 6-976], [http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?06/0977 977] の二編が見える。&lt;br /&gt;
* 「鈴鹿神社の鈴ノ巫女」 : [[日本巫女史/第二篇/第三章/第五節|第二篇/第三章/第五節]] に「伊勢国鈴鹿郡片山神社の鈴ノ御子」として言及あり。&lt;br /&gt;
* 金田一京助氏が「ツス」の漢字を「巫呪」と書いたことがあるが定めでない。『蝦夷の謡ひ物に見える巫女』に、「巫呪のこと、アイヌでは男もするやうな話を聞くことが無いでもないが、私のよく聞く所では、やはり神に祝詞（のりと・カムイ=ノミ）を捧げる事は男の専門で、（女は汚れがある故出来ない。）その代わり巫呪の事の方は女の主としてやる事のやうである。尤も私の茲に云ふ巫呪とは、アイヌのツスを指す。アイヌには祝詞（カムイノミ）・巫呪（ツス）の外にも尚雑多の類似のことがあつて入込んでゐるから、実は此のツスも巫呪と訳していいんだかどうだか、むつかしい。」とある。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月27日 (日) 23:26 (JST)&lt;br /&gt;
* 「今はＹ先生の御説に従い」: [[日本巫女史/第一篇/第六章/第二節|第一篇/第六章/第二節]]註一〇では「K先生」とある。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年4月14日 (木) 14:43 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%B7%8F%E8%AB%96/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1360</id>
		<title>トーク:日本巫女史/総論/第一章/第一節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%B7%8F%E8%AB%96/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1360"/>
		<updated>2011-04-14T05:40:31Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 未修正箇所 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.7&lt;br /&gt;
** 「あれは姉子」は「あはれ姉子」の誤植と思われるので修正した。[http://tokyo.atso-net.jp/i/test/mread.cgi/s2/1235772303/40 参考]--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.8&lt;br /&gt;
** 「伊勢斎宮の寮頭藤原通高の妻が、小木古曾と称して詐巫を行い」&lt;br /&gt;
*** 他の箇所では「古木古曾」の表記が使われているため、用語の統一を図った。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年7月13日 (月) 19:24 (JST)&lt;br /&gt;
** 「神社忌河内」は「神社忌寸河内」の誤植なので修正した。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.10&lt;br /&gt;
** 本文中「娍」は、正しくは女偏盛。娍はその異字体。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月21日 (木) 03:49 (JST)&lt;br /&gt;
** 「本朝文集云、大宝元秦都理始建立神殿」は「本朝文集云、大宝元年、秦都理始建立神殿」の誤植と思われるので修正した。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.15&lt;br /&gt;
** 「アリサマ　陸奥国の一部　津軽旧事談」は「アリマサ　陸奥国の一部　津軽旧事談」の誤植と思われるので修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月21日 (木) 03:49 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.22&lt;br /&gt;
** 「イチツコ」: 増補版索引には「イチツコ」とあるが、「ツ」は促音（即ち「イチッコ」）と思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月10日 (水) 06:22 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.24&lt;br /&gt;
** 「ヤカミシユ」: 増補版索引には「ヤカミシユ」とあるが、「ユ」は促音（即ち「ヤカミシュ」）と思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月10日 (水) 06:22 (JST)&lt;br /&gt;
** 「飯縄」→「飯綱」へと用語の統一を図った。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年7月13日 (月) 19:15 (JST)&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.6&lt;br /&gt;
** キネの條に「大歌所」ではなく正しくは「神遊歌」だと思う。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.8&lt;br /&gt;
** 「大化元年春二月」は「大化二年春二月」ではないかと思う。確認を頼む。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.14&lt;br /&gt;
** 「新編常陸国誌」の引用文中「鄽」の偏は、底本では「麻垂に墨」である。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月21日 (木) 03:49 (JST)&lt;br /&gt;
* 「あるに云うが」→「ある&amp;lt;b&amp;gt;と&amp;lt;/b&amp;gt;云うが」か。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年4月14日 (木) 14:40 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
* 底本 p.14&lt;br /&gt;
** 神社老麻呂の歌は、万葉集中 [http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?06/0976 6-976], [http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?06/0977 977] の二編が見える。&lt;br /&gt;
* 「鈴鹿神社の鈴ノ巫女」 : [[日本巫女史/第二篇/第三章/第五節|第二篇/第三章/第五節]] に「伊勢国鈴鹿郡片山神社の鈴ノ御子」として言及あり。&lt;br /&gt;
* 金田一京助氏が「ツス」の漢字を「巫呪」と書いたことがあるが定めでない。『蝦夷の謡ひ物に見える巫女』に、「巫呪のこと、アイヌでは男もするやうな話を聞くことが無いでもないが、私のよく聞く所では、やはり神に祝詞（のりと・カムイ=ノミ）を捧げる事は男の専門で、（女は汚れがある故出来ない。）その代わり巫呪の事の方は女の主としてやる事のやうである。尤も私の茲に云ふ巫呪とは、アイヌのツスを指す。アイヌには祝詞（カムイノミ）・巫呪（ツス）の外にも尚雑多の類似のことがあつて入込んでゐるから、実は此のツスも巫呪と訳していいんだかどうだか、むつかしい。」とある。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月27日 (日) 23:26 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
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		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%80&amp;diff=1359</id>
		<title>トーク:日本巫女史/第三篇/第二章/第二節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%80&amp;diff=1359"/>
		<updated>2011-02-21T23:02:10Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 岩崎敏夫『磐城昔話集　全国昔話記録』に「雀ときつつき」として収録&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.674&lt;br /&gt;
** 「阿{門構{八下夕}}」を「阿閦」に改めた。&lt;br /&gt;
* 底本 p.676&lt;br /&gt;
** 「唱え言」直前に句点を補った。&lt;br /&gt;
* 底本 p.680&lt;br /&gt;
** 「第二は」直後に読点を補った。&lt;br /&gt;
** 「第四は」直後に読点を補った。&lt;br /&gt;
* 底本 p.685&lt;br /&gt;
**「声を掛ける」直前に句点を補った。&lt;br /&gt;
* 底本 p.687&lt;br /&gt;
** 「定めし苦労になろけれど」直後に読点を補った。&lt;br /&gt;
** 「余り座中も多ければ」直後に読点を補った。&lt;br /&gt;
* 底本 p.688&lt;br /&gt;
** 「何うも自分の気に入らず」直後に読点を補った。&lt;br /&gt;
* 底本 p.695&lt;br /&gt;
** 「中山。曰」→「中山曰。」&lt;br /&gt;
* 底本 p.697&lt;br /&gt;
**「二三人つゞ」→「二三人づゝ」&lt;br /&gt;
* 底本 p.701&lt;br /&gt;
** 「阿{門構{八下夕}}」を「阿閦」に改めた。&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.678&lt;br /&gt;
** 「仏を降す祈り言」中「かざはなざらば」が不明。「かざ&#039;&#039;&#039;わ&#039;&#039;&#039;なざらば」の可能性あり？&lt;br /&gt;
* 底本 p.682&lt;br /&gt;
**「纏めうと」は「纏めようと」か？&lt;br /&gt;
* 底本 p.684&lt;br /&gt;
** 「世話になったり放し」は七五調になっていない。「世話になったらなり放し」ではないのか？&lt;br /&gt;
* 底本 p.705&lt;br /&gt;
**註一一の「牛耳を採って」は「牛耳を執って」の間違いではないのか？意味はそれほどずれていないが--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2010年6月6日 (日) 00:52 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
*「翼ぞろい」〜の呪文の内容は、現今においては童話となり、然も全国的に語られている&lt;br /&gt;
** 岩崎敏夫『磐城昔話集　全国昔話記録』に「雀ときつつき」として収録されているとのこと。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年2月22日 (火) 08:02 (JST)&lt;br /&gt;
* 「翼ぞろい」は、何処で生れたか&lt;br /&gt;
** &amp;lt;u&amp;gt;印度&amp;lt;/u&amp;gt;か支那が母国の可能性はないだろうか。タミル語の歌集「サンガム」を調べることで、こうした説話・歌謡の元ネタが見つかるかも知れない。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年11月3日 (月) 05:56 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.693&lt;br /&gt;
** ポーランドのチャブリツカ女史: M. A. Czaplicka (1886-1921) [[wikipedia-en:Maria_Czaplicka]]&lt;br /&gt;
** アボリジナル・オブ・サイベリヤ: Aboriginal Siberia: Study in Social Anthropology [[isbn:0198231385]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
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		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AF%80&amp;diff=1358</id>
		<title>トーク:日本巫女史/第二篇/第五章/第三節</title>
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		<updated>2010-12-16T11:53:36Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 修正箇所 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.562&lt;br /&gt;
** 「生命の指標」に「ライフインデッキス」と振り仮名されているのを「ライフ・インデックス」に改めた。&lt;br /&gt;
* 底本 p.569&lt;br /&gt;
** 「甚た寄なり」→「甚だ寄なり」&lt;br /&gt;
*「扶桑略記」巻二十八が初見のようである。即ち治安三年&amp;lt;b&amp;gt;七月十七日&amp;lt;/b&amp;gt;（&amp;lt;b&amp;gt;此月&amp;lt;/b&amp;gt;十三日に万寿と改元）&lt;br /&gt;
** [[:ファイル:扶桑略記 第二十八 後一条天皇 治安.jpg|本当]]は十月十九日。--浦木裕 2010年12月16日 (木) 20:49 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.567&lt;br /&gt;
** 「讃岐国大川郡誉水村の水主神社」は、「讃岐国大&#039;&#039;&#039;内&#039;&#039;&#039;郡誉水村の水主神社」ではないか。&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
; むじゅう‐どうぎょう【無住道暁】ムヂユウダウゲウ : ［1226〜1312］鎌倉後期の臨済宗の僧。鎌倉の人。号、一円。天台•真言を学び、円爾（えんに）に師事して臨済禅を修め、のち、尾張に長母寺を開山した。諡号は大円国師。著「沙石集」「雑談（ぞうだん）集」など。（大辞泉）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
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		<title>日本巫女史/第二篇/第五章/第三節</title>
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		<updated>2010-12-16T11:52:53Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 此月→七月&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[日本巫女史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第二篇|第二篇　習合呪法時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第二篇/第五章|第五章　呪術方面に現われた巫道の新義]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第三節　性器利用の呪術と巫女の異相==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
男女の性器に呪力ありとした民間信仰は、古代から存したことは既記の如くであるが、更に巫女が娼婦化し、巫道が堕落するようになってから、此の信仰が、一段と助長したことは、明白に看取される。ここには、その代表的事実として、毛髪信仰に由来する巫女の七難の揃毛に就いて記述を試みんとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;一　原始的な毛髪信仰&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛髪を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;生命の指標&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ライフ・インデックス&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;とした信仰は、古くから我国にも存していた。「神代紀」に、素尊が種々の罪を犯して、高天ヶ原を逐われるときに、八束の鬚を断られたとあるのは、即ち此の信仰の在ったことを裏付けるものと見て差支ないようである。降って「孝徳紀」に『或為亡人断髪刺股而誅』を制禁したのも、又た髪に生命の宿ることを意識していた民俗に出発しているのである。現にアイヌ民族では、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツス&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の呪力は鬢髪の間に深く蔵されていて、髪を剃れば巫術は行われぬものと信じている〔一〕。こうした信仰から導かれて、毛髪には或る種の呪力の存するものとして、崇拝された民俗は、今に様々なる形式で残っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば、田畑に立てる&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;案山子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カカシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の語源には異説もあるが、これは毛髪を焼いた匂いを鳥獣が嫌う為に、これを木に吊し、竹に挟んで立てた即ち&amp;lt;u&amp;gt;かがせ&amp;lt;/u&amp;gt;（嗅せ）の転訛と見るのが穏当である〔二〕。節分の夜に、虫の口を焼くとて、鰯の頭を毛髪で巻き、柊の枝に刺し、豆殻を焚きながら唄える種々なる呪文も〔三〕、咸な臭気を以て、農作に損害を与える動物を払うためで、それが毛髪を焼いたことに源流を発していることは明白である。既載した琉球の「をなり神」の信仰は、男子が旅行する際に、姉なり妹なり（姉妹なき者は従姉妹）の毛髪二三本を所持していれば、息災であるというているが、これに似た信仰は、内地にも広く古くから行われていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここに二三の類例を挙げれば、妊婦の横生逆産を安産せしめるには、良人の陰毛十四本を焼研し、猪膏に和して、大豆大に丸めて呑ませると宜い〔四〕。人が若し、蛇に咬まれた時は、その人の口中に男子の陰毛二十本を含ませ、汁を嚥めば、毒の腹に入ることはない〔五〕。私の生れた南下野地方では、男子が性病にかかったときは、三人の女子の陰毛をもらい集め、これを黒焼にして服すと、奇功があると云うている。これなどは、広く尋ねて見たら、更に他地方にも行われていることと思う。それから、芝居の興行師や、茶屋女などが、来客が少くって困るときは、陰毛三本をぬき、一文膏へ貼り、人に知れぬよう他の繁昌する店頭へ貼って来ると、必ずその店の客を引くことが出来ると信じていた〔六〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して以上は、専ら男女の陰毛に関したものであるが、これ以外の毛髪に就いても、又た深甚なる俗信が伴っていたのである。播州飾磨郡地方では、悪疫流行の際に、袂の底に毛髪を二三本入れて置くと、悪疫にかからぬと云っている〔七〕。山城国葛野郡小倉山の二尊院の門前に、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;長&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;明神というがある。社伝によると、檀林皇后の落ち髪を祀ったものだと云うている〔八〕。記述した称徳女帝の御髪を盗んで、犬養姉女等が呪詛したとあるのも、髪に生命の宿ることを信じていたからである。京都市外の双ヶ岡の長泉寺には、吉田の兼好法師の木像があり、外に辞世の『契りをく花と双びの岡の辺に、あはれ幾代の春をへぬらむ』の歌を、兼行が剃髪の毛で文字を綴って作った掛幅がある〔九〕。同じ京都市外の栂梶の西明寺には、中将姫の髪の毛で、祢陀三尊の種子を作った掛幅がある〔一〇〕。これと似たものが、上野国邑楽郡六郷大字新宿の遍照寺にもある。これも中将姫の毛で、弥陀三尊の梵字を一字づつ織り出しているが、俗に頭髪の曼荼羅と称している〔一一〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それから、甲州御嶽の蔵王権現の宝物中に、北条時頼剃髪の毛というがある。その毛は、綰ねて捲子の中に納め、その外に『最明寺殿御髪毛、愛宕山へ納め候を、当将軍様{○家/光？}御申下し、愚僧方へ参り候を、当山へ奉納候、寛永一六年正月吉日、納主不明』と記してあるそうだ〔一二〕。更に、雲州出雲郡神立村の立虫神社は、社家の伝に素尊の毛髪を納めたところだと云っている〔一三〕。そして薩摩国日置郡羽島村の髢大明神は、天智帝の妃大宮媛が、頴娃に下向のとき、同村を過ぎ髢を遺されたのを祀ったものと伝えられている〔一四〕。こうした毛髪信仰はまだ各地に存しているが、煩を避けて他は割愛した。昭和の現代でも、嬰児の&amp;lt;u&amp;gt;うぶ&amp;lt;/u&amp;gt;毛を保存して置くのは、此の古い信仰の名残りであると言うことが出来るのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでは、斯かる信仰は、何に由来しているかと云うに、その総てを尽すことは、アニミズム時代から説かねばならぬので、それは茲には省略するより外に致し方はないが、兎に角に、（一）毛髪が自然と伸長すること、（二）黒い毛が年齢により白くなること、（三）死体は腐ってしまっても、毛だけは永く残るという事などが、古代の人々をして毛髪にも一種の霊魂が宿るものと考えさせたに起因するのである。而して古代人は、異常は必ず神秘を伴うか〔一五〕、又は神秘の力を多分に有しているものと併せ信じていた。ここに頭髪なり、鬚髯なり——殊に陰毛なりが、異常に長いことを、一段と不思議とも考え、神秘力の多いものとも考えるようになった。巫女の七難の揃毛は、此の信仰から発生し、これに仏法の仁王信仰が加って完成されたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;二　各地に存した七難の揃毛&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
七難の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;揃毛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ソソゲ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の文献に現われたのは、「扶桑略記」巻二十八が初見のようである。即ち治安三年十月十九日（七月十三日に万寿と改元）に、入道前大相国{○藤原/道長}が、紀州高野山の金剛峯寺へ参詣した帰路に、奈良七大官寺の一なりし元興寺に立寄り『開宝倉令覧、中有此和子陰毛{宛如蔓不/知其尺寸}云々』とあるのが、それである。勿論、これには七難の揃毛とは明記してないが、此の和子の陰毛が宛も蔓の如く、その尺寸の知れぬほど長いものであったということは、他の多くの類例から推して、明確に知り得られるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して私は、茲にこれが類例を挙げるとするが、先ず東京市の近くから筆を起すと、北千住町の少し先きの、武蔵国北足立郡谷塚村大字新里に、毛長明神というがあった。昔は長い毛を箱に納めて神体としていたが、いつ頃の別当か、不浄の毛を神体とするは非礼だといって、出水の折に、毛長沼に流してしまった。此の毛長明神の鳥居と相対せる、南足立郡舎人村大字舎人には、玄根を祀った社があったが、今では取払われて無くなってしまった〔一六〕。下総国豊田郡石下村の東弘寺の什物に、七難の揃毛というがある。色は五彩（五色の陰毛とは注意すべきことで、後出の記事を参照されたい）長さ四丈有余、何者の毛か判然しない。伝に、往古七難と称する異婦があって、この者の陰毛だと云っている〔一七〕。これに就いては、「甲子夜話」巻三十に僧無住の「雑談集」を引用して、『俗に往昔の霊婦の陰毛なり』と載せている。今、私の手許に雑談集が無いので、参照することが出来ぬが、若し此の記事に誤りがないとすれば、僧無住は、梶原景時の末裔で、嘉禄年中の出生であるから、此の揃毛は鎌倉期にはあったものとして差支ないようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それから、伊豆の箱根権現の什物中にも、悉難ヶ揃毛というものがあった。「尤草子」に長き物の品々にも、七なんがそそげとあるのを見ると、長い物であったことが想われる〔十八〕。上野国多野郡上野村大字新羽に神流川というがある。慶長頃に洪水があり、その時に、此の川の橋杭に怪しい長い毛が流れかかり、村民が大勢して拾いあげて見ると、長さ三十三尋余りあり、その色黒くして艶うつくしく、何の毛か分らぬので、村民も驚いたが、そのまま打ち棄てて置くことも出来ぬので、巫女を招んで占わせたところが、此の毛は同村野栗権現の流した陰毛だというので、直ちに同社へ送り返した。同社では毎年旧六月十五日の祭礼の節には、神輿の後へ此の陰毛を筥に入れて、恭しく捧げ持ち、今に陰毛の宝物とて名が高い〔一九〕。然るに、此の毛髪は現存していると見え、近刊の「多野郡誌」によると、新羽村の新羽神社の神宝にて、橘姫の毛髪長さ七尺五寸と記してある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に、同様の例を挙げれば、信州の戸隠神社にも、古く七難の揃毛というものがあったが、現今では山中院と称する宿坊の物となり、平維茂に退治された鬼女紅葉の毛と伝え、色は赤黒く縮れていて、長さ五六尺ばかり、丸く輪になって壺の中に納めてあるという事である〔二〇〕。それから、天野信景翁の記すところによると、尾張の熱田神宮にも、昔は此の種の長い毛があったと云うことである〔二一〕。そして、飛騨国大野郡宮村の水無瀬神社の神宝は六種あるが、その一に七難の頭髪というがある。社家の説に、昔この地に鬼神がいて、名を七難と称した。神威を以て誅伐されたが、その毛髪だと云っている〔二二〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尚、近江国の琵琶湖中にある竹生島の弁才天祠にも、七難の揃毛があった〔二三〕。同国石山の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;阿痛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アライタ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;薬師堂には、龍女の髪の毛というのがある。琵琶湖に栖んでいた龍女が得脱して納めたものだと伝えているが、その髪は長くして、地に垂れるほどのものである〔二四〕。これには、戸隠のそれと同じく、別段に七難の揃毛とは明記してないが、併し鬼女といい、龍女というも、結局は揃毛の呪術が忘れられた後に附会した説明であるから、元は揃毛であったことは、他の類例からも知ることが出来るのである。大和国の官幣大社——巫覡に縁故の深い物部氏の氏神である石上神宮にも、また七難の揃毛というのが現存している。最近に発行された絵端書で見ると〔二五〕、今に婦人が用いる「ミノ」と称する&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;髢&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;かもじ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;のようなもので、余り長いものだとは思われぬ感じがした。同国吉野の&amp;lt;u&amp;gt;どろ&amp;lt;/u&amp;gt;川という所の奥の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;天&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;テン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ノ川の弁天堂に、七難のすす毛とて、長さ五丈ばかりのものがある。俗に白拍子静御前の髪の毛だとも云い、また縁起を聞くと、甚だ尾籠なものだと云う事である〔二六〕。備後国奴可郡入江村の熊野神社の末社に、跡厨殿というのがあるが、祭神は判然せぬ。神体は男女とも毛が長く、一に毛長神とも云っている〔二七〕。越前国大野郡平泉寺村から白山禅定の故地に往く道に、七難の岩屋というが残っている〔二八〕。此の二つは、やや明瞭を欠く所もあるが、毛長といい、七難とといっているので、姑らくここにかけて記すとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;三　陰毛の長い水主明神&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
巫女と七難の揃毛を記す以前に、猶お予備として、陰毛の長い神の在ったことを述べて置く必要がある。讃岐国大川郡誉水村の水主神社の祭神が、陰毛が長いために、親神から棄られた縁起は[[日本巫女史/第一篇/第五章/第五節|既載]]した。但し、親神が何が故に、陰毛の長いのを恥じたのか、理由が判然せぬが、恐らく磯良神が変面を恥じたという伝説と共に、異相であったことを心憂く思ったものと考えられる。而して讃岐の隣国なる、阿波三好郡加茂村字猪乃内谷の弥都波能売神社にも、神毛にまつわる信仰が伝えられている。此の神社は、僅かに一筋の長い毛であるが、常には麻桶に入れて、神殿の奥深く安置してある。神慮の穏かならざるときは、その毛が二岐に分れて大いに延び、桶を押し上げて外へ余るようになる。これに反して、神意の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;和&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;なご&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;むときは、本の如くなると、里人は語っている〔二九〕。これには陰毛だとは明記してないが、同書の附載として『大和国布留社（記述の石上神宮のこと）にも大なる髪毛あり、ソソゲといふ由』とあるのから推すと、筆者が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;態&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;わざ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と此の点の明記を&lt;br /&gt;
避けたものと考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日向国児湯郡西米良村大字小川字中水流の米良神社は、祭神は磐長媛命と伝えられているが確証はない。此の社にも、昔は一筋の毛髪があって、これを極秘の神宝としていた。俚伝によると、祭神が世を憤りたまい、此の地の池に投身された折の神毛だというている。元禄十六年の洪水で、此の神毛は流失してしまったが、これの在った間は、神威殊に著しく、不浄は勿論のこと、外人殊に下日向の人を憎んで、一歩も境内に入れなかったと云う事である〔三〇〕。俚謡に『お竹さん、×××の毛が長い、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;唐土&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カラ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（又は江戸）までとどく』とあるのは、いつの世に、誰が何の理由があって、言い出したものか知る由もないが、七難の揃毛を背景として考えるときは、常人にすぐれた長い陰毛を持っているということは、或る種の呪力有している人と見られていたのであろう〔三一〕。そして此の信仰は、巫女が性器を利用した呪術に発し、これに仁王信仰が附会して、巫女が好んで陰毛の長大を誇り、併せてこれに種々なる装飾を加えるまでに至ったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;四　仁王信仰と七難即滅の思想&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在では、仁王尊といえば、寺院の門番と思われるまでに冷遇されているが、古く奈良朝から平安朝へかけては、仁王信仰は上下の間に深く行われたものである。而して仁王尊の功徳に就いては、仁王経に載せてあるが、これに関して南方熊楠氏の言われるには、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 七難のこと、仁王経にあり（中略）。是等七難を避くるために、五大力菩薩（五人の菩薩名は略す）の形像を立て、これに供養すべしとなり。朝家に行われし仁王会の事なり。然るに、それは一寸大仕事ゆえ、七難即滅のために一種の巫女が七難の舞をやらかせしにて、それより色々と変り、猥褻なる事にもなり、陰を出し（中山曰。所載の貴船社の巫女と和泉式部の件参照）通しては面白からぬゆえ、秘儀を神密にせんとて、殊更に長き陰毛を纏いしなるべし。凡て仏法に隠れたる所にある長毛を神霊とせるは「比丘尼伝」の外に「大唐西域記」巻十中天竺伊爛孥伐多国、室縷多頻没底抅胝（聞二百億）の伝にも見えたり（中略）。此人（釈迦の弟子）は、一足の裏に長き金色の毛あり、甚だ寄なりとて、国王が召して見たことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある〔三二〕。以上の説明によって、七難の揃毛の由来と、巫女が好んで陰毛の長きを利用した事情が、全く釈然したであろうと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に下総の東弘寺に伝った陰毛が、五彩であったという事であるが、これに就いても、南方熊楠氏は、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 姚秦三龍仏陀耶舎共笠法念訳、四分律蔵二十九巻に、爾時薄伽婆（仏の事）在舎衛国給孤独園、時六群比丘尼、蓄婦女、装厳身具、手脚釧及猥所荘厳具（印度は裸で熱い所故に、衣服を飾りても久しく保たず、汗に汚れる故に、髪腕足の輪環又陰毛を染め、甚だしきは陰部に玉を嵌める等の飾りあり）諸居士皆見識嫌云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
との例を挙げ〔三三〕、我国のもこれを真似たものだろうと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上の俗信を頭脳に置いて、古い七難の揃毛のことを再考すると、それは前にも述べた如く、仏説を土台とした巫女等が、猖んに長いほど呪力の加わるものとして利用した結果が、三丈五丈のものを残すようになったのである。巫女の堕落と、異相も、ここに至って極まれりと言うべきである。猶お本節を終るに際し、南方熊楠氏の示教に負うことの多きを記して、敬意を表する次第である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 〔註一〕 : 金田一京助氏の談。&lt;br /&gt;
; 〔註二〕 : 川口孫次郎氏が「飛騨史談」において、詳しい考証を発表されたことがある。私の記事は、これに拠ったものである。&lt;br /&gt;
; 〔註三〕 : 「水戸歳時記」によれば、同地方では「隣りの嫁さんの××の臭さよ、ふふん」と唱え、更に「吉居雑話」によれば、駿河の吉原町辺では「ながながも候、やッかがしも候、隣りの婆さん屁をたれた、やれ臭いそれ臭い」と云う由。共に臭気を以て、鳥獣を逐うた名残をとどめたもので、更に此の問題は、悪臭のする草木を呪符の代用した俗信にも触れているのである。&lt;br /&gt;
; 〔註四〕 : 「千金方」。&lt;br /&gt;
; 〔註五〕 : 時珍の「本草綱目」。そして以上の二書は、支那のものであるが、これ等の呪術が我国に行われていたので、敢て挙げるとした。&lt;br /&gt;
; 〔註六〕 : 「東京人類学雑誌」第二十九巻第十一号。&lt;br /&gt;
; 〔註七〕 : 「飾磨郡風俗調査」。&lt;br /&gt;
; 〔註八〕 : 「山州名跡志」巻九（史籍集覧本）。&lt;br /&gt;
; 〔註九〕 : 「甲子夜話」巻五十二（国書刊行会本）。&lt;br /&gt;
; 〔註一〇〕 : 同上。&lt;br /&gt;
; 〔註一一〕 : 「群馬県邑楽郡誌」。&lt;br /&gt;
; 〔註一二〕 : 「甲斐国志」巻六十四。&lt;br /&gt;
; 〔註一三〕 : 「出雲国式社考」巻下（神祇全集本）。&lt;br /&gt;
; 〔註一四〕 : 「三国名勝図絵」巻十。&lt;br /&gt;
; 〔註一五〕 : 俗に白ツ子という者や、低能者などを、異常者として、一種の崇敬した例さえある。&lt;br /&gt;
; 〔註一六〕 : 元禄年中に、古川常辰の書いた「四神地名録」に拠る。&lt;br /&gt;
; 〔註一七〕 : 「和漢三才図会」巻六。&lt;br /&gt;
; 〔註一八〕 : 加藤雀庵の「さえずり草」。&lt;br /&gt;
; 〔註一九〕 : 「閑窓瑣談」巻四（日本随筆大成本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二〇〕 : 「日本伝説叢書」信濃巻。&lt;br /&gt;
; 〔註二一〕 : 「塩尻」巻二（帝国書院百巻本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二二〕 : 「斐太後風土記」巻四（日本地誌大系本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二三〕 : 「和漢三才図会」同条。&lt;br /&gt;
; 〔註二四〕 : 「近江輿地誌略」巻三十六（日本地誌大系本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二五〕 : 東京の温故会と称する好事家の集りで秘密に出版したものに拠る。&lt;br /&gt;
; 〔註二六〕 : 「塵塚物語」巻四（史籍集覧本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二七〕 : 「芸藩通志」巻四。&lt;br /&gt;
; 〔註二八〕 : 「大野郡誌」下編。&lt;br /&gt;
; 〔註二九〕 : 「日本伝説叢書」阿波巻。及び「阿州奇事雑話」に拠る。&lt;br /&gt;
; 〔註三〇〕 : 「郷土研究」第四巻第十二号。&lt;br /&gt;
; 〔註三一〕 : 福島県石城郡草野村大字北神谷の高木誠一氏の談に、同地方では「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;百舌鳥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;モンズ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;モンモの毛、太夫（巫女）さんの×××毛三本つなげば江戸までとどく」と言うそうだ。&lt;br /&gt;
; 〔註三二〕 : 「南方来書」明治四十四年九月十三日の条。&lt;br /&gt;
; 〔註三三〕 : 同上。明治四十四年十月十日の条。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:中山太郎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
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		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AF%80&amp;diff=1356</id>
		<title>トーク:日本巫女史/第二篇/第五章/第三節</title>
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		<updated>2010-12-16T11:49:14Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 七月十七日→十月十九日&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.562&lt;br /&gt;
** 「生命の指標」に「ライフインデッキス」と振り仮名されているのを「ライフ・インデックス」に改めた。&lt;br /&gt;
* 底本 p.569&lt;br /&gt;
** 「甚た寄なり」→「甚だ寄なり」&lt;br /&gt;
*「扶桑略記」巻二十八が初見のようである。即ち治安三年&amp;lt;b&amp;gt;七月十七日&amp;lt;/b&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[:ファイル:扶桑略記 第二十八 後一条天皇 治安.jpg|本当]]は十月十九日。--浦木裕 2010年12月16日 (木) 20:49 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.567&lt;br /&gt;
** 「讃岐国大川郡誉水村の水主神社」は、「讃岐国大&#039;&#039;&#039;内&#039;&#039;&#039;郡誉水村の水主神社」ではないか。&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
; むじゅう‐どうぎょう【無住道暁】ムヂユウダウゲウ : ［1226〜1312］鎌倉後期の臨済宗の僧。鎌倉の人。号、一円。天台•真言を学び、円爾（えんに）に師事して臨済禅を修め、のち、尾張に長母寺を開山した。諡号は大円国師。著「沙石集」「雑談（ぞうだん）集」など。（大辞泉）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
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		<title>ファイル:扶桑略記 第二十八 後一条天皇 治安.jpg</title>
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		<updated>2010-12-16T11:45:58Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 扶桑略記 第二十八 後一条天皇 治安&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;扶桑略記 第二十八 後一条天皇 治安&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AF%80&amp;diff=1354</id>
		<title>日本巫女史/第二篇/第五章/第三節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AF%80&amp;diff=1354"/>
		<updated>2010-12-16T11:41:49Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 七月→十月&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[日本巫女史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第二篇|第二篇　習合呪法時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第二篇/第五章|第五章　呪術方面に現われた巫道の新義]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第三節　性器利用の呪術と巫女の異相==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
男女の性器に呪力ありとした民間信仰は、古代から存したことは既記の如くであるが、更に巫女が娼婦化し、巫道が堕落するようになってから、此の信仰が、一段と助長したことは、明白に看取される。ここには、その代表的事実として、毛髪信仰に由来する巫女の七難の揃毛に就いて記述を試みんとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;一　原始的な毛髪信仰&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛髪を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;生命の指標&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ライフ・インデックス&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;とした信仰は、古くから我国にも存していた。「神代紀」に、素尊が種々の罪を犯して、高天ヶ原を逐われるときに、八束の鬚を断られたとあるのは、即ち此の信仰の在ったことを裏付けるものと見て差支ないようである。降って「孝徳紀」に『或為亡人断髪刺股而誅』を制禁したのも、又た髪に生命の宿ることを意識していた民俗に出発しているのである。現にアイヌ民族では、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツス&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の呪力は鬢髪の間に深く蔵されていて、髪を剃れば巫術は行われぬものと信じている〔一〕。こうした信仰から導かれて、毛髪には或る種の呪力の存するものとして、崇拝された民俗は、今に様々なる形式で残っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば、田畑に立てる&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;案山子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カカシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の語源には異説もあるが、これは毛髪を焼いた匂いを鳥獣が嫌う為に、これを木に吊し、竹に挟んで立てた即ち&amp;lt;u&amp;gt;かがせ&amp;lt;/u&amp;gt;（嗅せ）の転訛と見るのが穏当である〔二〕。節分の夜に、虫の口を焼くとて、鰯の頭を毛髪で巻き、柊の枝に刺し、豆殻を焚きながら唄える種々なる呪文も〔三〕、咸な臭気を以て、農作に損害を与える動物を払うためで、それが毛髪を焼いたことに源流を発していることは明白である。既載した琉球の「をなり神」の信仰は、男子が旅行する際に、姉なり妹なり（姉妹なき者は従姉妹）の毛髪二三本を所持していれば、息災であるというているが、これに似た信仰は、内地にも広く古くから行われていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここに二三の類例を挙げれば、妊婦の横生逆産を安産せしめるには、良人の陰毛十四本を焼研し、猪膏に和して、大豆大に丸めて呑ませると宜い〔四〕。人が若し、蛇に咬まれた時は、その人の口中に男子の陰毛二十本を含ませ、汁を嚥めば、毒の腹に入ることはない〔五〕。私の生れた南下野地方では、男子が性病にかかったときは、三人の女子の陰毛をもらい集め、これを黒焼にして服すと、奇功があると云うている。これなどは、広く尋ねて見たら、更に他地方にも行われていることと思う。それから、芝居の興行師や、茶屋女などが、来客が少くって困るときは、陰毛三本をぬき、一文膏へ貼り、人に知れぬよう他の繁昌する店頭へ貼って来ると、必ずその店の客を引くことが出来ると信じていた〔六〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して以上は、専ら男女の陰毛に関したものであるが、これ以外の毛髪に就いても、又た深甚なる俗信が伴っていたのである。播州飾磨郡地方では、悪疫流行の際に、袂の底に毛髪を二三本入れて置くと、悪疫にかからぬと云っている〔七〕。山城国葛野郡小倉山の二尊院の門前に、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;長&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;明神というがある。社伝によると、檀林皇后の落ち髪を祀ったものだと云うている〔八〕。記述した称徳女帝の御髪を盗んで、犬養姉女等が呪詛したとあるのも、髪に生命の宿ることを信じていたからである。京都市外の双ヶ岡の長泉寺には、吉田の兼好法師の木像があり、外に辞世の『契りをく花と双びの岡の辺に、あはれ幾代の春をへぬらむ』の歌を、兼行が剃髪の毛で文字を綴って作った掛幅がある〔九〕。同じ京都市外の栂梶の西明寺には、中将姫の髪の毛で、祢陀三尊の種子を作った掛幅がある〔一〇〕。これと似たものが、上野国邑楽郡六郷大字新宿の遍照寺にもある。これも中将姫の毛で、弥陀三尊の梵字を一字づつ織り出しているが、俗に頭髪の曼荼羅と称している〔一一〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それから、甲州御嶽の蔵王権現の宝物中に、北条時頼剃髪の毛というがある。その毛は、綰ねて捲子の中に納め、その外に『最明寺殿御髪毛、愛宕山へ納め候を、当将軍様{○家/光？}御申下し、愚僧方へ参り候を、当山へ奉納候、寛永一六年正月吉日、納主不明』と記してあるそうだ〔一二〕。更に、雲州出雲郡神立村の立虫神社は、社家の伝に素尊の毛髪を納めたところだと云っている〔一三〕。そして薩摩国日置郡羽島村の髢大明神は、天智帝の妃大宮媛が、頴娃に下向のとき、同村を過ぎ髢を遺されたのを祀ったものと伝えられている〔一四〕。こうした毛髪信仰はまだ各地に存しているが、煩を避けて他は割愛した。昭和の現代でも、嬰児の&amp;lt;u&amp;gt;うぶ&amp;lt;/u&amp;gt;毛を保存して置くのは、此の古い信仰の名残りであると言うことが出来るのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでは、斯かる信仰は、何に由来しているかと云うに、その総てを尽すことは、アニミズム時代から説かねばならぬので、それは茲には省略するより外に致し方はないが、兎に角に、（一）毛髪が自然と伸長すること、（二）黒い毛が年齢により白くなること、（三）死体は腐ってしまっても、毛だけは永く残るという事などが、古代の人々をして毛髪にも一種の霊魂が宿るものと考えさせたに起因するのである。而して古代人は、異常は必ず神秘を伴うか〔一五〕、又は神秘の力を多分に有しているものと併せ信じていた。ここに頭髪なり、鬚髯なり——殊に陰毛なりが、異常に長いことを、一段と不思議とも考え、神秘力の多いものとも考えるようになった。巫女の七難の揃毛は、此の信仰から発生し、これに仏法の仁王信仰が加って完成されたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;二　各地に存した七難の揃毛&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
七難の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;揃毛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ソソゲ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の文献に現われたのは、「扶桑略記」巻二十八が初見のようである。即ち治安三年十月十九日（此月十三日に万寿と改元）に、入道前大相国{○藤原/道長}が、紀州高野山の金剛峯寺へ参詣した帰路に、奈良七大官寺の一なりし元興寺に立寄り『開宝倉令覧、中有此和子陰毛{宛如蔓不/知其尺寸}云々』とあるのが、それである。勿論、これには七難の揃毛とは明記してないが、此の和子の陰毛が宛も蔓の如く、その尺寸の知れぬほど長いものであったということは、他の多くの類例から推して、明確に知り得られるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して私は、茲にこれが類例を挙げるとするが、先ず東京市の近くから筆を起すと、北千住町の少し先きの、武蔵国北足立郡谷塚村大字新里に、毛長明神というがあった。昔は長い毛を箱に納めて神体としていたが、いつ頃の別当か、不浄の毛を神体とするは非礼だといって、出水の折に、毛長沼に流してしまった。此の毛長明神の鳥居と相対せる、南足立郡舎人村大字舎人には、玄根を祀った社があったが、今では取払われて無くなってしまった〔一六〕。下総国豊田郡石下村の東弘寺の什物に、七難の揃毛というがある。色は五彩（五色の陰毛とは注意すべきことで、後出の記事を参照されたい）長さ四丈有余、何者の毛か判然しない。伝に、往古七難と称する異婦があって、この者の陰毛だと云っている〔一七〕。これに就いては、「甲子夜話」巻三十に僧無住の「雑談集」を引用して、『俗に往昔の霊婦の陰毛なり』と載せている。今、私の手許に雑談集が無いので、参照することが出来ぬが、若し此の記事に誤りがないとすれば、僧無住は、梶原景時の末裔で、嘉禄年中の出生であるから、此の揃毛は鎌倉期にはあったものとして差支ないようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それから、伊豆の箱根権現の什物中にも、悉難ヶ揃毛というものがあった。「尤草子」に長き物の品々にも、七なんがそそげとあるのを見ると、長い物であったことが想われる〔十八〕。上野国多野郡上野村大字新羽に神流川というがある。慶長頃に洪水があり、その時に、此の川の橋杭に怪しい長い毛が流れかかり、村民が大勢して拾いあげて見ると、長さ三十三尋余りあり、その色黒くして艶うつくしく、何の毛か分らぬので、村民も驚いたが、そのまま打ち棄てて置くことも出来ぬので、巫女を招んで占わせたところが、此の毛は同村野栗権現の流した陰毛だというので、直ちに同社へ送り返した。同社では毎年旧六月十五日の祭礼の節には、神輿の後へ此の陰毛を筥に入れて、恭しく捧げ持ち、今に陰毛の宝物とて名が高い〔一九〕。然るに、此の毛髪は現存していると見え、近刊の「多野郡誌」によると、新羽村の新羽神社の神宝にて、橘姫の毛髪長さ七尺五寸と記してある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に、同様の例を挙げれば、信州の戸隠神社にも、古く七難の揃毛というものがあったが、現今では山中院と称する宿坊の物となり、平維茂に退治された鬼女紅葉の毛と伝え、色は赤黒く縮れていて、長さ五六尺ばかり、丸く輪になって壺の中に納めてあるという事である〔二〇〕。それから、天野信景翁の記すところによると、尾張の熱田神宮にも、昔は此の種の長い毛があったと云うことである〔二一〕。そして、飛騨国大野郡宮村の水無瀬神社の神宝は六種あるが、その一に七難の頭髪というがある。社家の説に、昔この地に鬼神がいて、名を七難と称した。神威を以て誅伐されたが、その毛髪だと云っている〔二二〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尚、近江国の琵琶湖中にある竹生島の弁才天祠にも、七難の揃毛があった〔二三〕。同国石山の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;阿痛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アライタ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;薬師堂には、龍女の髪の毛というのがある。琵琶湖に栖んでいた龍女が得脱して納めたものだと伝えているが、その髪は長くして、地に垂れるほどのものである〔二四〕。これには、戸隠のそれと同じく、別段に七難の揃毛とは明記してないが、併し鬼女といい、龍女というも、結局は揃毛の呪術が忘れられた後に附会した説明であるから、元は揃毛であったことは、他の類例からも知ることが出来るのである。大和国の官幣大社——巫覡に縁故の深い物部氏の氏神である石上神宮にも、また七難の揃毛というのが現存している。最近に発行された絵端書で見ると〔二五〕、今に婦人が用いる「ミノ」と称する&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;髢&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;かもじ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;のようなもので、余り長いものだとは思われぬ感じがした。同国吉野の&amp;lt;u&amp;gt;どろ&amp;lt;/u&amp;gt;川という所の奥の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;天&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;テン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ノ川の弁天堂に、七難のすす毛とて、長さ五丈ばかりのものがある。俗に白拍子静御前の髪の毛だとも云い、また縁起を聞くと、甚だ尾籠なものだと云う事である〔二六〕。備後国奴可郡入江村の熊野神社の末社に、跡厨殿というのがあるが、祭神は判然せぬ。神体は男女とも毛が長く、一に毛長神とも云っている〔二七〕。越前国大野郡平泉寺村から白山禅定の故地に往く道に、七難の岩屋というが残っている〔二八〕。此の二つは、やや明瞭を欠く所もあるが、毛長といい、七難とといっているので、姑らくここにかけて記すとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;三　陰毛の長い水主明神&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
巫女と七難の揃毛を記す以前に、猶お予備として、陰毛の長い神の在ったことを述べて置く必要がある。讃岐国大川郡誉水村の水主神社の祭神が、陰毛が長いために、親神から棄られた縁起は[[日本巫女史/第一篇/第五章/第五節|既載]]した。但し、親神が何が故に、陰毛の長いのを恥じたのか、理由が判然せぬが、恐らく磯良神が変面を恥じたという伝説と共に、異相であったことを心憂く思ったものと考えられる。而して讃岐の隣国なる、阿波三好郡加茂村字猪乃内谷の弥都波能売神社にも、神毛にまつわる信仰が伝えられている。此の神社は、僅かに一筋の長い毛であるが、常には麻桶に入れて、神殿の奥深く安置してある。神慮の穏かならざるときは、その毛が二岐に分れて大いに延び、桶を押し上げて外へ余るようになる。これに反して、神意の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;和&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;なご&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;むときは、本の如くなると、里人は語っている〔二九〕。これには陰毛だとは明記してないが、同書の附載として『大和国布留社（記述の石上神宮のこと）にも大なる髪毛あり、ソソゲといふ由』とあるのから推すと、筆者が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;態&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;わざ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と此の点の明記を&lt;br /&gt;
避けたものと考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日向国児湯郡西米良村大字小川字中水流の米良神社は、祭神は磐長媛命と伝えられているが確証はない。此の社にも、昔は一筋の毛髪があって、これを極秘の神宝としていた。俚伝によると、祭神が世を憤りたまい、此の地の池に投身された折の神毛だというている。元禄十六年の洪水で、此の神毛は流失してしまったが、これの在った間は、神威殊に著しく、不浄は勿論のこと、外人殊に下日向の人を憎んで、一歩も境内に入れなかったと云う事である〔三〇〕。俚謡に『お竹さん、×××の毛が長い、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;唐土&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カラ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（又は江戸）までとどく』とあるのは、いつの世に、誰が何の理由があって、言い出したものか知る由もないが、七難の揃毛を背景として考えるときは、常人にすぐれた長い陰毛を持っているということは、或る種の呪力有している人と見られていたのであろう〔三一〕。そして此の信仰は、巫女が性器を利用した呪術に発し、これに仁王信仰が附会して、巫女が好んで陰毛の長大を誇り、併せてこれに種々なる装飾を加えるまでに至ったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;四　仁王信仰と七難即滅の思想&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在では、仁王尊といえば、寺院の門番と思われるまでに冷遇されているが、古く奈良朝から平安朝へかけては、仁王信仰は上下の間に深く行われたものである。而して仁王尊の功徳に就いては、仁王経に載せてあるが、これに関して南方熊楠氏の言われるには、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 七難のこと、仁王経にあり（中略）。是等七難を避くるために、五大力菩薩（五人の菩薩名は略す）の形像を立て、これに供養すべしとなり。朝家に行われし仁王会の事なり。然るに、それは一寸大仕事ゆえ、七難即滅のために一種の巫女が七難の舞をやらかせしにて、それより色々と変り、猥褻なる事にもなり、陰を出し（中山曰。所載の貴船社の巫女と和泉式部の件参照）通しては面白からぬゆえ、秘儀を神密にせんとて、殊更に長き陰毛を纏いしなるべし。凡て仏法に隠れたる所にある長毛を神霊とせるは「比丘尼伝」の外に「大唐西域記」巻十中天竺伊爛孥伐多国、室縷多頻没底抅胝（聞二百億）の伝にも見えたり（中略）。此人（釈迦の弟子）は、一足の裏に長き金色の毛あり、甚だ寄なりとて、国王が召して見たことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある〔三二〕。以上の説明によって、七難の揃毛の由来と、巫女が好んで陰毛の長きを利用した事情が、全く釈然したであろうと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に下総の東弘寺に伝った陰毛が、五彩であったという事であるが、これに就いても、南方熊楠氏は、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 姚秦三龍仏陀耶舎共笠法念訳、四分律蔵二十九巻に、爾時薄伽婆（仏の事）在舎衛国給孤独園、時六群比丘尼、蓄婦女、装厳身具、手脚釧及猥所荘厳具（印度は裸で熱い所故に、衣服を飾りても久しく保たず、汗に汚れる故に、髪腕足の輪環又陰毛を染め、甚だしきは陰部に玉を嵌める等の飾りあり）諸居士皆見識嫌云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
との例を挙げ〔三三〕、我国のもこれを真似たものだろうと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上の俗信を頭脳に置いて、古い七難の揃毛のことを再考すると、それは前にも述べた如く、仏説を土台とした巫女等が、猖んに長いほど呪力の加わるものとして利用した結果が、三丈五丈のものを残すようになったのである。巫女の堕落と、異相も、ここに至って極まれりと言うべきである。猶お本節を終るに際し、南方熊楠氏の示教に負うことの多きを記して、敬意を表する次第である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 〔註一〕 : 金田一京助氏の談。&lt;br /&gt;
; 〔註二〕 : 川口孫次郎氏が「飛騨史談」において、詳しい考証を発表されたことがある。私の記事は、これに拠ったものである。&lt;br /&gt;
; 〔註三〕 : 「水戸歳時記」によれば、同地方では「隣りの嫁さんの××の臭さよ、ふふん」と唱え、更に「吉居雑話」によれば、駿河の吉原町辺では「ながながも候、やッかがしも候、隣りの婆さん屁をたれた、やれ臭いそれ臭い」と云う由。共に臭気を以て、鳥獣を逐うた名残をとどめたもので、更に此の問題は、悪臭のする草木を呪符の代用した俗信にも触れているのである。&lt;br /&gt;
; 〔註四〕 : 「千金方」。&lt;br /&gt;
; 〔註五〕 : 時珍の「本草綱目」。そして以上の二書は、支那のものであるが、これ等の呪術が我国に行われていたので、敢て挙げるとした。&lt;br /&gt;
; 〔註六〕 : 「東京人類学雑誌」第二十九巻第十一号。&lt;br /&gt;
; 〔註七〕 : 「飾磨郡風俗調査」。&lt;br /&gt;
; 〔註八〕 : 「山州名跡志」巻九（史籍集覧本）。&lt;br /&gt;
; 〔註九〕 : 「甲子夜話」巻五十二（国書刊行会本）。&lt;br /&gt;
; 〔註一〇〕 : 同上。&lt;br /&gt;
; 〔註一一〕 : 「群馬県邑楽郡誌」。&lt;br /&gt;
; 〔註一二〕 : 「甲斐国志」巻六十四。&lt;br /&gt;
; 〔註一三〕 : 「出雲国式社考」巻下（神祇全集本）。&lt;br /&gt;
; 〔註一四〕 : 「三国名勝図絵」巻十。&lt;br /&gt;
; 〔註一五〕 : 俗に白ツ子という者や、低能者などを、異常者として、一種の崇敬した例さえある。&lt;br /&gt;
; 〔註一六〕 : 元禄年中に、古川常辰の書いた「四神地名録」に拠る。&lt;br /&gt;
; 〔註一七〕 : 「和漢三才図会」巻六。&lt;br /&gt;
; 〔註一八〕 : 加藤雀庵の「さえずり草」。&lt;br /&gt;
; 〔註一九〕 : 「閑窓瑣談」巻四（日本随筆大成本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二〇〕 : 「日本伝説叢書」信濃巻。&lt;br /&gt;
; 〔註二一〕 : 「塩尻」巻二（帝国書院百巻本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二二〕 : 「斐太後風土記」巻四（日本地誌大系本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二三〕 : 「和漢三才図会」同条。&lt;br /&gt;
; 〔註二四〕 : 「近江輿地誌略」巻三十六（日本地誌大系本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二五〕 : 東京の温故会と称する好事家の集りで秘密に出版したものに拠る。&lt;br /&gt;
; 〔註二六〕 : 「塵塚物語」巻四（史籍集覧本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二七〕 : 「芸藩通志」巻四。&lt;br /&gt;
; 〔註二八〕 : 「大野郡誌」下編。&lt;br /&gt;
; 〔註二九〕 : 「日本伝説叢書」阿波巻。及び「阿州奇事雑話」に拠る。&lt;br /&gt;
; 〔註三〇〕 : 「郷土研究」第四巻第十二号。&lt;br /&gt;
; 〔註三一〕 : 福島県石城郡草野村大字北神谷の高木誠一氏の談に、同地方では「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;百舌鳥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;モンズ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;モンモの毛、太夫（巫女）さんの×××毛三本つなげば江戸までとどく」と言うそうだ。&lt;br /&gt;
; 〔註三二〕 : 「南方来書」明治四十四年九月十三日の条。&lt;br /&gt;
; 〔註三三〕 : 同上。明治四十四年十月十日の条。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:中山太郎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AF%80&amp;diff=1353</id>
		<title>日本巫女史/第二篇/第五章/第三節</title>
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		<updated>2010-12-16T11:40:54Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 十七日→十九日&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[日本巫女史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第二篇|第二篇　習合呪法時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第二篇/第五章|第五章　呪術方面に現われた巫道の新義]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第三節　性器利用の呪術と巫女の異相==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
男女の性器に呪力ありとした民間信仰は、古代から存したことは既記の如くであるが、更に巫女が娼婦化し、巫道が堕落するようになってから、此の信仰が、一段と助長したことは、明白に看取される。ここには、その代表的事実として、毛髪信仰に由来する巫女の七難の揃毛に就いて記述を試みんとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;一　原始的な毛髪信仰&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛髪を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;生命の指標&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ライフ・インデックス&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;とした信仰は、古くから我国にも存していた。「神代紀」に、素尊が種々の罪を犯して、高天ヶ原を逐われるときに、八束の鬚を断られたとあるのは、即ち此の信仰の在ったことを裏付けるものと見て差支ないようである。降って「孝徳紀」に『或為亡人断髪刺股而誅』を制禁したのも、又た髪に生命の宿ることを意識していた民俗に出発しているのである。現にアイヌ民族では、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツス&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の呪力は鬢髪の間に深く蔵されていて、髪を剃れば巫術は行われぬものと信じている〔一〕。こうした信仰から導かれて、毛髪には或る種の呪力の存するものとして、崇拝された民俗は、今に様々なる形式で残っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば、田畑に立てる&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;案山子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カカシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の語源には異説もあるが、これは毛髪を焼いた匂いを鳥獣が嫌う為に、これを木に吊し、竹に挟んで立てた即ち&amp;lt;u&amp;gt;かがせ&amp;lt;/u&amp;gt;（嗅せ）の転訛と見るのが穏当である〔二〕。節分の夜に、虫の口を焼くとて、鰯の頭を毛髪で巻き、柊の枝に刺し、豆殻を焚きながら唄える種々なる呪文も〔三〕、咸な臭気を以て、農作に損害を与える動物を払うためで、それが毛髪を焼いたことに源流を発していることは明白である。既載した琉球の「をなり神」の信仰は、男子が旅行する際に、姉なり妹なり（姉妹なき者は従姉妹）の毛髪二三本を所持していれば、息災であるというているが、これに似た信仰は、内地にも広く古くから行われていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここに二三の類例を挙げれば、妊婦の横生逆産を安産せしめるには、良人の陰毛十四本を焼研し、猪膏に和して、大豆大に丸めて呑ませると宜い〔四〕。人が若し、蛇に咬まれた時は、その人の口中に男子の陰毛二十本を含ませ、汁を嚥めば、毒の腹に入ることはない〔五〕。私の生れた南下野地方では、男子が性病にかかったときは、三人の女子の陰毛をもらい集め、これを黒焼にして服すと、奇功があると云うている。これなどは、広く尋ねて見たら、更に他地方にも行われていることと思う。それから、芝居の興行師や、茶屋女などが、来客が少くって困るときは、陰毛三本をぬき、一文膏へ貼り、人に知れぬよう他の繁昌する店頭へ貼って来ると、必ずその店の客を引くことが出来ると信じていた〔六〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して以上は、専ら男女の陰毛に関したものであるが、これ以外の毛髪に就いても、又た深甚なる俗信が伴っていたのである。播州飾磨郡地方では、悪疫流行の際に、袂の底に毛髪を二三本入れて置くと、悪疫にかからぬと云っている〔七〕。山城国葛野郡小倉山の二尊院の門前に、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;長&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;明神というがある。社伝によると、檀林皇后の落ち髪を祀ったものだと云うている〔八〕。記述した称徳女帝の御髪を盗んで、犬養姉女等が呪詛したとあるのも、髪に生命の宿ることを信じていたからである。京都市外の双ヶ岡の長泉寺には、吉田の兼好法師の木像があり、外に辞世の『契りをく花と双びの岡の辺に、あはれ幾代の春をへぬらむ』の歌を、兼行が剃髪の毛で文字を綴って作った掛幅がある〔九〕。同じ京都市外の栂梶の西明寺には、中将姫の髪の毛で、祢陀三尊の種子を作った掛幅がある〔一〇〕。これと似たものが、上野国邑楽郡六郷大字新宿の遍照寺にもある。これも中将姫の毛で、弥陀三尊の梵字を一字づつ織り出しているが、俗に頭髪の曼荼羅と称している〔一一〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それから、甲州御嶽の蔵王権現の宝物中に、北条時頼剃髪の毛というがある。その毛は、綰ねて捲子の中に納め、その外に『最明寺殿御髪毛、愛宕山へ納め候を、当将軍様{○家/光？}御申下し、愚僧方へ参り候を、当山へ奉納候、寛永一六年正月吉日、納主不明』と記してあるそうだ〔一二〕。更に、雲州出雲郡神立村の立虫神社は、社家の伝に素尊の毛髪を納めたところだと云っている〔一三〕。そして薩摩国日置郡羽島村の髢大明神は、天智帝の妃大宮媛が、頴娃に下向のとき、同村を過ぎ髢を遺されたのを祀ったものと伝えられている〔一四〕。こうした毛髪信仰はまだ各地に存しているが、煩を避けて他は割愛した。昭和の現代でも、嬰児の&amp;lt;u&amp;gt;うぶ&amp;lt;/u&amp;gt;毛を保存して置くのは、此の古い信仰の名残りであると言うことが出来るのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでは、斯かる信仰は、何に由来しているかと云うに、その総てを尽すことは、アニミズム時代から説かねばならぬので、それは茲には省略するより外に致し方はないが、兎に角に、（一）毛髪が自然と伸長すること、（二）黒い毛が年齢により白くなること、（三）死体は腐ってしまっても、毛だけは永く残るという事などが、古代の人々をして毛髪にも一種の霊魂が宿るものと考えさせたに起因するのである。而して古代人は、異常は必ず神秘を伴うか〔一五〕、又は神秘の力を多分に有しているものと併せ信じていた。ここに頭髪なり、鬚髯なり——殊に陰毛なりが、異常に長いことを、一段と不思議とも考え、神秘力の多いものとも考えるようになった。巫女の七難の揃毛は、此の信仰から発生し、これに仏法の仁王信仰が加って完成されたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;二　各地に存した七難の揃毛&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
七難の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;揃毛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ソソゲ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の文献に現われたのは、「扶桑略記」巻二十八が初見のようである。即ち治安三年七月十九日（此月十三日に万寿と改元）に、入道前大相国{○藤原/道長}が、紀州高野山の金剛峯寺へ参詣した帰路に、奈良七大官寺の一なりし元興寺に立寄り『開宝倉令覧、中有此和子陰毛{宛如蔓不/知其尺寸}云々』とあるのが、それである。勿論、これには七難の揃毛とは明記してないが、此の和子の陰毛が宛も蔓の如く、その尺寸の知れぬほど長いものであったということは、他の多くの類例から推して、明確に知り得られるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して私は、茲にこれが類例を挙げるとするが、先ず東京市の近くから筆を起すと、北千住町の少し先きの、武蔵国北足立郡谷塚村大字新里に、毛長明神というがあった。昔は長い毛を箱に納めて神体としていたが、いつ頃の別当か、不浄の毛を神体とするは非礼だといって、出水の折に、毛長沼に流してしまった。此の毛長明神の鳥居と相対せる、南足立郡舎人村大字舎人には、玄根を祀った社があったが、今では取払われて無くなってしまった〔一六〕。下総国豊田郡石下村の東弘寺の什物に、七難の揃毛というがある。色は五彩（五色の陰毛とは注意すべきことで、後出の記事を参照されたい）長さ四丈有余、何者の毛か判然しない。伝に、往古七難と称する異婦があって、この者の陰毛だと云っている〔一七〕。これに就いては、「甲子夜話」巻三十に僧無住の「雑談集」を引用して、『俗に往昔の霊婦の陰毛なり』と載せている。今、私の手許に雑談集が無いので、参照することが出来ぬが、若し此の記事に誤りがないとすれば、僧無住は、梶原景時の末裔で、嘉禄年中の出生であるから、此の揃毛は鎌倉期にはあったものとして差支ないようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それから、伊豆の箱根権現の什物中にも、悉難ヶ揃毛というものがあった。「尤草子」に長き物の品々にも、七なんがそそげとあるのを見ると、長い物であったことが想われる〔十八〕。上野国多野郡上野村大字新羽に神流川というがある。慶長頃に洪水があり、その時に、此の川の橋杭に怪しい長い毛が流れかかり、村民が大勢して拾いあげて見ると、長さ三十三尋余りあり、その色黒くして艶うつくしく、何の毛か分らぬので、村民も驚いたが、そのまま打ち棄てて置くことも出来ぬので、巫女を招んで占わせたところが、此の毛は同村野栗権現の流した陰毛だというので、直ちに同社へ送り返した。同社では毎年旧六月十五日の祭礼の節には、神輿の後へ此の陰毛を筥に入れて、恭しく捧げ持ち、今に陰毛の宝物とて名が高い〔一九〕。然るに、此の毛髪は現存していると見え、近刊の「多野郡誌」によると、新羽村の新羽神社の神宝にて、橘姫の毛髪長さ七尺五寸と記してある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に、同様の例を挙げれば、信州の戸隠神社にも、古く七難の揃毛というものがあったが、現今では山中院と称する宿坊の物となり、平維茂に退治された鬼女紅葉の毛と伝え、色は赤黒く縮れていて、長さ五六尺ばかり、丸く輪になって壺の中に納めてあるという事である〔二〇〕。それから、天野信景翁の記すところによると、尾張の熱田神宮にも、昔は此の種の長い毛があったと云うことである〔二一〕。そして、飛騨国大野郡宮村の水無瀬神社の神宝は六種あるが、その一に七難の頭髪というがある。社家の説に、昔この地に鬼神がいて、名を七難と称した。神威を以て誅伐されたが、その毛髪だと云っている〔二二〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尚、近江国の琵琶湖中にある竹生島の弁才天祠にも、七難の揃毛があった〔二三〕。同国石山の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;阿痛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アライタ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;薬師堂には、龍女の髪の毛というのがある。琵琶湖に栖んでいた龍女が得脱して納めたものだと伝えているが、その髪は長くして、地に垂れるほどのものである〔二四〕。これには、戸隠のそれと同じく、別段に七難の揃毛とは明記してないが、併し鬼女といい、龍女というも、結局は揃毛の呪術が忘れられた後に附会した説明であるから、元は揃毛であったことは、他の類例からも知ることが出来るのである。大和国の官幣大社——巫覡に縁故の深い物部氏の氏神である石上神宮にも、また七難の揃毛というのが現存している。最近に発行された絵端書で見ると〔二五〕、今に婦人が用いる「ミノ」と称する&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;髢&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;かもじ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;のようなもので、余り長いものだとは思われぬ感じがした。同国吉野の&amp;lt;u&amp;gt;どろ&amp;lt;/u&amp;gt;川という所の奥の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;天&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;テン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ノ川の弁天堂に、七難のすす毛とて、長さ五丈ばかりのものがある。俗に白拍子静御前の髪の毛だとも云い、また縁起を聞くと、甚だ尾籠なものだと云う事である〔二六〕。備後国奴可郡入江村の熊野神社の末社に、跡厨殿というのがあるが、祭神は判然せぬ。神体は男女とも毛が長く、一に毛長神とも云っている〔二七〕。越前国大野郡平泉寺村から白山禅定の故地に往く道に、七難の岩屋というが残っている〔二八〕。此の二つは、やや明瞭を欠く所もあるが、毛長といい、七難とといっているので、姑らくここにかけて記すとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;三　陰毛の長い水主明神&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
巫女と七難の揃毛を記す以前に、猶お予備として、陰毛の長い神の在ったことを述べて置く必要がある。讃岐国大川郡誉水村の水主神社の祭神が、陰毛が長いために、親神から棄られた縁起は[[日本巫女史/第一篇/第五章/第五節|既載]]した。但し、親神が何が故に、陰毛の長いのを恥じたのか、理由が判然せぬが、恐らく磯良神が変面を恥じたという伝説と共に、異相であったことを心憂く思ったものと考えられる。而して讃岐の隣国なる、阿波三好郡加茂村字猪乃内谷の弥都波能売神社にも、神毛にまつわる信仰が伝えられている。此の神社は、僅かに一筋の長い毛であるが、常には麻桶に入れて、神殿の奥深く安置してある。神慮の穏かならざるときは、その毛が二岐に分れて大いに延び、桶を押し上げて外へ余るようになる。これに反して、神意の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;和&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;なご&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;むときは、本の如くなると、里人は語っている〔二九〕。これには陰毛だとは明記してないが、同書の附載として『大和国布留社（記述の石上神宮のこと）にも大なる髪毛あり、ソソゲといふ由』とあるのから推すと、筆者が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;態&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;わざ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と此の点の明記を&lt;br /&gt;
避けたものと考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日向国児湯郡西米良村大字小川字中水流の米良神社は、祭神は磐長媛命と伝えられているが確証はない。此の社にも、昔は一筋の毛髪があって、これを極秘の神宝としていた。俚伝によると、祭神が世を憤りたまい、此の地の池に投身された折の神毛だというている。元禄十六年の洪水で、此の神毛は流失してしまったが、これの在った間は、神威殊に著しく、不浄は勿論のこと、外人殊に下日向の人を憎んで、一歩も境内に入れなかったと云う事である〔三〇〕。俚謡に『お竹さん、×××の毛が長い、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;唐土&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カラ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（又は江戸）までとどく』とあるのは、いつの世に、誰が何の理由があって、言い出したものか知る由もないが、七難の揃毛を背景として考えるときは、常人にすぐれた長い陰毛を持っているということは、或る種の呪力有している人と見られていたのであろう〔三一〕。そして此の信仰は、巫女が性器を利用した呪術に発し、これに仁王信仰が附会して、巫女が好んで陰毛の長大を誇り、併せてこれに種々なる装飾を加えるまでに至ったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;四　仁王信仰と七難即滅の思想&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在では、仁王尊といえば、寺院の門番と思われるまでに冷遇されているが、古く奈良朝から平安朝へかけては、仁王信仰は上下の間に深く行われたものである。而して仁王尊の功徳に就いては、仁王経に載せてあるが、これに関して南方熊楠氏の言われるには、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 七難のこと、仁王経にあり（中略）。是等七難を避くるために、五大力菩薩（五人の菩薩名は略す）の形像を立て、これに供養すべしとなり。朝家に行われし仁王会の事なり。然るに、それは一寸大仕事ゆえ、七難即滅のために一種の巫女が七難の舞をやらかせしにて、それより色々と変り、猥褻なる事にもなり、陰を出し（中山曰。所載の貴船社の巫女と和泉式部の件参照）通しては面白からぬゆえ、秘儀を神密にせんとて、殊更に長き陰毛を纏いしなるべし。凡て仏法に隠れたる所にある長毛を神霊とせるは「比丘尼伝」の外に「大唐西域記」巻十中天竺伊爛孥伐多国、室縷多頻没底抅胝（聞二百億）の伝にも見えたり（中略）。此人（釈迦の弟子）は、一足の裏に長き金色の毛あり、甚だ寄なりとて、国王が召して見たことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある〔三二〕。以上の説明によって、七難の揃毛の由来と、巫女が好んで陰毛の長きを利用した事情が、全く釈然したであろうと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に下総の東弘寺に伝った陰毛が、五彩であったという事であるが、これに就いても、南方熊楠氏は、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 姚秦三龍仏陀耶舎共笠法念訳、四分律蔵二十九巻に、爾時薄伽婆（仏の事）在舎衛国給孤独園、時六群比丘尼、蓄婦女、装厳身具、手脚釧及猥所荘厳具（印度は裸で熱い所故に、衣服を飾りても久しく保たず、汗に汚れる故に、髪腕足の輪環又陰毛を染め、甚だしきは陰部に玉を嵌める等の飾りあり）諸居士皆見識嫌云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
との例を挙げ〔三三〕、我国のもこれを真似たものだろうと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上の俗信を頭脳に置いて、古い七難の揃毛のことを再考すると、それは前にも述べた如く、仏説を土台とした巫女等が、猖んに長いほど呪力の加わるものとして利用した結果が、三丈五丈のものを残すようになったのである。巫女の堕落と、異相も、ここに至って極まれりと言うべきである。猶お本節を終るに際し、南方熊楠氏の示教に負うことの多きを記して、敬意を表する次第である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 〔註一〕 : 金田一京助氏の談。&lt;br /&gt;
; 〔註二〕 : 川口孫次郎氏が「飛騨史談」において、詳しい考証を発表されたことがある。私の記事は、これに拠ったものである。&lt;br /&gt;
; 〔註三〕 : 「水戸歳時記」によれば、同地方では「隣りの嫁さんの××の臭さよ、ふふん」と唱え、更に「吉居雑話」によれば、駿河の吉原町辺では「ながながも候、やッかがしも候、隣りの婆さん屁をたれた、やれ臭いそれ臭い」と云う由。共に臭気を以て、鳥獣を逐うた名残をとどめたもので、更に此の問題は、悪臭のする草木を呪符の代用した俗信にも触れているのである。&lt;br /&gt;
; 〔註四〕 : 「千金方」。&lt;br /&gt;
; 〔註五〕 : 時珍の「本草綱目」。そして以上の二書は、支那のものであるが、これ等の呪術が我国に行われていたので、敢て挙げるとした。&lt;br /&gt;
; 〔註六〕 : 「東京人類学雑誌」第二十九巻第十一号。&lt;br /&gt;
; 〔註七〕 : 「飾磨郡風俗調査」。&lt;br /&gt;
; 〔註八〕 : 「山州名跡志」巻九（史籍集覧本）。&lt;br /&gt;
; 〔註九〕 : 「甲子夜話」巻五十二（国書刊行会本）。&lt;br /&gt;
; 〔註一〇〕 : 同上。&lt;br /&gt;
; 〔註一一〕 : 「群馬県邑楽郡誌」。&lt;br /&gt;
; 〔註一二〕 : 「甲斐国志」巻六十四。&lt;br /&gt;
; 〔註一三〕 : 「出雲国式社考」巻下（神祇全集本）。&lt;br /&gt;
; 〔註一四〕 : 「三国名勝図絵」巻十。&lt;br /&gt;
; 〔註一五〕 : 俗に白ツ子という者や、低能者などを、異常者として、一種の崇敬した例さえある。&lt;br /&gt;
; 〔註一六〕 : 元禄年中に、古川常辰の書いた「四神地名録」に拠る。&lt;br /&gt;
; 〔註一七〕 : 「和漢三才図会」巻六。&lt;br /&gt;
; 〔註一八〕 : 加藤雀庵の「さえずり草」。&lt;br /&gt;
; 〔註一九〕 : 「閑窓瑣談」巻四（日本随筆大成本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二〇〕 : 「日本伝説叢書」信濃巻。&lt;br /&gt;
; 〔註二一〕 : 「塩尻」巻二（帝国書院百巻本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二二〕 : 「斐太後風土記」巻四（日本地誌大系本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二三〕 : 「和漢三才図会」同条。&lt;br /&gt;
; 〔註二四〕 : 「近江輿地誌略」巻三十六（日本地誌大系本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二五〕 : 東京の温故会と称する好事家の集りで秘密に出版したものに拠る。&lt;br /&gt;
; 〔註二六〕 : 「塵塚物語」巻四（史籍集覧本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二七〕 : 「芸藩通志」巻四。&lt;br /&gt;
; 〔註二八〕 : 「大野郡誌」下編。&lt;br /&gt;
; 〔註二九〕 : 「日本伝説叢書」阿波巻。及び「阿州奇事雑話」に拠る。&lt;br /&gt;
; 〔註三〇〕 : 「郷土研究」第四巻第十二号。&lt;br /&gt;
; 〔註三一〕 : 福島県石城郡草野村大字北神谷の高木誠一氏の談に、同地方では「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;百舌鳥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;モンズ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;モンモの毛、太夫（巫女）さんの×××毛三本つなげば江戸までとどく」と言うそうだ。&lt;br /&gt;
; 〔註三二〕 : 「南方来書」明治四十四年九月十三日の条。&lt;br /&gt;
; 〔註三三〕 : 同上。明治四十四年十月十日の条。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:中山太郎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%83%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%80&amp;diff=1352</id>
		<title>日本巫女史/第一篇/第七章/第二節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%83%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%80&amp;diff=1352"/>
		<updated>2010-09-11T09:35:05Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 「源兼盛」→「平兼盛」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[日本巫女史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第一篇|第一篇　固有呪法時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第一篇/第七章|第七章　精神文化に於ける巫女の職務]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第二節　司祭者としての巫女==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神その者であった巫女は、同時に神に斎く祭官であった。然るに時代の暢達は、神々を発達させた反対に、漸く巫女の社会的地位を引き下げるようになり、巫女も後には神託を宣べる時だけが神であって、他は専ら司祭者としてのみ待遇されるようになってしまった。而して此の事象の由って来たるところは、祖霊信仰に出発した原始神道における神々の機能が、道徳的に解せられるようになって一段の飛躍をなし、これに反して、神に仕える者は女性に限られていたのが、男子がそれに代るようになった為めである。換言すれば、此の事象は、神の方からいえば、血で繋がれた氏神が、地域を標準とする産土神となったことを意味し、巫女の側からいえば、家族的であったのが、職業的となったことを意味しているのである。而して巫女が祭祀を司るようになった過程と、職務の内容とに就いては、相当に複雑した信仰と推移が潜んでいるので、茲には簡明を主とし、項を分けて記述することとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;一、墓前祭と巫女の職務&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:出雲巫女舞.gif|thumb|出雲大社における巫女舞]]&lt;br /&gt;
神に対して行うた祭祀の起原が墓前であったか、社前祭であったかに就いては、昔から相当に異説が存している。それと同時に、世の謂ゆる官僚神道家なる者は、兎角に社前祭説を主張して、墓前祭説を排斥する傾きがある。勿論これは神道の発生的方面を故意に閑却して、無理勿体を付けたがる手段なのである〔一〕。併し、我国の祭祀は、文献的に見るも、民俗的に見るも、墓前祭に始まっていることは明確なる事実である。「日本書紀」の一書に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 伊弉冉尊火神生みます時に、灼かれて神退去りましき。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;故&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;れ紀伊国の有馬村に葬りまつる。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;土俗&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;クニビト&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;此の神の魂を祭るに、花ある時には、亦花を以て祭り、又鼓、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;吹&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;フエ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;幡旗&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ハタ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を用て歌ひ舞ひて祭る云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのが、祭祀の所見の記録であって、然も墓前祭であることは、少しも疑うべき余地は無いのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更にこれを、民俗学的に見るも、墓前祭が社前祭より古いことが知られるのである。由来、太古の民族は、人は死ぬとその霊魂は黄泉国へ往く（霊魂が地下の黄泉へ往かずして、天上の高天原へ往くと考えるようになったのは、やや進歩した信仰である）ものと信じていたが、茲に考慮して見なければならぬ問題は、その霊魂は何者の導きも待たずに、自然と其処へ往ったものであるか、それとも何者か其処へ往けるように導きをしたのであるかと云う事である。それと同時に霊魂が果して黄泉国へ往ったか否かという事を、何者がこれを証明したかと云う点である。而して此の問題たるや、原始神道における霊魂観として、相当に関心しなければならぬ事であるにもかかわらず、従来の国学者とか、神道家とか云う者で、遂にこれに触れたことのあるのを耳にせぬのである。私の寡聞にして菲才なる、敢て此の問題を説明し得るとは信じていぬけれども、茲に管見を記して是正を仰ぐとするが、私の考えを極めて端的に言えば、それ等の事を行うた者は、即ち巫女であったと信じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私が改めて言うまでもなく、我が古代における屍体の始末は、素尊の言われた如く「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;顕見蒼生&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アオヒドグサ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;奥津棄戸&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;オキツスタヘ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」で、野外に放棄するほどの原始的のものであって、まだ葬儀とか、葬礼とかいうものが、厳かに執り行われていなかったのである〔二〕。かく屍体が無造作に取り扱われたのに就いては、二つの理由がある。第一は屍体は霊魂の抜け殻と考えたことで、第二は屍体の腐敗を嫌ったためである。而して此の屍体を放棄することが、巫女の職務なのである。我国で、祝——即ち巫祝の徒をハフリと称することに就いては、羽振りの義であって、神官が着た浄衣の袖を鳥の羽の如く振るので、此の名ありと云う説もあるが〔三〕、元より&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;民間語原説&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;エティモロジー&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;であって採るに足らぬ。これに較べると、ハフリは&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;投&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ハウ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;るの意で、古く屍体を投げ棄てる役を勤めていたので、遂に此名を負うに至ったものと解すべきである〔四〕。而して葬をハフリと訓んだことも、又この意であって、「万葉集」巻二に、高市皇子の殯宮のとき、柿本人麿が詠じた長歌の一節に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 言いさへぐ百済の原ゆ、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神葬&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミハフ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;り葬り座して、朝もよし城の上に宮を、常宮と定め奉りて、神ながら鎮りましぬ……&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのや、同集巻一三の長歌の一節に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 朝裳吉城上の道中、角障ふ石村を見つつ、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神葬&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミハフ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;り葬り奉れば、……&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのは、その例証であって、屍体を投棄したことから出た古語なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
然るに、古代においては、物を斬り断つことも同じくハフリと言うていた。「崇神記」に、大毘古命が建波邇安王の兵と戦い『其の軍士を斬屠りし故に、其地の号を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;波布理曾能&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ハフリソノ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;となも謂ふ』とあるのや、「万葉集」巻十三の長歌の一節に『剣太刀磨きし心を、天雲に思ひ&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;散&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ハフ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;らし、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;展&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;コ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ひ転び&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;泥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヒツ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ち泣けども、飽足らぬかも』などを始めとして、此の外にも斬ることをハフリと云うた例は多く存し、現に屠の字をハフルと訓んでいるほどである。然らば何故に、我が古代にあっては、葬ることと斬ることとを同じくハフリと言わせ、併もそれを巫祝の上まで及ぼして、これをハフリと称したのであろうか。問題は愈々困難になって来たが、これに対する私の考えは略ぼ左の如きものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私見によれば、古く我国では屍体を葬るときは——勿論、その悉くではないが、[[日本巫女史/第一篇/第二章/第一節|前]]に辻占の条に挙げたような変死を遂げた者の屍体は、これをその儘に葬ることなくして、屍体を幾つかに斬って埋める民俗が存していたのではなかろうか。記・紀の神代巻に、諾尊が迦具土神を三段に斬ったとあるのは、諾尊が此の神のために冊尊を喪うたという単なる憤怒の余りではなくして、かかる悪神は幾つかに斬って葬る習わしのあったことが、神話に反映したのではないかと想われる〔五〕。学友内藤吉之助氏が「史学」第三巻第七号に掲載された「喪かり考」は、此の問題に対して、大なる暗示を投じているものであって、私もこれを披閲して、尠からず教えられた所が在って存したのである。而して内藤氏に従えば、喪がりとは、従来の国学者が説けるが如き——殯宮の意味ばかりではなくして、此の間において、屍体に何等の処置が加えられたに相違ない。されば、喪かりのかりは、必ずしも喪あがりの約語でなく、離すことを&amp;lt;u&amp;gt;さかり&amp;lt;/u&amp;gt;と云うた。その&amp;lt;u&amp;gt;かり&amp;lt;/u&amp;gt;の意味であるとて、言外に屍体に加えられた処置なるものが、私が茲に云う截断と同じものであることを論じている。実に卓見として敬服させられたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
我国の古代に屍体を幾つかに截って埋めた民俗の在ったことは、伝説として各地に存している。こう言うと、それは支那の蚩尤伝説の輸入であると軽く斥けられるかも知れぬが、併し私としては、必ずしもそうだと許りは思われぬ点がある。茲に二三の伝説を挙げて、之に対する私見を述べるとする。屍体截断の最古のものとしては「崇峻紀」二年秋七月の条に、物部守屋の資人捕鳥部万の屍体を梟する状況を記して『河内国司、以万死状、牒上朝廷、朝廷下符偁、斬之八段、散梟八国』とあるが、それである。若し私をして、想像を逞うすることを許さるるならば、国史に載ったのは、僅に此一事だけであるけれども、国史に漏れた此の種の事実が、他に存したと云っても、決して無稽だとは考えられぬ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:人身御供.gif|thumb|人身御供と巫女（皿皿郷談所載）]]&lt;br /&gt;
而して更にこれを民間伝承に覓めんか、先ず最も有名なものとして誰でも知っているのは、奥州安達ヶ原の黒塚の伝説である。宮廷歌人であった平兼盛が『陸奥の安達ヶ原の黒塚に、鬼すむなりといふは誠か』と詠んでから、此の伝説は、専ら怪談として人口に膾炙されるようになってしまったが、これは当時の民俗として、妊婦が分娩に際し、その胎児を産出せずして死亡した場合には、妊婦の腹を割いて、胎児を取り出して埋葬する事が行われていたのを、居ながらにして名所を知るほどの歌人が聴きかじって鬼としたために、遂に怪談として伝わるようになってしまったのである。而して此の民俗は、アイヌ民族の間に近年まで行われたウフイと称するものと全く軌を一にしたものであって〔六〕、内地においても明治の中頃までは各地に行われたものである〔七〕。更に時代は降るが、陸奥国南津軽郡浪岡村大字五本松の加茂神社は、延暦年中に坂上田村麿が誅した女首悪路王の首を神体として祀り、隣村五郷村大字本郷の八幡神社は、同じ悪路王の片腕を祀ったもので、然もその神体は今に活きて損せずと云われているのや〔八〕、天慶乱に誅された平将門の首塚、胴塚、腕塚などが、東京を中心として各地に在ることなどは〔九〕、共に屍体を分割して埋めたことを物語っているのである。更に、丹波国北桑田郡周山村の八幡宮の縁起に至っては、此の伝説を最も詳細に尽している。社伝によれば、康平年中に源義家が安倍貞任の首を獲て帰洛し、これを埋める場所を占わしたところ、四つに截って東に山あり南に川ある池の四ヶ所に埋めよとの神託により、その地を覓めて同村に埋めたのであるが、猶お貞任の悪霊が荒びるのでそれを鎮めるために、宇佐八幡宮の分霊を勧請したのだと云うている〔一〇〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まだ、此の外にも、支解分葬の伝説は各地に存しているが、類例は別段に多きを以て尊しとせぬから他は省略するも、兎に角、我が古代で特種の屍体を截断した民俗のあったことは、事実として認めても差支ないように考えられる。勿論、此の事実の発足点が、怨霊を恐れた信仰に由来していることは言うまでもなく、時代の降るに従って、此の信仰は更に熾烈の度を加えて来たのであるが〔一一〕、後世になれば、流石に支解分葬というが如き野蛮の態度に出づることもなく、漸く往来の頻繁なる道の辻に埋めて、悪霊の分散を防ぐ程度になってしまったが、さて是れとても、その源流に溯って見るときは、此の支解の信仰の派生であることが知られるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して是等の惨忍なる仕事——即ち屍体を投棄したり截断したりする役目こそ、当時の巫女の職務のうちでも、殊に聖職として考えられていたのである。アイヌ民族に行われたウフイの主役は老婆であって、鎌を揮て妊婦の腹を割く有様は、凄絶を極めたものだと伝えられている。琉球の洗骨も、これに従事する者は女性に限られていて、然もこれとても凄絶眼を掩うばかりであったと云われている〔一二〕。優柔であるべき筈の女性が、此の種の任務に服することは、後世の知識から云うと、頗る矛盾していて、殆ど在り得べからざるように考えられるが、更に巫女史の立場から見るときは、これは一種の性の倒錯であって、女子に多くの神性を認めた時代においては、かかる惨忍事は女子の役目として、社会も認め、また女子自身もそれを許して来たのである。猶お巫女の性の変換及び倒錯に就いては、後章に記すところがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
霊魂と肉体との関係を、徹底的に二元と信じた原始期の思想が、一転して霊肉一元であるという思想を培うようになれば、今度は投棄した屍体を大切に始末する民俗を見るようになるのは、当然の推移である。而して此の思想を養うに至った原因は、種々存しているけれども、特に重要なる原因となったものは夢である。私は茲に原始民族における夢の俗信を記そうなどとは思っていないが〔一三〕、併し我国でも、古代にあっては、夢の信仰は相当に重大なる位置を占めていて、国家の大事を決定するに夢を以てした例証は尠くなく〔一四〕、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;現&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;つ神といわれる者にあっては、随時に夢を見ることの出来るように修養したのではないかとさえ想われる程である〔一五〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の夢において、霊魂の遊離を知った古代人は、その霊魂の宿る所は肉体であって、然も人間は死後にあっても肉体さえ保存すれば、夢の如く霊魂が再び還り宿るものと考えるようになり、かくて肉体を保存させるように導いて来たが、その結果は屍体を生ける人間と同じように待遇するまでになったのである〔一六〕。記・紀の神代巻の終り頃から、奈良朝の終りに至るまでの、所謂、考古学上の古墳時代というのが、その信仰の最も旺盛の期間であって、大規模の古墳を造り、石棺に斂め、殉死を強いるなど、極めて厚葬に努めたものである〔一七〕。而して此の時期——即ち屍体を投棄した時代から、屍体を生ける人間と同じと見た時代までは、霊魂の宿る所は墓地であって、これが祭祀は墓前においてのみ執り行われていたのである。前方後円式（別名を瓢型と云う）の墳墓が、後円部に霊柩を斂め、前方部が祭場に当てられたものであることは、考古学的にも説明されているが〔一八〕、更に民俗学的に言えば現在の名神・大社といわれる神社の付近には、その祭神を葬ったと思われるほどの古墳を伴っていることからも、此の事実の在ったことが裏付られるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記述がそれからそれへ脱線するが、墳墓を前方後円に築き、その形式を瓢型に作ったことは、古く我国において瓢は魂の入れ物と信じた民俗から出発しているのであって〔一九〕、神社の起原が古墳にあることは疑う余地はない。「神楽歌」に『奥津城にすめ神たちをいはいこし、心は今ぞ楽しかりける』とあるのも其の証で、古くは墳墓即神社であった。従って墓前祭が、社前祭に先って起り、然もその祭祀は巫女によって行われたことも明確である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;二、霊魂の神への発達と巫女&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;万有精霊&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アニミズム&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;時代にあっては、総ての霊魂は神として崇拝されていたが、霊魂に善霊と悪霊とあるものと信ずるようになって、茲に崇拝の分裂が生じ、更に善霊中に神格を認め、悪霊中に魑魅を考えるようになれば、霊魂は悉く神ではなくして、その中の一部しか神となるべき資格の無いものと想うようになり、茲に信仰を教理的に解釈するまでに進んで来たのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
我が古代で霊魂——即ち善霊を神にするのに就いて、如何なる形式が行われたか、それは今から稽うべき手懸りすらない。現代の習俗を基礎として、手近な例を挙げれば、菅原道真が薨去したのを、天満宮と祭りさえすれば、それで昨日の人は今日の神となるという、極めて簡単なものにしか過ぎぬが、此の例を以て古代を推すことは妥当でないと信ぜられるが、さりとて他にこれを説明すべき資料は寡聞に入らぬのである。然るに、琉球においては、霊魂が神にまで発達するには、相当の歳月を要し、併せて複雑なる形式を履んだようである。「東汀随筆」第六回に左の如き記事が載せてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 第七　人家七世に神を生ずる事&lt;br /&gt;
: 我国（中山曰。琉球）古来の習俗として、人家相継して七世に及べば、必ず神を生じて尊信す。其神は只二位を設く、蓋し祖老以上始祖に至るの亡霊を以て神とするなり。而して親族の女子二名を以て、神コデと称し、之を任ぜしむ。一名はオメケーオコデとなし、一名はオメナイオゴデとなし（原註。方言、男兄弟をオメケーと云い、姉妹をオメナヒと云う）、其神を祭る一切の事を掌る。其祭祀は、毎年二月には麦の穂祭と称し、麦の穂を薦む。三月には麦の祭と称し、酒香{酢下灬}脯を薦む、五月には稲の穂祭と称し、酒香{酢下灬}脯を薦む。亦族中課出金を以て祖考祖妣の神衣を製し、祭祀毎に神コデ二人之を着て神を拝祭す。三月五月の祭には、族中の男女尽く来り、香を焚き礼拝す、コデの酌を受く。而して神の生ずる期月、三年の期月、七年の期月、十三年の期月、二十五年の期月、三十三年の期月には、酒香{酢下灬}脯{麥繞井}餅を具へて以て之を薦む。其費用悉く族中課出をなす。三十三年の期月を畢れば、其翌年復神を生じ、及び期月毎に祭礼すること旧の如し。其コデの任命は専ら祖宗神霊の命ずる所に因る。予め祖宗の神霊あり、其コデと為すべき者及び巫婦の身に附着して言語をなし、或はコデと為るべき者疾病をなし、其女コデとなることを御請すれば即ち癒ゆ。是を以てコデと為ることを得る。コデは終身の職となす。死するときは即ち其後任を選ぶこと復此の如し。故にコデ職は自ら命ぜられんと欲るも得ず、自ら免れんと欲するも得ざるものとす云々（以上片仮名を平仮名に改め、句読点を加えた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の記事は種々なる意味において、関心すべき多くの暗示を与えているが、殊に七世にして神を生ず（或は支那思想の影響かとも思うが、私の学問の力では判然しない）と云うことは、即ち霊魂が神となる過程を説明するものとして考えたい。而してかかる民俗が、古く内地にも存していたか否かに就いては、私は何等の耳福にも接していぬので余り明白には言えぬけれども、これに就いて思い起されることは、土佐国長岡郡の豊永本山等の山村に行われた&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;御子神&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコカミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を祭る神事である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
茲に「御子神記事」により、その要領を摘記すると、同地方の神職その他の者で、先規に従い、御子神を祭っている家筋がある。その家では人が死んでこれを御子神に祭ろうとするときは、これを旦那寺に断り、亡父何右衛門事先例を以て後年神に祭る故過去帳に御記しくだされまじくと言って置く。又、当時この断りをせざりし者は、三年忌或は七年忌法事の節、此の者先例を以て今日より神に祭るを以て、過去帳の法名御消しくだされと断り、位牌を墓所へ捨てるのである。位牌を捨てなければ神になることは出来ぬ。かくて愈々神に祭るのは、その年十一月氏神祭の日、神事の済んだ後で、今日は是より何右衛門を神に祭るといえば、子孫血縁の者が皆集り、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;村長&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ムラオサ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を上座に招ぎ、太夫（中山曰。神職なり）二三人又は四五人を頼み、その中の一人を本主の太夫と定め、白幣を振りてタテ&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;食&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;クラ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;えという儀式を行うのである。在生中に正直を第一として悪事を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巧&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;たく&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;まぬ人は、ただ一度のタテ食えにて早速神の座に直るが、不正直であって謀計多かりし者は、タテ食え五六度に及ぶも猶お神の座に直らぬこともあるが、その時は先ずこれ迄として置くのである。それより更に本主の太夫へ神を&amp;lt;u&amp;gt;のり&amp;lt;/u&amp;gt;移すと称して、何やら舞を舞っていると、やがて託宣がある。曰く是より内は木ノ葉の下のオボレ神にてありしが、大小氏子心を揃え今日伊勢のミコが瀧へ請じられ、ホウメンをさましてやあら嬉しやと云う。答えに大小氏子を揃えホウメンをさまします。大の氏子小の氏子悪事災難来り候とも払いのけてちがえ守らせ給えと云い、やあら嬉しや嬉しやと舞う。御子神には名は附けぬが、其の者子ノ歳ならば子歳の御子神、丑ノ歳なれば丑歳の御子神と唱え、年忌盆彼岸にも祭らず、ただ氏神祭の日に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;作初穂&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツクリハツホ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を出し神楽を舞ってもらうだけである（以上。土佐群書類従巻十所収）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
土佐の此の記事を読んで、更に琉球の民俗を考うるとき、何となく、その間に、一脈相通ずるものが在るように思われる。勿論、土佐のそれは、仏教や修験道の影響を多く受けていて、その元の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;相&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;すがた&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;は判然せぬまでに雑糅しているけれども、仔細にその神事を検討すると、琉球と同じく、霊魂の神への進化の過程と、儀式とを説明していることが、会得されるのである。而して斯うした場合にその神事の中心となった者が巫女であったことは、改めて言うまでも無いことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
霊魂が神へ進化するということは、他の語を以て云えば、即ち霊魂が神の国（ここでは黄泉国よりは高天原の意）へ安住することを得たという意味である。而して此の霊魂を安住の国へ導くことが巫女の職務の一つであった。記述が伝説から仮説へと脱線するようで少しく恐縮する次第であるが、全体、我が古代にあって、人が死亡した折に、霊界に在る祖先に対して、此の死人はその子孫であるということを、如何なる方法を以て証明したか、それを考えて見たいと思う。ずっと後世になれば、旦那寺から授ける血脈なるものが、此の代用を弁じているのであるが、古代にもこれに似通った信仰が在りそうに思われる。勿論、仏教の血脈信仰の影響を受けたものに相違ないが「熱田旧記」に熱田宮の神詠として『彼の世にていづくの人と問ふたらば、熱田の宮の者と答へよ』とあるのは、神詠に仮託した後世の俗歌ではあるけれども、こうした信仰は我国にも存したところが、決して不思議ではないのである。我国におけるトーテムの研究が進んでいれば、此の種の問題も容易に解決されることと思うが、これは当分研究されそうにも見えぬので〔二〇〕、いやが上にもその解決に困難を感するのであるが、併し私に強弁することを許さるるならば、我国の家紋の起原は、実に此の信仰と交渉を有しているのではないかと考えたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アイヌ民族の間に行われている&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神標&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カムイシルシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の信仰は、極めて神聖なるものであって、家長以外には絶対に知らせぬ事として、今に厳重に秘密を守り、家長が死ぬときに始めて相続人に告げ知らせるほどの大切なものであるが、然もその&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神標&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カムイシルシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;とは、死者に持たせてやる其の家の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;合標&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アイジルシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;であって、アイヌは死人が出来ると、急いで家々に伝わる&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神標&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カムイシルシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を木の板に彫り付けて死者の肌に付ける。これさえ持って往けば、霊界において祖先が己れの子孫であることを知って保護してくれると信じているのである〔二一〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而してこれに似た思想は、南嶋の極地である琉球の与那国嶋にも現存していて「与那国嶋図誌」によると、『嶋の家にはそれぞれヤーハンといふものがあつた。蓋し「家判」の意であらう。それは家紋よりもずつと広い意味に用ゐられた。一方では屋号でもあり、又その家を表示する記号でもあつた。以前は郵便物を配達するにも一々ヤーハンを封筒に記入して配つたといはれてゐる』と載せてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これ等のことを併せ考えるとき、我国に行われている&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;輪鼓&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;りゅうご&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;や&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;入山形&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;いりやまがた&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;などという家々の記号も、その元の形はこうした思想をも含めていたもので、これが始めはアイヌの&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神標&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カムイシルシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;のようなものではなかったかとも思われる。そして此の記号の意匠化されたもの、図按化されたものが、現時の家紋であると信じている。胎児の胞衣に父の紋所が現われるという俗信も、又これと交渉があるのではないかと考える。而して是等の合標を工夫したり、又は合標を死者に与えることが、巫女の職務の一つであったに違いない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死者が果して神の国に安住したか否かを、知る——と云うよりは占う方法は、古くから種々なる民俗が伝えられている。これも後世になると仏教に附会されてしまって、成仏の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;印&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;しるし&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;とのみ解釈されているが、その方法の如何にも原始的であるところから推すと、却って我が古俗が仏教に取り入れられたものと思われるのである。而してその方法として、殆んど全国的に行われたものは、死者を葬りし際に、墓の上に青竹を三本サギチョウ型に立てて結び、その中央から縄を下げその先端に石を付けるのであるが、此の縄が自然に腐朽して石が池上に落ちたときが、その死者の神となったときであるという民俗である。更にこれを産婦の死の場合には、流れ灌頂とて、俗にサイミと称する麻の粗布へ名号を記し、これを竹にて低く四方に張り、通行の者に水をかけさせ、その布が腐れて穴が明けば成仏したというのが、それである。元より私の寡聞かは知らぬが、かくの如き原始的民俗は、仏教の渡来などよりは迥かに古き時代から在ったものと思われるので、その起原は巫女が死者を取り扱うた時分に工夫したものだと信じたいのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
琉球の各地では今に死人があると、四十九日目にマブイワカシということをするが、これに就き故佐喜真興英氏の記された「シマの話」によると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 七々日までは亡者はまだ現世に残ると信じられ、嶋人は毎度食事を供え、仏間に亡者の衣類を畳んで置いた。四十九日の供物をうけ亡者は完全にあの世に行くと考えられた。四十九日の晩マブイワカシ（霊魂別れ）という儀式が行われた。ユタ（中山曰。内地の市子）が来て亡者の口寄せを為し、生者と別れを告げるのである。亡者の告別の辞は固より種々雑多であるが、その内容は略同一で、何故に自分は死ななければならなかったかという運命物語がその前半で、さればこれこれ云々の事をよろしく頼む、いざさらばというのがその後半であった（中略）。古くは此のマブイワカシの儀式は、非常に重大なる意味を持って居ったが、嶋人の知識が漸次進むに従ってユタの信用が薄くなり、マブイワカシも次第に形式化して来た云々（炉辺叢書本）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのは、蓋し我が古俗を貽したものと考える。今に内地の各村落でも、死人があると、初日に市子を頼んで死口を寄せてもらうことのあるのは、彼之共通の信仰を物語っているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;三、社前祭と巫女の職務&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神に対する観念が固定するにつれて、神を祭る場所も固定した。これが即ち神社の起原である。併しながら、我国の神々は、常には高きところに坐して、人の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;祈&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;コ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;いにより（又は突然に）、或は定時に、或は臨時に、此の世へ降って来るのであった。それと同時に、我国の神々は、分霊ということには殆んど無関心であって、一神が百にも千にも分霊するという思想は、古文献にも、原始信仰にも、曾て存していなかったのである。それであるから、我国の神社は、神が降って来たときだけ宿るところであって、神は何時でも社殿の奥に坐するものではないのである。換言すれば、如在の神であって常在の神ではないのである。祭礼の民俗に宵宮があり、祭祀の儀式に帰神の神事があるのは、よく此の事象を説明しているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
然るに神社が固定するにつれて、巫女の社会的地位は、それと比例して、段々と低下せざるを得ぬようになって来た。これは、神がその時々に巫女に憑って託宣をして祭らせたものが、日時と場所が一定するようになれば、一方において男子の神職が用いられるようになり、一方においては巫女の本来の職務は、これが為めに大半まで失うこととなるので、低下すると同時に、軽視されるようになるのは、止むを得ぬ次第であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば「尾張国風土記」逸文の丹波郡の条に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: &amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;吾縵郷&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アヅラノガウ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;は、巻向珠城宮に御宇しし天皇{○垂/仁帝}の御世、品津別皇子生七歳になるまで、語とひしたまはず。あまねく臣たちに問はすれども、能くそのよしを申すものなかりき。その語、皇后の夢に神の告ありて曰く、吾は多具国神、名を阿麻乃禰加比女と曰ふ。吾れ未だ&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;祝&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ハフリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を得ず、若し吾が為めに祝人を充てば、皇子能くもの言ひ、亦み寿ながからむと申す。帝、神&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;覓&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;マ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ぐ人を卜とひ玉ふに、日置部等が祖、建岡君&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;卜食&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウラア&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;へり。即ち神を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;覓&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;マ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;がしむる時に、建岡の君、美濃国花鹿の山に到り、賢樹の枝を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;攀&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヲ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;りて、縵を造りて&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;誓&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ひまをさく、吾が縵の落ちむ処に、必ず此の神まさむと云へり。縵去りて&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;此間&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ココ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に落ちぬ。乃ち神ますことを識りき。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;因&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;れ社を堅てり。社に由りて里に名づく。後の人訛りと阿豆良里と言ふ〔二二〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるが、これが一段と古いところに溯れば、此の祝は当然巫女で無ければならぬのに、かく覡男が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;卜食&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウラア&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;うことは神社の固定が神の観念の固定から出発し、併せて覡男が巫女に代る様になった事を暗示しているのである〔二三〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうなれば神社における巫女は、祭神の朝夕の御饌を供えるとか、神衣の世話をするとかいう、極めて軽い職務にしか与からぬようになり、（宮中の御巫に就いては[[日本巫女史/第三篇|第三篇]]に述べる）延いて社前祭にあっても神楽を奏するか、湯立をするか、その役割りは是また軽からざるを得ぬようになってしまって、纔に伊勢の斎宮、賀茂の斎院に、古い面影を留めるまでになり、遂にその結果は、多くの巫女は神社を離れて、古き伝えの呪術を以て世に処すようになったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 〔註一〕 : 平田篤胤翁は、神社神道を国体神道に引き揚げるに急であった為めに、どちらかと云えば、多分に原始神道の面影を残しているものを、鈴振り神道の、乞食神道のと賤めているなどは、其の一例である。現代の神道観にも、特に発生的方面を忘れて、発達的方面ばかり説く傾きがあるが、それは決して穏当だとは思われない。&lt;br /&gt;
; 〔註二〕 : 雑誌「民族」の第二巻第五号に載せた伊波普猷氏の「南島古代の葬儀」及び同誌次号の「南島古代の葬儀補遺」に、琉球の墳墓のことが詳記してあるが、殊にヌバカ（野墓）の如きは、全く古代の奥津棄戸を偲ばせるものがある。而して斯かる民俗は、内地においても、近世まで各地に存していた。「出羽国風土略記」に載せた「みさき」という葬法は、山林中へ屍体を投棄するのである。更に「阿波志」にある麻植郡宮島村の極楽壙の如きも、又た俗に「投げ込み」と称する埋め方であった。&lt;br /&gt;
; 〔註三〕 : 「増補語林倭訓栞」。而して羽振りの意に解したのも古いことで、「万葉集」にもその証歌と見るべきものが三四載せてある。&lt;br /&gt;
; 〔註四〕 : 山本信哉氏から承ったところである。猶お同氏の研究によると、信州の姥捨は小泊瀬（ヲハツセ）の訛語であって、古く墓地だとのことである。卓見として敬服すべきものと考えている。&lt;br /&gt;
; 〔註五〕 : 従来の学説によれば、神話が元となって民俗が起るものだと云われていたのであるが、現今では此の反対に、民俗が在ったので神話に反映したのだといわれている。私も此の説に従って、民俗と神話との関係を見ているのである。&lt;br /&gt;
; 〔註六〕 : 「アイヌの足跡」に此の事が詳記してある。これによると、気丈夫な老婆がそれに当るのであるが、老婆は葬礼が済むと、鎌を以て妊婦の腹を割き胎児を引き出すが、惨状目もあてられず、老婆の着衣は血で染まるとある。然も此の野蛮事は、明治の終り頃まで行われていた。私は安達ヶ原の鬼とは、此の民俗の伝説化であると考えたので、管見は「東北文化研究」第二号の余白録に投じて採録されている。&lt;br /&gt;
; 〔註七〕 : 私の宅に五ヶ年間行儀見習に来ていた磐城国石城郡植田町生れの松本かう子の談に、姉が難産のために入院したが、その時親戚の者が集って、若し死亡したら胎児を引き出して、それを母に抱かせて葬らなければならぬと相談したことを聴き、同地方には昔から斯うした習俗のありしことを語ってくれた。更に学友長山源雄氏が来宅されたときの談話に、氏の郷里なる愛媛県地方では、その場合には胎児を引き出し、亡母と背中合せにして埋葬すると聞いているとのことであった。而して是等の習俗がアイヌ族のウフイに交渉あることは言うまでもない。&lt;br /&gt;
; 〔註八〕 : 「浪岡名所旧跡考」。&lt;br /&gt;
; 〔註九〕 : 雑誌「旅と伝説」第三巻十一号に掲載した拙稿「将門神社考」は極めて粗笨のものであるが、此の問題に触れている。敢て参照を望む次第である。&lt;br /&gt;
; 〔註一〇〕 : 「京都府北桑田郡誌」。&lt;br /&gt;
; 〔註一一〕 : 我国の怨霊崇拝は、平安朝時代が最も猛烈を極めていた。これは同時代の文弱が、天下を挙げて神経衰弱時代たらしめた結果であって、就中、その代表的のものは、菅公を北野神社と祭ったことである。併して此の怨霊崇拝は、明治時代まで継続したのである。&lt;br /&gt;
; 〔註一二〕 : 琉球の石垣嶋測候所長を三十余年間勤続している岩崎卓爾翁が、私に語った所によると、昔同島では、死者の埋葬後三年目に洗骨をするのが常規となっているが、若し此の三年間に死亡者があると、前の死亡者が一年か一年半しか経過していなくとも、洗骨しなければ新な亡者を墳墓に斂めることが出来ぬ習俗なので、まだ生々しい亡者の洗骨をするのであるが、実見した岩崎翁の言うには、それは眼を掩うばかりの惨忍事で、女子達は手に包丁とか鎌とか携えて、屍体を引き出して、骨に付いている肉を削り取り、それを申訳ばかりの酒（水一升に酒一合ぐらいのもの）で洗うのだが、残酷と臭気で堪えられぬと言うことであった。&lt;br /&gt;
; 〔註一三〕 : 夢で古代人が肉体の外に霊魂のあると信じたことは、先覚も説いているが、それと同時に、高熱のある病気も又た錯覚や幻聴を起させるもので、これにより霊魂が自己の身体から抜け出ることのあるという俗信を得たことも注意せねばならぬ。&lt;br /&gt;
; 〔註一四〕 : 「日本書紀」に崇神帝が、夢によって太田々根古をして大物主神を祭らせたこと、及び同帝が豊城、生目の二皇子に命じて夢を見させ、それを判じて皇太子を定められたことなどを始め、国家の大事を夢によって決定した事例は頗る多く存している。古代人にとっては、夢は神人交通の方法として、殊に重大視せられていたのである。&lt;br /&gt;
; 〔註一五〕 : 我が古代の権力者が臨時に夢を見ることの出来るよう修養されたのではないかと論じたのは、心理学者の小熊虎之助氏の創見にかかるところで、氏は「心理学研究」誌上において、此の事を説かれている。&lt;br /&gt;
; 〔註一六〕 : 私が改めて言うまでもなく、死後の生活を信じたればこそ、棺内に死者の手廻りの道具を入れてやるとか、更に経帷子を着せてやるの、杖を持たせてやるのという俗信は、皆これから起ったもので、墓参りなども、又この俗信によるものである。&lt;br /&gt;
; 〔註一七〕 : 殉死の蛮習が我が古代に在ったか、無かったかに就いては、今に定説を聞かぬところであるが、私は存在説を主張する者で、現在では記録や伝説ばかりでなく、考古学的に遺物の上からも説明出来ると考えている。&lt;br /&gt;
; 〔註一八〕 : 梅原末治氏著の「佐味田及新山古墳の研究」にその事が論じられている。&lt;br /&gt;
; 〔註一九〕 : 瓢が魂の入れ物であるという俗信に就いては、柳田国男先生が「土俗と伝説」第一巻第二号から連載された「杓子の信仰」に詳説されている。参照を乞う。&lt;br /&gt;
; 〔註二〇〕 : 我国におけるトーテムの問題に就いては、余り学界の注意を惹いていぬが、私はこれに就いて短見を発表したことがある。拙著「日本民俗志」に収めた「本邦に於けるトーテミズムの考察」がそれである。&lt;br /&gt;
; 〔註二一〕 : アイヌに生れて和歌をよくした故違星北斗氏から承った。猶お此の機会に言うが、アイヌ民族は立派にトーテムを有していて、今にその信仰を貽している。而して違星氏の談によれば、そのカムイシルシを見ると、本家、分家、新宅などの関係がよく判然し、更に溯ればその家々のトーテムまで判明するとのことであった。故違星氏は、手宮駅頭の古代文字と称せらるるものは、アイヌのカムイシルシであるとて、此の研究にも手を着けられていたのであるが、完成せぬうち宿痾のために不帰の客となられたのは遺憾のことであった。&lt;br /&gt;
; 〔註二二〕 : 大岡山書房から発行された「古風土記逸文」に拠った。猶お此の仮名交り文は、栗田博士の旁訓を移したものであることを付記する。&lt;br /&gt;
; 〔註二三〕 : 「肥前国風土記」の基津郡姫社郷の条に、これと同巧異曲の文が載せてあるが、これも巫女の勢力が漸く劣えて、男覡がこれに代った傾向を知るべき史料である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:中山太郎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%83%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%80&amp;diff=1351</id>
		<title>トーク:日本巫女史/第一篇/第七章/第二節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%83%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%80&amp;diff=1351"/>
		<updated>2010-09-11T09:34:25Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 「源兼盛」→「平兼盛」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.259&lt;br /&gt;
** 「神の方からいへは」は、正しくは「神の方からいへば」であろうと思われるので適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.264&lt;br /&gt;
** 「加えて来たのであるが〔一一〕」直後の句点は、正しくは読点ではないかと思われるので修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.266&lt;br /&gt;
** 「説明されているが〔一八〕」直後の句点は、正しくは読点ではないかと思われるので修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
** 「出発しているのであって〔一九〕」直後の句点は、正しくは読点ではないかと思われるので修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.274&lt;br /&gt;
** 註二「屍体を投棄するのである」直後の読点は、正しくは句点であろうと思われるので修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.275&lt;br /&gt;
** 註九「此の問題に触れている」直後に句点の欠けている箇所があるので適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.276&lt;br /&gt;
** 註十二「一年半した」は、正しくは「一年半しか」であろうと思われるので適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
** 註十四「重大視しられていた」は、正しくは「重大視せられていた」であろうと思われるので適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.276, 277&lt;br /&gt;
** 註十六「経帷子を着せるてやるの」は、正しくは「経帷子を着せてやるの」であろうと思われるので適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.261&lt;br /&gt;
** 「民間語原説」の振り仮名を「エスモロギー」から「エティモロジー」((folk) etymology) に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年2月8日 (日) 15:41 (JST)&lt;br /&gt;
*** [[wikipedia:民間語源]]&lt;br /&gt;
* 「源兼盛」→「平兼盛」--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年9月11日 (土) 18:34 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.261&lt;br /&gt;
** 「民間語原説」は、正しくは「民間語&amp;lt;b&amp;gt;源&amp;lt;/b&amp;gt;説」であろう。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年2月8日 (日) 15:41 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.270&lt;br /&gt;
** 「図按化」は、正しくは「図&amp;lt;b&amp;gt;案&amp;lt;/b&amp;gt;化」であろう。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年2月8日 (日) 23:37 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
* 底本 p.261&lt;br /&gt;
** 「言&amp;lt;左&amp;gt;敝久 百濟之原従 神葬 々伊座而 朝毛吉 木上宮乎 常宮等 高之奉而 神随 安定座奴」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?02/0199 万葉集 2-199]）--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
*** 「定め奉りて」ではなく「高く奉りて」となっている。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
** 「朝裳吉 城於道従 角障經 石村乎見乍 神葬 々奉者」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?13/3324 万葉集 13-3324]）--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.262&lt;br /&gt;
** 「劔刀 磨之心乎 天雲尓 念散之 展轉 土打哭杼母 飽不足可聞」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?13/3326 万葉集 13-3326]）--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.274&lt;br /&gt;
** 註二: メモ: 「みさき」という葬法に関して言うならば、たとえば高知などにみられる、変死者が悪霊たる「ミサキ」に変貌する（たとえば、縊死＝「ツナミサキ」、焼死＝「ヒノミサキ」など）という俗信との関聯が気になる。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 00:35 (JST)&lt;br /&gt;
* 拾遺和歌集(雑)「陸奥の安達の原の黒づかに鬼こもれりと聞くはまことか」&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
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		<title>Docs:談話室</title>
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		<updated>2010-06-17T16:07:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ここでは、サイトの運営に関する話題や、&lt;br /&gt;
個別のページでは扱えない広い話題を扱います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 談話室 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
気軽な雑談・相談用にお使い下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;comments /&amp;gt;&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* Mac OS X 10.6 に付属の日本語インプットメソッド「ことえり」にて「うねめ」を漢字変換すると「[[find:釆女|釆女]]」となり、本文中の「[[find:采女|采女]]」に検索がヒットしないという問題を発見。なんだこれは…。(恐らく「ことえり」側の問題) --[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月16日 (水) 00:41 (JST)&lt;br /&gt;
** もしかして機能 (のフェイク) にて逃げ。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月18日 (金) 01:07 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* ページの更新にかかる時間を大幅に短縮できたと思います。(やれやれ…)　技術的な面については[http://macwiki.sourceforge.jp/wiki/index.php/MacWiki:MediaWikiのインストール#.E5.85.A8.E6.96.87.E6.A4.9C.E7.B4.A2.E3.81.AE.E6.A9.9F.E8.83.BD.E6.94.B9.E5.96.84_.28experimental.29 こちら]を参照ください。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年9月29日 (火) 10:55 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 「日本巫女史」中、「じゅず」に「数珠」と「珠数」の表記の揺らぎがあります。「数珠」に統一すべきかも知れません。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年8月28日 (金) 01:11 (JST)&lt;br /&gt;
** この辺についてはたちゃなさんの判断に譲ります。 --[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月1日 (火) 00:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
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		<title>釆女</title>
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		<updated>2010-06-17T16:04:46Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: ページの作成: &amp;lt;span style=&amp;quot;color:red&amp;quot;&amp;gt;もしかして:&amp;lt;/span&amp;gt; 采女&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;span style=&amp;quot;color:red&amp;quot;&amp;gt;もしかして:&amp;lt;/span&amp;gt; [[find:采女|采女]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
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		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AF%80&amp;diff=1347</id>
		<title>日本巫女史/第一篇/第一章/第三節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AF%80&amp;diff=1347"/>
		<updated>2010-06-17T15:54:10Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 第三節　巫女教としての原始神道 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[日本巫女史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第一篇|第一篇　固有呪法時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第一篇/第一章|第一章　原始神道に於ける巫女の位置]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第三節　巫女教としての原始神道==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
我国の原始神道が巫女教であったことは、神道発達史から見るも、古代社会史から見るも、更に巫女史から見るも、民俗史から見るも、疑うべからざる事実である。私は此の事に就いて記述したいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
我国の原始神道を説く者で、少しく我国と周囲民族との交渉を知る者は、殆ど言い合わせたように、アジアの北方民族の間に発生し暢達したシャーマン教との関係を言わぬ者はない。併し、我国の原始神道とシャーマン教との関係を学問的に考察して、これを早く我が学界に紹介したのは、故山路愛山氏であった〔一〇〕。これに就いて、愛山氏は実に左の如く述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:咸興巫女.gif|thumb|朝鮮咸鏡南道咸興の正装せる巫女（孫泰晋氏撮影）]]&lt;br /&gt;
: シャマンと云うのは、満洲の昔、即ち女真の時代に、女の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;のことを云ったのであります。今の満洲語でも同じです。それから言葉の意味が移って、今の満洲では神を代表させる杆を矢張りシャマンと云います（中略）。斯ういう次第で、シャマン教と云うものは&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;女巫&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の教えであって、神杆を立てて神を祭ることが特色である。然るに日本の昔でもその宗教は矢張り女巫の宗教でありました。そうして多少の変化はありますけれども、矢張り満洲のように神杆を用いたと思はれる形跡が無いではありませぬ。&lt;br /&gt;
: 今先ず日本の教えがシャマニズムと同じように、女巫の教であったと云うことを申上げます。日本では、昔は神主は多く女でありまして、男は少のう御座いました。それ故に斎主を斎姫とも云います。中頃になって、支那の文明を採用し、日本の文明が段々支那流になって来ましたが、それでも女巫の宗教であった時代の遺風として、其時代にも&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;御巫&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミカンナギ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云うのは女でありまして、娘で神を祭る事が出来る資格の者を採ったのであります。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;祝&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ハフリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云うのは神主のようなものであるけれども、これも中世までは女が多く、祝と&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;禰宜&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ネギ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;とを一つの社に並べて置いた時も、祝も禰宜も女の方が男よりも多う御座いました。中古でさえ此位であったから、其昔に於いて女が多く宗教に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;携&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;たずさ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;わったことは勿論のことであります。故に大昔には猿女君などと云つて、女を以て神に事えることを職とした種族もあった。天朝でも、天照大御神を祭り、大国魂神を祭るのは、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;皇女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヒメミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の御役であった。胸肩神と云うのが九州にありますが、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;采女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウネメ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を遣って其祭を助けさせたことが、古い書物に書いてあります。神に事える女を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カンナギ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云い、男性で神に事えるのを&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;男巫&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヲカンナギ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云い、始めは神に事える者は巫と云えば女性であると云うことが分り、男で神に事える者の方は後になって出来たゆえに、男と云う字を附けて男巫と云うようにして、男女を分ったと云うことを考えると、言葉の上から言っても、日本は始めは女巫の宗教の国であったと云うことが明白ではありませぬか。斯様に女性が宗教を掌るのは日本ばかりではない（中略）。地理の上から言うと、日本、朝鮮、満洲、蒙古と、地続きで何れも女巫の世界でありました。私は此事実に拠つても、斯う云う国は何れも女巫の宗教を信ずる国であったと云うことを断定するに足りると思う云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に山路氏は論旨をすすめて、（一）シャマンの祭儀（神杆を樹て、鈴を用いることなど）と、我国の神道の祭儀との共通を説き、（二）シャマンの宇宙観が、天、地、下界と立体的の三層にあることが、同じく我が神道の高天原、顕国、黄泉国と三界に言うのと一致するを明にし、（三）三神を一組にして崇拝する事が日韓満共に同源から出たこと等を挙げて、シャーマン教と原始神道との関係、及び原始神道が巫女教であった事を詳細に論じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山路氏は生前野史国士を以て自ら任じ、他も許した人だけに、此の種の文化現象を専門に研究している者から見ると、論旨が大&amp;lt;u&amp;gt;まか&amp;lt;/u&amp;gt;で観察も多少藪睨みのところがあるのは免れぬが、それにしても、当時にあって、専門外の同氏が早く此の点に着眼したことは、氏が凡庸の史家でなかったことを証拠立てると同時に、永く此の研究の権輿者たる光栄を荷うものである。私が長々と氏の講演を引用したのも、生前に知遇を受けていたばかりでなく、全く此の微意に外ならぬのである。而して最近になっては鳥居龍蔵氏を始め、上田万年氏、白鳥庫吉氏を重なるものとし〔一一〕、此の外にも多くの研究者を出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:蘇塗.gif|thumb|朝鮮にて神祭に建てる蘇塗（孫泰晋氏撮影）]]&lt;br /&gt;
原始神道が巫女教であったことは、山路氏の研究でその要領は尽きているのであるが、併し私は此の研究の総てを無条件で受け容れる者ではない。成る程、我国の原始神道は、山路氏の言われた如く、（一）地理的に見てシャマニズムの圏内に入るものであろうし、（二）教理的に見て共通の点が多くあるし、（三）祭儀的に見て類似の形式が尠くないことだけは異存もないが、これより一歩すすめて、原始神道は直ちにシャマニズムなりと言うに至っては、私としては如何にするにも承認することが出来ぬのである。専門外の研究ではあるが、現存の学者中にも原始神道即ちシャマニズムと考えている者も少くないようであるから、此の機会を利用して私の考えているところを述べるとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私がシャーマン教に就いて有している知識は、誠に恥しいほど稀薄のものではあるが、その稀薄なる聞見から言うも、第一は我国の巫女は教義の基調を祖先崇拝に置いているのに、シャーマン教の巫女は、全く祖先崇拝と交渉を有していない点である。我国の巫女を通じて託宣する神の多くは祖先神（始めは氏神であったのが、後に社会組織の推移につれて&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;産土&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウブスナ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;神となった。これに就いて後段に記述する）であるが、シャーマン教の巫女に憑くものは、祖先神でなくして、遊離している一種の精霊にしか過ぎぬようである。第二は我が原始神道における巫女の多くは、直ちに神として崇拝され（又巫女自身もかく信じていた）ていたのであるが、シャーマン教の巫女は、どこまでも精霊と人間との間に介在するものであって、決して神として崇拝されていない。第三は巫女となる形式上の手続きにおいて、両者の間に相違がある。家の娘が母の後を承けて巫女となるに就いては、彼我共に共通の相続を以てしたようであるが、実際の娘以外の女性（親族または弟子）が巫女になって跡を継ぐには、彼にあっては山中にある鏡を拾い得ることを条件とするに反し、我にあっては、多く発熱して、神懸り状態の症状となることが要件になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上の三点は、その重なるものに過ぎぬが、更に此の理由から派生したものとして、巫女の神祇観において、巫女が行う呪術の方法において、更に巫女の性的方面の作法において、彼我の間に相違するものが相当に存しているのである。而して最近の研究によれば、シャーマンと云う語義、及びシャーマンの有せる宇宙観の如きも、果して彼れ独特のものか否かさえ判然せず〔一二〕、従って我が原始神道の世界観の如きも、シャーマニズムよりも、寧ろ仏教の教理に負うのではないかと云う説あるにおいては、猶お今後の研究を俟つべきものが多いのである。私は原始神道がシャーマン教によく似ていると云うのならば異議はないが、これより進んで全く同じだと云うに対しては、到底左袒することが出来ぬのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
併し斯く言うものの、私として決して我が原始神道を巫女教にあらずと主張する者ではない。その点に就いては、山路氏よりは更に幾倍して、巫女教であったことを高調する者である。畏きことながら、天照神の高きを以てしても、新嘗をなされたのは、御女性であらせられたためである〔一三〕。更に溯って言えば、我国の最高神である日神が女性であるのは、女子が神の極位を占むべき国柄であったためである〔一四〕。賀茂建角身命の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ムスメ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;が玉依媛と称して、賀茂別雷命を生んだのは、即ち玉依媛は&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;魂憑&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タマヨリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;姫であって〔一五〕、一般の女性が巫女としての神人生活を送られていた事を暗示しているのである。神武帝の御母后が同じく玉依姫と称された事も、亦此の事を考えさせるものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して崇神帝が皇女豊鍬入姫命を以て、伊勢皇大神宮の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;御杖代&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミツヱシロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;となし給うて斎宮の制を立て、爾来、歴聖が御即位と共に皇親の女性を以て斎宮となし、七十余代に及んだのも、更に嵯峨帝が皇女有智子内親王を以て賀茂の斎院となして範を垂れ、同じく三十余代を続けたのも〔一五〕、共に神に仕えるは女性に限られた古代の聖規を伝えたものである。神武朝に道臣命に勅して神を祭らせし折に、特に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;厳媛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イカシヒメ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の名を賜ったのもこれがためで〔一六〕、今に神社または民間に於ける祭事に、男性が女装して勤めるのも〔一七〕、亦古き教䡄を残したものである。神功皇后が、畏くも国母の身を以て、躬から神の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;憑&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;り&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;代&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;となられたのも、勿論皇后が女性であらせられた為めである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山路氏も言われた如く、女祝、女禰宜こそ、我国の聖職であって、男子がこれに代ったのは、寧ろ変則であった。前掲の梁塵秘抄に『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;東&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アヅマ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;には女はなきか&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;男巫&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヲトコミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、さればや神も男には憑く』とあるのは、その変則を詠じたものである。而して此の女性が即ち巫女であったのであるから、我国の古代は女性が祭祀の中心であり、その神道が巫女教であったことは明確なる事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 〔註一〇〕 : 山路氏が主宰した「独立評論」に連載したものを、後に「山路愛山講演集」第二に収めた。今は講演集に拠った。&lt;br /&gt;
; 〔註一一〕 : 鳥居氏は多くの著書において、上田氏は神道談話会、白鳥氏は東洋文庫講演会において、共に高見を発表されている。茲に一々それを記述することは出来ぬけれども、いずれも大家の説とて傾聴すべきものである。&lt;br /&gt;
; 〔註一二〕 : 白鳥庫吉氏の講演で、此の事を聴いた。猶お雑誌「民族」に掲載された、圀下大慧氏のシャーマンに関する論文中には、此の問題に触れたところが多い。&lt;br /&gt;
; 〔註一三〕 : 此の事は「古事記」に見えている。新嘗をなされるということは、即ち神々を祭られる儀式であることは言うまでもない。我国の至上神が猶お神を祭るとあるのは、至上神が御女性であったためである。&lt;br /&gt;
; 〔註一四〕 : 天照神は男性で坐しますという説は、江戸期の一部の学者によって唱えられ、明治期には津田左右吉氏は「神代の新しき研究」において、此の説を発表されたことがある。&amp;lt;br/&amp;gt;併し此の説には、私は如何にするも同意することが出来ぬ。巫女教であった我国の最高至上神は、女性で無ければならぬことは、多言を要せぬことである。&lt;br /&gt;
; 〔註一五〕 : 賀茂社に斎院を置かれたことは、単なる信仰上の問題ではなくして、多少とも政治的意味が加わっているように考えられるが、埒外に出るので今はそれまでは言わぬこととする。&lt;br /&gt;
; 〔註一六〕 : 「神武紀」に載せてある有名な記事である。&lt;br /&gt;
; 〔註一七〕 : 拙著「日本民俗志」に各地の類例を集めて説いたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:中山太郎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
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		<title>トーク:日本巫女史/第一篇/第一章/第三節</title>
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		<updated>2010-06-17T15:53:41Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: ページの作成: ==修正箇所== * 定本 p.100 ** 詳細に論じしている → 詳細に論じている&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 定本 p.100&lt;br /&gt;
** 詳細に論じしている → 詳細に論じている&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
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		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1344</id>
		<title>Docs:談話室</title>
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		<updated>2010-06-15T15:46:38Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ここでは、サイトの運営に関する話題や、&lt;br /&gt;
個別のページでは扱えない広い話題を扱います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 談話室 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
気軽な雑談・相談用にお使い下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;comments /&amp;gt;&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* Mac OS X 10.6 に付属の日本語インプットメソッド「ことえり」にて「うねめ」を漢字変換すると「釆女」となり、本文中の「采女」に検索がヒットしないという問題を発見。なんだこれは…。(恐らく「ことえり」側の問題) --[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月16日 (水) 00:41 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* ページの更新にかかる時間を大幅に短縮できたと思います。(やれやれ…)　技術的な面については[http://macwiki.sourceforge.jp/wiki/index.php/MacWiki:MediaWikiのインストール#.E5.85.A8.E6.96.87.E6.A4.9C.E7.B4.A2.E3.81.AE.E6.A9.9F.E8.83.BD.E6.94.B9.E5.96.84_.28experimental.29 こちら]を参照ください。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年9月29日 (火) 10:55 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 「日本巫女史」中、「じゅず」に「数珠」と「珠数」の表記の揺らぎがあります。「数珠」に統一すべきかも知れません。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年8月28日 (金) 01:11 (JST)&lt;br /&gt;
** この辺についてはたちゃなさんの判断に譲ります。 --[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月1日 (火) 00:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1343</id>
		<title>Docs:談話室</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1343"/>
		<updated>2010-06-15T15:41:57Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: Comment via ArticleComments/Lite extension&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ここでは、サイトの運営に関する話題や、&lt;br /&gt;
個別のページでは扱えない広い話題を扱います。&lt;br /&gt;
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== 談話室 ==&lt;br /&gt;
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気軽な雑談・相談用にお使い下さい。&lt;br /&gt;
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* Mac OS X 10.6 に付属の日本語インプットメソッド「ことえり」にて「うねめ」を漢字変換すると「釆女」となり、本文中の「采女」に検索がヒットしないという問題を発見。なんだこれは…。 --[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2010年6月16日 (水) 00:41 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* ページの更新にかかる時間を大幅に短縮できたと思います。(やれやれ…)　技術的な面については[http://macwiki.sourceforge.jp/wiki/index.php/MacWiki:MediaWikiのインストール#.E5.85.A8.E6.96.87.E6.A4.9C.E7.B4.A2.E3.81.AE.E6.A9.9F.E8.83.BD.E6.94.B9.E5.96.84_.28experimental.29 こちら]を参照ください。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年9月29日 (火) 10:55 (JST)&lt;br /&gt;
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* 「日本巫女史」中、「じゅず」に「数珠」と「珠数」の表記の揺らぎがあります。「数珠」に統一すべきかも知れません。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年8月28日 (金) 01:11 (JST)&lt;br /&gt;
** この辺についてはたちゃなさんの判断に譲ります。 --[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月1日 (火) 00:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
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		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%AF%80&amp;diff=1329</id>
		<title>日本巫女史/第一篇/第四章/第四節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%AF%80&amp;diff=1329"/>
		<updated>2010-05-14T15:42:55Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 「月と不死」へのリンクを追加。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[日本巫女史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第一篇|第一篇　固有呪法時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第一篇/第四章|第四章　巫女の呪術に用いし材料]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第四節　呪術用の有機物と無機物==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
呪術に用いた植物、動物、及び土石等に就いて、一々節を設けて記述しようと思っていたが、それでは余りに本章が長文になるので、今は是等を一節の下に押しくるめて言うこととした。従って、論じて尽さず、説いて詳しからぬ点があるかも知れぬが、欠けたところはその機会のある毎に補うとして筆をすすめる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;一　笹葉&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天照神が磐戸隠れの折に、天鈿女命が『天香山の天の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;蘿&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヒカゲ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;手次&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タスキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に繫けて、天の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;真拆&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;マサキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を鬘として、天香山の小竹葉を手草に結ひて』神憑りしたとある蘿の襷も、真拆の鬘も、笹ノ葉も共に一種の呪具であって〔一〕、然も此の笹ノ葉（襷と鬘に就いては後に言う）を持っている間だけは、巫女に神が憑かっていることを象徴したものである。「神楽歌」の採物に、榊、幣、杖、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;篠&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ササ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、弓、剣、鉾、杓、葛の九種を挙げているが、此の採物は九種共に、所詮は呪具であることは言うまでもないが、就中、榊、幣、篠の三種は、後世までも呪具として用いられて来たのである。神楽歌に『瑞垣の神の御代より、ささの葉を、手草にとりて、遊びけらしも』とあるのも、鈿女命の故事を詠んだもので〔二〕、神遊び——即ち神を降ろして、託宣させるには、手に笹ノ葉を持つことが必要とされていたのである。「万葉集」に、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;小波&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ササナミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云う語に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神楽声浪&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ササナミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の字を当てたところから見るも〔三〕、神楽に笹ノ葉は附きものであった事が知られるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「皇極紀」二年春正月の条に蘇我蝦夷の通行を目がけて、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 国内巫覡等、折取枝葉、懸桂木綿、伺候大臣渡橋時、争陳神語入微之説、其巫甚多、不可悉聴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある枝葉に就いては、後世の柴であると云う説もあるが〔四〕、併しこれを笹ノ葉と見ることも決して許されぬことではないようである。更に後世の記事ではあるが、「和漢三才図会」巻七（人倫類）巫の条に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 按、上古人心淳朴而、神託亦分明（中略）、今巫女所業者、奏神楽以慰神慮、或束竹葉探極熱湯、敷注浴於身、既心体共労倦忙々然、時神明託干彼、以告休咎、謂之湯立{○由/太天}、其巫曰伊智、今人疑多、巫女媚不少、而神託何分明耶。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある如く、神憑りと、笹ノ葉とは、離すことの出来ぬ約束に置かれていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでは、何が故に、笹ノ葉が斯うした呪力を有していたかと言うに、本居宣長翁はこれを解して、次の如く論じている〔五〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 此の故事（中山曰。鈿女命の所作）に因て、神楽には小竹葉を用い、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;其&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ソ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を打振る音の、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;佐&amp;lt;small&amp;gt;阿&amp;lt;/small&amp;gt;佐&amp;lt;small&amp;gt;阿&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;サアサア&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と鳴るに就て、人等の同じく&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;音&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;コエ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を和せて、佐&amp;lt;small&amp;gt;阿&amp;lt;/small&amp;gt;佐&amp;lt;small&amp;gt;阿&amp;lt;/small&amp;gt;と云ける故なるべし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の説は本居翁としては変った観方であるが、私には&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;合点&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;うなず&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;けるところがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
由来、我国の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;尸坐&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨリマシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（ここには非職業的の意味の者を云う）が、神憑りの状態に入るには、（一）尸坐の身近くで火を焚くこと、（二）集った者が一斉に或る種の呪文を唱和することの二つが、大切なる要件とせられていた。鈿女命の場合に見るも「日本書紀」には明白に『火処焼』と載せている〔六〕。然るに、此の斎庭に集った神々が、何等の唱和をしなかったのは、鈿女命が神憑りに熟練していたために、かかる手数を要さなかったのであるかも知れぬが、それにしても少しく物足らぬ思いのせらるるのが、本居翁の解釈に従えば、これが救われることとなるのである。且つ笹ノ葉をたたく音が、神を招きて身に憑ける合図としたことは、卓見とすべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
襷をかけること及び鬘をすることは、共に神に仕える者の当然の装身法であった。祝詞に『忌部の弱肩に太襷とり掛けて』と屡記されているのがそれであって、更に「古今集」の採物歌に『巻向の穴師の山の山人と、人も見るがに山鬘せよ』とあるが如く、鬘の有無を以て山人と神人との区別をしたのである。而して此の襷は、後世の神道家なる者に重要視せられた&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;木綿襁&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ユウタスキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;となり、鬘は民俗としては鉢巻となったのである〔七〕。琉球のノロが現今でも三味線蔓の葉を以て鬘とするのは、蓋し鈿女命の遺風を残したものであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;二　賢木&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;賢木&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;サカキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;は神事の総てを通じて用いられたもので、特に巫女に限られたものでないゆえ、茲には簡略に記述することとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全体我国でも木篇に春夏秋冬の作りを添えた木は、悉く呪力ある霊木として相当の信仰を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;維&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;つな&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;いでいたのである。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;椿&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツバキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の枝を持つ女は、我国では巫女であって〔八〕、此の木で作った槌を用いることは、景行帝の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;海石榴&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツバキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の槌を以て土蜘蛛を鏖殺された故事からして、昭和の現代でも忌まれている〔九〕。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;榎&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヱノキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の信仰にあっては、「崇峻紀」に物部守屋が衣摺の榎を利用して、聖徳太子の軍兵を三度まで撃退したのを始めとして、それこそ僕を代えるも数えきれぬほど夥しく存している〔一〇〕。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;楸&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;キササキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;にあっては、支那の梓と同じであるとも、異なるとも云われているが、兎に角に楸の実が今に呪力あるものとして用いられていることは事実である〔一一〕。柊に至っては敢て説明するまでもなく、「景行紀」に倭尊が比々羅木の八尋矛を賜りしを初見とし、京都の賀茂神社の地主神なる柊神社の故事〔一二〕、及び節分の追儺に柊の枝に鰯の頭を刺して戸口に挿すことまで挙げると、これも寧ろ多きに苦しむほどである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して是等の呪木と信ぜられたものは多く常磐木であった。現時でこそ、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;賢木&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;サカキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;といえば、榊に限られたもののように考えているが、太古にあっては、常磐木は悉く賢木であって、賢木が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;栄木&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;サカキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;であることは、これからも説明が出来るのである。後世の口寄巫女が生霊を寄せるときに、常緑樹の葉を用いることに就いては、その条に詳述する考えであるが、これが栄木信仰に縁を曳いていることだけは過りなさそうである。而して是等の常磐木に神が憑けば、即ち&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;魂木&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タマキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（後には玉木と書く）となり〔一三〕、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;祟&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タタ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;り木となり〔一四〕、勧請ノ木となり、遂に此の信仰が発達して、神木の思想となったのである〔一五〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猶お此の機会に、巫覡の徒が神意を問うために、種々なる樹木を地に挿して、その栄枯によって占うた「挿木伝説」及び此の信仰から導かれた「杖立伝説」を併せ説くべきであるが〔一六〕、是等は必ずしも本書の範疇に属するものとも思われぬので、必要があったら、その条に説くとして今は除筆する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;三　樺木&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
太占を行う際に亀甲を灼く燃料の、波々迦ノ木に就いては異説があるが〔一七〕、私は本居翁の、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 和名抄に朱櫻、波々迦、一云邇波佐久良、また木具部に、樺ハ木皮ノ名、可以為炬者也、和名&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;加波&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カバ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、又云加仁波、今櫻皮有之とみえ、万葉集に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt; 櫻皮 &amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カニバ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;纒作流&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;マキツクレル&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;舟とよみ、古今集物名に迦爾婆櫻あり（中略）。これを合せて思ふに、此木の本名は波々迦にて、加爾婆は皮名なり、加婆は迦爾婆の約りたるなり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある樺木説に左袒する者である〔一八〕。延喜の「民部式」下に、信濃国樺ノ皮四囲、上野国樺ノ皮四囲とあるのは、鵜飼の燃料に用いたとの説もあるが〔一九〕、私はこれも太占用として考えたいのである。巫女が樺ノ木を用いたことは、私の寡見には入らぬけれども、東北地方——殊に陸中国の上下閉伊二郡にては旧家名族の別称として&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;樺皮&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カバカワ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の家と云うているそうだが、これは樺の皮に画ける仏像または名号を所有しているためであって〔二〇〕、それを所持することが家格の高いことを意味しているのだと云うことである。而して此の仏像なり名号なりを古く巫女が伝えたことは、同地方における巫女の勢力を知るときは、自然と解決される問題である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これと同時に、考えなければならぬ問題は、盂蘭盆会の聖霊迎えに樺の火を焚く習俗の各地に存することである。我国の聖霊は、その子孫の者が焚いて呉れる火の光りを目途にして、遠い幽界から降り（或はその火の煙に乗って来るとも云うている）て来るのであると信じられていて、必ず墓地で迎え火を焚くこととなっていた〔二一〕。都会人が墓参もせず、己の門口で炮烙の上で麻殻を焚き、それで迎え火だなどと済しているのは、都会生活の屈托から儀式を簡略化したに過ぎぬものであって、聖霊に戸惑いさせる虞れがないとも限らぬ。前に挙げた陸中の上下両閉伊郡では、今も盆の迎え火は樺を墓前で焚くことになっている〔二二〕。陸奥国東津軽郡の各村々でも、盆の迎え火には樺を焚くが、殊に平内村（西中東の三村を押しくるめて）では、十三日から二十日まで毎夜戸外でこれを焚き、且つ舞踏をつづけるそうである〔二三〕。信濃国の伊那郡北部を中心とした地方でも、同じく盆には墓前で樺を焚くことと、ドンブヤを振ることの二つが、迎え火となっているのである〔二四〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした習俗は、克明に各地に亘り詮索したら、此の外にも存していることと思うが、兎に角に年に一度子孫を訪れる聖霊を迎えるのに、樺の火を焚くと云うことは太占の思想に負うところを考えさせると共に、此の木に呪力のあることを信じたもので、然も此の信仰を民間に植えつけたのは、記録にも口碑にも忘られるほど古い時代に、田舎わたらいした巫女の所業であったと想われるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;四　葦&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これも必ずしも巫女に限って用いた物ではないが、葦が呪力あるものとして、神意を占う際に重要な役割りを勤めたことは珍らしくないので、書き添えて置く。「新撰姓氏録」皇別の条に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 和泉国、葦占臣、大春日同祖、天足彦国押人命之後也。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と載せてある。記事が余りに簡単なので、此の葦占臣の呪術的方法の如何なるものであったかを知ることは出来ぬけれども、その姓の示す如く、葦を以て神意を占うことを職としていたので、此の姓を負うたものであることだけは明確である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に葦を呪力あるものとした信仰に至っては、これも取捨に苦しむほど多く存しているが、各地の神社で追儺の式に桑ノ弓と葦ノ矢を用いることは、支那の桃弓蓬矢の影響を受けたものとも思われるが、併し豊葦原ノ国と云われただけに、我国独特の葦の神事も少くはない。三州豊橋市横田の牛頭天王社では、毎年六月晦日に、茅ノ輪の神事を行うのは他社と変りはないが、此の社の神事は拝殿に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;薄&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ススキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を長さ二尺四五寸に切り、根の所を葦にて包み、此の葦に青黄白の幣と紙の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;人形&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヒトガタ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を附ける。輪くぐりが終ると夜の一二時過ぎに、茅ノ輪と葦とを、豊川に流し棄てる。然るに、此の葦の流れ着いた村では、その葦を産土神の地内へ仮宮を建てて安置し、その翌日の一日か又は三日のうちに、日待と同じく村民は悉く水垢離をなし、男女とも業を休んで参詣して祭り、以来七十五日間は毎夜献灯することになっている〔二五〕。紀州熊野の新宮十二所権現の旧九月六日の祭礼には、一ツ物とて馬に編笠着せた人形を乗せるが、古くは若い人を用いたものである。人形は衆徒永田氏から出すのだが、「寛文記」によると、一ツ物は、金襴の狩衣を着て、葦十二本に牛王十二枚挟みしを腰に挿し、飾り馬に乗り、神輿の先に立ったものである。そして此の葦は、大島から献上したものを、一山の衆徒等が七日間神殿に籠り祈祷して出すものだと云う〔二六〕。陸中国平泉町の白山権現の旧四月の祭礼にも、七歳の男児を潔斎させ、腰に葦の葉を挿させ、飾り馬に乗せ、社前に牽くを、お一ツ馬と云うている〔二七〕。東京市に近い王子町の王子神社の八月十三日の例祭にも、神人の行列中に唯一人、箙に青い葦を一本挿している者がある〔二八〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かかる類例は際限がないから他は省筆するが、是等から見るも、葦を持っていることが、神の憑かったことを証明しているのであって、葦に呪力を認めた信仰に出発していることは言うまでもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猶お此の外に、樒、柳などが存しているが、これは必要の機会に譲るとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
呪術に用いた動物も決して少くないが、ここには狭義に解するとして、巫女が用いたもののみに就いて、記述することとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;一　しし&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古く我国では、鹿も猪も、共にししと称し、これを区別するときには、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;鹿&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ノしし、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;猪&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ノししと呼んだ。而して此のししには、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;宍&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;即ち食し得る肉というほどの意味がある。巫女が呪術に行うに際して、鹿（太占の場合は今は全く省く）および猪を用いたと思われることは、古く&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;黄泉&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の枕辞に「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;宍串呂&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シジグシロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」の語を用いたことから察せられるのである。宍串呂の解釈にあっては、賀茂真淵翁は&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;繁釧&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シジクシロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の意なるべしと云うているが〔二九〕、これは僧仙覚の、串にさして炙たる肉はうまき物なれば味のよしとつづくと云う説こそ〔三〇〕、蓋し上代の民俗に適うたものと考えられるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宍串の民俗学的例証は、私の集めただけでも相当に存しているが、その代表的の物は「出雲風土記」意宇郡安来郷に載せた語臣猪麻呂の記事である。天武朝に猪麻呂が娘を鰐のために喰い殺されたのを怒り〔三一〕、天神地祇に祈ったところ、百余の鰐が一頭の鰐を囲み率いて来たので娘の仇を復したが、その時に猪麻呂は『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;和爾&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ワニ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;者殺割而&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;挂&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;串立路之垂也』とあるのがそれであって、現代にその面影を残しているものは、大隅国姶良郡東襲山村大字重久の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;止上&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トカミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;神社の贄祭である。社伝に、此の祭は、景行帝が熊襲を退治せられたところ、その梟師の悪霊が祟りをなし人民を苦しめるので、毎年旧正月十四日に、氏子が初猟をなし、獲物の肉を三十三本の串に貫き、地に挿し立てて牲となし、熊襲の霊を祀るに始まると言い、今にその祭礼の次第が存している〔三二〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
併し乍ら、此の肉串も原始期に溯ると、独り鹿や猪の肉ばかりでなく、人肉を用いたことも在りはせぬかと思われる点である。即ち前に挙げた枕詞の本歌は「万葉集」巻九菟原処女の墓を見て詠める長歌の一節で、即ち『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;宍串呂&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シジクシロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;黃泉&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に待たむと&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;隠沼&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;コモリヌ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;下懸想&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シタハ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;へ置きて、打嘆き妹が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;去&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ユ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ければ』云々とあるように、死の国である黄泉にかけた冠辞なのである。巫女が屍体を支解する職程を有していたために&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;祝&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ハフリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と称したことの詳細は[[日本巫女史/第一篇/第七章/第二節|後章]]に説くが、宍串が人肉であったことも、此の結論から、当然考えられることである。而して是等の宍串を作る役目は、言うまでもなく巫女であったに相違ないのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;二　鵐&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「古語拾遺」に『片巫{志止/止鳥}』とあることは既記を経たが、さて此の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;志止々鳥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シトトトリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の解釈に就いては、昔から学者の間に異説の多い難問なのである。第一に伴信友翁の説を挙げんに、「正卜考」巻三、片巫、肱巫の条に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 強ひて思ふに、片は肩にて肱に対する言の如く聞こゆるをもて思へば（中略）、漢国にて股肱ノ臣などいふ心ばへに似て（中略）、然称へるにはあらざるか、猶ほ考ふべし（中略）。さて志止々鳥は、天武紀に、摂津国貢白巫鳥、自注に巫鳥此云&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;芝苔々&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シトド&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（中略）。和名抄に、鵐鳥唐韻云鳥名也、音巫、漢語抄云、巫鳥、之止々、新撰字鏡に鵐字をよめり、また名義抄に、{神冠鳥}をカウナイシトトと訓り、この{神冠鳥}字、漢の字書どもに見あたらず、斯方にて制り（中山曰。国字の意）たる字なるべし、其訓カウナイは、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カウナギ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の音便にて、巫しとどと云ふ義なれば、片巫の志止々鳥の占に由あり聞こえ、漢字に鵐と作き、又巫鳥とも云へりと聞こゆるも、おのづから片巫の占に相似て聞ゆ。また枕冊子の、鳥はと云条に、&amp;lt;u&amp;gt;みこどり&amp;lt;/u&amp;gt;といへるも、巫鳥と聞こゆ。また秘蔵抄と云ふ書に「かうなぎのかややこ鳥にこととはむ、我思ふ人にいつかあふべき」（中略）。歌林撲樕拾遺に此歌を載て（中略）かややこ鳥は、巫鵐を云ふといへり、これもいの占の事と聞こえたり、されど如何にして卜ふるにか知る由なし云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二に、橘守部翁の説を載せんに、「鐘のひびき」巻一において『磨（中山曰。守部自身を指す）もえ心得ず、只年頃いぶかしむのみなり（中略）、かたなりなる試みをも申べし』とて、先ずこれに就いては自信なきことを告白し、さて曰く、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 片巫{志止/止鳥}とあるは、鵐字を分ちて書けるか（中略）。和名抄に、巫{和名加/牟奈岐}祝女也と見えし如く、覡を男祝と云ふに対て、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;傍&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツクリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;なければ片巫とは云ふ歟。それを鵐鳥にとりなせしなるべし。枕冊子に、みことりといへるを、ふるく鵐の事也といへるなどもよしあり（原註。又按に、只字の上のみならず、此鳥にも、神社に由緣あるかと思ふことあれと（中略）。是はよく考て又も云べし。太刀に鵐目と云は、彼が目の貌に似たるを以て云なれど、鳥も多かるに此鳥の目にしも象るは、いかなるよしか、若は其刀を重みして、巫祝の神を斎くに准らへたるにや（中略）是もよく考へて又も云べし）云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある。猶お此の外にも国学者と称する先覚の間に異説もあるが〔三三〕、それを一々引用することは長文になるので省略し、更にこれに対する私の管見を述べるとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は第一の片巫の解釈に就いては、伴翁の説をそのまま承認する者であって、片は肩にて、肱に対して言うた語と考えている。琉球の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;祝女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ノロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の間に行われている肱折り指折りと云う祭祀の作法は、内地の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;鹿自&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シシジ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;物膝折伏せ、鵜自物&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;頸根&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウナネ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;衝抜てある形容よりは、肩巫肱巫の作法に類似するところがあるように想われる。第二の志止々鳥は、古く頬白（画眉鳥）の事を云うたのではないかと思っている。私が此の志止々鳥に就き二三の学友に尋ねたところ、肥後国宇土郡地方では頬白のことを斯く言い〔三四〕、奥州秋田地方でも同じく頬白のことを斯く称しているとのことであった〔三五〕。而して和訓栞の頬白の条を見ると『頬白はしととの類なり』と載せている。これに就いて想い起こされることは、「神武記」に、伊須気余理媛が大久米命の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;黥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;サケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;る&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;利目&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トメ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を見て詠める『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;胡鸞鶺鴒&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アメツツ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;千鳥真鵐&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;チトリマシトト&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;』何裂る利目の歌である。此の真鵐は、言うまでもなく、志止々鳥の真なる意味で、真鴨とか真鯉とか云う用例と見て差支ないようである。此の歌も昔から難解に属するものではあるが〔三六〕。私は矢張り簡単に大久米命の目が、鶺鴒や、真鵐のように、円く&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;黥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;さけ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;てあったと形容したものと見ているのである。従って片巫が呪術に用いた志止々鳥は殊に目の円いものであったと思われるので、それには頬白が最も&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;応&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ふさわ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;しくないかと考えたのである。而して此の鳥を如何にして呪術に用いたかは、「津島紀事」巻一に「亀兆伝」を引用して『鹿は天の事は知れども地の事は却て知らず、此の故に亀に代ゆと（中略）。又鵐の骨を以て卜しこと古語拾遺に見えたり』とあるのを手懸りとして、鹿卜や亀卜と同じように此の鳥の骨を灼いて占う方法が在ったものと信じている〔三七〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
然るに私の此の頬白説を打消すに足るほどの資料も存しているのである。第一は、能登国鹿島郡鳥屋村大字&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;一青&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シトト&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の地名の由来である。「鹿島郡誌」巻上に「三州志」を引用して『一青をシトトと旁訓せり（中略）。小野蘭山シトト種類多し云々。豈この物に取るか、凡そ地名は土宜獣に取れる者多し』と載せたことである。これに由れば、一青というのであるから、志止々鳥は青い鳥でなければならぬのに、私の言う頬白には青いものは見当らぬようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二は伴信友翁が『正卜考』志止々鳥の条に細註に『シトトは青みがちなる毛色にて、俗にアヲジとも云ふ、黒焼にして、金瘡などの血をよく止め治る薬なり』の一節である。アヲジが民間薬として用いられたことは私は他の治方も承知しているが〔三八〕、頬白に此のことを聞かぬとすれば、呪術に用いられただけに、私の説には弱いところがあるような気もする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第三は陸中国の「東磐井郡誌」に『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫鳥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シトトリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、田野に棲む、冬季食用とすべし』との記事である。これも頬白は食用にならぬから、志止々鳥と頬白とは全く別なものと考えなければならぬこととなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
併しながら、私に強弁することを許されるならば、蘭山の云う如くシトトは種類が多く、「神武記」の真シトトは青く且つ食用にも足るものであるが、巫女が呪術に用いたものは、青くない食用にもならぬ頬白であったのではないかと言いたいのである。敢て後考を俟つとする。猶お此の志止々鳥が後世になると時鳥と同じもののように解釈されて種々なる俗信を生むようになったが、それ等に就いては後章に述べるとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;三　鵜&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全体、我が古代の民族は、人は死ぬと鳥の形となって天に昇るものだと信じていた。我国の「鳥船信仰」なるものの基調はここに存しているのであって、「古事記」神代巻に天稚日子の葬儀を営むとき『河鴈を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;岐佐理&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;キサリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;持とし、鷺を掃持とし、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;翠鳥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ソニ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を御食人とし、雀を碓女とし、雉を哭女とし』た習俗が行われたのである。倭尊が薨後に白鳥となって飛んだと云う伝説も、更に現代でも琉球を始めとして内地の各所で、葬礼の際に紙で造った鳥の形の物を飛揚するのも、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;咸&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;み&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;な此の鳥船信仰に由来しているのである。従って鳥を神と人との間の使と見たのもこれが為めである。而して茲に言う鵜は、必ずしも此の信仰を如実に現わしているものではないけれども、その呪術として用いられた根底においては、一脈相通ずるものがあると考えたので、敢て記載することとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鵜を呪術に用いた徴証は、櫛八玉神が鵜と化したという「古事記」の記事であるが、これに就いては、次項に土のことを言う折に併せ述べる方が便宜が多いと信ずるので今は省き、ここには鵜の羽を呪術に用いた一例だけを記すとする。而して此の徴証は「古事記」の天孫彦火々出見尊の妃豊玉媛が皇子を生みまつる条である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: ここに海神の御女豊玉毘売命、自ら参出て白したまはく、妾已くより妊身るを、今御子産むべき時になりぬ（中略）。爾即ち其の海辺の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;波浪&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ナギサ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に、鵜の羽を葺草にして、産殿を造りき。ここに其の産殿、未だ葺合へぬに、御腹忍へがたくなりたまひければ、産殿に入坐しき（中略）。ここを以て其の産せる御子の御名を、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と謂す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して此の鵜の羽を以て産殿を葺いたという事に関しては、古くから異説がある。「釈日本紀」巻八には『鵜口喉広飲入魚又吐出之容易之鳥也、是以象産生平安令葺此羽於産屋者歟』と安産の呪方として鵜の羽を用いしことを述べ、一条兼良も、此の説を承けて、「日本紀纂疏」に『祝其易産之儀』と記している。然るに、新井白石はこれに反して、神話を歴史として解釈せんと試みただけあって、今の荻は昔の&amp;lt;u&amp;gt;うみがや&amp;lt;/u&amp;gt;である。日向国ではこれを&amp;lt;u&amp;gt;うがや&amp;lt;/u&amp;gt;と云う。産殿を葺けるは此の&amp;lt;u&amp;gt;うがや&amp;lt;/u&amp;gt;なるべしと論じている〔三九〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私はこれに対する管見を記す以前に、更に鵜に関する民間の俗信を述べて置く必要があると信ずるので、茲にその一つだけを載せたいと思う。能登の官幣大社気多神社では毎年鵜祭というを行うが、「能登名跡志」の記すところによると、祭儀が備うと一羽の鵜を社前に放ち、これが階段を昇るのを合図として祭礼が始まる。かく鵜を社前に供えるのは、鵜の肉は人肉と味を同じくし、古く此の神社は人身を供御としたが、後に此の鳥に代えたのであると伝えている。私は鵜肉と人肉とを食い分けて見たことがないので、此の伝説をそのまま鵜呑みにする訳には往かぬが、それにしても、斯うした民間信仰が在ったことだけは、認めても差支ないと考えている。而して是等のことから、古く我国には産屋（古代は分娩は常住の家宅では行わず、必ず別に一屋を設けてそこで挙げたものである。然も此の民俗は明治の初期までは各地に存していた。産所村の起原の一面はこれである）で分娩するときには、悪霊を防ぐ呪術として鵜の羽を屋上に挿した信仰があったのではないかと考えるのである。我国の祭礼に「一ツ物」と称する尸童が、必ず山鳥の羽を身に附けたのも、琉球の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;祝女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ノロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;が鴛鴦の羽を頭に挿すのも〔四〇〕、共にそれ等の羽に呪力を信じたからであって、鵜が魚を呑吐するように、産も易かれとの類比呪術の思想から、鵜の羽を産屋に挿したのを、鵜の羽を以て葺くと云うたのではあるまいか。而して此の呪術が、巫女によって行われたことは、古くより出産に参与する者は女子に限られていたのを見るも知られるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;四　蟹&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
蟹は現代でも呪力あるものとして用いられている。東京市中でよく見かけるが、蟹甲を水引で軒頭に結びつけて置くのがそれである。今日では蟹甲を下げるのは、小児の驚風の厭勝だなどと云われているが、併し此の俗信の由来は遠き神代に発生したものである。蟹を呪術とした文献は「古語拾遺」に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 天祖彦火尊娉海神之女豊玉姫命生彦瀲尊、誕育之日海浜立室、于時掃守連遠祖天忍人命供奉陪従、作箒掃蟹仍掌敷設、遂以為職曰蟹守{今俗謂之借守/者彼詞之転也}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのがそれである。然るに、此の蟹守の故事は、独り「古語拾遺」に載せてあるばかりで、他の記・紀・風土記などには、全く記してない。ただに是等の書籍に載録を欠くばかりでなく「新選姓氏録」和泉国神別の条には、此の記事と相反するが如きものが記してある。即ち、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 掃守首、振魂命四世孫天忍人命之後也、雄略天皇御代、監掃除事、賜姓掃守連、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあって、掃守は神代の蟹に関することではなくして、雄略朝の箒掃のことに始まると云うのである。併し私は茲に此の両記事の是非を説くことは姑らく措き、ただ分娩に際して蟹を呪術に用いたという点に就いてのみ短見を述べるとする〔四一〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は曾て「蟹守土俗考」と題して、これが考証を発表したことがあるので、茲にはその記事を要約し、更にその後に獲た新たなる資料を加えて載せるとするが、蟹が蝦や蛇と同じように、霊的の動物として、我が古代の民族に崇拝されたのは、（一）蟹の脱殻作用という不思議な生態と、（二）蟹と月の盈虧の関係と、（三）蟹の形状から来たものと思うている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古代の我々の祖先達は、&lt;br /&gt;
蟹や蛇や蝦の脱殻作用を見て、これを不思議なるものと考えずには居られなかったのである。人類には決して見ることの出来ぬ此の不思議は、やがて是等の動物は脱殻作用のあるために、幾度となく生命を更新して、永遠に生存するものであるという信仰に導いたのである。復言すれば、脱殻は老いたる生命を若きに返す不思議の霊能のあるもので、かくて何時までも生き永らえるものと思惟したのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
琉球の伝説に、古代の人間は、蛇と同じように脱皮したもので、然もその脱皮毎に、心身ともに若くなったのであるが、それには正月の若水に身体を浸すことになっていた。然るに或年のこと、若水を浴びようと、井戸へ往って見ると、人間より先に蛇が浸っていたので気味悪く思い、手足の先だけ水に浸して帰ってしまった。それ以来、蛇は脱皮するも、人間は此の霊能を失い、僅に手足の爪だけが脱け変るのだと云うのがある〔四二〕。此の伝説は、内地の若水の信仰で、その基調となっているものは、前に述べた「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;変若水&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヲチミヅ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」の信仰である。而して此の信仰は延いて、神々の復活ということまでも考えさせるようになった。日神の運行も、月神の盈虚も、穀神（古代人は種子その物を直ちに神と見た）が一度刈られて、また繁茂し、結実するのも、悉く復活に外ならぬと認識したのである。天照神の磐戸隠れも、大己貴命が二度死んで二度とも蘇生したのも、共に生命の更新であって、然も霊能の復活である、と信じていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
蟹の肉が月の盈虚によって肥瘠を異にしたことも、また古代人をして蟹を霊的の動物と考えさせた一原因である。然も月の盈虚が海潮の去来と関係あることを知って、いやが上にも蟹を不思議の物と考える程度を加えたのである。更に蟹の形態——殊に背甲に往々人面に髣髴たる地紋があり、且つこれに中毒して死を招くことなどは、愈々蟹を崇拝せしめるのに有力なるものがあった。我々の祖先は此の種の蟹を以て人間の怨魂が化したものと考えて、今に平家蟹、長田蟹、島村蟹、武文蟹、治部少輔蟹等の伝説を残している。かくして「日本霊異記」に載せた蟹満寺の古縁起となり、近江国甲賀郡土山村の蟹坂〔四三〕、越中国西蠣波郡北蟹谷村大字五郎丸の蟹掛堂〔四四〕、駿河国庵原郡高部村大字大内の保蟹寺の蟹楽師〔四五〕、甲斐国西八代郡御代咲村大字蟹沢の長源寺の蟹仏〔四六〕、美作国久米郡久米村大字久米川南の蟹八幡〔四七〕の由来などを始めとして、江州八幡町の少年が毎年小正月の左義長に蟹に扮する土俗や〔四八〕、此の外に私のカードに数えきれぬほど記してある蟹に関する伝説なども、その悉くは蟹を霊物としたために生じた信仰の結果なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の見地から言えば、蟹を産室に這わせる習俗は、産児が蟹の如く幾度となく生命を更新して、永く健全であれとの呪術から出たものであって、単に赤児が蟹の如く這うようになれと祝福しただけではないのである。琉球の各島々では、現に出産があると、数匹の蟹を捉えて来て室内を這わせる習慣が残っているが、此の場合に若し蟹の獲られぬときは、その代りに螽斯（方言セーガ）を用いるそうである〔四九〕。蟹の代用に螽斯を以てした理由は、私にはよく判然せぬが、支那には此の事が古くから行われていたようである。「詩経」の螽斯三章は即ちそれであるが、此の祝儀は文字の上だけでは我国でも用いたものと見えて、「山槐記」治承二年十月十日の条所載、建礼門院徳子の皇子降誕の祭文中の一節に『世以歌螽斯之詩、天以授亀鶴之齢』と見えている。而して此の蟹を這わせる役目は、姓氏録に魂振命とあるのから推すと、これが巫女であったことは明白である。何となれば、魂振とは即ち鎮魂の儀であって、これの魂振の聖職を奉ずるもの（[[日本巫女史/第一篇/第五章/第三節|次章鎮魂の節]]参照）は巫女に限られていたからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
巫女が呪術に用いたと思われる動物は、まだ此の外に蛇（古事記に蛇比礼とある）があり、蜈蚣（同上、蜈蚣の比礼）があり、蜂（同上、蜂の比礼）があったようだが、記事が余りに簡単なので、其の方法すら知ることが出来ぬので、今は省略した。更に、牛、馬、犬、狐等の如き動物にあっては、記録にこそ見えぬけれども、実際にあって呪術に用いられたものと想われるが、是等は後章に説くとして、茲では触れぬこととした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
呪術用の無機物は、前に鏡や玉を述べた折に、一と纏めにしても差支ないのであるが、是等の鏡や玉は、専ら呪術のために発達したものとも言える程であるのに反して、これから述べようとする石や土は、偶々呪術に用いられたと云うだけで、その間に相当の差違があると考えたので、かく別に記すこととしたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;一　石&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石の呪力をやや完全に説くには、我が古代における石信仰の起伏を述べなければならぬ。例えば「成長する石」とか、「子を産む石」とか、更に進んでは、風土記その他に見えている「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;寄&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;り&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ガミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」としての石信仰など、茲にその題目を挙げるだけでも容易なことではない。それに今は、是等の一般的の石信仰を論ずるのが目的でないから悉く省略し〔五〇〕、直ちに呪術に用いた石だけに就いて、然も簡明に記述したいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して、石に呪力ありとした記事の初見は、諾尊が黄泉国から追われて帰える折に、黄泉平坂に千引石を置いたのを、「古事記」には『その黃泉坂に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;塞&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;サヤ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;れりし石は、道反神とも号し、塞坐黃泉戸大神とも謂す』と載せている。併しながら、これは単に石の呪力を認めたというだけで、まだ石を呪術に用いたという積極的には出ていないのである。然るに「豊後国風土記」直入郡蹶石野の条の&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 同天皇{○景/行帝}欲伐土蜘蛛之賊、幸於柏峡大野、其野中有石、長六尺広三尺厚一尺五寸、天皇祈之曰、朕将滅此賊者、当蹶茲石、譬如柏葉而挙焉、即蹶之、騰如柏葉、因曰蹶石野。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのは、明かに石占であることを示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
由来、我国の石占には、その方法が三種ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 第一、景行帝の場合の如く、神に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;祈&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;いて石を蹶り、又は投げて、その石が己れの思いし高さなり、又は遠さなりに達するを以て、神慮の己れを加護するものと占うもの。&lt;br /&gt;
: 第二、石を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;扛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ア&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;げて、その軽重によって神意を占うもので、今にこれは俗に「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;軽重&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;オモカル&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;さん」と称して行われている。&lt;br /&gt;
: 第三、或る石を見立てて、草なり、藁なりを、後手で石の長さ位に切り、それを石に当てて見て、その長さが合致するか否かを以て、吉凶を占う方法である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の三方法は、古く広く行われていて、「万葉集」巻三丹生王の詠める長歌の一節に『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;夕占&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ユウケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;問ひ石占以ちて』あるのは、軽重さんの方法に由ったものだと云われている〔五一〕。「新選姓氏録」蕃別に、石占忌寸の姓が載せてあるが、これは古く此の事に従うていたために負うたものである。「神功紀」に皇后が征韓の途に上りしとき『于時也適当皇后之開胎、皇后則取石挿腰、而祈之曰、事竟還日、産於茲土』云々とあるのは、畏きことながら、石の呪力を認めさせられての呪術であると拝されるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;二　土&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これも石と同じように、土に関する古代の信仰を説かねばならぬのであるが、それでは益々長文となるので茲には省き、直ちに土を呪術に用いたことに就いて述べるとする〔五二〕。而して呪術に用いられた土にあっては、凡そ二つに区別されていた。第一は或る限られた場所の土を用いることで、第二は或る種の土を用いたことである。併しながら両者ともその根本問題として、土に呪力のあることを信じていたのは勿論である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一の例証は「神武紀」戌午年秋九月の条に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 天皇（中略）。是夜自祈而寝、夢有天神訓之曰、宜取天香山社中土{○原/註略}以造天平瓮八十枚{○原/註略}幷造厳瓮而敬天神地祇{○原/註略}亦為厳呪詛、如此則虜自平伏矣（中略）。時弟猾又奏曰（中略）。宜今当取天香山埴、以造天平瓮、而祭天社国社之神、然後撃虜則易除也、天皇既以夢辞為吉兆、及聞弟猾之言、益喜於懐、乃使椎根津彦著弊衣服蓑笠、為老父貌、又使弟猾被箕為老嫗貌、而勅之曰、宜汝二人到天香山、潜取其巓土、而可来旋矣、基業成否、当以汝為占、努力愼焉。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのが、それである。かくて、二人は勅命により、天香山の土を得て帰り、天皇これを以て斎器を造り、神祇を祭って、遂にその加護を受けて賊徒を平げ、天業を成したのであるが、如何に此の事に天皇が重きを置かれたかは、勅にこれを以て其業の成否を占うと仰せられたことからも、恐察せられるのである。而して茲に老嫗の貌となって赴いた弟猾は、即ち当時の巫女なのであった〔五三〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
然るに「崇神紀」にも土を呪術に用いんとした事例が載せてある。即ち同紀十年秋九月の条に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 大彦命到於&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;和珥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ワニ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;坂上、時有少女歌之曰（中略）。於是天皇姑、倭迹々日百襲姫命、聡明叡智、能識未然、乃知其歌恠、言于天皇、是武埴安彦将謀反之表者也、吾聞、武埴安彦之妻吾田媛、密来之、取倭香山土、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;褁&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツツミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;領布、祈曰是倭国之物実、乃反之。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのがそれである。而して此の事が例となって、摂津の官幣大社住吉神社の埴取の神事となるのであるが、それまで言うと、少しく長文になるので割愛する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二の例証としては、「古事記」神代巻に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 櫛八玉神、鵜に化りて、海底に入りて、底の土を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;咋&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;クヒ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;出でて、天八十&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;瓮&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヒラカ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を作りて、海布の柄を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;鎌&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;りて、燧臼に作り&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;海蓴&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;コモ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の柄を燧杵に作りて、火を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;鑽出&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;キリイデ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;て云しけらく、この我が燧れる火は、高天原には、神産巣日御祖命のとだる天の新巣の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;凝煙&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;スス&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;八拳&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヤツカ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;垂まで焼挙げ、地下は、底津石根に焼凝して（中略）。天の真魚咋献らむと白しき。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあって、これは海底の土が択まれているのである。且つここに述べた八玉神の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;祝言&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ホギゴト&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;は、又一種の呪文とも見られるのである。更にこれとは趣きを異にし、赤土に限って用いた例もある。「崇神記」に活玉依媛の許に夜々通い来る壮夫を知るために『赤土を床前に散らし』て、その壮夫の美和大神であったことが判然した故事があり、猶お「播磨風土記」逸文に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 息長帯日女命{○神功/皇后}欲平新羅国下坐時、祷於衆神（中略）。於此出賜赤土、塗天之逆鉾、建神舟之艫舳、又染御舟裳及御軍之&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;著衣&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨロヒ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある。是等は共に赤土なる故に一段と呪力の強かったことを示しているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猶お此の機会に「灰」を呪術に用いたことも見えているが、これは特種のことではあり、且つ左程に重要なこととも思われぬので省筆することとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 〔註一〕 : 巫女の持物である手草に就いては、柳田国男先生の巫女考（郷土研究第一巻連載）の第二号に詳記してある。参照を望む。&lt;br /&gt;
; 〔註二〕 : 「瑞垣」の二字を崇神朝と解する学者もあるようだが、私は橘守部に従い、単なる古代の意味に考えている。&lt;br /&gt;
; 〔註三〕 : 「古事記伝」巻八（本居宣長全集本）&lt;br /&gt;
; 〔註四〕 : 谷川士清翁の「日本書紀通証」に、枝葉は柴なりと載せてあるが、私は必ずしもそう考える必要はなく、笹の葉、または賢木と見ることも、不可能ではないと思っている。&lt;br /&gt;
; 〔註五〕 : 「古事記伝」巻八（同上）。&lt;br /&gt;
; 〔註六〕 : 神降しを行う際には、尸坐の身近くで、熾んに火を焚くことが、普通とされている。これは、第一は、火力によって尸坐の心身を夢の境に誘うことと、第二は、火によって荘厳の気を加えるためと、第三は、火を灯火の代用とする必要から来ていたようである。後世の職業的巫女になると、斯うした形式を採らずとも、直ちに神憑りの状態に入るだけの修業を積んでいたが、単なる信仰心で行う者、又は修験道系の者は、必ず火を焚いたものである。そして周囲の者が大声で呪文めいたものを合唱した。その例証は後章に述べる機会がある。&lt;br /&gt;
; 〔註七〕 : 男女の鉢巻を単なる髪の乱れるのを防ぐためとか、又は景気をつけるための装身具とか見るのは、後世の合理的の解釈であって、その起りは神に対する場合にのみ限られたものである。換言すれば、神を祈るときに鉢巻をしたものである。狂乱の保名が、紫の鉢巻を忘れぬのも、此の名残りであるとは、既に柳田先生の説かれたところである。&lt;br /&gt;
; 〔註八〕 : 我国の椿と、支那の椿とは、用字は同じだが、樹木は異っていて、支那の椿に相当するものは、我国の山茶花だという説がある。併し茲にはそんな詮索は措くとするが、兎に角に椿は霊樹として我国では崇拝されていた。八百比丘尼という有名な巫女は、常に此の樹の枝を所持していた。八百比丘尼に就いては後章に述べる。&lt;br /&gt;
; 〔註九〕 : 「豊後国風土記」大野郡海石榴市の条に載せてある。それから、美作国勝田郡豊国村では、椿の木の槌を用いることを忌んでいると「民族」第四巻第三号に見えている。&lt;br /&gt;
; 〔註一〇〕 : 榎の俗信に就いては「郷土研究」「民族」その他の雑誌の資料欄に、夥しきまで各地の報告が載せてある。一里塚に榎を栽えたのも、又その一つである。&lt;br /&gt;
; 〔註一一〕 : 楸は梓の一種とも、又た同じとも云われているが、此の樹の実は薬剤として、今に民間に用いられているが、特に腎臓病に効験あると云われている。&lt;br /&gt;
; 〔註一二〕 : 賀茂社の地主神である柊社へ、他の杉なり、松なりを栽えても、幾年かの後には柊となってしまうと云われている。これに就いては、「京阪文化史論」に載せた内藤虎次郎氏の「近畿の神社」を参照せられたい。&lt;br /&gt;
; 〔註一三〕 : 出雲の熊野から、冊尊の神霊を賢木に憑けて紀伊の熊野へ遷祀する際に、その霊木を捧持した者の姓を玉木と称したとある。これに就いては、鈴木重胤翁の「日本書紀伝」に詳細なる考証がある。参照せられたい。&lt;br /&gt;
; 〔註一四〕 : 現在では、タタルと云う語は、神の報復とか、懲罰とかいう意味に解釈されているが、古くタタルとは、神の出現という意味に用いられていたのである。信州諏訪神社には「七たたへ」の木とて、松たたへ、檜たたへなどもあるが、これは諏訪神が、是等の樹木に憑って、出現するということなのである。&lt;br /&gt;
; 〔註一五〕 : 我国の神木思想は、民俗学的には、かなり重要な問題であるが、又かなり面倒な問題なのである。私も健康が許したら、そのうちに纏ったものを書いて見たいと思うている。&lt;br /&gt;
; 〔註一六〕 : 「杖立伝説」に就いては、柳田先生の「杖の成長した話」が民族（第一巻第一号）に、「挿木伝説」の一班に関しては同先生の「楊枝で泉を卜する事」が同誌（第一巻第二号）にある。共に参照を望む次第である。&lt;br /&gt;
; 〔註一七〕 : 伴信友翁の「正卜考」の余説として「波々迦考」がある。それを参照されたい。&lt;br /&gt;
; 〔註一八〕 : 「古事記伝」巻八（同上）。&lt;br /&gt;
; 〔註一九〕 : 前掲の「正卜考」に見えている。&lt;br /&gt;
; 〔註二〇〕 : 柳田国男先生著の「雪国の春」に載せた「樺皮の由来」に拠った。&lt;br /&gt;
; 〔註二一〕 : 聖霊迎えのために、墓地で火を焚く信仰の起原は、墓地を暖める思想——即ち人体の冷却は死であるから、これを暖めれば復活すると考えたことにも関係がある。詳説は差控えるが、此の事は考慮のうちに入れて置くべきである。&lt;br /&gt;
; 〔註二二〕 : 「上閉伊郡土淵村郷土誌」その他に拠る。&lt;br /&gt;
; 〔註二三〕 : 「平内志」。&lt;br /&gt;
; 〔註二四〕 : 民族（第四巻第三号）有賀喜左衛門氏の「炉辺見聞」に詳記してある。&lt;br /&gt;
; 〔註二五〕 : 「三州吉田領風俗問状答」に拠る。&lt;br /&gt;
; 〔註二六〕 : 「紀伊続風土記」巻八二。&lt;br /&gt;
; 〔註二七〕 : 「平泉志」。&lt;br /&gt;
; 〔註二八〕 : 「十方庵遊歴雑記」初編（江戸叢書本）。&lt;br /&gt;
; 〔註二九〕 : 「冠辞考」（賀茂真淵全集）。&lt;br /&gt;
; 〔註三〇〕 : 前掲の「冠辞考」に引用してある。&lt;br /&gt;
; 〔註三一〕 : 我国の近海に鰐は居ぬ。従って古典に現われた鰐は鮫であると言われている。白鳥庫吉氏は此の説を称えるお方であって、私もそれに賛成する者である。&lt;br /&gt;
; 〔註三二〕 : 明治二十九年に島津家で発行した「地理纂考」に拠った。&lt;br /&gt;
; 〔註三三〕 : 片巫肱巫に就いては、片を県のカタと連想して、田を祈祷する巫女、肱巫はこれに対して畑の巫女などと云う珍説さえある。&lt;br /&gt;
; 〔註三四〕 : 同地出身の学友小山勝清氏の談。&lt;br /&gt;
; 〔註三五〕 : 同地出身の友人橋本実朗氏の談。&lt;br /&gt;
; 〔註三六〕 : 橘守部翁は「鐘のひびき」において珍説を提出しているが、これは異説を立つるに急であって、全く原義を失うたものである。&lt;br /&gt;
; 〔註三七〕 : 「津島紀事」のそれは、同地方の民俗を以て「古語拾遺」を推測したものと考えたい。猶お「津島紀事」には、異本が私が見ただけでも、三種ある。注意せられたい。&lt;br /&gt;
; 〔註三八〕 : 私の友人である下野国安蘇郡舟津川村の医師武藤隆秋氏の家は、代々漢方医であったが、氏の談に、家伝の婦人用の秘薬は、此のアヲジで製したものだということである。&lt;br /&gt;
; 〔註三九〕 : 「古史通」巻五（新井白石全集本）&lt;br /&gt;
; 〔註四〇〕 : 「一ツ物」に就いては「考古学雑誌」第十巻第一号に拙稿を載せたことがある。そのうちで、鵜の羽を産屋に挿したことに関しても述べて置いた。今その雑誌が手許に無いので、記憶のままで記した。参照をねがえると仕合せである。&lt;br /&gt;
; 〔註四一〕 : 京都で発行した「郷土趣味」第二〇号に拙稿「蟹守土俗考」が載せてある。発行部数が少いので一寸手に入れにくい雑誌ではあるが、これに詳しく私見のあるところを述べて置いた。&lt;br /&gt;
; 〔註四二〕 : 民族（第三巻）に連載したニコライ・ネフスキー氏の「[[月と不死]]」の論文は、この伝説の研究である。&lt;br /&gt;
; 〔註四三〕 : 「淡海温故録」巻一。&lt;br /&gt;
; 〔註四四〕 : 「西蠣波郡紀要」。&lt;br /&gt;
; 〔註四五〕 : 「駿国雑誌」巻二四ノ上。&lt;br /&gt;
; 〔註四六〕 : 「裏見寒話」巻九。&lt;br /&gt;
; 〔註四七〕 : 「岡山新聞」大正七年六月分。&lt;br /&gt;
; 〔註四八〕 : 「郷土趣味」第一一号の表紙絵及び記事。&lt;br /&gt;
; 〔註四九〕 : 「郷土研究」第二巻第一〇号。&lt;br /&gt;
; 〔註五〇〕 : 石信仰に就いては柳田先生の「石神問答」を参照されたい。&lt;br /&gt;
; 〔註五一〕 : 伴翁の「正卜考」に見えている。併し、是等の石占のうちには、足で蹴る、手で投げる方法も加っていたものと見るべきである。&lt;br /&gt;
; 〔註五二〕 : 我国の土信仰に就いては「郷土趣味」第一八号に「砂撒き」と題して、私見を発表したことがある。かなり複雑している問題なので、簡単に説くことは出来ぬ。&lt;br /&gt;
; 〔註五三〕 : 弟猾が女性であることは、学友折口信夫氏から教えを受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:中山太郎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%AF%80&amp;diff=1328</id>
		<title>トーク:日本巫女史/第一篇/第四章/第四節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%AF%80&amp;diff=1328"/>
		<updated>2010-05-14T15:37:00Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 美作国久米郡久米村大字久米川南の蟹八幡: 久米町史下巻に「仮八幡」からの転訛説&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.181&lt;br /&gt;
** 本文中「&#039;&#039;&#039;あと&#039;&#039;&#039;る如く、神憑りと、」は「&#039;&#039;&#039;とあ&#039;&#039;&#039;る如く、神憑りと、」の誤植であろうと思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.185&lt;br /&gt;
** [http://homepage1.nifty.com/k-kitagawa/data/shoji01.html 新撰姓氏録]の引用文に「和泉国、葦占臣、大春日&#039;&#039;&#039;道&#039;&#039;&#039;祖、天足彦国押人命之後也。」は、正しくは「和泉国。葦占臣。大春日同祖。天足彦国押人命之後也。」であるので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月15日 (月) 20:05 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.190&lt;br /&gt;
** 「青いものは見當ら&#039;&#039;&#039;ね&#039;&#039;&#039;やうである。」は、正しくは「青いものは見當ら&#039;&#039;&#039;ぬ&#039;&#039;&#039;やうである。」であろうと思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)&lt;br /&gt;
** 本文中「他の治方も承知しているが」直後の句点は、正しくは読点であろうと思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.193&lt;br /&gt;
** 「古語拾遺」の引用に、「今俗謂之&#039;&#039;&#039;掃&#039;&#039;&#039;守者彼詞之転也。」とあるが、正は「今俗謂之&#039;&#039;&#039;借&#039;&#039;&#039;守者彼詞之転也。」であるので改めた。従って、「蟹守（カニモリ）」から「借守（カリモリ）」へ、「借守（カリモリ）」から「掃守（カモリ）」になったようです。どころで、直ちに「掃蟹」から「蟹守」と言っても構わない気がするけど、やっぱり「蟹」の呪力を強調するのでしょう。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月17日 (水) 16:54 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.196&lt;br /&gt;
** 「次&#039;&#039;&#039;節&#039;&#039;&#039;鎮魂の&#039;&#039;&#039;條&#039;&#039;&#039;」は、正しくは「次&#039;&#039;&#039;章&#039;&#039;&#039;鎮魂の&#039;&#039;&#039;節&#039;&#039;&#039;」であろうと思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)&lt;br /&gt;
** 最終行の「考&#039;&#039;&#039;と&#039;&#039;&#039;へたので」は、正しくは「考へたので」であろうと思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.197&lt;br /&gt;
** 本文中「悉く省略し〔五〇〕」直後の読点は、正しくは句点であろうと思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.201&lt;br /&gt;
** 註六中「火によって&#039;&#039;&#039;壮&#039;&#039;&#039;厳の気を加える」は、正しく「&#039;&#039;&#039;荘&#039;&#039;&#039;厳」であろうと思われるので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月10日 (水) 15:26 (JST)&lt;br /&gt;
** 註七中「狂乱の保名」の直前に句点が欠けていると思われるので補った。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.201-202&lt;br /&gt;
** 註一二中「これに就いては」の直前に句点が欠けていると思われるので補った。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.183&lt;br /&gt;
**  樺の條、「信濃国樺ノ皮四囲、上野国樺ノ皮四囲」とあるが、原文では「信濃國、筆一百管・零羊角六具・木賊二圍・樺皮二圍。上野國、筆一百管・零羊角六具・杏仁三斗・膠十二斤・樺皮四張。」であり。正しくは「信濃国樺ノ皮二囲、上野国樺ノ皮四張」ではないか。&lt;br /&gt;
* 底本 p.188&lt;br /&gt;
** 橘守部「鐘のひびき」巻一の引用中、「&#039;&#039;&#039;磨&#039;&#039;&#039;（中山曰、守部自身を指す。）」とあるが、「磨」は「麿」の誤植ではないだろうか。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月16日 (火) 23:35 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.193, 198&lt;br /&gt;
** 「四　蟹」の條、及び「一　石」の條に「新&#039;&#039;&#039;選&#039;&#039;&#039;姓氏録」とあるのは、正しくは「新&#039;&#039;&#039;撰&#039;&#039;&#039;姓氏録」であろう。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.199&lt;br /&gt;
** 「崇神紀」十年秋九月の條の引用中「褁」の字は、本文中では{果下衣}となっている。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.200&lt;br /&gt;
** 「播磨風土記」引用中「御舟裳」は「御丹裳」ではないのか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
* 底本 p.180&lt;br /&gt;
**  湯立をおこなう巫女のことを、伊智（イチ）という。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.181, 201&lt;br /&gt;
**  「尸坐（よりまし）」と「戸座（へざ）」には何か関聯あり？--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.182&lt;br /&gt;
** 「物部守屋が&#039;&#039;&#039;衣摺の榎&#039;&#039;&#039;を利用して、聖徳太子の軍兵を三度迄撃退したのを始めとして」について、原文では「於是、大連昇&#039;&#039;&#039;衣揩朴&#039;&#039;&#039;枝間、臨射如雨。其軍強盛、填家溢野。皇子等軍與群臣衆、怯弱恐怖、三廻却還。」であって、その榎は朴とも書く、大辞林によれば「えのき [0]【▼ 榎・▽ 朴】 ニレ科の落葉高木。」となります。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月15日 (月) 03:30 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.183&lt;br /&gt;
** 「櫻皮纒 作流舟」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?06/0942 万葉集 6-942]）--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.187&lt;br /&gt;
** 「&amp;lt;宍&amp;gt;串呂 黄泉尓将待跡 隠沼乃 下延置而 打歎 妹之去者」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?09/1809 万葉集 9-1809]）--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.191&lt;br /&gt;
** 天稚日子の葬儀: マザーグースの &amp;quot;Who killed Cock Robin?&amp;quot; が連想される。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)&lt;br /&gt;
** 「人の魂神鳥に化する信仰」への言及は、[[日本巫女史/第二篇/第一章/第一節|第二篇第一章第一節]]の「Ｃ、複雑せる識神の正体」にもあり。&lt;br /&gt;
* 底本 p.198&lt;br /&gt;
** 「夕衢占問 石卜以而」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?03/0420 万葉集 3-420]）&lt;br /&gt;
** 「神功紀」の引用箇所は、[[日本巫女史/第一篇/第三章/第二節|第一篇第三章第二節]]の「ウケヒ」にも現れる。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.199&lt;br /&gt;
** 「崇神紀」十年秋九月の條の引用箇所は、[[日本巫女史/第一篇/第三章/第二節|第一篇第三章第二節]]の「ウケヒ」にも現れる。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.199-200&lt;br /&gt;
** 「古事記」神代巻の引用箇所は、[[日本巫女史/第一篇/第三章/第二節|第一篇第三章第二節]]の「一　祝言から祝詞へ」にも現れる。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)&lt;br /&gt;
* 美作国久米郡久米村大字久米川南の蟹八幡&lt;br /&gt;
** 佐藤芳範氏によると、久米町史下巻に「仮八幡」からの転訛説が記載されているらしい。&lt;br /&gt;
*** &amp;lt;cite&amp;gt;さて蟹八幡であるが、自分の家で語り伝えられているところによると時代はわからないが自分の祖先は(古くは貞広と言っていた)は宇佐八幡宮の分霊をいただいて久米上村の自宅に帰りついた。宅には庭に現在もある｢鈴の御前｣と称する祖霊社があってこのお社に二，三日の御休憩を願ったものである。しかし、自家の祖霊社にそう長くお留り願う事は恐れ多いことなので、幸い自宅の近くの谷尻(たんじり　地名)にお森様と称する荒神様の小祠があった。このお宮は後のことであるが大正７年ごろには一間四方の拝殿もあり，神輿庫もあり、太鼓もある程度のお宮であるが、当時は規模も小さかったろうが、此の｢お森様｣に御神体を移し奉って、宮尾村の地に新しく八幡神社の社殿が出来上がるまで仮に｢お森様｣に鎮座ましましたのである。｢お森様｣のましますところの地名が｢谷尻｣と言われるように谷の端にあたり、小さな溝川も流れているので付近に蟹もいる事は居たにはちがいないが、八幡様とは何の関係もなく、｢仮八幡｣と称したもので、これが転化して｢蟹八幡｣となり、なにか蟹に関する縁起でもありそうなことになったものであろう。とのことであった。&amp;lt;/cite&amp;gt;&lt;br /&gt;
*** http://townweb.e-okayamacity.jp/minan-r/spot/kanihachiman.htm&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1306</id>
		<title>日本巫女史/第二篇/第五章/第一節</title>
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		<updated>2010-01-30T07:03:48Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 振り仮名の修正。ケタ→タケ&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[日本巫女史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第二篇|第二篇　習合呪法時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第二篇/第五章|第五章　呪術方面に現われた巫道の新義]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第一節　巫蠱から学んだ憑き物の考察==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
我国における蠱術は、巫女よりは修験道の山伏が、深い関係を有していた。巫女がこれに交渉を持つようになったのは、恐らく山伏と性的共同生活を送るようになってから、これに教えられたものと思われる。此の見地に立てば、憑き物の考察は、巫女よりも山伏が対象となるのであるが、教えられたにせよ、巫女が此の事に多少とも関係を有していたことも事実であるから、今は巫女を中心として、簡単に記述することとした。既に憑き物に就いては、諸先輩の研究が発表されているので〔一〕、詳細はそれに就いて知る便宜があるからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して茲に、憑き物とは、上下両野のオサキ狐、信濃のクダ狐、三河のオトラ狐、飛騨のゴホウ種、近畿のスイカズラ、四国の犬神、出雲のジン&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;狐&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;コ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、中国のトウビョウ等を重なるものとして、此外に、猫神、猿神、飯綱、蟇つき、狸つきなどの名で呼ばれ、更に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;白神筋&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シラカミスジ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、ナマダコ、ゲトウ、院内等の「物持筋」となり、一般に社会から嫌厭される家筋まで含めての意である。従ってここに言う憑き物とは、悪霊、死霊、生霊等の人間の霊魂が、人間に憑くという意味よりは、動物の霊が人間に憑くという方に重きを置くことになっているのである。而して是等の憑き物に共通している大体の俗信は、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 一、是等の憑き物は、年々のように繁殖して、常に飼っている家でも困却しているということ。&lt;br /&gt;
: 二、その家の子女が、他家へ聟または嫁に往くとき、憑き物がついてその家に入るということ。&lt;br /&gt;
: 三、憑き物筋の者は、他人の健康や作物を害さんと思うと、その憑き物が活いて、健康を害し、作物を損じ、更に現金まで持って来るということ。&lt;br /&gt;
: 四、この憑き物を持っていると勝負運が強いということ。&lt;br /&gt;
: 五、物持筋が憑き物を放そうと思うても、どうしても放れぬということ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この五点である。而して巫女は、随意に此の憑き物を使役する者として恐れられた。それでは是等の憑き物という俗信は、何によって発生したか、先ずそれから考えて見るとする。猶お此の問題は、[[日本巫女史/第三篇|第三篇]]においても記述すべきであるが、多少の変遷ありとするも、同じ問題を二度書くことは気がさすので、茲には明治期まで押しくるめて記すとした。敢て賢諒を乞う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;一　オサキ狐クダ狐など&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
狐や蛇がヴントの所謂霊的動物として崇拝されたことは既述した。それと同時に、我国の神の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;使令&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツカワシメ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（又は眷属ともいう）と称する幾多の動物——例えば、稲荷神の狐、熊野神の鳥、日吉神の猿、春日神の鹿、貴船神の百足、三峯神の狼と云うが如きものは、古くはそれが原祀神ではなかったかと云うことも、併せて既記を経た。それ故に是等の動物が、恰もアイヌ民族に見る如く、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;[[:画像:アイヌの憑き神.gif|憑き神]]&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トレンカムイ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;から&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;守り神&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シラツキカムイ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;にすすんで往く過程も考えられるし、更に是等の動物の霊が人間に憑くという、俗信の発生も考えられぬでもないが、此の俗信を強く、然も深く、我国に植え込んだのは、前にあっては、支那の巫蠱の呪術で、後にあっては、仏法の吒吉尼の邪法だと信じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して蠱術に就いては略記したので、今は吒吉尼に関して云うが、此の邪法も古くから行われていたのである。伴信友翁の「験の杉」に引用された「拾葉抄」に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 東寺ノ夜刄神ノ事云々。中聖天、左吒吉尼、右弁財天也、天長御記云、東寺有守護天、稲荷明神使者也、名大菩提心使者神也。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある天長御記は、淳和帝の御記と思われるので、僧空海の在世中に、早くも吒吉尼信仰の行われた事が知れる。勿論、稲荷信仰に伴う狐の崇拝は、吒吉尼の乗っている動物と類似している所から、両者の関係を密接ならしめ、その結果として、僧空海と稲荷神と面談したなどと云う俗説まで生れたが、兎に角、両者の歩み寄りが、狐を一段の霊物とし、稲荷神を吒吉尼化したことは、やや明白に看取されるのである〔二〕。「文徳実録」仁寿二年二月の条なる藤原高房の伝に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 天長四年春拝美濃介（中略）。席田郡有妖婦、其霊転行暗噉心、一種滋蔓民被毒害、古来長吏皆懐恐怖、不敢入其部、高房単騎入部、追捕其類、一時酷罰、由是無復噉心之害云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのは、「谷響集」に「真言演密抄」を引いて『荼吉尼是夜叉趣摂云々。盗取人心食之』とあるより推して、此の妖巫が吒吉尼の邪法を行うたことは、疑うべからざる事実である。而して此の信仰から導かれて、狐の神格的地位は段々と向上し、一方においては&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;専&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トウノ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;女御前となり、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;三狐&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミケツ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;神となり、遂には倉稲魂神と誤解されるまでになり、更に一方においては、神狐とか、霊狐とか云われて、俗信を集めるようになったのである。狐を殺した為に、配流された例は多いが〔三〕、「中右記」長元四年八月四日の条に『京洛之中、巫覡祭狐枉定大神宮、如此事、不然之事也』とあるような事態を見るに至ったのである。民間の惑溺また思うべしである。大江匡房の「狐媚記」の如きは此の産物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の郷里である下野国足利郡地方の村々では、私の少年の頃までは、オサキ狐の話をよく耳にしたものである。大昔に、九尾ノ狐が帝都を追われて、那須野に隠れたのを、坂東武士のために狩り出されて、殺生石となったが、その折に尾が方々へ散って狐となり、これを尾先狐と云うのだと故老から聴かされ、又た誰々の家には、その狐が七十五匹戸棚の隅に飼ってある。毎朝、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;飯匙&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シャモジ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;で釜の端を叩くのは、狐に餌を遣る合図だというて、私などが過って此の所作をすると、父母から厳しく叱かられたことを覚えている。かかることで、オサキ狐に憑かれた家の人ほど気の毒なものはないが、それでも私の地方などは、他国に比較すると、まだ気の毒の程度が軽いようである。通婚にも、交際にも、余り忌み嫌われていぬからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに反して、信州松本平の中央山脈の麓寄りの方から、木曾の谷へかけて、薮原、宮ノ越、福島などの各駅から美濃堺まで、クダ狐の憑いている家が多い。殊に福島駅に近い新開村字大原は、四十戸ばかりの部落であるが、その中に五六戸は『あすこはクダを飼ってる』と昔から言われている家がある。此の評判が立つと、部落からは元より、やや遠い所の者からまでも特別の扱いを受け、『おれの家は腐る方だが、あすこは是れだからな』と、物を掻く手真似をして見せる。腐るとは癩病の血統で、掻くのは狐を意味している。即ち癩病よりもクダ狐を恐れる意味である。従って通婚は此の者同士に限られている。クダ狐持がこうまで嫌われるのは、これに憑かれると、すっかり狐になってしまい『某の死んだのは、おれが締め殺したのだ』或は『某の家の馬の病気は、おれがしたのだ』また『某の家の南瓜はおれが挘ったのだ』というような事を口走る。そしてクダ狐は、元は伏見の稲荷社から受けて来たものだと伝えている〔四〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出雲のジン狐に関する気の毒な事実は、夥しき迄に学会へ報告されている〔五〕。それは大正十一年の事であるが、出雲の某村の有力者が、息子に嫁を迎えようとしたが、世話をする者がないので、段々と調べてみると、その家はジン狐持ではないが、主人の妹が嫁した家の遠縁の者に、その疑いのあることが判然し、親族会議の結果は、妹の家と絶交することとなり、それを言い渡すときの光景は、見るも憐れなものであった。老母の顔は涙に曇り、言渡す主人の声もふるえていた。絶交された妹は、世の成行きと、自分の運命で、代々続いて来た綺麗な家の血筋を濁すことには代えられぬと、観念の眼を閉じたということである〔六〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して斯うした社会の圧迫と、家庭の悲劇とは、独り信州や出雲ばかりでなく、狐憑きの俗信の行われているところには、何処にでも存しているのである。元より俗信であり、理由のない事であるから、疾くにも泯びなければならぬのに、今に此の陋習が依然と行われているとは、如何に俗信の力の偉大なるかに驚くのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
狐持の家筋が、狐に憑かれた事に原因することは言う迄もないが、その狐を憑けたものが、巫覡であることも、勿論である。「栄花物語」巻七鳥辺野長保三年十二月の条に『かかる程に、女院（円融后東三条院詮子）ものせさせ給て、なやましう思しめしたり、との（藤原道長）御心をまどはして、おぼしめしまどはせ給（中略）、御物のけを四五人かりうつしつつ、おのおの僧どもののしりあへるに、此三条院の&amp;lt;u&amp;gt;すみ&amp;lt;/u&amp;gt;の神の&amp;lt;u&amp;gt;たたり&amp;lt;/u&amp;gt;と云う事さへいできて、そのけしきいみじうあやにくげなり』とある如く、物の怪を四五人にかりうつすとは、即ち&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;憑&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;り祈祷であって、此の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;憑座&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨリマシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の口から、種々なる御託が発せられ、三条院の場合は、&amp;lt;u&amp;gt;すみ&amp;lt;/u&amp;gt;の神の祟りという事であったが、これが狐が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;憑&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;つ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;いているとか、蛇が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;憑&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;つ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;いているとか云えば、それでその人は、狐つき、蛇つきとなってしまい、心理学上の暗示に支配されて、狐の真似したり、蛇の様子して座敷を這い廻ると云うことになれば、その家は忽ち「持物筋」となり、それが子孫へまで遺伝することになるのであるから、是等の持物筋の発生が、巫覡の憑り祈祷にあることは明白である。これに就いて、本居内遠翁は「賤者考」において、左の如く述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 犬神狐&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;役&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツカヒ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;などいふは、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;唐土&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;モロコシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の蠱毒の類にて、かの土には金蚕蝦蟇蜈蚣などの毒種と見ゆれど皇国にはきかず、犬神といふ術四国にありときけど（中略）、出雲の狐持といふ家も是と等し、先年領主より命ありて、此種を絶んとて多く刑にも行ひ、追放もせられしかど、猶その余残あるうへに（中略）。又そのさま怪しげに偶々聞ゆる事などあれば、狐つかひならむと云ひはすめれど、それも又別術なるか、事発覚に及ばざれば又弁知しがたき物なり。おのが是まで聞及べるは、神仏に託して奇に人の上を言ひあてて祈などに金銭を貪り（中略）。昔名高かりし真言僧などの行法に奇特とてありし事、又修験加持などして、&amp;lt;u&amp;gt;よりまし&amp;lt;/u&amp;gt;とて生霊死霊を人にうつして憤恨を云はせたり。&amp;lt;u&amp;gt;しりゃう&amp;lt;/u&amp;gt;の事、前に云ふ打臥しの巫（中山曰。此の巫女の事は既述した）の類、皆此狐役の術なるべし。今も日蓮宗の僧徒の中に、疾病の祈をなし、&amp;lt;u&amp;gt;よりまし&amp;lt;/u&amp;gt;を立てて言はする類まま聞ゆ。仏法の行力なくば、その宗の徒はすべてなすべきを、たまさかなるは狐使の別術なる故なり云々（本居全集本）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
狐憑きの発生が、憑り祈祷にある事は、これから見るも明かであって、憑座に対して&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;問&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ト&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;い&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;口&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;クチ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（大昔の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;審神&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;サニワ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の役）をする者が、仕向けるままに放言する&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;与多&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨタ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;が〔七〕、遂に厭うべく悲しむべき結果を生むようになったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
飯綱信仰は、信州の飯綱山に起り〔八〕、室町期に猖んに行われたものであって、殊に武田信玄と上杉謙信は、これが篤信者であったと伝えられている。併しながら、その行法は吒吉尼を学んだもので、他の巫覡と同じように狐を遣い、飯綱遣いとは狐遣いの別名の如く民間からは考えられていた。飯綱に関する資料も相当に存しているが、今は深く言うことを避けるとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;二　蛇神託とトウビョウ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
蛇が狐にも増して人に憑くものと考えられるのは、あの醜悪なる形態と、これに伴う幾多の説話からも知ることが出来る。今に全国的に行われているものに、蛇は執念深いものゆえ、半殺しにしておくと、人に祟るということである。而して此の蛇が、人に祟りをしたという伝説は、狐に比して更に多くのものが存しているが、これは直接ここに関係がないので省略する。古く蛇が託宣したことが見えている。「明月記」建久七年四月一七日の条に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 刑部卿参入、中世間雑談等、新日吉近日有蛇、男一人随其蛇、吐種々狂言、称蛇託宣、又云後白河院後身也云々、此事不便、書奏状進之云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのが、それである。然るに、私の寡聞なる、此の種の類例を他に全く知らぬので、比較して考察を試みる事もならず、それに此の記事だけでは、蛇が如何なる方法を以て託宣したのか、解釈に苦しむほどゆえ、ただ鎌倉期の初葉には斯うした俗信もあったと紹介して置くにとどめる。而して此の蛇が民間の憑き物となったトウビョウなるものにあっては、中国を中心として各地方に存していた。柳田国男先生は、これに就いて、左の如き有益なる研究を発表されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 蛇の神はトウビョウと云うのが、元の名であるらしい。「大和本草」に、中国の小&amp;lt;u&amp;gt;くちなは&amp;lt;/u&amp;gt;とて安芸に蛇神あり、又タウベウと云ふ。人家によりて蛇神を使ふ者あり。其家に小蛇多く集りゐて、他人に憑きて災をなすこと四国の犬神、備前児島の狐の如し云々とある（中略）。石見などでもトウビョウと云うのは蛇持又は蛇附きのことで、此を芸州から入って来たと云っている（日本周遊奇談）。安芸の豊田郡宮原村の海上に当廟島という小さな島があるのは、恐らく此神がまだ公に祀られていた時の由緒地であろう。備中にも川上郡手ノ荘村大字&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;臘数&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シワス&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に小字トウ病神がある。今日の如く此神に仕えることを恥辱と考えて隠す世の中なら、到底こんな地名は出来ぬ筈である。備中には海岸部落は犬神の勢力範囲であるが、山奥の田舎から出雲へかけてトウビョウ持と云われる家筋が多い。此辺でもトウビョウは蛇だと云うが、その形状及び生活状態というものが余り蛇らしくない。先ず其形は鰹魚節と同じく、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;長&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;短くして中程が甚だ太い。それを小さな瓶の類に入れ、土中に埋め其上に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;禿倉&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ホクラ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を立て、内々これを祭っている。此神を祈れば金持になるとのことで、其家筋の者は皆富んでいる（中略）。此神の甚だ好む物は酒であるから、折々瓶の蓋を開いて酒を澆いでやらねばならぬ。祟りの烈しい神である（藤田知治氏談）。&lt;br /&gt;
: 密閉した酒瓶の中に生息する蛇というものが、動物学上果して存し得るものか、大なる疑問である。四国は昔から犬神の本場であるが、讃岐の西部には之とよく似たトンボ神の俗信があることを、近頃荻田元広氏の親切に由って知ることが出来た。かの地方ではトンボ神と口で言って文字は&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;土瓶神&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ドヘイジン&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と書くそうである。之を思い合す時はトウビョウも亦土瓶の音で、即ち蠱という漢字の会意と同じく、本来虫を盛る器物から出た名目であった。讃岐のトンボ神は、往々にして蠱家の屋敷内に放牧してある事もあるが、又土甕の中に入れ台所の近く、人目に掛らぬ床下などに置き、或は人間と同じ食物を遣るとも、又酒を澆いでやるとも伝えられている（荻田氏報告以下同）。唯虫の形状に於ては頗る備中のものと異り、小は竹楊枝位から大は杉箸迄で、身の内は淡黒色、腹部ばかりは薄黄色、頸部に黄色の輪があって、之を金の輪と云う。身を隠すことも敏捷だとある。土瓶神持は縁組に由って新に出来る。相手の知る知らぬを問わず、娵又は聟（？）が来るときには、神も亦分封して附いて来る。連れて来るのか独りで附いて来るのかは未だ詳ならず。トンボ神持は如何なる場合にも、世評を否認するにも拘らず、金談其他で人と争でもすれば、兎角その威力を利用したがる風がある。世間の噂では、或者に怨みを抱くとなれば、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;土瓶神&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トンボガミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に向って斯う言う。お前を年頃養ったのは、こんな時の為めである。何の某に我恨みを報い玉わずば、今後は養い申すまじ云々（中略）。気の利いたトンボ神は此相談を聞く迄もなく、家主の心の動くままに、直に往って其希望を遂げさせるとのことである。此の蟲が来て憑くと身内の節々が段々に烈しく痛む、医者に言わせると急性神経痛とでも言いそうな病状である。之を防ぎ又は退ける方法は、一つには祈祷で、之を役とするヲガムシと云う巫女を依頼する。第二の方法は、至って穢い物を家の周囲などに澆き散らす（中略）。&lt;br /&gt;
: 一旦土瓶神持となれば、永劫其約束を絶つことがならぬ。唯偶然に知らぬ人の手によって、根を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;絶&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;たや&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;すことが出来れば、家にも其人にも、何等の祟りが無いと云うことで、窃にそんな折を待っている云々（以上「郷土研究」第一巻第七号）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
瀬戸内海に面した備前、備中、安芸、及び讃岐のトウビョウは、以上の記事によって詳細を知ることが出来たが、それでは日本海に面したものは如何に伝えられているかと云うに、これに就いては、「雪窓夜話抄」巻七に「伯州のタウベウ狐の事」と題して、下の如き記事が載せてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 或人曰く、伯州には村々にタウベウを持たる者あり。殊に倉吉あたりに多くありと云へり。国の御法度強く其所の人もタウベウを持つといへば嫌ふ故に、他人に深く隠して云ざるなり。是はタウベウ&amp;lt;small&amp;gt;キツネ&amp;lt;/small&amp;gt;と云て、常のキツネとは変りて、別に一種のキツネなり。形はキツネにて常の者よりも、甚だ小さく大さ鼬鼠程あり。是を見たる者は多くあり。其狐に主有て先祖より子孫に伝はりて其家を離れず（中略）。犬神に少も違はず、他の家に往て心の中にほしきと思ふ時には、本人の知らざるに向の人に附て、其物ほしきと口走りて、本人は口外に出さぬ事を他人に披露して却て其人を恥かしむ。或は瞋恨ある人には、本人は心中にて思ふ計りなるに、其人に付って讐をなす事あり（中略）。先年も倉吉に牛疫はやりて多く死せしに、此れを頼みてマジナイせしむれば即座に治す。是に依て大分の米銀をもうけたり。タウベウ持の方より附たる疫病なること、忽ち露顕して追放せられたり。少も犬神と変る事なし。狐の一名を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;専女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タウメ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云と古き書にも記せり、専女と云べきを誤てタウベウと云へるにやと云たる人もあり、さもありぬべき事ならんか。是も犬神と同じく、其人に飼れては末代まで家を離るる事なし云々（以上「因伯叢書」本）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の記事は、恐らく享保前後に書かれたものと思うが〔九〕、伯耆にあっては、トウビョウは狐であって、然も此の名称は、狐を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;専女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トウメ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云える訛語であろうと説いている。そして伯耆は言うまでもなく、因幡、美作、石見等のトウビョウは、今でも概して狐だと云われているが、事に東伯地方では、七十五匹が一群団であって、世間の噂にトウビョウ持の家に往くと、縁側とか板ノ間とかなどで、間々これの足跡を見受けることがあるそうで、こうした家で拭き掃除を怠らぬのは、即ちその足跡を人目に触れさせぬ用心だと言われている〔一〇〕。トウビョウが、蛇であろうが、狐であろうが、所詮は巫覡が糊口の為めに言い出した俗信上の動物であって、大昔から誰あって定かに見極めたという者がないのであるから、私は此の詮索には余り深入りせぬ考えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;三　犬神と猫神と狸神&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
四国は昔から狐が居らぬと言われているだけに、狐憑きは無いが、その代りに、犬神と称する憑き物が跋扈している。犬神の起源に就いては、「土州淵岳志」巻六に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 讃州東ムギといふ所に何某あり、讐を報ずべき仔細あれども時至らず、日夜これを嘆く。或時、手飼の犬を生ながら地に掘埋め首許り出し、平生好む所の肉食を調へて、犬に言って曰く、やよ汝が魂を吾に与へよ、今この肉を食はすべしとて、件の肉を喰はせ刀を抜いて犬の首を討落し、それより犬の魂を彼が胸中に入れ、彼れ仇を為したる人を咬み殺し、年来の素懐を遂げぬ。それより彼が家に伝りて犬神と云ふものになり、婚を為せば其家に伝り、さて土佐国へは境目の者、かの国より婚姻しけるにより、入り来たると云ふ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と載せてある。これに由れば、犬神の本家は讃岐という事になるが、讃州にとっては、此の上もない迷惑千万のことと言わなければならぬ。全体、こうした憑き物などは、どこが本家で、どこが分家だなどと云われべきものではなく、土地によって、多少の前後と、粗密こそあれ、そう明確に知れる筈がないのである。併しながら、同じ四国でも此の犬神なるものが、阿波国が殊に猖獗を極めていただけは、事実のようである。「阿波志料飯尾氏考」に収めてある緒方氏所蔵文書に左の如きものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 　　　　　犬神下知状&lt;br /&gt;
: 阿波国中使犬神輩在之云々。早尋捜之可致罪科之旨。相触三郡（中山曰。麻殖、美馬、三好の三郡）諸領主堅可被加下知候由也。仍執達如件。&lt;br /&gt;
: 　　文明四（年）八月十三日　　常連（花押）&lt;br /&gt;
: 　　　三好式部少輔殿&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして領主が公文書まで発して、犬神の剿絶に配慮しているところから推すと、阿波の国民は、相当に此の問題で苦しめられて居たことが知れる。勿論、領主が斯かる手段を採ったことは、独り阿波だけではなく、柳田国男先生によれば、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 土佐の犬神は「土佐海続編」に最も詳しく、其形は山中に栖むクシヒキネズミに似て尾に節あり、毛は鼠に似たり、乾して持つ者往々にしてありとある。長宗我部氏の治世に犬神を吟味して、死刑に行い家を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;絶&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;たや&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;したが、其子孫稀に存し、昔は之を賤んで参会言語する者が無かった。其家では&amp;lt;u&amp;gt;口寄&amp;lt;/u&amp;gt;などと同じく、狗の首を神に祀っているともあれば、犬神の名称は使う神の形からでは無いのかも知れぬ。又こんな事も書いてある。犬神は伝教大師に伴い帰り、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;弦売僧&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツルメソ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に附属する神なり、サイトウ、オオサキ、クダとも謂う。土州にて捕えたるはサイトウと云う者なり云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのを見ると〔一一〕、土佐の犬神の跳梁も、又頗る猛烈であったようである。更に前掲の「土州淵岳志」の続きの記事に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 土州の地に蠱を畜うる者多し、別て幡多郡に多し。「御伽奉公」という草子に土佐幡多郡狗神の事とある之也。能く人を魅す、然も大人正明の人に入ること無し。一度此蠱に逢えば、病形痛風にて骨節犬の咬むが如く、熱盛んにして譫言妄語す。蠱を畜うる家其祖先に、此鬼を祭りて財を利し富を致す者あり、遂に其家に托りて去らざるなり。民間義を知る人は、蠱を悪む事癩脈の如く婚嫁をなさず、婢僕を召抱えるにも之を詮議する事也。蠱家は之を包み隠せども、其鬼を避くるの術無し。愚婦庸夫に付くに針灸祈祷するに、偶々去る事あり。或は筋骨を咬みて遂に殺すことあり（中山曰。茲に其一例を挙げてあるが省略す）。按ずるに讃州予州に猫蠱と云うものあり土州に無し。「北山医話」に本邦四国之地、不知蠱狐、其気何自相反也、俗に言う狐魅の人四国に来れば、其魅自ら去ると。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猶お此の外に、周防長門両国の犬神、肥後阿蘇谷のインガメ、琉球のインガマなど書くべきことも相当に残っているが、大体を尽すにとどめて、今は省略に従うこととした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猫神に就いては『伊予国宇摩郡では、猫を殺すと取りつくと称して、決して猫に害を加へぬ。先年、上山の弥八といふ豪農の主人が誤って猫を殺し、遂に発狂して「猫がとりついた」と独言を云ひつつ乞食になった』と伝えられている〔一二〕。併しながら、是れはまだ個人的の問題であって、巫覡を介しての社会的問題にまでは発展していぬが、更に紀州辺の猫神のことを聞くと、ここでは純然たる巫女の憑き神になっている。而して南方熊楠氏の報告を集めた「南方来書」巻十には、左の如く載せてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 田辺町と山一つ隔てし岡（中山曰。紀伊国西牟婁郡岩田村の大字）という村落の小学校長の談に、此の岡には今も代々の巫子数家あり（中略）。此の者の言うには、蠱神は三毛猫を縛り置きて、鰹魚節を示しながら食わせず、七日経るうちに猫の慾念はその両眼に集る。その時その首を刎ね、其頭を箱に入れて事を問うとの事なり。熊楠思うに、かかる事は毎度聞くところにて、安南にても犬をかくする事あり、吾国の犬神に同じ。又国により人の胎児を用うることあり。「輟耕録」に見えたる小児を生剥して、事を問う術なども大抵似たことなり。此の岡の巫子は隠亡の妻なりと聞く。猿、犬、猫などは仮話にて、実は人間の頭を用うるならずやとも存ず云々（大正元年十二月二十八日附）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の猫神の作り方は、誰でも知っている大昔に本願寺の毛坊主が、好んで信徒に与えたと伝えられてる「お&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;白薬&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シロクスリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」なるものと、全く同一の製法であって、ただ原料が猫と犬との相違だけである。少しく蛇足の嫌いはあるが、こうした怪事が行われたという往昔の民間信仰を知る旁証として、要点だけを下に摘録する事とした。「松屋筆記」巻三十九に「抜莠撮要」と題する上州高崎善念寺の僧秀覚筆記の復写本を引用して曰く、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 紀州法然寺円成上人ハ、十八歳ニシテ出家ス、則一向宗ノ人也（中略）。其母語云我宗ニ&amp;lt;u&amp;gt;御白&amp;lt;/u&amp;gt;ト云事アリ、何ヲ以テ作ル事ヲ知ラズ、或云白犬ヲ養ヒ、其犬ヲ全ク地中ニ埋ミ、首ノミヲ出シテ種々ノ珍味ヲツラネ其首ノ前ニ置ク、白犬此ヲ喰ント食物ヲ念ジテ、気単ニ逼ルニ及ビテ犬ノ首ヲ切テ、是ヲ焼灰トナス、此灰ヲ人ニ与ル時、其人大信ヲ起シテ単ニ身命ヲ顧ズ、財宝ヲナゲウツト云（中略）。両本願寺東都参向ノ時分、道俗均ク御杯頂戴ト云フ有リ、御杯頂戴ノ事ニアラズ御灰頂戴ノヨシ、各土器一枚ヲ得テ歓喜ス、此灰ハ親鸞聖人ノ遺灰ニシテ、此灰ヲ服スル時此身則親鸞聖人ナリト伝授ス、一説ニ此事ヲ&amp;lt;u&amp;gt;御白&amp;lt;/u&amp;gt;ト云ト（中略）。&amp;lt;u&amp;gt;御白&amp;lt;/u&amp;gt;ノ事西国中国辺ノ人ハ時々云出ス事アレド、関東ニテハアマリ沙汰セヌ事也、秀覚{上野高崎/善念寺僧}知己ニ深川某寺ノ上人モト一向宗也、児ノ時&amp;lt;u&amp;gt;御白&amp;lt;/u&amp;gt;ノ事ヲ聞知リ、&amp;lt;u&amp;gt;御白&amp;lt;/u&amp;gt;ハ白犬ノ灰也ト云テ、母ニ叱ラレシト語キ、此上人モ中国産也云々（以上「国書刊行会」本）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かかる事が果して行われたものか否か、今から思うと腑に落ちぬことであるが、それにしても斯うした悪説を宣伝された本願寺にとっては、此の上もない迷惑のことであったに相違ない。併しその詮議は、姑らく措くとするが、兎に角に、大昔にあっては、斯うして、猫なり、犬なりの首を、一種の呪力あるものとして信じていたことだけは事実である。讃岐の犬神の作り方に就いても、これと全く同じ方法が伝えられている所から見ると〔一三〕、古くは蠱術家が一般に遣ったことと思われるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
狸神は寡見の及ぶ限りでは、殆んど阿波一国に限られているようである。由来、阿波には動物に関する不思議の伝説が多く、事に首切り馬の如きは、今に正解を見ぬほどの難問題である。而して同国の狸神に就いて、未見の学友後藤捷一氏の記す所によると、狸が人に憑いたり、又は悪戯をするので、これを神に祀った祠は、枚挙に遑なしというほど夥しく存しているが、就中、徳島市寺町妙長寺の「お六さん」というのは、狸合戦（有名な八百八狸の物語である）に関係した女狸で、相場師、漁夫、芸妓などの俗信を集めている。同市佐古町大谷臨江寺の「お松さん」も、同様に、狸合戦に出た女狸であるが、これは縁結びの神として崇拝されている。同市住吉島町に「おふなたさん」と称する神社があるが、此の神体は子供を十二匹連れた狸で、子供の無い人が祈願する。そして何処の家でも、狸が憑くと、先ず陰陽師か修験者を頼んで、祈祷して貰うのが常であるが、これを落すのに、唐辛で燻べ殺したということも耳にしている。併し大抵は、神々の護符を戴かせて、退散させるのである。此の時には必ず、狸が憑いた動機や名前を語り、最後に祠を立てて祀ってくれなどと註文を出すそうである〔一四〕。併しこれに由ると、狸神は、狸その者が無邪気であるだけに、犬神や蛇神などにくらべると、極めて罪が浅いようである。猶此の外に、備後のゲトウ、伊予のジャグマ、陸中のオクナイサマなど記すべきものもあるが、大体において共通したものと信ずるので、一臠を以て全鼎を推すとして省略する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;四　牛蒡種と吸い葛&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「牛蒡種」は、飛騨国の一部に行われている憑き物であるが、これに関しては、曩に私見を発表した事があるので〔一五〕、これを要約して載せるとする。即ち牛蒡種とは、その憑き工合が、恰も牛蒡の種のそれの如く、一度ついたら容易に離れぬと云う意味に解されているが、これは全く護法実（この事は[[日本巫女史/第二篇/第二章/第一節|既述]]した）の転訛にしか過ぎぬのである。而して此の俗信の行われている地域、及びその状態に就いては、「郷土研究」第四巻第八号に左の如く掲げてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 牛蒡種という家筋は、飛騨の大野、吉城の二郡と、益田郡及び美濃国恵那郡の一部とに散在し、更に信濃の西部にも少しあると云う。此の家筋の男女は、一種不思議の力を有すると云われていて、家筋以外の者に対し、憎いとか嫌だとか思って睨むと、その相手は、立ちどころに発熱し頭痛し、苦悶し悒悩して、精神に異状を来たし、果は一種の瘋癩病者の如くになり、病床に呻吟するに至る。幸に軽い者は数十日で恢復するが、重い者になるとそれが原因で死ぬこともあるという。そして此の力は家筋同士の間には効験がなく、また他の者に対して斯くの如き力を用いつつある間も、自分には何等の異状を起さぬそうである。吉城郡上宝村大字双六という部落などは全戸この家筋から成立ってるように噂されていて、他村の者は甚だしく之を怖れ憚っている。また美濃国恵那郡坂下村大字袖川という所にも、此の家筋の者が居住し、或はその家から女を妻に貰った男などは、妻に対して如何ともする事が出来ず、一朝、妻の怒りに触れると、夫は忽ち病人になるという有様で、此の種の女を妻とした男は、是非なく洗濯もすれば、針仕事もするというような訳で、全く奴隷同様の境遇に落ちるという話である。但し牛蒡種の威力も、いくら部外の人でも、郡長、警察署長、村長とかいう目上の者に対しては、効果を発揮することが出来ぬ云々（中山曰。此の点は土佐の犬神と同じで、これが俗信であることを証明する上に注意すべき点である）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の憑き物の正体は極めて簡単であって、[[日本巫女史/第二篇/第二章/第一節|既述]]した&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;護法実&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ゴホウダネ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と称する巫覡の徒が、此の地に土着し、それの子孫が一般の民衆から忌み嫌われたために（此の例は殆んど全国に存している）生じたものにしか過ぎぬのである。従ってこれが、下層の民衆の間にのみ行われ、知識階級に対して少しも呪力が無かったというのも、又この結果に外ならぬのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
吸い葛の行われている範囲に就いては、寡聞のためよく判然せぬが、「雍州府志」巻二によれば、洛北の貴船神社の末社に、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;吸葛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;スイカズラ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;社の在ることが見えているので、古く近畿に此の俗信の行われたことが推察される。更に「嬉遊笑覧」巻八に「屠龍工随筆」を引用して、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: いづことも限らず、&amp;lt;u&amp;gt;すいかづら&amp;lt;/u&amp;gt;といふも有となむ、その祀りやう人の知らざる密なる所に穴を掘て、蛇をあまた入置き神に崇めて遣ふ法、大かた犬神にひとし。&amp;lt;u&amp;gt;すいかづら&amp;lt;/u&amp;gt;付られたる人は、熱甚だしく心身悩乱するを、病家それと知りぬれば、宝を送り遣せば病癒ると聞けり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と載せてある。之に由れば、蛇神の一種で、トウビョウの地方化とも思われる。猶お此の外に、オトラ狐、ナマダコ、白神筋など云う憑き物も存しているが、別に取り立てて言うほどの特種のものではなく、且つナマダコや、白神筋に就いては、後段でこれに触れる機会もあろうと考えるので割愛し、最後に是等に対する結論ともいうべきものを附記して、本節を終るとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
是等の憑き物が、我国の固有のものでなくして、殆んどその悉くが、支那思想の影響であることは、疑うべからざる事実である。されば、此の事に就いては、古くから識者の間には説があり、「榊巷談苑」の著者の如きは、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 四国に犬神といふ&amp;lt;u&amp;gt;まじもの&amp;lt;/u&amp;gt;あり、唐国にては犬蠱と云ふ（中略）。又陶瓶をば蛇蠱と云ふ、共に干宝の捜神記に見えたり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と言うている。山岡浚明翁も又その著「類聚名物考」において、全くこれと同じ意見を述べ、然も猫鬼の事にまで論及している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は彼之の共通——と云うよりは、更に一歩を進めて、我国が支那の巫蠱に学んだことを証示する為に、茲に「捜神記」より、その原拠となっている文献を検出するとするが、犬神に就ては、同書巻十二に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 鄱陽趙寿有犬蠱、時陳岑詣寿、忽有大黄犬六七、群出吠岑、後余相伯婦、与寿婦食、吐血幾死、乃屑桔梗以飲之而愈、蠱有怪物若鬼、其妖形変化雑類殊種、或為狗豕、或為蟲蛇、其人不自知其形状、行之於百姓、所中皆死。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのがそれである。勿論、支那のものがそのまま我国に行われているとは云えぬが、併しその蠱術の根本が、共通したものであることは、肯定されるのである。次にトウビョウと称する蛇神に関しては、同書同巻に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 滎陽県有一家、姓廖、累世為蠱、以此致富、後取新婦、不以此語之、遇家人咸出、唯此婦守舎、忽見屋中有大缸、婦試発之、見有大虵、婦乃作湯灌殺之云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあり、彼之全く一致していることが推知される。殊に柳田国男先生の記された所によると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 旧幕時代に、或人が国普請の夫役に当って、讃岐中部の某村に往き、ある家に宿を借りて日々普請場に通っていた。一日家へ帰って見ると家の者は皆留守で、台所の鑵子に湯がぐらぐら煮えている。一杯飲もうと不斗床の下を見ると蓋をした甕がある。茶甕かと思って開けて見れば、例の神（中山曰。トンボ神）がうようよと丸で泥鰌の籠のようであった。乃ち熱湯を一杯ざっぷと掛けて蓋をして置いた（中略）。其家では大喜びで、普請で知らぬ人を宿したお蔭に、永年の厄介物を片付けることが出来たと云っていた云々（以上「郷土研究」第一巻第七号）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのは、「捜神記」に、何も知らぬ新婦が、熱湯を以て蛇蠱を灌殺したとあるのと、全く同巧異曲の物語と云えるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に狐蠱にあっては、一段の類似性を有している事が発見される。例えば寛政頃に奥州の事を書いた「黒甜瑣語」第四編に載せた、羽後の秋田で、梓巫女に宿を貸した男が、巫女に酒を強いて酔潰れて、臥た間に、巫女の用いる髑髏と、墓地で拾って来た只の曝頭と入れ換えて置くと、翌朝一旦帰った巫女、面色土の如くなって戻り来り、悪戯も事にこそよれ、早く本物の髑髏を返せと云うので、その理由を語れと云いしに、この髑髏は、千歳の狐、形を人に変ぜんとする修行に、頭に戴いて北斗を拝するとき用いたもので、稀には野外でこれを見つけることがあるも、その徴には必ず枯木で作って杓子のような物が添えてある、これをボッケイと云うとあるのは、時珍の「本草綱目」に『狐至百歳礼北斗、変為男婦』とあるのから派生したもので、私などが子供の折によく見た大雑書には、狐が髑髏を頭に載せて北斗を拝んでいる挿絵があったものである。猫神も狸神も、その原拠を支那に求めることは決して難事なく、従って是等の蠱術が挙げて支那のを学んだものであることが判然するのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
由来、我国の巫女の行いし呪術は、その原義においては、北方民族の間に発達したシャマニズムの系統に属しているものであるが、その発生地であるシャーマンに是等の蠱術の存在せず、且つ我国で工夫されたものと、積極的に説明すべき証左の無い点から見るも、これが支那の影響である事は、多言を要する迄もないと信じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 〔註一〕 : 我国の憑き物の就いては、前に柳田国男先生が「巫女考」のうちに連載され、後に「民族と歴史」では「憑物研究号」の特別号を出されている。詳細は是等によって知ってもらいたい。&lt;br /&gt;
; 〔註二〕 : 稲荷神と、吒吉尼天との習合に関しては、伴信友翁の「験の杉」に委曲を尽している。三州の豊川稲荷は、その代表的のものであって、古くは稲荷というも、実際は荼吉尼天であったと聞いている。&lt;br /&gt;
; 〔註三〕 : 狐を専女と称し、これを殺したために配流された例は、「古事談」その他に散見しているが、今は煩を避けてわざと載せぬこととした。&lt;br /&gt;
; 〔註四〕 : 「郷土研究」第一巻第七号。&lt;br /&gt;
; 〔註五〕 : 「民族と歴史」の「憑物研究号」参照。&lt;br /&gt;
; 〔註六〕 : 同上。&lt;br /&gt;
; 〔註七〕 : ヨタと云う言葉は、現時では、出鱈目とか、戯談とかいう意味に用いられているが、その起源は、神託に関係ある言語であるらしい。近江の官幣大社多賀神社を初めて祀った者を与多麿と称し、紀州の官幣大社日前国県神宮に与多と称する神職があり、更に下総の官幣大社香取神宮に近きところを与多浦というなどは、此の考えを裏付けるものと思うている。&lt;br /&gt;
; 〔註八〕 : 飯綱信仰に就いては、記述すべき多くの資料を有しているが、余りに長文になるのを恐れて省略した。そして此の信仰を言い立てた行者は、山伏と殆んど択むなき呪術を行ったもので、信仰の対象にこそ多少の相違はあれ、実質は両者ともに同じようなものである。&lt;br /&gt;
; 〔註九〕 : 「雪窓夜話」の筆者である上野忠親は、宝暦七年に七十二歳で死んでいる。更に同書巻七に「備前の&amp;lt;u&amp;gt;たふべう&amp;lt;/u&amp;gt;の事」と題せる記事が載せてあるが、此の方のトウビョウは蛇だとあるから、古くから此の物の正体が不明であったことが知られる。私は是等の動物（オサキ狐、クダ狐、ジン狐、トウビョウなど）は、所謂、妄想上の動物であると信じているから、正体を見た者がなく、従って正体不明が却って正当だと考えている。&lt;br /&gt;
; 〔註一〇〕 : 前掲の「憑物研究号」。&lt;br /&gt;
; 〔註一一〕 : 「郷土研究」第一巻第七号「犬神蛇神の類」参照。&lt;br /&gt;
; 〔註一二〕 : 同じく「憑物研究号」。&lt;br /&gt;
; 〔註一三〕 : 「憑物研究号」に讃岐の犬神の話とて、白犬を首だけ出して地中に埋め、飯を見せびらかした後に首を切ると云うのが載せてある。&lt;br /&gt;
; 〔註一四〕 : これも「憑物研究号」に拠った。&lt;br /&gt;
; 〔註一五〕 : 私が、牛蒡種は護法実なりとの考証を「医学及び医政」の誌上へ発表連載したのは、大正九年頃と記憶している。其の折に喜田貞吉氏から、拙稿を見て自分もそう考えていたとの書信に接した。そして喜田氏が「憑物研究号」に牛蒡は護法実なりともいうべき論説を掲載されたのは、大正十一年のことである。喜田氏は有名のお方であるのに反して私は無名の者、学説を剽窃したなどと思われるも折角だから、誤解を避くるため敢て附記する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:中山太郎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
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		<title>トーク:日本巫女史/第一篇/第七章/第三節</title>
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		<updated>2010-01-26T00:08:48Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: 政事要略&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.278&lt;br /&gt;
** 「顕神明之憑談（カムカガリ）」の振り仮名を「カムガカリ」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年3月3日 (火) 19:15 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.279&lt;br /&gt;
** 説かれし如く〔二〕直後の句点は、正しくは読点と思われるの適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 20:04 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.281&lt;br /&gt;
** 「主人（ウシ）」の振り仮名を「ヌシ」に改めた。(l.2, 9)--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年3月3日 (火) 19:30 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.283&lt;br /&gt;
** 「用ゐられるやになった」は、正しくは「用ゐられるやうになった」と思われるため適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 20:04 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.286&lt;br /&gt;
** 禱文に対応する英単語として原文にある「Chapm」は、正しくは「Charm」であろうと思われるため適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 20:04 (JST)&lt;br /&gt;
** 「祝詞やうなものが有つたか、無かつかと云ふ一事」は、正しくは「祝詞のやうなものが有つたか、無かつたかと云ふ一事」と思われるため適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 20:04 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.289&lt;br /&gt;
** 註一二にある「政事政略」は、正しくは「政事要略」であるため改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年2月22日 (日) 23:10 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
* 本文から註一七に対するリンクが欠けている。また、以降のリンクが一つずれている。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 05:35 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.279&lt;br /&gt;
** 日本書紀の引用中「除是神有神乎」は、正しくは「除是神復有神乎」ではないのか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 20:04 (JST)&lt;br /&gt;
** また、「玉籤入彦厳之事代主神有之也。」は、正しくは「「玉籤入彦厳之事代神有之也。」」ではないか。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年2月15日 (日) 01:12 (JST)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
* 底本 p.284&lt;br /&gt;
** 「神南備 神依&amp;lt;板&amp;gt;尓 為杉乃 念母不過 戀之茂尓」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?09/1773 万葉集 9-1773]）&lt;br /&gt;
* 底本 p.288&lt;br /&gt;
** 「私は決して神功皇后を以て、巫女なり霊媒者なりと申すものでは無く」: 官憲の目が怖かったものと見える。ただ、諄いほど繰り返し書いている点を逆に考えれば、「神功皇后は巫女だと考えるが、それは本書には書けなかったのだ」という中山太郎の言外のメッセージと解すべきか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月26日 (火) 20:04 (JST)&lt;br /&gt;
*** [[日本巫女史/結語|結語]]に関連する記述あり。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年11月8日 (土) 03:56 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%AF%80&amp;diff=1304</id>
		<title>トーク:日本巫女史/第一篇/第一章/第四節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%AF%80&amp;diff=1304"/>
		<updated>2010-01-26T00:04:09Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
* 底本 p.104&lt;br /&gt;
** 「魏志」倭人伝中の「壱与(壹與)」は、「魏志」以外の文献では「台与(臺與)」と表記される。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月18日 (月) 18:01 (JST)&lt;br /&gt;
** 卑弥呼が「無夫婿」であったとするのは、特定の夫を持たなかったという意味に解釈すべきか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月18日 (月) 18:01 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.106&lt;br /&gt;
** 「玉葛 實不成樹尓波 千磐破 神曽著常云 不成樹別尓」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?02/0101 万葉集 2-101]）&lt;br /&gt;
**  「千磐破　神之社四　無有世伐　春日之野邊　粟種益乎」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?03/0404 万葉集 3-404]）&lt;br /&gt;
* 底本 p.111&lt;br /&gt;
**  （[http://www.cac-net.ne.jp/~inohanda/koutei04.html 駁戎慨言]）&lt;br /&gt;
* 「或は官憲の欲せざるところ」&lt;br /&gt;
** [[ノート:日本巫女史/第一篇/第七章/第三節]] など参照せよ。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1301</id>
		<title>日本巫女史/第三篇/第二章/第一節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1301"/>
		<updated>2010-01-08T04:56:01Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[日本巫女史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第三篇|第三篇　退化呪法時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第三篇/第二章|第二章　当代に於ける巫女と其の呪法]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第一節　文献に現われたる各地の巫女と其の呪法==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
巫女は堕落し、呪法は形式化した当代のこととて、文献に現われたものは、異流を雑糅し、異法を混淆してあって、それを体系づけて、一々整然と書き分けることは、殆んど不可能と云っても差支ないほどである。それ故に、私は大体同じような記録を一まとめに記述する程度にとどめて置くとする。元より資料の整理が行届かなかったという高叱は、此の場合甘んじて受ける所存である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;一、巫女の持った人形の二種&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「謡曲拾葉集」に、[[日本巫女史/第二篇/第二章/第二節|前]]に載せた葵ノ上の『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;寄&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;り&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;人&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;マシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;は今ぞ寄り来る長浜や、芦毛の駒に手綱ゆりかけ』の呪歌を解読して、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 寄人は寄神とも降童とも云ふ、或は生霊死霊を祈る時、彼の霊の代りに童子をそなへ置て祈つけ、降参さする事なり、或は霊を人形に作り藁にて馬など拵へかの人形を乗せて祷り、終りて後に川へ流す事もあり、この歌も是等の事を詠めると見えたり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのは、遂に巫道に通ぜぬ千慮の一失であった。解説の前半は、その通りであるが、後半の霊を人形に作り、藁の馬に乗せて川に流すとは、全く贖物の思想であると同時に、芦毛の駒云々の字句から想像した無稽の事である。此の呪歌の意義に就いては、私の学問の力では釈然せぬことは既述の如くであるが、拾葉抄の著者が考証したような事実を、此の呪歌から検出することは無理であるし、且つかかる呪法の存したことを曾て見聞せぬのである。何か巫女の持っている人形などから、想いついた説のようにしか信じられぬ。併しながら、当代の巫女が、怪しげなる物を呪力の源泉として、所持していたことは考えられる。而して是れには、（Ａ）外法頭を持ったものと、（Ｂ）単なる人形を持ったものとの二つの系統が存していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ａ、外法頭を持った巫女&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「嬉遊笑覧」巻八に、「龍宮船」という草子を引用して、左の如き記事が載せてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 予が隣家に、毎年相州より巫女来りけるが、往来の事を語るに当らずといふ事なし。或時、袱紗包を忘れ置たり。開きて見るに二寸許の厨子に、一寸五分程の仏像ありて、何仏とも見分がたく、外に猫の頭とも云べき干かたまりし物一ツあり。程なくかの巫女大汗になりて走り来り、袱紗包を尋ねける故即ち取出し遣し、扨是は何作なるぞとたづねければ、是は我家の法術秘密の事なれども、今日の報恩にあらあら語り申べし。是は今時の如く太平の代には致しがたき事なり、此尊像も我まで六代持来れり、此法を行はんと思ふ人々幾人にても言ひ合せ、此法に用ゐる異相の人を常々見立置き、生涯の時より約束をいたし、其人終らんとする前に首を切り落し、往来しげき土中に埋み置く事十二月にて取出し、髑髏に付たる土を取り、言ひ合せたる人数ほど此像を拵へ、骨はよくよく弔ひ申事なり。此像はかの異相の神霊にて、是を懐中すれば如何やうの事にても知れずといふ事なしといふ。今一ツの獣の頭のことも尋ねけるが、是は語りにくき訳あるにや大切の事なりとばかり言ひける由、これなん世上にいふ外法つかひと云ふ者なるべきか（近藤活版所本）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
是れ殆んど符節を合わすが如き狐の髑髏を持つ事実のあったことが、奥州の見聞を書いた「黒甜瑣語」に載せてあるが、これは[[日本巫女史/第二篇/第五章/第一節|既述]]したので、ここには省略する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｂ、人形を持った巫女&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
奥州のイタコが公然と持っているオシラ神と称する人形とは異り、外法箱の中に、秘密に収めた人形を持った巫女は、諸書に散見しているが、やや詳しく記してあるのは、根岸鎮衛の「耳袋」巻三に、「矢作川にて妖物を拾ひ難儀せし事」と題せるものと思うので、左に転載することとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 宝暦の始めには、三州矢作橋、御普請にて、江戸表より、大勢役人職人等、彼地へ至りしに、或日人足頭の者、川縁に立ちしに、板の上に人形やうのものを乗せて流れ来れり（中略）、面白きものと、取て帰り、旅宿にさし置けるに、夢にもなく、今日かかりし事ありしが、明日かくかくの事あるべし、誰は明日煩ひ、誰は明日いづ方へ行べしなど、夜中申けるにぞ、面白き物也、これはかの巫女などの用る外法とやらにもあるやと、懐中なしけるに、翌日もいろいろの事をいひけるにぞ、始めの程は面白かりしが、大きにうるさく、いとひ思ひしかども、捨てん事も又怖ろしさに、所のものに語りければ、彼者大に驚き、由なきものを拾ひ給ひけるなり（中略）、其品捨給はでは禍を受る事なりと言ひし故、せん方なく、十方にくれて如何し可然哉と、愁ひ歎きければ、老人の申けるは、其品を拾ひし時の通り、板に乗せて川上に至り（中略）、彼人形を慰める心にて、其身うしろに向いて、いつ放すとなく、右船を流し放して、跡を見ず立帰りぬれば、其祟りなしといひ伝ふ由、語りけるにぞ、大きに悦び、其通りなして放し捨しと也（日本芸林叢書本）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の拾った人形が、単なる木像であったか、それとも前掲の如き、外法頭系のものか判然せぬが、私は木像であったと考えたい。それは、記事中に『其人形のやう、小児の翫びとも思はれず』とあるが、神仏いずれとも見定め難きほどの物と思われるので、ここには単なる木像と見るのが穏当であろう。而してそれとこれとは、趣きを異にしているが、斯うした呪物が、水を恐れる話は、他にも聴いている。南方熊楠氏の談に、紀州の某が、大阪で、猫神を所持していると、米相場で金儲けが出来るとて、それを所持していたところ、金は儲かるが、夜となく、昼となく種々なことを告げ知らせるので、うるさくもあり、怖ろしくもなり、遂に淀川の水中に身を没し、天窓まで水をかぶっていて、漸く猫神を離したとのことであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;二、口寄せの種類とその作法&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
市子の呪術も、当代に入るとその範囲も狭められて来て、専ら民間の——それも少数の愚夫愚婦を相手にするようになり、国家の大事とか、戦争の進退とかいう、注意すべき問題に全く与ることは出来なくなってしまい、漸く、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 一、口寄せと称する、死霊を冥界より喚び出して、市子の身に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;憑&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;かか&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;らせて物語りをする（俗にこれを「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;死口&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シニクチ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」という）か、これに反して、遠隔の地にある者の生霊を喚び寄せて物語りする（俗にこれを「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;生口&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イキクチ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」という）こと&lt;br /&gt;
: 二、依頼者の一年間（又は一代）の吉凶を判断する（俗にこれを「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神口&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミクチ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」とも「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;荒神占&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;コウジンウラナイ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」ともいう）こと&lt;br /&gt;
: 三、病気その他の悪事災難を治癒させ、又は祓除すること&lt;br /&gt;
: 四、病気に適応する薬剤の名を神に問うて知らせること&lt;br /&gt;
: 五、紛失物、その他走り人などのあったとき、方角または出る出ないの予言をすること&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この位のものになってしまった。而して是等のうちで、尤も依頼者も多く、市子としても収入の多かったものは、死口、生口、神口の三つで、当代の市子といえば、直ちに口寄せを意味し、口寄せといえば、又この三つを意味するものと思われるまでになっていたのである。就中、民間の信仰をつないでいたものは死口であって、亡き両親や、同胞の死霊、又は亡き恋人や、友人の死霊が、市子の誘うままに幽界から出て来て、明界にいる子孫なり、関係者なりと、談話を交えるというのであるから、不思議にも思われ、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神事&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミゴト&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と信じられたのも無理のないことで『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;が語る声まで、死んだ母親そっくりだ』などとは、幾度となく聴かされたことで、且つ三歳か五歳で夭折した子供の死霊が現われて、地獄の苦しみを物語る哀れな&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;声音&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;こわね&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を耳にしては、その親たるものは、涙を絞り袖を濡らし、信ぜざらんとしても、迷わざるを得ぬのである。最近に金田一京助氏が記された実見談によると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 姉の家で、口寄せした時には（中略）、例の珠数を押し揉み押し揉み、口に唱えごとを繰返しているうちに、それが一種の歌に聞きとられる様になって来た。その歌詞は、姉などは聞き覚えに&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;暗&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;そら&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;んじている程、いつもきっと出て来るきまりの文句らしく、『……声はすれど、姿は見えの（ぬの訛りらしい）、影ばっかりに……』すると、髣髴として、亡き魂がそこに降りでもするような気分が座に満ちて来て、笑ったものも笑顔を収め、動いていたものも&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;鳴&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;なり&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を鎮めてじっとする其の時、呪女の口からは、『五十九で亡くなった仏様を』とだけ頼んで、にじり出た姉へ向って云うような口調で『お前には苦労を掛けた……』と聞かれるような歌になった。と亡父の生前死後、羸弱な身を以て私に代って一家の世話を見つつ、浮世の辛酸を、滓の滓まで飲み尽した姉は、わっと泣きくずれて、『お父様、もう其の御一言で沢山です』と咽び入る云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるように〔一〕、気丈なものでも——馬鹿々々しいとは思っていながらも、引き入れられるのが常である。巫女が科学を万能とする現代においても猶お、残喘を保って、各地に存しているのは、全く此の呪法を行うことに由るのである。而して此の呪法を行うには、又左の如き種々なる作法があったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ａ、手向の水ということ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:死口市子一.gif|thumb|死口を寄せている市子（外法箱膝のは梓弓前のは手向の水）]]&lt;br /&gt;
[[画像: 死口市子二.gif|thumb|left|死口を聞いている人々（川柳本所載）]]&lt;br /&gt;
市子は口寄せの折には、その対象が、死霊と生霊と神口との別なく、必ず依頼者に、茶碗その他の器物に水を盛らせ、それを巫女の膝の前（又は机の上）に置かせて、死霊の場合には、枯葉（又は樒の葉）で左廻わしに三度水を掻かせ、生霊の場合には、青い木葉（種類は何でもよい）で右廻わしに三度掻かせ、神口の場合には、紙撚り（併しこれも流派によって一定せぬが、大体は先ずこうである）で水を三度掻き廻させる。此の水を手向けることは、巫女が呪術を行うに大切なものとされていて、出て来る霊魂が『よくこそ水を手向けてくれた』と云うほど、重い儀軌？になっているのであるが、さて此の理由に就いては定説を聞かぬ。「松屋筆記」巻八七に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 塩尻（中山曰。天野信景翁の著書）一ノ巻に或人云、凡そ亡者の霊に水を手向るは仏法に効へるなりと、予按に是我国上古の習俗歟、「日本紀」一六に鮪臣が死せし時、影媛哀傷の倭歌を詠じて「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;玉笥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タマケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;飯盛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イヒモリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;玉椀&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タマモヒ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;水盛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミヅモリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」などいひ、其葬の時「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;水喰&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミヅクヒ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ごもりみな&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;酒&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ソソ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ぎ」の詞あり、これ我国仏教来らざる以前の事也、仏氏といへども餓鬼の他、仏菩薩等に水手向る事なし（中略）「空華談叢」巻一に亡霊薦水六則あり、可考合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と載せてある。之に由れば、巫女がその霊に水を手向けることは、我が古俗のようにも考えられるのであるが、単に是だけの資料で決定するのは危険である。殊に仏法にも亡霊薦水の法があるというし、且つ故前田太郎氏の研究によると、死者の霊に水を手向ける土俗は、殆んど世界的に偏在していたというから〔二〕、これは我が古俗にも存し、仏法にも在ったもので、巫女のそれは、古俗に仏法を加えたものと見るのが、微温的ではあるが、穏当だと考える。樒ノ葉を用いるに至っては、仏法の影響と見るも〔三〕、蓋し何人も異議のない事と思う。故長塚節氏の力作「土」には、茨城県下の農村における巫女の所作が克明に委曲に描かれているが、生口を寄せる一節に、巫女が『白紙&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;手頼&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;たよ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;り水手頼り、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;紙捻&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;こより&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;手頼りにい……』と唱えたと記している。此の水の手向けは古くから広く行われていたようである。而して此の手向の水ということが、後には市子に祈祷してもらえと云う意味に転用されるようになり、呼び出される死霊が『水が足らぬ』とか『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;水向&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミズムケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を頼む』と云うのは、即ち市子が死霊の言に託して、自分の収入を謀った狡猾なる手段なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｂ、巫女の唱えた神降しの呪詞&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像: 山伏.gif|thumb|山伏と地しゃ（七十一番職人歌合所載）]]&lt;br /&gt;
[[画像: 笹ハタ.gif|thumb|笹ハタキと称する市子（川柳語彙所載）]]&lt;br /&gt;
当代に入ると、巫女の用いた&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神降&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミオロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;しの呪詞も、修験道の影響を濃厚に受け容れて、殆んど古き相は&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;摘&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;つま&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;むほどしか残っていぬという有様になってしまい、然もその文句たるや、余程無学者が作ったものと見え、神仏の混雑は、当時の信仰から推して、先ず恕すべきとするも、措辞が野卑である上に、文理が滅裂で、全く体裁をなしていぬ。それを無智な巫女達が、矢鱈に唱い崩し、言い訛ったものと見えて、中には何事を意味しているのか解釈に苦しむものさえある。而して是等の呪詞は、京伝の「昔話稲妻表紙」を始めとし、三馬の「浮世床」や、一九の「東海道膝栗毛」等に載せてあるが、何れも多少の出入こそあれ大同小異で、僅に巫女が呪法を行う土地の一ノ宮または&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;産土神&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウブスナガミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の名を変える位で、その他は取り立てて言うほどの事もないし、それに是等の書物は、流布本の多いものゆえ、ここにはその中でも、やや古いと思う「稲妻表紙」から抄出するとして、他は省略した。同書巻四「仇家の恩人」の一節に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 扨ある年の春、藤波が祥月祥日にあたれる日、妻小枝妹阿龍等がすすめにより、県巫女をやとひ、藤波が口をよせて、冥途のおとづれをききぬ。さて降巫上座に居なほりて、目うへの人にや目下にや（中山曰。今では此の事は聞かず、、ただ黙って頼めば、巫女の方で言いあてる）、生口か死口かとたづぬれば、小枝すすみ出で、目下の者にて死口なりと答へつつ、樒の葉にて水むけすれば、巫はささやかなる弓をとりいだし、弦を打ならして&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;旦&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;まづ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神保&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミオロシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;をぞ唱へける。&lt;br /&gt;
: &amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;夫&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;それ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;つつしみ敬てまうし奉る。上は梵天帝釈四大天王。下は閻魔明王。五道の冥官。天の神。地の神。家の内には井の神。竃の神。伊勢の国には。天照皇太神宮。外宮には四十末社。内宮には八十末社。雨の宮。風の宮。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;月読日読&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツキヨミヒヨミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;御神&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;おんかみ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;。当国（中山曰。近江）の霊社には。坂本山王大権現。伊吹の神社。多賀明神。竹生島弁財天。筑摩明神。田村の社。日本六十余州すべての神の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;政所&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;まんどころ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;。出雲の国&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;大社&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;おほやしろ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;。神の数は九万八千七社の御神。仏の数は一万三千四個の霊場。冥道をおどろかし&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;此&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ここ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;降&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;くだ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;し奉る。おそれありや。この時によろづの事を残りなく。おしへてたべや梓の神。うからやからの諸精霊。弓と箭のつがひの親。一郎どのより三郎どの。人もかはれ水もかはれ。かはらぬものは五尺の弓。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;一打&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ひとうち&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;うてば寺々の。仏壇にひびくめり。&lt;br /&gt;
: 梓の弓にひかれひかれて、藤波が亡き魂ここまでまうで来つるぞや。懐しやよく水手向て玉はりしぞ、主君とは申しながら、畏れ多くも心には、&amp;lt;u&amp;gt;枕ぞひ&amp;lt;/u&amp;gt;（中山曰。圏点を打ちし句は巫女の隠語、[[日本巫女史/第二篇/第五章/第四節|既載]]のものを参照あれ）とも思ひしから、&amp;lt;u&amp;gt;烏帽子宝&amp;lt;/u&amp;gt;を産みはべりて、&amp;lt;u&amp;gt;唐の鏡&amp;lt;/u&amp;gt;とかしつがれ、おん身等にも安堵させ、楽しき暮しをさせ申さんと思ひし事も左り縄、云ひがひもなき妾が身の上、露ばかりも罪なくて、邪見の刃に身をほふられ、尽きぬ恨みの悪念が、此身を焦す炎となり、晴れぬ思ひの冥道に、今に迷ふて居り候云々（以上。帝国文庫本）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神降&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミオロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;しの呪詞は、別段に解釈を要せぬまでに明白であるし、又た解釈を要するほどの『一郎殿より三郎殿、人もかはれば水もかはる』云々の如きは、これを唱えていた巫女にも解らず、従って他の者には、皆目見当もつかぬものである〔四〕。殊に、神の数が九万八千とか、仏の数が一万三千とかいうのは、全くの出たら目で、何等の根拠もなければ、理由もなく、ただ巫女が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;旋律的&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;リズミカル&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に唱える上に、舌に唾のたまらぬよう、語呂の点から択んだ文句に外ならぬのであって、それが古く歌謡の系統に属していた名残りをとどめているのであるが、夙に歌謡は、巫女の手から離れて、独立した芸術として発達しているのに反し、巫女は堕落して、糊口の料に神降しを唱え、それも旧態を保つに懸命であって、生面を拓くことが出来なかったので、益々世相と遠ざかるようになってしまったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
巫女は別名を「大弓」とも「小弓」とも、更に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;梓巫女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アヅサミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;とも言われているほどとて、呪術を行う場合に、弓弦を細き竹の棒にてたたくことは既述したが、この作法は、必ずしも総ての巫女に通じて行われたものではない。私の知っている限りでは、（一）都会に定住していた者と、（二）漂泊をつづけた歩き巫女と。（三）奥州のイタコと称する者は、概して弓を用いず、これに反して、町や村に土着した巫女は、弓を用いたようである。折口信夫氏のノートに拠ると、壱岐のイチジョウと称する巫女は、長さ八尺もある黒塗の木ノ弓（二ツ折になって袋に入れて、持ち歩くに便にしてある）に、麻の弦をかけ、南天の葉を&amp;lt;u&amp;gt;ひい&amp;lt;/u&amp;gt;て油をとりしものを弦に塗り、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;盒&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ゆり&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（中山曰。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;曲物&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;まげもの&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;にて楕円形をなし、高さ四五寸、大きさ一尺二三寸なり）を伏せて、麻縄で二ヶ所&amp;lt;u&amp;gt;くび&amp;lt;/u&amp;gt;った上に、弓を持たせかけ、釣り竿のように反った一尺五寸ほどの竹の棒二本で、弦をたたきながら、初めは「神寄せ」の文句（中山曰。此の文句は判然せぬ）を唱え、次に「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;御籤&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミクジ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;あげ」をなし、それから「百合若説教」を宜いほどに唱える（中山曰。百合若説教のこと注意されたし）そうである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
然るに、常陸辺では、既述の如く、二三尺位の粗製の竹の弓を用いるとあり、私が同じ常陸の潮来町で聴いたところでは、巫女は弓を持参せず、往く先々で青竹を切って、二尺ほどの弓を拵えてもらい、それを用いるとのことであった。而して此の弓の弦をたたく音は、弦が&amp;lt;u&amp;gt;ゆる&amp;lt;/u&amp;gt;く張ってあるためか、ベンベンと如何にも眠気を誘うような響きがするものであって、巫女がこの響きにつれて神降しの呪詞を唱えすすむうちに、催眠状態（その実際は後世の巫女は催眠を仮装するだけで覚醒している）にでも入りそうな心もちのするものである。因みに「笹ハタキ」とは、その文字の如く、始めは笹の葉を両手に持ち、それで自分の顔を軽くたたきながら催眠状態に入ったので負うた名である。これも後には雑糅されてしまって、小さい弓を用いる巫女まで、此の名で呼ぶようになったのである。猶お巫女の修業、神つけの方法、各地の神降し等に就いては、文献には見えぬので、次節の報告の条に詳述する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;三、イタコのオシラ神の遊ばせ方&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像: 新オシラ.gif|thumb|新しきオシラ神（故伊能嘉矩氏所蔵）]]&lt;br /&gt;
奥州のイタコ（これは殆んど悉く盲女であって、精眼者あるを今に聞かぬ）と称する巫女が、オシラ神を持っていることは屢記したが、さて此のオシラ神は、如何なる場合に用いるか、併せてその用法は如何にと云うに、イタコは依頼者の意を受けて、生霊なり、死霊なりの口寄せをするときは、金田一氏の記事にある如く、イラタカの珠数を両手で押し揉み（秋田地方では揉まずに珠を繰る方法もある）ながら、神降しを済ませ、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;憑&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;り&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;人&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;マシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;となって種々なる呪法を行うことは、昔の普通の巫女と別段に変りはないが、呪法が終ってから、依頼者の希望により、その家（奥州では草分け百姓とか、又は旧家とか云われる家には、各相伝のオシラ神がある）のオシラ神を遊ばせる（春秋二期のオシラ神祭りの日は云うまでもない）ことがある。而してその遊ばせ方に就いては「民俗芸術」第二巻第4号に、小寺融吉氏の詳細なる記事があり、更にこれを遊ばせる祭文は、「民族」第三巻第三号に、中道等氏の寄稿があるので、幸い私は両氏の厚誼を辱しているので、甚だ勝手ながら、左にこれを自由に取り交ぜて、抄録することとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 東北地方に名高いオシラ様の祭を私{○小/寺氏}は、偶然にも昨年{○昭和/三年}東京で見ることが出来た。それは柳田国男先生のお宅に、以前から届いてあった此の神様を、本式に祭るため、はるばる奥州から盲目の巫女が、三月一八日の祭日を期して上京したのに列席したのであった云々。&lt;br /&gt;
: 祭壇を前に石橋&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;貞&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;さだ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;子という老いた盲目のイタコ（巫女）が静かに座った。常の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;髪形&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;かみかたち&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、常の服装のままで、黒い袈裟を左肩から掛け、次に長い数珠を首に掛けた。数珠の玉は黒くて大きい。そして円筒形の筒（中山曰。呪力の源泉である神を入れたもの）を押し頂いて、右肩から左脇へ掛けた。この筒は神秘不可思議で、中に何があるか分らない。&lt;br /&gt;
: さて祭壇と云っても、ただの机だが、その上にイタコから見て、正面に一対のオシラ神、右が女神左が男神（原註略）。右の奥に茶碗に水、その前に蝋燭、左の奥に菓子、その前に蝋燭、そして中央の前に、右には塩、左には米が在る。&lt;br /&gt;
: 抑々オシラ様の御神体は、八寸ほどの長さの桑の木（中略）、毎年の祭に着物（東北でセンタクと云う）を上に一枚づつ重ね参らせる。着物と云っても一枚の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;布&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;きれ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;冠&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;かぶ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;せるだけで、首の上からスッポリ冠せるのと、布の中央に穴を明けて、穴から首を出すのと二通りある（中略）。今日の御神体は首を露出せぬ方だが、首を包んだ布のまわりに、小さい鈴を女神は四個、男神は三個結んで区別している云々。&lt;br /&gt;
: イタコは先ず塩を取って振りまいた。次に我昔所造諸悪行……一切我今皆懺悔の四句の懺悔文を誦し、次に般若心経に移った（中略）。そして般若心経の時に、途中で息を切って一寸休む折りは合ノ手のように、しきりに数珠を揉んだ。これは左掌を下にし、右掌を上にして揉むので、胸の前で合掌するのとは違う。次に普門品の偈だけを読んだようで、念被観音力、還著於本人なぞの文句が聞き取れた。これを終って柏手を打ち、いよいよオシラ祭文に移った。&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: 　　　　千だん栗毛物語（オシラ遊びの経文）&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: しら神の御本尊&lt;br /&gt;
:: くはしく尋ね奉れば&lt;br /&gt;
:: 我が京にては白神の御本尊と申也&lt;br /&gt;
:: 朝日の長者ようひ長者と申して&lt;br /&gt;
:: 数の宝を相添ひて&lt;br /&gt;
:: おがひ申して&lt;br /&gt;
:: おがひに長じて身を清め&lt;br /&gt;
:: よき金三百両&lt;br /&gt;
:: こがねのにはちで納め置く&lt;br /&gt;
:: 鰐口ちょうと打ならし&lt;br /&gt;
:: 南無や大慈大悲の親世音さま&lt;br /&gt;
:: 願はくば赤子一人授けてたまはれと&lt;br /&gt;
:: 願はくばおどうかうによう申すべし&lt;br /&gt;
:: そげんの破風に瑪瑙の垂木&lt;br /&gt;
:: やんくゎぎぼうに至るまで&lt;br /&gt;
:: 金銀の入ればに&lt;br /&gt;
:: 表しろかね中こがね&lt;br /&gt;
:: 厚さ三寸五分なり&lt;br /&gt;
:: 錦のとうざう七流れ&lt;br /&gt;
:: 我も子のことかなしみて&lt;br /&gt;
:: とりかへかきかへ申すべし&lt;br /&gt;
:: 大千世界めぐりて&lt;br /&gt;
:: 鳥類畜類めぐれども&lt;br /&gt;
:: 汝らに授くる宝も無し&lt;br /&gt;
:: 今度この度しらの種申し下す&lt;br /&gt;
:: 此子は六つ七つに至りては&lt;br /&gt;
:: 命に恐れあるべし&lt;br /&gt;
:: 東方父にて西方母&lt;br /&gt;
:: 兄は御いきと申すなり&lt;br /&gt;
:: 左りの袂より右りの袂へ&lt;br /&gt;
:: すらりと入れると覚えて&lt;br /&gt;
:: 夢さめて長者夫婦の人々は&lt;br /&gt;
:: 斯うまで有難き御利生を&lt;br /&gt;
:: 七度の礼物なされけり&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: 我が家に帰りついたる時&lt;br /&gt;
:: 懐胎となって&lt;br /&gt;
:: 当る十月と申して&lt;br /&gt;
:: 御産の紐を開せとくがや&lt;br /&gt;
:: 玉や御前と名をつけて&lt;br /&gt;
:: 二つになるから三つ四つと心を用いて&lt;br /&gt;
:: 六つになる年右の御手に筆とらせ&lt;br /&gt;
:: 七重の愛馬に飼立てられたる千だん栗毛&lt;br /&gt;
:: 立つに千段すはるに千だん&lt;br /&gt;
:: 三千四だん五だんの形をもたせ玉ふ&lt;br /&gt;
:: めん馬に乗じて馬の頭を&lt;br /&gt;
:: おしなでかきなでたまひて&lt;br /&gt;
:: この屋形のうちに入らせたまふ&lt;br /&gt;
:: 一才になるから二才三才やうなる&lt;br /&gt;
:: 御育ておいた徳を以て&lt;br /&gt;
:: 前足のつき相を見れば&lt;br /&gt;
:: てむく茶碗をすゑたる如く&lt;br /&gt;
:: 後足のつき相を見れば&lt;br /&gt;
:: ごばんちょうこすゑたる如く&lt;br /&gt;
:: 目鼻尾のつきあひ&lt;br /&gt;
:: 毛はだまでもやうなる様に&lt;br /&gt;
:: 御育て置いた徳を以て&lt;br /&gt;
:: 今日も見物人ひとは百人&lt;br /&gt;
:: またも二百人三百人の&lt;br /&gt;
:: 見物人の無い日とてはあるまい&lt;br /&gt;
:: おれも見物に出でて見ようと云うて&lt;br /&gt;
:: 十二ひとへを重ね&lt;br /&gt;
:: 十二人のつまとりを附け&lt;br /&gt;
:: つまどりには褄を取らせ&lt;br /&gt;
:: 七重のまや迄見物に出でたるれば&lt;br /&gt;
:: 上のまやには赤きめん馬百三十三匹&lt;br /&gt;
:: 下の厩には青きめん馬百三十三匹&lt;br /&gt;
:: 中の厩には白きめん馬百三十二匹&lt;br /&gt;
:: 後ろ残りし一疋のせんだん栗毛&lt;br /&gt;
:: 見るまも無く玉や御前のほめるには&lt;br /&gt;
:: 前足のつき相を見れば&lt;br /&gt;
:: てむく茶わんをすゑたる如く&lt;br /&gt;
:: 後足のつきあひを見れば&lt;br /&gt;
:: 朝顔の咲いたる如く&lt;br /&gt;
:: 目の色はからかね目&lt;br /&gt;
:: 目鼻耳のつきあひ&lt;br /&gt;
:: 毛肌までもふしのつけやうは無い&lt;br /&gt;
:: これが人間のからだなれば&lt;br /&gt;
:: どうぞ夫婦になりそめたいものと&lt;br /&gt;
:: 三度までも馬のからだを撫でたまふ&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: 声は千だん栗毛の耳にとまりまして&lt;br /&gt;
:: 恋のわづらひとなりました&lt;br /&gt;
:: 糠草も食することは無く&lt;br /&gt;
:: 粕や米糠くぢょやすすき草&lt;br /&gt;
:: どの様に食わせても食することは無く&lt;br /&gt;
:: 如何致したわけである&lt;br /&gt;
:: この家の亭主に伺ひ見るべしと&lt;br /&gt;
:: 伺ひ見たならば&lt;br /&gt;
:: はくらくでも取りよせ見たならば&lt;br /&gt;
:: せんだん栗毛の相分るべしというて&lt;br /&gt;
:: 西東北南四うぢ隅より&lt;br /&gt;
:: 伯楽の三十七人までも取寄せたけれども&lt;br /&gt;
:: どの伯楽も千だん栗毛の病気&lt;br /&gt;
:: 名をつけるはくらくはあるまい&lt;br /&gt;
:: 天が下に無いほどの西の方には&lt;br /&gt;
:: よい占い師があることだ&lt;br /&gt;
:: そんなら取りよせ見るべしと&lt;br /&gt;
:: 取りよせ見たなれば&lt;br /&gt;
:: 憚りながら此家の千だん栗毛の病気は&lt;br /&gt;
:: 外なる病気ではない&lt;br /&gt;
:: 二階ひとり姫玉や御前&lt;br /&gt;
:: 恋がけの病気と判じたれば&lt;br /&gt;
:: 金満長者の夫も腹を立てて&lt;br /&gt;
:: さて憎い畜生だ&lt;br /&gt;
:: 畜類は人間に恋をするといふこと&lt;br /&gt;
:: 此世には無いことだ&lt;br /&gt;
:: 早く千だん栗毛を&lt;br /&gt;
:: 投げ棄てて来いとのいひつけをさるる&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: さてせんだん栗毛せんだん栗毛&lt;br /&gt;
:: 今までは七重の馬&lt;br /&gt;
:: あいの馬に飼育てられたる千だん栗毛&lt;br /&gt;
:: 今更姫に恋して投棄てらるるぞよと&lt;br /&gt;
:: どのやう意見そひしんされても&lt;br /&gt;
:: 頭をふり上ることは無い&lt;br /&gt;
:: これは二階の一人姫&lt;br /&gt;
:: 玉や御前を見舞させたなら&lt;br /&gt;
:: せんだん栗毛の病気は相分ると謂うて&lt;br /&gt;
:: 二階一人姫玉や御前さまに&lt;br /&gt;
:: 見まひを致しくれといひば&lt;br /&gt;
:: 二階一人姫玉や御前も人目を忍んで&lt;br /&gt;
:: 夫婦のちぎりある故に&lt;br /&gt;
:: ゑ顔あげて十二ひとへ引重ね&lt;br /&gt;
:: 十二人の褄どりをつけ&lt;br /&gt;
:: つまどりには褄を取らせ&lt;br /&gt;
:: 右の手には萩を持ち&lt;br /&gt;
:: 左の手にはすすきを持ち&lt;br /&gt;
:: 二階はしごを下りまゐり&lt;br /&gt;
:: 七重のまやまでとり運ぶ&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: さて千段栗毛せんだん栗毛&lt;br /&gt;
:: おれの為に病気になって&lt;br /&gt;
:: 居るさうだと謂うて声かけたるれば&lt;br /&gt;
:: すぐ頭をふりあげて&lt;br /&gt;
:: 萩やすすきを一本ままではむこと&lt;br /&gt;
:: 以前と異ならず&lt;br /&gt;
:: 玉や御前と千だん栗毛と別るる時は&lt;br /&gt;
:: 生木の枝を割かるる如く&lt;br /&gt;
:: 血の涙で別れおいて&lt;br /&gt;
:: とうとう二階一人姫も病気になりました&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: これは来る三月一六日に&lt;br /&gt;
:: 御神明のみかぐらでも企てたならば&lt;br /&gt;
:: 姫の病気は快気になるかと&lt;br /&gt;
:: いうて企てたなれば&lt;br /&gt;
:: おれも見物に出でて見ようと云うて&lt;br /&gt;
:: 十二ひとへひき重ね&lt;br /&gt;
:: 十二人のつまどりをつけ&lt;br /&gt;
:: つまどりには褄を取らせ&lt;br /&gt;
:: 七十人の供をつれ&lt;br /&gt;
:: 一沢越え二沢越え三沢目の&lt;br /&gt;
:: 大きな桂の大木の根に腰をかけ&lt;br /&gt;
:: うつの宮より褄取りとも人皆ほろき落して&lt;br /&gt;
:: ただ御神楽よそに見て&lt;br /&gt;
:: 千相桑の林に一飛び運び参り&lt;br /&gt;
:: 真砂の珠数御手につまぐり&lt;br /&gt;
:: それそれははかせを喚んで&lt;br /&gt;
:: 博士は八十三のこよみ&lt;br /&gt;
:: さて千だん栗毛千だん栗毛&lt;br /&gt;
:: 玉や御前がこの処に運んだについて&lt;br /&gt;
:: しんが有るなら一声出せと&lt;br /&gt;
:: 大声あげて歌をよみあげる&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: すぐなまぐさき風は吹き&lt;br /&gt;
:: 五色の雲をたなびきて&lt;br /&gt;
:: 八間四方の皮をならされた&lt;br /&gt;
:: 御姫さまをぐるりと巻取って&lt;br /&gt;
:: 天に昇り天竺の方に参ったり&lt;br /&gt;
:: 褄取り供人は皆つらづらになりまして&lt;br /&gt;
:: 家に帰りしなれば&lt;br /&gt;
:: 我々の命は一ときも堪らんものか云ふて&lt;br /&gt;
:: 早く伺ひ見るべしと&lt;br /&gt;
:: 一飛びに運ぶ&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: さて金満長者の旦那さま&lt;br /&gt;
:: うちのいたはしき二階一人姫&lt;br /&gt;
:: 玉や御前さんは千だん栗毛の為に&lt;br /&gt;
:: 盗みとられました&lt;br /&gt;
:: おらの命ばかりは御助けなされてくだされと&lt;br /&gt;
:: それは手まへだちのかかはりたる事では無い&lt;br /&gt;
:: 姫はさうあなたはいの因縁づくと云うて&lt;br /&gt;
:: 涙にくれて居るところへ&lt;br /&gt;
:: 虫は二十四疋ふりくだる&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: 白き虫の顔見れば&lt;br /&gt;
:: おら処の玉や御前に似たる顔&lt;br /&gt;
:: 黒き虫の顔見れば&lt;br /&gt;
:: 千だん栗毛に似たる顔&lt;br /&gt;
:: 米はませても米はまず&lt;br /&gt;
:: 粟はませても粟はまず&lt;br /&gt;
:: 麦はませても麦はまず&lt;br /&gt;
:: 豆はませても豆はまず&lt;br /&gt;
:: 百人二百人三百人の&lt;br /&gt;
:: 見物人は参りしなれど&lt;br /&gt;
:: 何はむ虫と判ずる人はあるまい&lt;br /&gt;
:: 七十あまりのぢいさまは&lt;br /&gt;
:: 桑の杖をついて見物に出たなれば&lt;br /&gt;
:: 残らず其の杖につたはりました&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: これは何の木、これは桑の木&lt;br /&gt;
:: これは何虫、桑の木のもえを食ふ虫&lt;br /&gt;
:: ととこ虫とあらはれて&lt;br /&gt;
:: 三十七人の桑とりをまはす&lt;br /&gt;
:: しろがねのまな板こがねの庖丁で&lt;br /&gt;
:: きり刻みて与えしなれば&lt;br /&gt;
:: 残らずさりこんではむこと&lt;br /&gt;
:: 一をり板しけば二をりの板&lt;br /&gt;
:: 二をり板しけば三をり板&lt;br /&gt;
:: 三をり板しけば四をり板&lt;br /&gt;
:: 四をり板しけば五をり板&lt;br /&gt;
:: 五をり板しけば六をり板&lt;br /&gt;
:: 六をり板しけば七をり板&lt;br /&gt;
:: 七をり板しけば八をり板&lt;br /&gt;
:: 十二をり板&lt;br /&gt;
:: きんこ糸を取る時なれば&lt;br /&gt;
:: 一さをかければ二さを&lt;br /&gt;
:: 二さをかければ三さを&lt;br /&gt;
:: 三さをかければ四さを&lt;br /&gt;
:: 四さをかければ五さを&lt;br /&gt;
:: 五さをかければ六さを&lt;br /&gt;
:: 六さをかければ七さを&lt;br /&gt;
:: 七さをかければ八さを&lt;br /&gt;
:: 十二さを&lt;br /&gt;
:: 金満長者のおんしょう返すが為に&lt;br /&gt;
:: つぼの松に下り&lt;br /&gt;
:: 馬とともに十六ぜんの&lt;br /&gt;
:: 大しらのしら神にあらはれ&lt;br /&gt;
:: 尾張の国金満長者は&lt;br /&gt;
:: 日本一の真綿屋と名をつけられて&lt;br /&gt;
:: 銭かねに不自由なく暮すさうや&lt;br /&gt;
:: 父がそひてあつかひば父になづく&lt;br /&gt;
:: 母がそひてあつかひば母になづく&lt;br /&gt;
:: 庭にそひてあつかひば庭になづく&lt;br /&gt;
:: 竹にそひてあつかひば竹ごともなづく&lt;br /&gt;
:: 舟にそひてあつかひば舟子ともなづく&lt;br /&gt;
:: あれ乱風大風火難盗難&lt;br /&gt;
:: あきなひその他作る田畠も護らせたまふ&lt;br /&gt;
:: 家内安全商売繁昌の御祈祷と&lt;br /&gt;
:: 敬ってまをす〔五〕&lt;br /&gt;
:: ○中山曰。小野寺氏の記事には、祭文の文句は記して無いのを、私が勝手に中道氏の寄稿から、此の文句ならんと考えて掲げたのである。&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
: オシラ祭文は、オシラ神の由緒を物語る長い叙事詩を歌うので、長者の厩に飼われたせんだん栗毛という名馬が長者の姫に恋をして、結局二人が蚕の神様になるという歌で、イタコは歌いながら、両手に持つ二つの御神体を動かすので、「如何に動かすか」が私の興味なのである。そこでイタコは机に並んだ位置をそのままに、右手で女神左手で男神を持った。センタクの下へ手を入れ、柄（つまり人形の胴体）を持つ、この人形は手足はなく、首と胴と着物のみである。&lt;br /&gt;
: 男は右、女は左の法則なのに、何故か此のイタコは右に女神を、左に男神を持った。然しこれは神がイタコに乗り&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;憑&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;うつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;るのでなくて、イタコはあくまでもイタコとして、神を舞わすのであるという意味かも知れぬ。そこでイタコは&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;俯&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;うつむ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;いて、自分の顔を御神体に触れて、何事か云った。それから胸の前に出して、半分倒すようにして持つ、自分の膝に対して垂直には持たない。これが基本の形である（中略）。&lt;br /&gt;
: 長い恋物語のオシラ様由来記が終ると、イタコは一休みした。それから一年十二ヶ月の年中行事に関する謡いものに移り、やはり左掌を下に、右掌を上にして小指を組合せ、何か印を結ぶような事をし、次に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;拍手&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;かしわで&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を打ち、再び人形を取り上げた。前の祭文が荘重厳粛であるとすれば、これは打ちくつろいだもので、人形の動かしかたも変って来た（中略）。&lt;br /&gt;
: 次に一休みして、「えびすまい」。次に「地獄さがし」。これは鼻歌でお経を読むと思えば、見ない人も、ほぼ想像がつく。珠数を拍手とりつつつまぐり、それに合せて歌うので、人形とは関係はない。少し可笑味のものである。最後に「神送り」と云い、神を山林山野に送る歌を、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;祝詞&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;のりと&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;式口調で歌った。イタコも大分疲れたので、これだけで全部を終り、あとは二三の人を占いをして散会した（中略）。&lt;br /&gt;
: オシラ神の鈴は、人形自身の声である（中略）。イタコの歌は、人形の鈴の音の意味を、人間の言葉に翻訳しているとも見ることが出来る云々〔六〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の記事によっても知らるる如く、イタコの持っているオシラ神は呪神では無く、呪神は何物か納めてある円筒形の筒の中にあるので、オシラ神は此の筒の中の神を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;和&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;なご&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;め&amp;lt;u&amp;gt;いさめ&amp;lt;/u&amp;gt;るために舞わし遊ばせるのに過ぎぬのである。従ってオシラの元は神ではなくして、人形その物であったと信ずべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;四、各地方の市子と其の作法&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
市子に幾多の流派のあったことは看取されるが、その独特の作法を比較して、異流を検出することは雑糅された後に残された文献を基調としたのでは、その労のみ多くして功がなく、結局は何が何やら判然せぬものになってしまう虞れなしとせぬので、此処には寡見に入った各地方の市子と、その作法とを列挙して、読者に異同を研究する資料を提供するにとどめるとする。猶お文献以外の報告によるものは、[[日本巫女史/第三篇/第二章/第二節|後節]]に記述する。同じような事を二度に分けて書くことは、少しく煩しい嫌いもあるが、資料の整理上から、斯うすることが学問的であると考えたからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ａ、羽後国仙北郡地方の座頭嚊&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同郡長信田村の出身で、今東京市外田端町に居る鈴木久治氏の談に次の如くある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 私の国では「いちこ」を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;座頭嚊&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ザトカカ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云う。嚊と云っても、東京辺の賤民の妻を呼ぶような下賤の言葉の意味では無く女房を一体に「かか」と呼んでいる。その座頭嚊は、女子の盲目な者がなるのであって、其亭主は普通の百姓をしている。さて人が死んで、葬式を済ませた後、この座頭嚊を招んで仏を寄せて語って貰う。其時には近所の人に知らせてやると、近所の人達は重箱へ食物を詰めたのを持って集って来る。神仏の有った家では仏壇の前へ家内の者や村人が大勢集まる。この場合は先ず神仏を呼んで貰う（中山曰。鈴木氏はこの事を「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;座下&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;クラオロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;し」と云うと語り補うた）のが例である。そうで無く死霊を招んで貰う時もあるが、呼んで貰う霊を心に念じて仏前の水に樒の葉を浸すと、呼び出される霊は必ず奇妙に当る。そこで座頭嚊は神寄せの呪文を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;誦&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;とな&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;える。何でもよくは知らないが、日本国中の一ノ宮の神々を寄せるらしい（原註。神寄せの呪文と&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;門語&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カドカタ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;りの呪文とがある云々）。この口寄せがすむと、次は他の人で呼んで貰いたい霊があれば、又仏壇の水に樒の葉を浸すのである。座頭嚊の持物には箱も弓もない（中山曰。此の事は注意すべき点である）。只長い&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;木欒子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;もくれんじ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の珠数を爪繰っている（中略）。私の国では女児や男児が生れても、&amp;lt;u&amp;gt;ひ&amp;lt;/u&amp;gt;弱くて早死する様な憂のある児は、座頭嚊の「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;取子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トリコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」にして貰う。取子というのは、胎内にある時から座頭嚊に頼んで、生れた子の丈夫に育つ様に祈祷をして貰うのである。其時は珠数の木欒子の珠を一つお守として頂いて、巾着なんどへ大事に入れて置く。そんな事で珠数の数は「取子」の為に分けてやるから、多い人と少い人とある訳だ云々〔七〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｂ、陸中国東山地方のオカミン&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「郷土研究」第三巻第四号に次の如き記事がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 陸中国東磐井郡門崎村近傍では、巫女をオカミサマと云う。盲目の女子の仕事である。巫女になるには、七箇年の年季で弟子入りし、其期間は師匠の食料までも自弁する定めである。さて一定の修業が終ると「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt; 神附 &amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミツケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」と云う式を行う。是れがオカミン様の卒業式である。至って荘厳な式で、若しも不浄な者が式場に入れば、神が附かぬと云っている。式の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;荒増&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;あらまし&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を言えば、先ず舞台を設けて注連縄を張り、真中に神附せらるべき女子その近親に擁せられ、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;眼&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ママ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を手拭で鉢巻して坐る。その周囲を多数の巫女が取巻いて坐り祈祷するのである。然る後「何神附いた何神附いた」と問うと、真中に坐った女子「八幡様附いた」とか「愛宕様附いた」とか言う。斯うなれば、一人前の巫女となったものとして大なる祝宴をする。時には列座の巫女たち御迎と称して坐を立つ。然る後は、大抵「何神附いた」と言うものである。巫女の業務は「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;口寄&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;クチヨセ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」をすることである。これは死人あったときの一七日、お&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;盆&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ぼん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;又は秋の彼岸に、各戸殆どこれを行わぬ者は無い。&lt;br /&gt;
: 口寄を行うには、巫女は神降しと称して暫時祈祷をした後、希望せらるる死人となって、希望した人に対して言葉哀れに語り出す。婦女子等は大抵泣いて之を聴く。その聴いているうちに&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;問口&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トイクチ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（中山曰。古代の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;審神&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;さにわ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;である）と云うことをする。即ち聞手の方から口寄につれて色々の事を問うので、巫女はこの問口が無いと語り苦しいものだと云っている。又口寄の言うことの中に「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;日忌&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヒイミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」と云うのがある。例えば何月何日何方へ往けば損をするとか、不治の病に罹るとか云う類である。地方では之を信ずること甚だしく、その日は必ず在宅して謹慎する風がある。この迷信の結果、自分等（寄稿者島畑隆治氏）幼少の時までは、学校さえも欠席したものである。今は日忌の風は次第に薄らいで行くが、巫女に口寄させる風に至っては、まだ減退せぬようである云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｃ、越後国三面村の変態的巫術&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
越後と羽前の国境なる三面村（越後国岩船郡に属す）は、肥後の五箇ノ庄、飛騨の白川村などと共に、山浅く谷幽なるだけに異った生活を営んでいる村落として有名であるが、明治二十九年八月に同地の土俗調査のため旅行された宮嶋幹之助氏の記事の一節に、下の如くある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 此村の一年間の楽しみは、正月と、盆と、旧十月の山神祭礼なり（中略）。旧十月十二日には、山神の祭とて（中略）。山伏を招き、一週間位は全村業を休み置酒す。而して祭には&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神下&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミオロシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云うをなす。其法、村人皆神前に集まりて、村中にて最も実直にて、少しく&amp;lt;u&amp;gt;ぼんやり&amp;lt;/u&amp;gt;せる男を撰び&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;とし、「ボンデン」を携え坐せしむ。衆人は之を囲み、手に藁を縄にて巻きたるを持ち地を打ち、一斉に大なる声にて「ホーイ、ホーイ」と唱う。繰返すこと暫時にして、神子は一度眠れるが如くなり、次で携うる「ボンデン」を勢いよく振り舞わす。此期を外さず村民は、傍より歳の豊凶を問い、禍福を尋ぬれば、言に応じて答う。問を止むれば、神子は倒れ、昏睡して、不覚となる。後に至り、醒むれば、自身が何を言いしや覚えずと。度々神子となりたる者は、少しく雑沓の場にて衆人の喧しきに逢えば、恰も神下しの時の如き現象を呈すと云う。案内者の言に依れば、舟渡村（中山曰。同郡なれど三面村と六里を隔つ）其他の村にて、神下しの時に衆人の唱言は異って、&lt;br /&gt;
:: トラウハ、シマンテ、キリカミテンノウ、ハヤウデカノウハ、ソーワタダイテン&lt;br /&gt;
: と是を幾遍も繰返すなり。又一種異れる神下あり。「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;邪権付&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ジャケンツキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」と云う。其唱に曰く、&lt;br /&gt;
:: 一ヨリ二ヨリ、三ヨリ四ハラヘ、五ダンノマキモノ、六七サイホウ、八ポウカタメテ、イーノルナラバ、イカナルジャケンモ、ツイニハツカンデ、カンノーマイヨ&lt;br /&gt;
: と是を繰りかえせば、衆人が呼出さんとする人の霊、神子に付きて、種々の事を口奔ると云う。此神下の唱えは米沢地方の山神祭に言う所と同じ云々〔八〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の三面村の巫術の方法が、屢記した護法附と、全く軌を一にしていることは言う迄もないが、更に一段と古いところに遡れば、神子が巫女であったことが推知されるのである。それは「邪権附」に唱える呪文なるものが、私の接した報告によれば、磐城国の「笹ハタキ」と称する巫女が用いているのと同じであるからである。猶おその呪文等に就いては[[日本巫女史/第三篇/第二章/第二節|次節]]に述べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｄ、常陸国土浦地方のモリコ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「民族と歴史」第八巻第一号に、常陸国土浦町地方の巫女を記せる一節に、次の如く出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 他にモリコと云うのがあります。それは大抵盲目の婦人です。病気などへ招かれて室内を暗くし、僅か一本の灯心に火を点じ、弦を鳴らして八百万神を呼び集め、それから自身が仏になって、我は死んだ祖父であるとか、伯母であるとか、又は大先祖なりと名乗りつつ、物凄く家族の人々を叱ったり宥めたり、既往将来の事を物語り、此の病人は何々の祟りだ。何神を信仰せよ、何々の薬を服用せよ。何れの方角から医者を頼めよと仏に代って種々の告げをするのであるが、是は「大弓モリコ」と称し、今でも病家などで、稀に行う事があります云々〔九〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｅ、信州における二三の市子と其作法&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信州は古くから巫女の名産地で、諏訪郡からも出ているが、殊に多かったのは、小県郡根津村であった（此の事は[[日本巫女史/第三篇/第二章/第二節|次節]]に詳述する）。「郷土研究」第二巻第六号に『信州では口寄巫を一般にノノウと呼び、その夫をボッポクと云う。神社に属して、神楽を奏する巫を鈴振ノノウと云う』とある。而して「民族」第三巻第一号には、同じ信州における巫女に関して、次の如く載せてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 川中島では竃祓いをノノサンと云った。松本の近在から来るという事であったが、出所は明かでない。矢張り婆さん（中山曰。精眼者である）が多かった。千早を着て、髪は御守殿風に結び、提げて来る風呂敷包は、松本のと似ていた。「ごめんなさい」と云って入って来た（原註略）。鈴を振りながら経を誦んだ。口寄せの如く神口をきいた。お神楽を上げるときには、右手に鈴を振り、左手に布紗に包んだ経本の如きものを持ち、経を誦みながら、両手を頭上高く挙げ、やがて、ぴたりと鈴を止め、「我が一代の、守り神であるぞよ……」から初めて、神口をきいた（中略）。&lt;br /&gt;
: 北小谷（中山曰。北安曇郡）の竃祓いは、あの辺ではモリと云った。盲目の巫女が多かった。根知（小谷下流の越後分）から多く来た。四隅をしばった風呂敷包に鈴を持って居り、家の者に挨拶してから祓にかかった。御洗米といって米一升にい銭若干が礼であった。モリは神口もきいた。若い女が多かった（中略）。&lt;br /&gt;
: 川中島地方では、別に梓巫をクチヨセと呼んで、竃祓のノノサンと区別していた。「お神楽を上げれば一段上り口寄を寄せると二段下へ下がる」といったから、竃祓の方を位良しとしていたのであろう。針箱位の風呂敷包を背負って、それに傘一本いつけて来た。その箱の中には人形が入っているということであったが、どうしても見せなかった。風呂敷包の箱に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;靠&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;もた&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;れて、神口、生口、死口をきいて、口寄せをした。神口のときには「神の初めは伊勢明神、越後ぢゃ弥彦の明神よ、信州ぢゃ一は諏訪さんよ……」と節調をつけて、神々を招ぎ降す。死口をきくときには、よく「某（嗣子の名等を呼び）は馬鹿だし、俺も行くところへ行かれぬ、それに水が呑み不足で一足出れば三足戻る……水向けしろや、お線香を立ててくれろや、さうすりゃ俺も助かる」などというので、身内の者などは涙を流して聴き入ったものだという（中略）。&lt;br /&gt;
: 小谷では之をイチコと云った。イチコの箱の中には外法仏が入っている。何か練って拵えたものだという事であったが、誰も見たものは無かった。ところが明治十年頃の事だったろうか（と話手の老人は云った）、イチコの泊っている家に集まって一杯やっていた博労共が、段々酔って来る中に、イチコがぶらりと遊びに出て行ったのを見てとり、その不在に主人の制止するのもきかず、箱の中から外法仏を出して見た。中には土で拵えたキボコ（人形）が入っていた。聖天様の様に男女のキボコが口を吸い合ってからまって居た。後でイチコが帰って来て「俺を勿体ない、いびりものにした」と腹立ち、箱に靠れて外法仏に聞いて、「誰と誰が云い出し、誰が風呂敷を解き誰々が箱を開いて、誰々で見た」と云った。皆の者弁解に窮し、それに薄気味悪くなって、繋銭（中山曰。各自銭を出し合うこと）をして包金であやまった事があったと云う云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｆ、大阪市天王寺村の黒格子&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
江戸期には、江戸郊外の亀井戸村（天満宮の裏門脇）、京都郊外の等持院村〔一〇〕、大阪郊外の天王寺村に、小規模ながら市子の集団的部落があった。明治四十四年に、私が在阪中の余暇を偸み、天王寺の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫女町&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;みこまち&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を訪れた時は、まだ三軒ほど黒格子独特の暖簾を下げた家があったので、呪術を頼んで見たが、禁制だと称して口寄せはしてくれなかった。東京の亀井戸も、大正六年に私がネフスキー氏と尋ねた折には、家の表へ注連縄を引き回した家が二軒あって、昔の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫女町&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;みこまち&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の面影を微かにとどめていたが、ここでも官憲の命令だといって、口寄せに応じてくれなかった。而して天王寺に就いては、「浪花百事談」巻九に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 梓&amp;lt;u&amp;gt;みこ&amp;lt;/u&amp;gt;数軒住ける地なり、其家みな格子造りにて、表の入口の外には、長三尺計りの三巾暖簾を木綿にて製し、それに大なる紋を染ぬき、仮字にて&amp;lt;u&amp;gt;くろがしら&amp;lt;/u&amp;gt;何々、&amp;lt;u&amp;gt;やぶのはた&amp;lt;/u&amp;gt;何々など、巫の名をも染ぬき、入口の上には注連縄を張る、黒格子といへるは、格子を墨にて塗り、家の内の表の間には、何か祀りて薄暗くせり云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある。格子を黒く塗り、家を薄暗くするのは、神がかりする為の便利から来ているのであろうが、遂にそれが黒格子と云えば、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と思われるまでの俚称となったのである。大近松が宝永三年に執筆した「緋縮緬卯月の紅葉」二十二社めぐりの段に、お亀が情人の与兵衛の身の上を案じて、黒格子の巫女に生口を寄せてもらう光景が、巣林子の麗筆を以て叙述されている。而して此の一節は、単に大阪の古い巫女の存在を知るばかりでなく、その神降しの呪文にも、隠語にも、他のそれと異ったものが記してあるので、少しく重複に渉る嫌いはあるが、必要と思うところだけを左に抄録する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 幼き時より気に入りて、幾春秋をふりと云ふ、年季の下女を身になして、隠す事をも語りしは、黒格子の辻とかや、上手と聞きし&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の門、ああ申し、ちと口寄を頼みませうとぞ案内ける。弟子の小女郎心得て、お通りなされと戸をあくれば、お亀は&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;一間&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ひとま&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に入りにけり。暫くあって立出づる、神子もよっぽど見えるもの、アァようお出でなされました、大阪のお衆で御座りますか（中略）。&lt;br /&gt;
: して先づ御用の事ありとは、生口か死口かと云へば、いやさればとよ、頼みたきとは生口なるが、海山隔てし&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;方&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;かた&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;でもなし、只二三里の道を越え、五日六日の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;便&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;たよ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;りもなし、どうがなかうがな、くよくよと、案じわびたる御身の程、寄せたべとぞ仰せる。神子は合掌目をふさぎ、珠数をくりひく梓弓、神下して寄せにける。&lt;br /&gt;
:: 天清浄地清浄、内外清浄六根清浄、天の神地の外、家の内には井の神、庭の神、竃の神、神の御数は八百万、過去の仏、未来の仏、弥陀薬師弥勒阿閦、観音勢至普賢菩薩、知恵文殊、三国伝来仏法流布、聖徳太子の御本地は霊山浄土三界の、救主世尊の御事なり、此の御教への梓弓、釈迦の子&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;が弦音に、引かれ誘はれ寄り来り、逢ひたさ見たさに寄り来たよ。&lt;br /&gt;
: なう&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;懐&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;なつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;かしの&amp;lt;u&amp;gt;合の枕&amp;lt;/u&amp;gt;（圏点を附せるは[[日本巫女史/第二篇/第五章/第四節|隠語]]）や、我懐かしとはおぼつかなみの、寄り来る人は誰ぞいの、誰とて二人思ふ身が、一つねふしの二股竹与兵衛を、夫と思へばこそ問ふてたもって嬉しやの、問はれて今の恥かしや（中略）。とは云ひながら扇の影の立烏帽子、舅といひてもとは伯父（中略）。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;額&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ひたへ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に角も入れたもの、丁稚小者を云ふ如く、内の手代や&amp;lt;u&amp;gt;庭宝&amp;lt;/u&amp;gt;の侮り者になし果てて（中略）。語るに尽きぬ生口も今は是まで梓弓、引いては帰る習ひなり云々（帝国文庫本）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大近松の慣用手段とて、情景併叙の筆を運び、殆んど天衣無縫の如き感あるも、それでもお亀が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;問口&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トイクチ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;をなし、市子がそれに答える遣り取りの工合が、巧妙に描かれている。それにしても、此の神降しの呪文は、神を言うよりは、仏を称えることが多いのは、兎に角に注意すべき点だと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｇ、紀州地方の算所と巫女の関係&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本居春庭翁の「賤者考」の一節にこうある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: サンジョと唱ふる所ありて、大抵忌む所&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;夙&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;しく&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に同じ、伊都郡（紀伊）相賀荘野村今陰陽師あり、同郡官省符荘浄土寺村{今巫村なり日高/郡茨木村のうち}などをいひて他村より婚せず、サンジョは産所の意にて、昔産婦はここに出て産し、穢中を過して本村に帰りしなりなどいへれば、夙の所にいへる意に同じ、是も後には陰陽師巫女など移り住みしなるべし、夙よりはいささか勝れる如く他村にていへども、同火を禁ぜざるのみにて婚を忌めば同じ事なり（中略）。陰陽師、巫女、神楽舞やうの者も、人の同歯せざる事あり（中略）。巫女は前にいふ伊都郡浄土寺村、在田郡藤並荘熊井村などなり、、其他一二戸づつなるもあり云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猶お同国田辺町の巫女に就いては、[[日本巫女史/総論/第四章/第一節|既載]]したので省略する。而して「賤者考」の記事にもある如く、江戸期に入っては、巫女の堕落はその極に達し、漸く賤民として、落伍者として、社会の一隅に噞喁したまでであって、その社会的地位の如きは、殆んど問題とされず、修験の徒や、陰陽師の妻女となって、大昔の勢威などは夢にも見ることが出来なかった生活であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｈ、出雲地方の刀自ばなし&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「郷土研究」第二巻第四号に、出雲国の一部に就いて、次の如く記載してある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 死者の精霊を呼んで、生前の物語を聞くことを「とじばなし」と云う。小庵の尼寺に至り、「とじばなし」を乞うと、尼は萩の弓（中山曰。此の萩の弓は他国には見えぬ）を射て、戒名と命日を唱えて精霊を呼び出して、物語をはじめる。昔死んだ子を呼んでもらって、茶の袷と杖を信州の善光寺まで届けてくれと頼まれて、長の旅路に財産を無くした母親もあった。「とじばなし」は精霊を呼ぶのは易いが、返すのは容易でない。若し誤ると亡霊は勿論のこと、遺族にも不幸が来る云々〔一一〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上は寡見に入った文献に現われた巫女の作法であるが、更にこれが詳細のもの、及びここに漏れたもので、報告に接している分は後出する。さて此の乏しき資料を比較して巫女の異流を考うると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 一、奥州のイタコの如く盲女に限るものと、これに反して、常陸のモリコや、大阪の黒格子の如く、精眼者のあったこと&lt;br /&gt;
: 二、梓弓を用いる者と用いぬ者&lt;br /&gt;
: 三、珠数を用いる者と用いぬ者&lt;br /&gt;
: 四、神降しの呪文にあっても、神道七分に仏法三分というのと、此の反対に仏法七分に神道三分のもののあったこと&lt;br /&gt;
: 五、稀には萩の弓を用いる者のあったこと&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
等が知られるのである。併し、斯かる異流が何故に生じたか、更に異流双互間の関係等に就いては、遂に何事も知る事が出来ぬのである。猶お本節中に収むべき記事も相当に残っているが、余りに長文になり、且つ大体を尽したと信ずるので、他は別に節を設けて記述することとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 〔註一〕 : 金田一氏の故郷である盛岡市の令姉の御宅で行われたこと、詳細は「民俗芸術」第二巻第三号に就いて御覧を乞う。&lt;br /&gt;
; 〔註二〕 : 前田太郎氏著の「世界風俗大観」参照。前田氏は言語学を専攻された方と聞くが、民俗学にも興味を有していられたと見え、此の種の研究や、考察が「東京人類学雑誌」その外に多く載せてある。宿痾のために、壮年で易簀されたのは惜しいことであった。&lt;br /&gt;
; 〔註三〕 : 我国の榊（栄樹）とは、古くは常緑樹の総てであったから、樒もそれであるなどと云う学者もあるが、覚束ない。私は我国には、樒の野生はなく、支那あたりから輸入されたものと考えている。従って、樒が常緑樹だからとて、榊としては取扱はないことだと思う。尤も、私も正月の門松の代りに樒を用いる村が、日本で一ヶ所あることだけは承知している。併し、此の一例だけでは、榊説は成り立つまい。&lt;br /&gt;
; 〔註四〕 : 「一郎殿より三郎殿」の私案は、前に述べたが、その後考え直すと、此の呪文がエビスオロシと称する者によって工夫されたという証明が出来ぬ以上は、甚だ覚束ないと自分でも思っている。敢て後賢を俟つとする。&lt;br /&gt;
; 〔註五〕 : 柳田国男先生の御説によると、此の千だん栗毛の祭文に比較すると、同じ「民族」第一巻第六号に載った「まんのう長者」の方が、一段と古いものだとのことである。成る程、そう言われて両者を比べると、新古が明確に判然し、且つ「千だん栗毛」の方は、詞章をそのまま伝えたものでなく、意味だけ伝えて、文句は後人が勝手に言い改めたものであることが知られる。それに、此の祭文の中心思想である、姫と馬の交りから蚕が生れるという筋は、支那の「捜神記」そのままである。そして之れが奥州に残り、イタコに伝ったのは同地が名馬の産地であるのと、養蚕にも関係が深かったためであろう。&lt;br /&gt;
; 〔註六〕 : 小寺氏の記事は、詳細委曲を尽した長文のものであるゆえ、猶お詳しくは、本文に就いて、御覧を願いたい。更に此の機会に於て、私の運墨の都合から、小寺中道両氏の記事を、勝手に取り交ぜて引用した失礼を、深くお詫びする次第である。&lt;br /&gt;
; 〔註七〕 : 「郷土研究」第四巻第四号。因に、私は鈴木氏と親交ある香取秀真氏の御紹介を得て、鈴木氏を市外田端の御宅へ両度まで参上し、有益なるお話を承った上に、氏の秘蔵せるイラタカの珠数の撮影まで許された。ここに感謝の意を表する。&lt;br /&gt;
; 〔註八〕 : 「東京人類学雑誌」第一二六号。&lt;br /&gt;
; 〔註九〕 : 常陸で巫女を「大弓」又は「モリコ」と云ったことは、「新編常陸国誌」にあること[[日本巫女史/総論/第一章/第一節|既述]]した。これを重ねて呼ぶことは如何かと思うが、今は本文に従うとする。&lt;br /&gt;
; 〔註一〇〕 : 京都市外等持院村が巫女村であったことは、京都の地誌類に見えているが、詳細が知れぬので、在京都の友人に、詳細を尽せる書名なりとも知らせてくれと頼んだが、遂に返書にすら接しなかったのは、遺憾千万であった。それで茲に、新井白蛾翁の「闇の曙」巻下（日本随筆大成本）に拠ると、同地方では巫女を俗にヒンヒンと呼んだようである。これは弓弦の擬声から来ていることは言うまでもない。ただ同書には巫女の無学と、弊害とが力説されていて、その呪法や生活に触れていぬのは物足らなかった。&lt;br /&gt;
; 〔註一一〕 : 猶お此の外に、アイヌ民族の間に行われた巫女（ツス）の呪法や、琉球の各島々に在る巫女（ユタ）の作法などに就いて、記述すべき幾多の資料を蒐めて置いたが、今は長文になるのを恐れて、内地だけにとどめるとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:中山太郎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%80&amp;diff=1300</id>
		<title>日本巫女史/第三篇/第二章/第一節</title>
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		<updated>2010-01-08T04:53:02Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[日本巫女史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第三篇|第三篇　退化呪法時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第三篇/第二章|第二章　当代に於ける巫女と其の呪法]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第一節　文献に現われたる各地の巫女と其の呪法==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
巫女は堕落し、呪法は形式化した当代のこととて、文献に現われたものは、異流を雑糅し、異法を混淆してあって、それを体系づけて、一々整然と書き分けることは、殆んど不可能と云っても差支ないほどである。それ故に、私は大体同じような記録を一まとめに記述する程度にとどめて置くとする。元より資料の整理が行届かなかったという高叱は、此の場合甘んじて受ける所存である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;一、巫女の持った人形の二種&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「謡曲拾葉集」に、[[日本巫女史/第二篇/第二章/第二節|前]]に載せた葵ノ上の『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;寄&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;り&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;人&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;マシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;は今ぞ寄り来る長浜や、芦毛の駒に手綱ゆりかけ』の呪歌を解読して、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 寄人は寄神とも降童とも云ふ、或は生霊死霊を祈る時、彼の霊の代りに童子をそなへ置て祈つけ、降参さする事なり、或は霊を人形に作り藁にて馬など拵へかの人形を乗せて祷り、終りて後に川へ流す事もあり、この歌も是等の事を詠めると見えたり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのは、遂に巫道に通ぜぬ千慮の一失であった。解説の前半は、その通りであるが、後半の霊を人形に作り、藁の馬に乗せて川に流すとは、全く贖物の思想であると同時に、芦毛の駒云々の字句から想像した無稽の事である。此の呪歌の意義に就いては、私の学問の力では釈然せぬことは既述の如くであるが、拾葉抄の著者が考証したような事実を、此の呪歌から検出することは無理であるし、且つかかる呪法の存したことを曾て見聞せぬのである。何か巫女の持っている人形などから、想いついた説のようにしか信じられぬ。併しながら、当代の巫女が、怪しげなる物を呪力の源泉として、所持していたことは考えられる。而して是れには、（Ａ）外法頭を持ったものと、（Ｂ）単なる人形を持ったものとの二つの系統が存していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ａ、外法頭を持った巫女&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「嬉遊笑覧」巻八に、「龍宮船」という草子を引用して、左の如き記事が載せてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 予が隣家に、毎年相州より巫女来りけるが、往来の事を語るに当らずといふ事なし。或時、袱紗包を忘れ置たり。開きて見るに二寸許の厨子に、一寸五分程の仏像ありて、何仏とも見分がたく、外に猫の頭とも云べき干かたまりし物一ツあり。程なくかの巫女大汗になりて走り来り、袱紗包を尋ねける故即ち取出し遣し、扨是は何作なるぞとたづねければ、是は我家の法術秘密の事なれども、今日の報恩にあらあら語り申べし。是は今時の如く太平の代には致しがたき事なり、此尊像も我まで六代持来れり、此法を行はんと思ふ人々幾人にても言ひ合せ、此法に用ゐる異相の人を常々見立置き、生涯の時より約束をいたし、其人終らんとする前に首を切り落し、往来しげき土中に埋み置く事十二月にて取出し、髑髏に付たる土を取り、言ひ合せたる人数ほど此像を拵へ、骨はよくよく弔ひ申事なり。此像はかの異相の神霊にて、是を懐中すれば如何やうの事にても知れずといふ事なしといふ。今一ツの獣の頭のことも尋ねけるが、是は語りにくき訳あるにや大切の事なりとばかり言ひける由、これなん世上にいふ外法つかひと云ふ者なるべきか（近藤活版所本）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
是れ殆んど符節を合わすが如き狐の髑髏を持つ事実のあったことが、奥州の見聞を書いた「黒甜瑣語」に載せてあるが、これは[[日本巫女史/第二篇/第五章/第一節|既述]]したので、ここには省略する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｂ、人形を持った巫女&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
奥州のイタコが公然と持っているオシラ神と称する人形とは異り、外法箱の中に、秘密に収めた人形を持った巫女は、諸書に散見しているが、やや詳しく記してあるのは、根岸鎮衛の「耳袋」巻三に、「矢作川にて妖物を拾ひ難儀せし事」と題せるものと思うので、左に転載することとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 宝暦の始めには、三州矢作橋、御普請にて、江戸表より、大勢役人職人等、彼地へ至りしに、或日人足頭の者、川縁に立ちしに、板の上に人形やうのものを乗せて流れ来れり（中略）、面白きものと、取て帰り、旅宿にさし置けるに、夢にもなく、今日かかりし事ありしが、明日かくかくの事あるべし、誰は明日煩ひ、誰は明日いづ方へ行べしなど、夜中申けるにぞ、面白き物也、これはかの巫女などの用る外法とやらにもあるやと、懐中なしけるに、翌日もいろいろの事をいひけるにぞ、始めの程は面白かりしが、大きにうるさく、いとひ思ひしかども、捨てん事も又怖ろしさに、所のものに語りければ、彼者大に驚き、由なきものを拾ひ給ひけるなり（中略）、其品捨給はでは禍を受る事なりと言ひし故、せん方なく、十方にくれて如何し可然哉と、愁ひ歎きければ、老人の申けるは、其品を拾ひし時の通り、板に乗せて川上に至り（中略）、彼人形を慰める心にて、其身うしろに向いて、いつ放すとなく、右船を流し放して、跡を見ず立帰りぬれば、其祟りなしといひ伝ふ由、語りけるにぞ、大きに悦び、其通りなして放し捨しと也（日本芸林叢書本）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の拾った人形が、単なる木像であったか、それとも前掲の如き、外法頭系のものか判然せぬが、私は木像であったと考えたい。それは、記事中に『其人形のやう、小児の翫びとも思はれず』とあるが、神仏いずれとも見定め難きほどの物と思われるので、ここには単なる木像と見るのが穏当であろう。而してそれとこれとは、趣きを異にしているが、斯うした呪物が、水を恐れる話は、他にも聴いている。南方熊楠氏の談に、紀州の某が、大阪で、猫神を所持していると、米相場で金儲けが出来るとて、それを所持していたところ、金は儲かるが、夜となく、昼となく種々なことを告げ知らせるので、うるさくもあり、怖ろしくもなり、遂に淀川の水中に身を没し、天窓まで水をかぶっていて、漸く猫神を離したとのことであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;二、口寄せの種類とその作法&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
市子の呪術も、当代に入るとその範囲も狭められて来て、専ら民間の——それも少数の愚夫愚婦を相手にするようになり、国家の大事とか、戦争の進退とかいう、注意すべき問題に全く与ることは出来なくなってしまい、漸く、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 一、口寄せと称する、死霊を冥界より喚び出して、市子の身に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;憑&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;かか&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;らせて物語りをする（俗にこれを「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;死口&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;シニクチ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」という）か、これに反して、遠隔の地にある者の生霊を喚び寄せて物語りする（俗にこれを「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;生口&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イキクチ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」という）こと&lt;br /&gt;
: 二、依頼者の一年間（又は一代）の吉凶を判断する（俗にこれを「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神口&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミクチ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」とも「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;荒神占&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;コウジンウラナイ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」ともいう）こと&lt;br /&gt;
: 三、病気その他の悪事災難を治癒させ、又は祓除すること&lt;br /&gt;
: 四、病気に適応する薬剤の名を神に問うて知らせること&lt;br /&gt;
: 五、紛失物、その他走り人などのあったとき、方角または出る出ないの予言をすること&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この位のものになってしまった。而して是等のうちで、尤も依頼者も多く、市子としても収入の多かったものは、死口、生口、神口の三つで、当代の市子といえば、直ちに口寄せを意味し、口寄せといえば、又この三つを意味するものと思われるまでになっていたのである。就中、民間の信仰をつないでいたものは死口であって、亡き両親や、同胞の死霊、又は亡き恋人や、友人の死霊が、市子の誘うままに幽界から出て来て、明界にいる子孫なり、関係者なりと、談話を交えるというのであるから、不思議にも思われ、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神事&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミゴト&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と信じられたのも無理のないことで『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;が語る声まで、死んだ母親そっくりだ』などとは、幾度となく聴かされたことで、且つ三歳か五歳で夭折した子供の死霊が現われて、地獄の苦しみを物語る哀れな&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;声音&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;こわね&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を耳にしては、その親たるものは、涙を絞り袖を濡らし、信ぜざらんとしても、迷わざるを得ぬのである。最近に金田一京助氏が記された実見談によると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 姉の家で、口寄せした時には（中略）、例の珠数を押し揉み押し揉み、口に唱えごとを繰返しているうちに、それが一種の歌に聞きとられる様になって来た。その歌詞は、姉などは聞き覚えに&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;暗&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;そら&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;んじている程、いつもきっと出て来るきまりの文句らしく、『……声はすれど、姿は見えの（ぬの訛りらしい）、影ばっかりに……』すると、髣髴として、亡き魂がそこに降りでもするような気分が座に満ちて来て、笑ったものも笑顔を収め、動いていたものも&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;鳴&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;なり&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を鎮めてじっとする其の時、呪女の口からは、『五十九で亡くなった仏様を』とだけ頼んで、にじり出た姉へ向って云うような口調で『お前には苦労を掛けた……』と聞かれるような歌になった。と亡父の生前死後、羸弱な身を以て私に代って一家の世話を見つつ、浮世の辛酸を、滓の滓まで飲み尽した姉は、わっと泣きくずれて、『お父様、もう其の御一言で沢山です』と咽び入る云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるように〔一〕、気丈なものでも——馬鹿々々しいとは思っていながらも、引き入れられるのが常である。巫女が科学を万能とする現代においても猶お、残喘を保って、各地に存しているのは、全く此の呪法を行うことに由るのである。而して此の呪法を行うには、又左の如き種々なる作法があったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ａ、手向の水ということ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:死口市子一.gif|thumb|死口を寄せている市子（外法箱膝のは梓弓前のは手向の水）]]&lt;br /&gt;
[[画像: 死口市子二.gif|thumb|left|死口を聞いている人々（川柳本所載）]]&lt;br /&gt;
市子は口寄せの折には、その対象が、死霊と生霊と神口との別なく、必ず依頼者に、茶碗その他の器物に水を盛らせ、それを巫女の膝の前（又は机の上）に置かせて、死霊の場合には、枯葉（又は樒の葉）で左廻わしに三度水を掻かせ、生霊の場合には、青い木葉（種類は何でもよい）で右廻わしに三度掻かせ、神口の場合には、紙撚り（併しこれも流派によって一定せぬが、大体は先ずこうである）で水を三度掻き廻させる。此の水を手向けることは、巫女が呪術を行うに大切なものとされていて、出て来る霊魂が『よくこそ水を手向けてくれた』と云うほど、重い儀軌？になっているのであるが、さて此の理由に就いては定説を聞かぬ。「松屋筆記」巻八七に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 塩尻（中山曰。天野信景翁の著書）一ノ巻に或人云、凡そ亡者の霊に水を手向るは仏法に効へるなりと、予按に是我国上古の習俗歟、「日本紀」一六に鮪臣が死せし時、影媛哀傷の倭歌を詠じて「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;玉笥&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タマケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;飯盛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イヒモリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;玉椀&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;タマモヒ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;水盛&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミヅモリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」などいひ、其葬の時「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;水喰&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミヅクヒ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ごもりみな&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;酒&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ソソ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ぎ」の詞あり、これ我国仏教来らざる以前の事也、仏氏といへども餓鬼の他、仏菩薩等に水手向る事なし（中略）「空華談叢」巻一に亡霊薦水六則あり、可考合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と載せてある。之に由れば、巫女がその霊に水を手向けることは、我が古俗のようにも考えられるのであるが、単に是だけの資料で決定するのは危険である。殊に仏法にも亡霊薦水の法があるというし、且つ故前田太郎氏の研究によると、死者の霊に水を手向ける土俗は、殆んど世界的に偏在していたというから〔二〕、これは我が古俗にも存し、仏法にも在ったもので、巫女のそれは、古俗に仏法を加えたものと見るのが、微温的ではあるが、穏当だと考える。樒ノ葉を用いるに至っては、仏法の影響と見るも〔三〕、蓋し何人も異議のない事と思う。故長塚節氏の力作「土」には、茨城県下の農村における巫女の所作が克明に委曲に描かれているが、生口を寄せる一節に、巫女が『白紙&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;手頼&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;たよ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;り水手頼り、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;紙捻&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;こより&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;手頼りにい……』と唱えたと記している。此の水の手向けは古くから広く行われていたようである。而して此の手向の水ということが、後には市子に祈祷してもらえと云う意味に転用されるようになり、呼び出される死霊が『水が足らぬ』とか『&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;水向&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミズムケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を頼む』と云うのは、即ち市子が死霊の言に託して、自分の収入を謀った狡猾なる手段なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｂ、巫女の唱えた神降しの呪詞&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像: 山伏.gif|thumb|山伏と地しゃ（七十一番職人歌合所載）]]&lt;br /&gt;
[[画像: 笹ハタ.gif|thumb|笹ハタキと称する市子（川柳語彙所載）]]&lt;br /&gt;
当代に入ると、巫女の用いた&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神降&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミオロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;しの呪詞も、修験道の影響を濃厚に受け容れて、殆んど古き相は&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;摘&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;つま&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;むほどしか残っていぬという有様になってしまい、然もその文句たるや、余程無学者が作ったものと見え、神仏の混雑は、当時の信仰から推して、先ず恕すべきとするも、措辞が野卑である上に、文理が滅裂で、全く体裁をなしていぬ。それを無智な巫女達が、矢鱈に唱い崩し、言い訛ったものと見えて、中には何事を意味しているのか解釈に苦しむものさえある。而して是等の呪詞は、京伝の「昔話稲妻表紙」を始めとし、三馬の「浮世床」や、一九の「東海道膝栗毛」等に載せてあるが、何れも多少の出入こそあれ大同小異で、僅に巫女が呪法を行う土地の一ノ宮または&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;産土神&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ウブスナガミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の名を変える位で、その他は取り立てて言うほどの事もないし、それに是等の書物は、流布本の多いものゆえ、ここにはその中でも、やや古いと思う「稲妻表紙」から抄出するとして、他は省略した。同書巻四「仇家の恩人」の一節に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 扨ある年の春、藤波が祥月祥日にあたれる日、妻小枝妹阿龍等がすすめにより、県巫女をやとひ、藤波が口をよせて、冥途のおとづれをききぬ。さて降巫上座に居なほりて、目うへの人にや目下にや（中山曰。今では此の事は聞かず、、ただ黙って頼めば、巫女の方で言いあてる）、生口か死口かとたづぬれば、小枝すすみ出で、目下の者にて死口なりと答へつつ、樒の葉にて水むけすれば、巫はささやかなる弓をとりいだし、弦を打ならして&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;旦&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;まづ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神保&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミオロシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;をぞ唱へける。&lt;br /&gt;
: &amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;夫&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;それ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;つつしみ敬てまうし奉る。上は梵天帝釈四大天王。下は閻魔明王。五道の冥官。天の神。地の神。家の内には井の神。竃の神。伊勢の国には。天照皇太神宮。外宮には四十末社。内宮には八十末社。雨の宮。風の宮。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;月読日読&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ツキヨミヒヨミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;御神&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;おんかみ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;。当国（中山曰。近江）の霊社には。坂本山王大権現。伊吹の神社。多賀明神。竹生島弁財天。筑摩明神。田村の社。日本六十余州すべての神の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;政所&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;まんどころ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;。出雲の国&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;大社&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;おほやしろ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;。神の数は九万八千七社の御神。仏の数は一万三千四個の霊場。冥道をおどろかし&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;此&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ここ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;降&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;くだ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;し奉る。おそれありや。この時によろづの事を残りなく。おしへてたべや梓の神。うからやからの諸精霊。弓と箭のつがひの親。一郎どのより三郎どの。人もかはれ水もかはれ。かはらぬものは五尺の弓。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;一打&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ひとうち&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;うてば寺々の。仏壇にひびくめり。&lt;br /&gt;
: 梓の弓にひかれひかれて、藤波が亡き魂ここまでまうで来つるぞや。懐しやよく水手向て玉はりしぞ、主君とは申しながら、畏れ多くも心には、&amp;lt;u&amp;gt;枕ぞひ&amp;lt;/u&amp;gt;（中山曰。圏点を打ちし句は巫女の隠語、[[日本巫女史/第二篇/第五章/第四節|既載]]のものを参照あれ）とも思ひしから、&amp;lt;u&amp;gt;烏帽子宝&amp;lt;/u&amp;gt;を産みはべりて、&amp;lt;u&amp;gt;唐の鏡&amp;lt;/u&amp;gt;とかしつがれ、おん身等にも安堵させ、楽しき暮しをさせ申さんと思ひし事も左り縄、云ひがひもなき妾が身の上、露ばかりも罪なくて、邪見の刃に身をほふられ、尽きぬ恨みの悪念が、此身を焦す炎となり、晴れぬ思ひの冥道に、今に迷ふて居り候云々（以上。帝国文庫本）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神降&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミオロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;しの呪詞は、別段に解釈を要せぬまでに明白であるし、又た解釈を要するほどの『一郎殿より三郎殿、人もかはれば水もかはる』云々の如きは、これを唱えていた巫女にも解らず、従って他の者には、皆目見当もつかぬものである〔四〕。殊に、神の数が九万八千とか、仏の数が一万三千とかいうのは、全くの出たら目で、何等の根拠もなければ、理由もなく、ただ巫女が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;旋律的&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;リズミカル&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に唱える上に、舌に唾のたまらぬよう、語呂の点から択んだ文句に外ならぬのであって、それが古く歌謡の系統に属していた名残りをとどめているのであるが、夙に歌謡は、巫女の手から離れて、独立した芸術として発達しているのに反し、巫女は堕落して、糊口の料に神降しを唱え、それも旧態を保つに懸命であって、生面を拓くことが出来なかったので、益々世相と遠ざかるようになってしまったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
巫女は別名を「大弓」とも「小弓」とも、更に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;梓巫女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;アヅサミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;とも言われているほどとて、呪術を行う場合に、弓弦を細き竹の棒にてたたくことは既述したが、この作法は、必ずしも総ての巫女に通じて行われたものではない。私の知っている限りでは、（一）都会に定住していた者と、（二）漂泊をつづけた歩き巫女と。（三）奥州のイタコと称する者は、概して弓を用いず、これに反して、町や村に土着した巫女は、弓を用いたようである。折口信夫氏のノートに拠ると、壱岐のイチジョウと称する巫女は、長さ八尺もある黒塗の木ノ弓（二ツ折になって袋に入れて、持ち歩くに便にしてある）に、麻の弦をかけ、南天の葉を&amp;lt;u&amp;gt;ひい&amp;lt;/u&amp;gt;て油をとりしものを弦に塗り、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;盒&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ゆり&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（中山曰。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;曲物&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;まげもの&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;にて楕円形をなし、高さ四五寸、大きさ一尺二三寸なり）を伏せて、麻縄で二ヶ所&amp;lt;u&amp;gt;くび&amp;lt;/u&amp;gt;った上に、弓を持たせかけ、釣り竿のように反った一尺五寸ほどの竹の棒二本で、弦をたたきながら、初めは「神寄せ」の文句（中山曰。此の文句は判然せぬ）を唱え、次に「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;御籤&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミクジ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;あげ」をなし、それから「百合若説教」を宜いほどに唱える（中山曰。百合若説教のこと注意されたし）そうである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
然るに、常陸辺では、既述の如く、二三尺位の粗製の竹の弓を用いるとあり、私が同じ常陸の潮来町で聴いたところでは、巫女は弓を持参せず、往く先々で青竹を切って、二尺ほどの弓を拵えてもらい、それを用いるとのことであった。而して此の弓の弦をたたく音は、弦が&amp;lt;u&amp;gt;ゆる&amp;lt;/u&amp;gt;く張ってあるためか、ベンベンと如何にも眠気を誘うような響きがするものであって、巫女がこの響きにつれて神降しの呪詞を唱えすすむうちに、催眠状態（その実際は後世の巫女は催眠を仮装するだけで覚醒している）にでも入りそうな心もちのするものである。因みに「笹ハタキ」とは、その文字の如く、始めは笹の葉を両手に持ち、それで自分の顔を軽くたたきながら催眠状態に入ったので負うた名である。これも後には雑糅されてしまって、小さい弓を用いる巫女まで、此の名で呼ぶようになったのである。猶お巫女の修業、神つけの方法、各地の神降し等に就いては、文献には見えぬので、次節の報告の条に詳述する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;三、イタコのオシラ神の遊ばせ方&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像: 新オシラ.gif|thumb|新しきオシラ神（故伊能嘉矩氏所蔵）]]&lt;br /&gt;
奥州のイタコ（これは殆んど悉く盲女であって、精眼者あるを今に聞かぬ）と称する巫女が、オシラ神を持っていることは屢記したが、さて此のオシラ神は、如何なる場合に用いるか、併せてその用法は如何にと云うに、イタコは依頼者の意を受けて、生霊なり、死霊なりの口寄せをするときは、金田一氏の記事にある如く、イラタカの珠数を両手で押し揉み（秋田地方では揉まずに珠を繰る方法もある）ながら、神降しを済ませ、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;憑&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヨ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;り&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;人&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;マシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;となって種々なる呪法を行うことは、昔の普通の巫女と別段に変りはないが、呪法が終ってから、依頼者の希望により、その家（奥州では草分け百姓とか、又は旧家とか云われる家には、各相伝のオシラ神がある）のオシラ神を遊ばせる（春秋二期のオシラ神祭りの日は云うまでもない）ことがある。而してその遊ばせ方に就いては「民俗芸術」第二巻第4号に、小寺融吉氏の詳細なる記事があり、更にこれを遊ばせる祭文は、「民族」第三巻第三号に、中道等氏の寄稿があるので、幸い私は両氏の厚誼を辱しているので、甚だ勝手ながら、左にこれを自由に取り交ぜて、抄録することとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 東北地方に名高いオシラ様の祭を私{○小/寺氏}は、偶然にも昨年{○昭和/三年}東京で見ることが出来た。それは柳田国男先生のお宅に、以前から届いてあった此の神様を、本式に祭るため、はるばる奥州から盲目の巫女が、三月一八日の祭日を期して上京したのに列席したのであった云々。&lt;br /&gt;
: 祭壇を前に石橋&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;貞&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;さだ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;子という老いた盲目のイタコ（巫女）が静かに座った。常の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;髪形&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;かみかたち&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、常の服装のままで、黒い袈裟を左肩から掛け、次に長い数珠を首に掛けた。数珠の玉は黒くて大きい。そして円筒形の筒（中山曰。呪力の源泉である神を入れたもの）を押し頂いて、右肩から左脇へ掛けた。この筒は神秘不可思議で、中に何があるか分らない。&lt;br /&gt;
: さて祭壇と云っても、ただの机だが、その上にイタコから見て、正面に一対のオシラ神、右が女神左が男神（原註略）。右の奥に茶碗に水、その前に蝋燭、左の奥に菓子、その前に蝋燭、そして中央の前に、右には塩、左には米が在る。&lt;br /&gt;
: 抑々オシラ様の御神体は、八寸ほどの長さの桑の木（中略）、毎年の祭に着物（東北でセンタクと云う）を上に一枚づつ重ね参らせる。着物と云っても一枚の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;布&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;きれ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;冠&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;かぶ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;せるだけで、首の上からスッポリ冠せるのと、布の中央に穴を明けて、穴から首を出すのと二通りある（中略）。今日の御神体は首を露出せぬ方だが、首を包んだ布のまわりに、小さい鈴を女神は四個、男神は三個結んで区別している云々。&lt;br /&gt;
: イタコは先ず塩を取って振りまいた。次に我昔所造諸悪行……一切我今皆懺悔の四句の懺悔文を誦し、次に般若心経に移った（中略）。そして般若心経の時に、途中で息を切って一寸休む折りは合ノ手のように、しきりに数珠を揉んだ。これは左掌を下にし、右掌を上にして揉むので、胸の前で合掌するのとは違う。次に普門品の偈だけを読んだようで、念被観音力、還著於本人なぞの文句が聞き取れた。これを終って柏手を打ち、いよいよオシラ祭文に移った。&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: 　　　　千だん栗毛物語（オシラ遊びの経文）&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: しら神の御本尊&lt;br /&gt;
:: くはしく尋ね奉れば&lt;br /&gt;
:: 我が京にては白神の御本尊と申也&lt;br /&gt;
:: 朝日の長者ようひ長者と申して&lt;br /&gt;
:: 数の宝を相添ひて&lt;br /&gt;
:: おがひ申して&lt;br /&gt;
:: おがひに長じて身を清め&lt;br /&gt;
:: よき金三百両&lt;br /&gt;
:: こがねのにはちで納め置く&lt;br /&gt;
:: 鰐口ちょうと打ならし&lt;br /&gt;
:: 南無や大慈大悲の親世音さま&lt;br /&gt;
:: 願はくば赤子一人授けてたまはれと&lt;br /&gt;
:: 願はくばおどうかうによう申すべし&lt;br /&gt;
:: そげんの破風に瑪瑙の垂木&lt;br /&gt;
:: やんくゎぎぼうに至るまで&lt;br /&gt;
:: 金銀の入ればに&lt;br /&gt;
:: 表しろかね中こがね&lt;br /&gt;
:: 厚さ三寸五分なり&lt;br /&gt;
:: 錦のとうざう七流れ&lt;br /&gt;
:: 我も子のことかなしみて&lt;br /&gt;
:: とりかへかきかへ申すべし&lt;br /&gt;
:: 大千世界めぐりて&lt;br /&gt;
:: 鳥類畜類めぐれども&lt;br /&gt;
:: 汝らに授くる宝も無し&lt;br /&gt;
:: 今度この度しらの種申し下す&lt;br /&gt;
:: 此子は六つ七つに至りては&lt;br /&gt;
:: 命に恐れあるべし&lt;br /&gt;
:: 東方父にて西方母&lt;br /&gt;
:: 兄は御いきと申すなり&lt;br /&gt;
:: 左りの袂より右りの袂へ&lt;br /&gt;
:: すらりと入れると覚えて&lt;br /&gt;
:: 夢さめて長者夫婦の人々は&lt;br /&gt;
:: 斯うまで有難き御利生を&lt;br /&gt;
:: 七度の礼物なされけり&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: 我が家に帰りついたる時&lt;br /&gt;
:: 懐胎となって&lt;br /&gt;
:: 当る十月と申して&lt;br /&gt;
:: 御産の紐を開せとくがや&lt;br /&gt;
:: 玉や御前と名をつけて&lt;br /&gt;
:: 二つになるから三つ四つと心を用いて&lt;br /&gt;
:: 六つになる年右の御手に筆とらせ&lt;br /&gt;
:: 七重の愛馬に飼立てられたる千だん栗毛&lt;br /&gt;
:: 立つに千段すはるに千だん&lt;br /&gt;
:: 三千四だん五だんの形をもたせ玉ふ&lt;br /&gt;
:: めん馬に乗じて馬の頭を&lt;br /&gt;
:: おしなでかきなでたまひて&lt;br /&gt;
:: この屋形のうちに入らせたまふ&lt;br /&gt;
:: 一才になるから二才三才やうなる&lt;br /&gt;
:: 御育ておいた徳を以て&lt;br /&gt;
:: 前足のつき相を見れば&lt;br /&gt;
:: てむく茶碗をすゑたる如く&lt;br /&gt;
:: 後足のつき相を見れば&lt;br /&gt;
:: ごばんちょうこすゑたる如く&lt;br /&gt;
:: 目鼻尾のつきあひ&lt;br /&gt;
:: 毛はだまでもやうなる様に&lt;br /&gt;
:: 御育て置いた徳を以て&lt;br /&gt;
:: 今日も見物人ひとは百人&lt;br /&gt;
:: またも二百人三百人の&lt;br /&gt;
:: 見物人の無い日とてはあるまい&lt;br /&gt;
:: おれも見物に出でて見ようと云うて&lt;br /&gt;
:: 十二ひとへを重ね&lt;br /&gt;
:: 十二人のつまとりを附け&lt;br /&gt;
:: つまどりには褄を取らせ&lt;br /&gt;
:: 七重のまや迄見物に出でたるれば&lt;br /&gt;
:: 上のまやには赤きめん馬百三十三匹&lt;br /&gt;
:: 下の厩には青きめん馬百三十三匹&lt;br /&gt;
:: 中の厩には白きめん馬百三十二匹&lt;br /&gt;
:: 後ろ残りし一疋のせんだん栗毛&lt;br /&gt;
:: 見るまも無く玉や御前のほめるには&lt;br /&gt;
:: 前足のつき相を見れば&lt;br /&gt;
:: てむく茶わんをすゑたる如く&lt;br /&gt;
:: 後足のつきあひを見れば&lt;br /&gt;
:: 朝顔の咲いたる如く&lt;br /&gt;
:: 目の色はからかね目&lt;br /&gt;
:: 目鼻耳のつきあひ&lt;br /&gt;
:: 毛肌までもふしのつけやうは無い&lt;br /&gt;
:: これが人間のからだなれば&lt;br /&gt;
:: どうぞ夫婦になりそめたいものと&lt;br /&gt;
:: 三度までも馬のからだを撫でたまふ&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: 声は千だん栗毛の耳にとまりまして&lt;br /&gt;
:: 恋のわづらひとなりました&lt;br /&gt;
:: 糠草も食することは無く&lt;br /&gt;
:: 粕や米糠くぢょやすすき草&lt;br /&gt;
:: どの様に食わせても食することは無く&lt;br /&gt;
:: 如何致したわけである&lt;br /&gt;
:: この家の亭主に伺ひ見るべしと&lt;br /&gt;
:: 伺ひ見たならば&lt;br /&gt;
:: はくらくでも取りよせ見たならば&lt;br /&gt;
:: せんだん栗毛の相分るべしというて&lt;br /&gt;
:: 西東北南四うぢ隅より&lt;br /&gt;
:: 伯楽の三十七人までも取寄せたけれども&lt;br /&gt;
:: どの伯楽も千だん栗毛の病気&lt;br /&gt;
:: 名をつけるはくらくはあるまい&lt;br /&gt;
:: 天が下に無いほどの西の方には&lt;br /&gt;
:: よい占い師があることだ&lt;br /&gt;
:: そんなら取りよせ見るべしと&lt;br /&gt;
:: 取りよせ見たなれば&lt;br /&gt;
:: 憚りながら此家の千だん栗毛の病気は&lt;br /&gt;
:: 外なる病気ではない&lt;br /&gt;
:: 二階ひとり姫玉や御前&lt;br /&gt;
:: 恋がけの病気と判じたれば&lt;br /&gt;
:: 金満長者の夫も腹を立てて&lt;br /&gt;
:: さて憎い畜生だ&lt;br /&gt;
:: 畜類は人間に恋をするといふこと&lt;br /&gt;
:: 此世には無いことだ&lt;br /&gt;
:: 早く千だん栗毛を&lt;br /&gt;
:: 投げ棄てて来いとのいひつけをさるる&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: さてせんだん栗毛せんだん栗毛&lt;br /&gt;
:: 今までは七重の馬&lt;br /&gt;
:: あいの馬に飼育てられたる千だん栗毛&lt;br /&gt;
:: 今更姫に恋して投棄てらるるぞよと&lt;br /&gt;
:: どのやう意見そひしんされても&lt;br /&gt;
:: 頭をふり上ることは無い&lt;br /&gt;
:: これは二階の一人姫&lt;br /&gt;
:: 玉や御前を見舞させたなら&lt;br /&gt;
:: せんだん栗毛の病気は相分ると謂うて&lt;br /&gt;
:: 二階一人姫玉や御前さまに&lt;br /&gt;
:: 見まひを致しくれといひば&lt;br /&gt;
:: 二階一人姫玉や御前も人目を忍んで&lt;br /&gt;
:: 夫婦のちぎりある故に&lt;br /&gt;
:: ゑ顔あげて十二ひとへ引重ね&lt;br /&gt;
:: 十二人の褄どりをつけ&lt;br /&gt;
:: つまどりには褄を取らせ&lt;br /&gt;
:: 右の手には萩を持ち&lt;br /&gt;
:: 左の手にはすすきを持ち&lt;br /&gt;
:: 二階はしごを下りまゐり&lt;br /&gt;
:: 七重のまやまでとり運ぶ&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: さて千段栗毛せんだん栗毛&lt;br /&gt;
:: おれの為に病気になって&lt;br /&gt;
:: 居るさうだと謂うて声かけたるれば&lt;br /&gt;
:: すぐ頭をふりあげて&lt;br /&gt;
:: 萩やすすきを一本ままではむこと&lt;br /&gt;
:: 以前と異ならず&lt;br /&gt;
:: 玉や御前と千だん栗毛と別るる時は&lt;br /&gt;
:: 生木の枝を割かるる如く&lt;br /&gt;
:: 血の涙で別れおいて&lt;br /&gt;
:: とうとう二階一人姫も病気になりました&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: これは来る三月一六日に&lt;br /&gt;
:: 御神明のみかぐらでも企てたならば&lt;br /&gt;
:: 姫の病気は快気になるかと&lt;br /&gt;
:: いうて企てたなれば&lt;br /&gt;
:: おれも見物に出でて見ようと云うて&lt;br /&gt;
:: 十二ひとへひき重ね&lt;br /&gt;
:: 十二人のつまどりをつけ&lt;br /&gt;
:: つまどりには褄を取らせ&lt;br /&gt;
:: 七十人の供をつれ&lt;br /&gt;
:: 一沢越え二沢越え三沢目の&lt;br /&gt;
:: 大きな桂の大木の根に腰をかけ&lt;br /&gt;
:: うつの宮より褄取りとも人皆ほろき落して&lt;br /&gt;
:: ただ御神楽よそに見て&lt;br /&gt;
:: 千相桑の林に一飛び運び参り&lt;br /&gt;
:: 真砂の珠数御手につまぐり&lt;br /&gt;
:: それそれははかせを喚んで&lt;br /&gt;
:: 博士は八十三のこよみ&lt;br /&gt;
:: さて千だん栗毛千だん栗毛&lt;br /&gt;
:: 玉や御前がこの処に運んだについて&lt;br /&gt;
:: しんが有るなら一声出せと&lt;br /&gt;
:: 大声あげて歌をよみあげる&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: すぐなまぐさき風は吹き&lt;br /&gt;
:: 五色の雲をたなびきて&lt;br /&gt;
:: 八間四方の皮をならされた&lt;br /&gt;
:: 御姫さまをぐるりと巻取って&lt;br /&gt;
:: 天に昇り天竺の方に参ったり&lt;br /&gt;
:: 褄取り供人は皆つらづらになりまして&lt;br /&gt;
:: 家に帰りしなれば&lt;br /&gt;
:: 我々の命は一ときも堪らんものか云ふて&lt;br /&gt;
:: 早く伺ひ見るべしと&lt;br /&gt;
:: 一飛びに運ぶ&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: さて金満長者の旦那さま&lt;br /&gt;
:: うちのいたはしき二階一人姫&lt;br /&gt;
:: 玉や御前さんは千だん栗毛の為に&lt;br /&gt;
:: 盗みとられました&lt;br /&gt;
:: おらの命ばかりは御助けなされてくだされと&lt;br /&gt;
:: それは手まへだちのかかはりたる事では無い&lt;br /&gt;
:: 姫はさうあなたはいの因縁づくと云うて&lt;br /&gt;
:: 涙にくれて居るところへ&lt;br /&gt;
:: 虫は二十四疋ふりくだる&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: 白き虫の顔見れば&lt;br /&gt;
:: おら処の玉や御前に似たる顔&lt;br /&gt;
:: 黒き虫の顔見れば&lt;br /&gt;
:: 千だん栗毛に似たる顔&lt;br /&gt;
:: 米はませても米はまず&lt;br /&gt;
:: 粟はませても粟はまず&lt;br /&gt;
:: 麦はませても麦はまず&lt;br /&gt;
:: 豆はませても豆はまず&lt;br /&gt;
:: 百人二百人三百人の&lt;br /&gt;
:: 見物人は参りしなれど&lt;br /&gt;
:: 何はむ虫と判ずる人はあるまい&lt;br /&gt;
:: 七十あまりのぢいさまは&lt;br /&gt;
:: 桑の杖をついて見物に出たなれば&lt;br /&gt;
:: 残らず其の杖につたはりました&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
:: これは何の木、これは桑の木&lt;br /&gt;
:: これは何虫、桑の木のもえを食ふ虫&lt;br /&gt;
:: ととこ虫とあらはれて&lt;br /&gt;
:: 三十七人の桑とりをまはす&lt;br /&gt;
:: しろがねのまな板こがねの庖丁で&lt;br /&gt;
:: きり刻みて与えしなれば&lt;br /&gt;
:: 残らずさりこんではむこと&lt;br /&gt;
:: 一をり板しけば二をりの板&lt;br /&gt;
:: 二をり板しけば三をり板&lt;br /&gt;
:: 三をり板しけば四をり板&lt;br /&gt;
:: 四をり板しけば五をり板&lt;br /&gt;
:: 五をり板しけば六をり板&lt;br /&gt;
:: 六をり板しけば七をり板&lt;br /&gt;
:: 七をり板しけば八をり板&lt;br /&gt;
:: 十二をり板&lt;br /&gt;
:: きんこ糸を取る時なれば&lt;br /&gt;
:: 一さをかければ二さを&lt;br /&gt;
:: 二さをかければ三さを&lt;br /&gt;
:: 三さをかければ四さを&lt;br /&gt;
:: 四さをかければ五さを&lt;br /&gt;
:: 五さをかければ六さを&lt;br /&gt;
:: 六さをかければ七さを&lt;br /&gt;
:: 七さをかければ八さを&lt;br /&gt;
:: 十二さを&lt;br /&gt;
:: 金満長者のおんしょう返すが為に&lt;br /&gt;
:: つぼの松に下り&lt;br /&gt;
:: 馬とともに十六ぜんの&lt;br /&gt;
:: 大しらのしら神にあらはれ&lt;br /&gt;
:: 尾張の国金満長者は&lt;br /&gt;
:: 日本一の真綿屋と名をつけられて&lt;br /&gt;
:: 銭かねに不自由なく暮すさうや&lt;br /&gt;
:: 父がそひてあつかひば父になづく&lt;br /&gt;
:: 母がそひてあつかひば母になづく&lt;br /&gt;
:: 庭にそひてあつかひば庭になづく&lt;br /&gt;
:: 竹にそひてあつかひば竹ごともなづく&lt;br /&gt;
:: 舟にそひてあつかひば舟子ともなづく&lt;br /&gt;
:: あれ乱風大風火難盗難&lt;br /&gt;
:: あきなひその他作る田畠も護らせたまふ&lt;br /&gt;
:: 家内安全商売繁昌の御祈祷と&lt;br /&gt;
:: 敬ってまをす〔五〕&lt;br /&gt;
:: ○中山曰。小野寺氏の記事には、祭文の文句は記して無いのを、私が勝手に中道氏の寄稿から、此の文句ならんと考えて掲げたのである。&lt;br /&gt;
:: &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
: オシラ祭文は、オシラ神の由緒を物語る長い叙事詩を歌うので、長者の厩に飼われたせんだん栗毛という名馬が長者の姫に恋をして、結局二人が蚕の神様になるという歌で、イタコは歌いながら、両手に持つ二つの御神体を動かすので、「如何に動かすか」が私の興味なのである。そこでイタコは机に並んだ位置をそのままに、右手で女神左手で男神を持った。センタクの下へ手を入れ、柄（つまり人形の胴体）を持つ、この人形は手足はなく、首と胴と着物のみである。&lt;br /&gt;
: 男は右、女は左の法則なのに、何故か此のイタコは右に女神を、左に男神を持った。然しこれは神がイタコに乗り&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;憑&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;うつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;るのでなくて、イタコはあくまでもイタコとして、神を舞わすのであるという意味かも知れぬ。そこでイタコは&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;俯&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;うつむ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;いて、自分の顔を御神体に触れて、何事か云った。それから胸の前に出して、半分倒すようにして持つ、自分の膝に対して垂直には持たない。これが基本の形である（中略）。&lt;br /&gt;
: 長い恋物語のオシラ様由来記が終ると、イタコは一休みした。それから一年十二ヶ月の年中行事に関する謡いものに移り、やはり左掌を下に、右掌を上にして小指を組合せ、何か印を結ぶような事をし、次に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;拍手&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;かしわで&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を打ち、再び人形を取り上げた。前の祭文が荘重厳粛であるとすれば、これは打ちくつろいだもので、人形の動かしかたも変って来た（中略）。&lt;br /&gt;
: 次に一休みして、「えびすまい」。次に「地獄さがし」。これは鼻歌でお経を読むと思えば、見ない人も、ほぼ想像がつく。珠数を拍手とりつつつまぐり、それに合せて歌うので、人形とは関係はない。少し可笑味のものである。最後に「神送り」と云い、神を山林山野に送る歌を、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;祝詞&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;のりと&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;式口調で歌った。イタコも大分疲れたので、これだけで全部を終り、あとは二三の人を占いをして散会した（中略）。&lt;br /&gt;
: オシラ神の鈴は、人形自身の声である（中略）。イタコの歌は、人形の鈴の音の意味を、人間の言葉に翻訳しているとも見ることが出来る云々〔六〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の記事によっても知らるる如く、イタコの持っているオシラ神は呪神では無く、呪神は何物か納めてある円筒形の筒の中にあるので、オシラ神は此の筒の中の神を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;和&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;なご&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;め&amp;lt;u&amp;gt;いさめ&amp;lt;/u&amp;gt;るために舞わし遊ばせるのに過ぎぬのである。従ってオシラの元は神ではなくして、人形その物であったと信ずべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;四、各地方の市子と其の作法&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
市子に幾多の流派のあったことは看取されるが、その独特の作法を比較して、異流を検出することは雑糅された後に残された文献を基調としたのでは、その労のみ多くして功がなく、結局は何が何やら判然せぬものになってしまう虞れなしとせぬので、此処には寡見に入った各地方の市子と、その作法とを列挙して、読者に異同を研究する資料を提供するにとどめるとする。猶お文献以外の報告によるものは、[[日本巫女史/第三篇/第二章/第二節|後節]]に記述する。同じような事を二度に分けて書くことは、少しく煩しい嫌いもあるが、資料の整理上から、斯うすることが学問的であると考えたからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ａ、羽後国仙北郡地方の座頭嚊&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同郡長信田村の出身で、今東京市外田端町に居る鈴木久治氏の談に次の如くある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 私の国では「いちこ」を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;座頭嚊&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ザトカカ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云う。嚊と云っても、東京辺の賤民の妻を呼ぶような下賤の言葉の意味では無く女房を一体に「かか」と呼んでいる。その座頭嚊は、女子の盲目な者がなるのであって、其亭主は普通の百姓をしている。さて人が死んで、葬式を済ませた後、この座頭嚊を招んで仏を寄せて語って貰う。其時には近所の人に知らせてやると、近所の人達は重箱へ食物を詰めたのを持って集って来る。神仏の有った家では仏壇の前へ家内の者や村人が大勢集まる。この場合は先ず神仏を呼んで貰う（中山曰。鈴木氏はこの事を「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;座下&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;クラオロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;し」と云うと語り補うた）のが例である。そうで無く死霊を招んで貰う時もあるが、呼んで貰う霊を心に念じて仏前の水に樒の葉を浸すと、呼び出される霊は必ず奇妙に当る。そこで座頭嚊は神寄せの呪文を&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;誦&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;とな&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;える。何でもよくは知らないが、日本国中の一ノ宮の神々を寄せるらしい（原註。神寄せの呪文と&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;門語&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カドカタ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;りの呪文とがある云々）。この口寄せがすむと、次は他の人で呼んで貰いたい霊があれば、又仏壇の水に樒の葉を浸すのである。座頭嚊の持物には箱も弓もない（中山曰。此の事は注意すべき点である）。只長い&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;木欒子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;もくれんじ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の珠数を爪繰っている（中略）。私の国では女児や男児が生れても、&amp;lt;u&amp;gt;ひ&amp;lt;/u&amp;gt;弱くて早死する様な憂のある児は、座頭嚊の「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;取子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トリコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」にして貰う。取子というのは、胎内にある時から座頭嚊に頼んで、生れた子の丈夫に育つ様に祈祷をして貰うのである。其時は珠数の木欒子の珠を一つお守として頂いて、巾着なんどへ大事に入れて置く。そんな事で珠数の数は「取子」の為に分けてやるから、多い人と少い人とある訳だ云々〔七〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｂ、陸中国東山地方のオカミン&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「郷土研究」第三巻第四号に次の如き記事がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 陸中国東磐井郡門崎村近傍では、巫女をオカミサマと云う。盲目の女子の仕事である。巫女になるには、七箇年の年季で弟子入りし、其期間は師匠の食料までも自弁する定めである。さて一定の修業が終ると「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt; 神附 &amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミツケ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」と云う式を行う。是れがオカミン様の卒業式である。至って荘厳な式で、若しも不浄な者が式場に入れば、神が附かぬと云っている。式の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;荒増&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;あらまし&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を言えば、先ず舞台を設けて注連縄を張り、真中に神附せらるべき女子その近親に擁せられ、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;眼&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ママ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を手拭で鉢巻して坐る。その周囲を多数の巫女が取巻いて坐り祈祷するのである。然る後「何神附いた何神附いた」と問うと、真中に坐った女子「八幡様附いた」とか「愛宕様附いた」とか言う。斯うなれば、一人前の巫女となったものとして大なる祝宴をする。時には列座の巫女たち御迎と称して坐を立つ。然る後は、大抵「何神附いた」と言うものである。巫女の業務は「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;口寄&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;クチヨセ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」をすることである。これは死人あったときの一七日、お&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;盆&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ぼん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;又は秋の彼岸に、各戸殆どこれを行わぬ者は無い。&lt;br /&gt;
: 口寄を行うには、巫女は神降しと称して暫時祈祷をした後、希望せらるる死人となって、希望した人に対して言葉哀れに語り出す。婦女子等は大抵泣いて之を聴く。その聴いているうちに&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;問口&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トイクチ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（中山曰。古代の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;審神&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;さにわ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;である）と云うことをする。即ち聞手の方から口寄につれて色々の事を問うので、巫女はこの問口が無いと語り苦しいものだと云っている。又口寄の言うことの中に「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;日忌&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ヒイミ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」と云うのがある。例えば何月何日何方へ往けば損をするとか、不治の病に罹るとか云う類である。地方では之を信ずること甚だしく、その日は必ず在宅して謹慎する風がある。この迷信の結果、自分等（寄稿者島畑隆治氏）幼少の時までは、学校さえも欠席したものである。今は日忌の風は次第に薄らいで行くが、巫女に口寄させる風に至っては、まだ減退せぬようである云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｃ、越後国三面村の変態的巫術&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
越後と羽前の国境なる三面村（越後国岩船郡に属す）は、肥後の五箇ノ庄、飛騨の白川村などと共に、山浅く谷幽なるだけに異った生活を営んでいる村落として有名であるが、明治二十九年八月に同地の土俗調査のため旅行された宮嶋幹之助氏の記事の一節に、下の如くある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 此村の一年間の楽しみは、正月と、盆と、旧十月の山神祭礼なり（中略）。旧十月十二日には、山神の祭とて（中略）。山伏を招き、一週間位は全村業を休み置酒す。而して祭には&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神下&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;カミオロシ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と云うをなす。其法、村人皆神前に集まりて、村中にて最も実直にて、少しく&amp;lt;u&amp;gt;ぼんやり&amp;lt;/u&amp;gt;せる男を撰び&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;とし、「ボンデン」を携え坐せしむ。衆人は之を囲み、手に藁を縄にて巻きたるを持ち地を打ち、一斉に大なる声にて「ホーイ、ホーイ」と唱う。繰返すこと暫時にして、神子は一度眠れるが如くなり、次で携うる「ボンデン」を勢いよく振り舞わす。此期を外さず村民は、傍より歳の豊凶を問い、禍福を尋ぬれば、言に応じて答う。問を止むれば、神子は倒れ、昏睡して、不覚となる。後に至り、醒むれば、自身が何を言いしや覚えずと。度々神子となりたる者は、少しく雑沓の場にて衆人の喧しきに逢えば、恰も神下しの時の如き現象を呈すと云う。案内者の言に依れば、舟渡村（中山曰。同郡なれど三面村と六里を隔つ）其他の村にて、神下しの時に衆人の唱言は異って、&lt;br /&gt;
:: トラウハ、シマンテ、キリカミテンノウ、ハヤウデカノウハ、ソーワタダイテン&lt;br /&gt;
: と是を幾遍も繰返すなり。又一種異れる神下あり。「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;邪権付&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ジャケンツキ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」と云う。其唱に曰く、&lt;br /&gt;
:: 一ヨリ二ヨリ、三ヨリ四ハラヘ、五ダンノマキモノ、六七サイホウ、八ポウカタメテ、イーノルナラバ、イカナルジャケンモ、ツイニハツカンデ、カンノーマイヨ&lt;br /&gt;
: と是を繰りかえせば、衆人が呼出さんとする人の霊、神子に付きて、種々の事を口奔ると云う。此神下の唱えは米沢地方の山神祭に言う所と同じ云々〔八〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の三面村の巫術の方法が、屢記した護法附と、全く軌を一にしていることは言う迄もないが、更に一段と古いところに遡れば、神子が巫女であったことが推知されるのである。それは「邪権附」に唱える呪文なるものが、私の接した報告によれば、磐城国の「笹ハタキ」と称する巫女が用いているのと同じであるからである。猶おその呪文等に就いては[[日本巫女史/第三篇/第二章/第二節|次節]]に述べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｄ、常陸国土浦地方のモリコ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「民族と歴史」第八巻第一号に、常陸国土浦町地方の巫女を記せる一節に、次の如く出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 他にモリコと云うのがあります。それは大抵盲目の婦人です。病気などへ招かれて室内を暗くし、僅か一本の灯心に火を点じ、弦を鳴らして八百万神を呼び集め、それから自身が仏になって、我は死んだ祖父であるとか、伯母であるとか、又は大先祖なりと名乗りつつ、物凄く家族の人々を叱ったり宥めたり、既往将来の事を物語り、此の病人は何々の祟りだ。何神を信仰せよ、何々の薬を服用せよ。何れの方角から医者を頼めよと仏に代って種々の告げをするのであるが、是は「大弓モリコ」と称し、今でも病家などで、稀に行う事があります云々〔九〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｅ、信州における二三の市子と其作法&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信州は古くから巫女の名産地で、諏訪郡からも出ているが、殊に多かったのは、小県郡根津村であった（此の事は[[日本巫女史/第三篇/第二章/第二節|次節]]に詳述する）。「郷土研究」第二巻第六号に『信州では口寄巫を一般にノノウと呼び、その夫をボッポクと云う。神社に属して、神楽を奏する巫を鈴振ノノウと云う』とある。而して「民族」第三巻第一号には、同じ信州における巫女に関して、次の如く載せてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 川中島では竃祓いをノノサンと云った。松本の近在から来るという事であったが、出所は明かでない。矢張り婆さん（中山曰。精眼者である）が多かった。千早を着て、髪は御守殿風に結び、提げて来る風呂敷包は、松本のと似ていた。「ごめんなさい」と云って入って来た（原註略）。鈴を振りながら経を誦んだ。口寄せの如く神口をきいた。お神楽を上げるときには、右手に鈴を振り、左手に布紗に包んだ経本の如きものを持ち、経を誦みながら、両手を頭上高く挙げ、やがて、ぴたりと鈴を止め、「我が一代の、守り神であるぞよ……」から初めて、神口をきいた（中略）。&lt;br /&gt;
: 北小谷（中山曰。北安曇郡）の竃祓いは、あの辺ではモリと云った。盲目の巫女が多かった。根知（小谷下流の越後分）から多く来た。四隅をしばった風呂敷包に鈴を持って居り、家の者に挨拶してから祓にかかった。御洗米といって米一升にい銭若干が礼であった。モリは神口もきいた。若い女が多かった（中略）。&lt;br /&gt;
: 川中島地方では、別に梓巫をクチヨセと呼んで、竃祓のノノサンと区別していた。「お神楽を上げれば一段上り口寄を寄せると二段下へ下がる」といったから、竃祓の方を位良しとしていたのであろう。針箱位の風呂敷包を背負って、それに傘一本いつけて来た。その箱の中には人形が入っているということであったが、どうしても見せなかった。風呂敷包の箱に&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;靠&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;もた&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;れて、神口、生口、死口をきいて、口寄せをした。神口のときには「神の初めは伊勢明神、越後ぢゃ弥彦の明神よ、信州ぢゃ一は諏訪さんよ……」と節調をつけて、神々を招ぎ降す。死口をきくときには、よく「某（嗣子の名等を呼び）は馬鹿だし、俺も行くところへ行かれぬ、それに水が呑み不足で一足出れば三足戻る……水向けしろや、お線香を立ててくれろや、さうすりゃ俺も助かる」などというので、身内の者などは涙を流して聴き入ったものだという（中略）。&lt;br /&gt;
: 小谷では之をイチコと云った。イチコの箱の中には外法仏が入っている。何か練って拵えたものだという事であったが、誰も見たものは無かった。ところが明治十年頃の事だったろうか（と話手の老人は云った）、イチコの泊っている家に集まって一杯やっていた博労共が、段々酔って来る中に、イチコがぶらりと遊びに出て行ったのを見てとり、その不在に主人の制止するのもきかず、箱の中から外法仏を出して見た。中には土で拵えたキボコ（人形）が入っていた。聖天様の様に男女のキボコが口を吸い合ってからまって居た。後でイチコが帰って来て「俺を勿体ない、いびりものにした」と腹立ち、箱に靠れて外法仏に聞いて、「誰と誰が云い出し、誰が風呂敷を解き誰々が箱を開いて、誰々で見た」と云った。皆の者弁解に窮し、それに薄気味悪くなって、繋銭（中山曰。各自銭を出し合うこと）をして包金であやまった事があったと云う云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｆ、大阪市天王寺村の黒格子&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
江戸期には、江戸郊外の亀井戸村（天満宮の裏門脇）、京都郊外の等持院村〔一〇〕、大阪郊外の天王寺村に、小規模ながら市子の集団的部落があった。明治四十四年に、私が在阪中の余暇を偸み、天王寺の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫女町&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;みこまち&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を訪れた時は、まだ三軒ほど黒格子独特の暖簾を下げた家があったので、呪術を頼んで見たが、禁制だと称して口寄せはしてくれなかった。東京の亀井戸も、大正六年に私がネフスキー氏と尋ねた折には、家の表へ注連縄を引き回した家が二軒あって、昔の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫女町&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;みこまち&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の面影を微かにとどめていたが、ここでも官憲の命令だといって、口寄せに応じてくれなかった。而して天王寺に就いては、「浪花百事談」巻九に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 梓&amp;lt;u&amp;gt;みこ&amp;lt;/u&amp;gt;数軒住ける地なり、其家みな格子造りにて、表の入口の外には、長三尺計りの三巾暖簾を木綿にて製し、それに大なる紋を染ぬき、仮字にて&amp;lt;u&amp;gt;くろがしら&amp;lt;/u&amp;gt;何々、&amp;lt;u&amp;gt;やぶのはた&amp;lt;/u&amp;gt;何々など、巫の名をも染ぬき、入口の上には注連縄を張る、黒格子といへるは、格子を墨にて塗り、家の内の表の間には、何か祀りて薄暗くせり云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とある。格子を黒く塗り、家を薄暗くするのは、神がかりする為の便利から来ているのであろうが、遂にそれが黒格子と云えば、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と思われるまでの俚称となったのである。大近松が宝永三年に執筆した「緋縮緬卯月の紅葉」二十二社めぐりの段に、お亀が情人の与兵衛の身の上を案じて、黒格子の巫女に生口を寄せてもらう光景が、巣林子の麗筆を以て叙述されている。而して此の一節は、単に大阪の古い巫女の存在を知るばかりでなく、その神降しの呪文にも、隠語にも、他のそれと異ったものが記してあるので、少しく重複に渉る嫌いはあるが、必要と思うところだけを左に抄録する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 幼き時より気に入りて、幾春秋をふりと云ふ、年季の下女を身になして、隠す事をも語りしは、黒格子の辻とかや、上手と聞きし&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の門、ああ申し、ちと口寄を頼みませうとぞ案内ける。弟子の小女郎心得て、お通りなされと戸をあくれば、お亀は&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;一間&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ひとま&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に入りにけり。暫くあって立出づる、神子もよっぽど見えるもの、アァようお出でなされました、大阪のお衆で御座りますか（中略）。&lt;br /&gt;
: して先づ御用の事ありとは、生口か死口かと云へば、いやさればとよ、頼みたきとは生口なるが、海山隔てし方でもなし、只二三里の道を越え、五日六日の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;便&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;たよ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;りもなし、どうがなかうがな、くよくよと、案じわびたる御身の程、寄せたべとぞ仰せる。神子は合掌目をふさぎ、珠数をくりひく梓弓、神下して寄せにける。&lt;br /&gt;
:: 天清浄地清浄、内外清浄六根清浄、天の神地の外、家の内には井の神、庭の神、竃の神、神の御数は八百万、過去の仏、未来の仏、弥陀薬師弥勒阿閦、観音勢至普賢菩薩、知恵文殊、三国伝来仏法流布、聖徳太子の御本地は霊山浄土三界の、救主世尊の御事なり、此の御教への梓弓、釈迦の子&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;神子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;が弦音に、引かれ誘はれ寄り来り、逢ひたさ見たさに寄り来たよ。&lt;br /&gt;
: なう&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;懐&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;なつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;かしの&amp;lt;u&amp;gt;合の枕&amp;lt;/u&amp;gt;（圏点を附せるは[[日本巫女史/第二篇/第五章/第四節|隠語]]）や、我懐かしとはおぼつかなみの、寄り来る人は誰ぞいの、誰とて二人思ふ身が、一つねふしの二股竹与兵衛を、夫と思へばこそ問ふてたもって嬉しやの、問はれて今の恥かしや（中略）。とは云ひながら扇の影の立烏帽子、舅といひてもとは伯父（中略）。&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;額&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ひたへ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に角も入れたもの、丁稚小者を云ふ如く、内の手代や&amp;lt;u&amp;gt;庭宝&amp;lt;/u&amp;gt;の侮り者になし果てて（中略）。語るに尽きぬ生口も今は是まで梓弓、引いては帰る習ひなり云々（帝国文庫本）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大近松の慣用手段とて、情景併叙の筆を運び、殆んど天衣無縫の如き感あるも、それでもお亀が&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;問口&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;トイクチ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;をなし、市子がそれに答える遣り取りの工合が、巧妙に描かれている。それにしても、此の神降しの呪文は、神を言うよりは、仏を称えることが多いのは、兎に角に注意すべき点だと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｇ、紀州地方の算所と巫女の関係&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本居春庭翁の「賤者考」の一節にこうある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: サンジョと唱ふる所ありて、大抵忌む所&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;夙&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;しく&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に同じ、伊都郡（紀伊）相賀荘野村今陰陽師あり、同郡官省符荘浄土寺村{今巫村なり日高/郡茨木村のうち}などをいひて他村より婚せず、サンジョは産所の意にて、昔産婦はここに出て産し、穢中を過して本村に帰りしなりなどいへれば、夙の所にいへる意に同じ、是も後には陰陽師巫女など移り住みしなるべし、夙よりはいささか勝れる如く他村にていへども、同火を禁ぜざるのみにて婚を忌めば同じ事なり（中略）。陰陽師、巫女、神楽舞やうの者も、人の同歯せざる事あり（中略）。巫女は前にいふ伊都郡浄土寺村、在田郡藤並荘熊井村などなり、、其他一二戸づつなるもあり云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猶お同国田辺町の巫女に就いては、[[日本巫女史/総論/第四章/第一節|既載]]したので省略する。而して「賤者考」の記事にもある如く、江戸期に入っては、巫女の堕落はその極に達し、漸く賤民として、落伍者として、社会の一隅に噞喁したまでであって、その社会的地位の如きは、殆んど問題とされず、修験の徒や、陰陽師の妻女となって、大昔の勢威などは夢にも見ることが出来なかった生活であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Ｈ、出雲地方の刀自ばなし&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「郷土研究」第二巻第四号に、出雲国の一部に就いて、次の如く記載してある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 死者の精霊を呼んで、生前の物語を聞くことを「とじばなし」と云う。小庵の尼寺に至り、「とじばなし」を乞うと、尼は萩の弓（中山曰。此の萩の弓は他国には見えぬ）を射て、戒名と命日を唱えて精霊を呼び出して、物語をはじめる。昔死んだ子を呼んでもらって、茶の袷と杖を信州の善光寺まで届けてくれと頼まれて、長の旅路に財産を無くした母親もあった。「とじばなし」は精霊を呼ぶのは易いが、返すのは容易でない。若し誤ると亡霊は勿論のこと、遺族にも不幸が来る云々〔一一〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上は寡見に入った文献に現われた巫女の作法であるが、更にこれが詳細のもの、及びここに漏れたもので、報告に接している分は後出する。さて此の乏しき資料を比較して巫女の異流を考うると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 一、奥州のイタコの如く盲女に限るものと、これに反して、常陸のモリコや、大阪の黒格子の如く、精眼者のあったこと&lt;br /&gt;
: 二、梓弓を用いる者と用いぬ者&lt;br /&gt;
: 三、珠数を用いる者と用いぬ者&lt;br /&gt;
: 四、神降しの呪文にあっても、神道七分に仏法三分というのと、此の反対に仏法七分に神道三分のもののあったこと&lt;br /&gt;
: 五、稀には萩の弓を用いる者のあったこと&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
等が知られるのである。併し、斯かる異流が何故に生じたか、更に異流双互間の関係等に就いては、遂に何事も知る事が出来ぬのである。猶お本節中に収むべき記事も相当に残っているが、余りに長文になり、且つ大体を尽したと信ずるので、他は別に節を設けて記述することとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 〔註一〕 : 金田一氏の故郷である盛岡市の令姉の御宅で行われたこと、詳細は「民俗芸術」第二巻第三号に就いて御覧を乞う。&lt;br /&gt;
; 〔註二〕 : 前田太郎氏著の「世界風俗大観」参照。前田氏は言語学を専攻された方と聞くが、民俗学にも興味を有していられたと見え、此の種の研究や、考察が「東京人類学雑誌」その外に多く載せてある。宿痾のために、壮年で易簀されたのは惜しいことであった。&lt;br /&gt;
; 〔註三〕 : 我国の榊（栄樹）とは、古くは常緑樹の総てであったから、樒もそれであるなどと云う学者もあるが、覚束ない。私は我国には、樒の野生はなく、支那あたりから輸入されたものと考えている。従って、樒が常緑樹だからとて、榊としては取扱はないことだと思う。尤も、私も正月の門松の代りに樒を用いる村が、日本で一ヶ所あることだけは承知している。併し、此の一例だけでは、榊説は成り立つまい。&lt;br /&gt;
; 〔註四〕 : 「一郎殿より三郎殿」の私案は、前に述べたが、その後考え直すと、此の呪文がエビスオロシと称する者によって工夫されたという証明が出来ぬ以上は、甚だ覚束ないと自分でも思っている。敢て後賢を俟つとする。&lt;br /&gt;
; 〔註五〕 : 柳田国男先生の御説によると、此の千だん栗毛の祭文に比較すると、同じ「民族」第一巻第六号に載った「まんのう長者」の方が、一段と古いものだとのことである。成る程、そう言われて両者を比べると、新古が明確に判然し、且つ「千だん栗毛」の方は、詞章をそのまま伝えたものでなく、意味だけ伝えて、文句は後人が勝手に言い改めたものであることが知られる。それに、此の祭文の中心思想である、姫と馬の交りから蚕が生れるという筋は、支那の「捜神記」そのままである。そして之れが奥州に残り、イタコに伝ったのは同地が名馬の産地であるのと、養蚕にも関係が深かったためであろう。&lt;br /&gt;
; 〔註六〕 : 小寺氏の記事は、詳細委曲を尽した長文のものであるゆえ、猶お詳しくは、本文に就いて、御覧を願いたい。更に此の機会に於て、私の運墨の都合から、小寺中道両氏の記事を、勝手に取り交ぜて引用した失礼を、深くお詫びする次第である。&lt;br /&gt;
; 〔註七〕 : 「郷土研究」第四巻第四号。因に、私は鈴木氏と親交ある香取秀真氏の御紹介を得て、鈴木氏を市外田端の御宅へ両度まで参上し、有益なるお話を承った上に、氏の秘蔵せるイラタカの珠数の撮影まで許された。ここに感謝の意を表する。&lt;br /&gt;
; 〔註八〕 : 「東京人類学雑誌」第一二六号。&lt;br /&gt;
; 〔註九〕 : 常陸で巫女を「大弓」又は「モリコ」と云ったことは、「新編常陸国誌」にあること[[日本巫女史/総論/第一章/第一節|既述]]した。これを重ねて呼ぶことは如何かと思うが、今は本文に従うとする。&lt;br /&gt;
; 〔註一〇〕 : 京都市外等持院村が巫女村であったことは、京都の地誌類に見えているが、詳細が知れぬので、在京都の友人に、詳細を尽せる書名なりとも知らせてくれと頼んだが、遂に返書にすら接しなかったのは、遺憾千万であった。それで茲に、新井白蛾翁の「闇の曙」巻下（日本随筆大成本）に拠ると、同地方では巫女を俗にヒンヒンと呼んだようである。これは弓弦の擬声から来ていることは言うまでもない。ただ同書には巫女の無学と、弊害とが力説されていて、その呪法や生活に触れていぬのは物足らなかった。&lt;br /&gt;
; 〔註一一〕 : 猶お此の外に、アイヌ民族の間に行われた巫女（ツス）の呪法や、琉球の各島々に在る巫女（ユタ）の作法などに就いて、記述すべき幾多の資料を蒐めて置いたが、今は長文になるのを恐れて、内地だけにとどめるとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:中山太郎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%9C%88%E3%81%A8%E4%B8%8D%E6%AD%BB&amp;diff=1297</id>
		<title>月と不死</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%9C%88%E3%81%A8%E4%B8%8D%E6%AD%BB&amp;diff=1297"/>
		<updated>2009-10-26T13:33:00Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 月と不死(二) */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==月と不死（若水の研究の試み）==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ずっと以前のこと、かのシベリアの大鉄道を旅行して、私が丁度バイカルを過ぎたのは、麗しい六月のことであった。天地に迫る涼味、寧ろ寒気が感ぜられる程で、威大な夜の光は、隈なく湖と程近く聳える山々を輝し、水面には己が姿を映していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は汽車のプラットホームに出て見た時、其処には一人の日本人が佇んで、蠱惑的なシーンに見とれていた。暫しの間息もつかず、沈黙が僅かに規則的車輌の響に妨げられて続いてゆく。やがて彼の方から振り向いて来た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「この様な月を眺めていると」と語り初めた。「夥しく湧き出て来る感情で、たましいは独り、満たされるものです。貴方も感ぜないわけにはゆきますまい。私達日本人は非常に月を愛します。今日の様な景色に接すると、詩が自然に口に浮びます。こうして、此処に私は既に半時間程佇んでいますが、どうしても離れて行くことが出来ないのです。こうしている間に、二三の詩を作りました。お聞かせ申しましょうか。」と云って二三の日本の短歌を続けて吟じ、露語に表わそうと努めて不充分の所、辛うじてほのめかし得た所を説明したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私がまだ学生の頃、支那や日本の韻文を知り得た時、露西亜の韻文の特徴の一つである所の、生を讃美し、太陽を歌えるモチーフがほとんど完全に欠けていることに驚いた。物侘びしげなところ、憂鬱な感傷的なところを具えている月のモチーフは日本及び支那にあっては、極めて普通のものとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生の力の神、冷い物寂しい自然の受胎者、甦生者の神、ヤールを崇拝するスラヴ思想にとっては、輝ける温い光を与え、冷い単調な自然に包まれて、唯一の喜び、唯一の慰藉を齎らす太陽は、懐かしくも心近きものであるが、哀れを加える冷き月の光、さらぬだに哀れを感ぜしめる月には、何の縁もなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
支那及び日本、殊に日本は大自然に恵まれ、夏期過度の太陽の熱に苦しめられる者は、周囲を囲む凡ての丘陵森神社仏閣、さては山寺の夕の鐘の響にぴったりと調子を一つにする純潔な白い姿の月に心を向ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
静かな、青ざめた月の光は、これらの地方の住民を、安逸と自足とを告げる昼の太陽から遠ざけて、花やかな現実より、遠く離れたるものを思わしめ、終には世の中の歓楽喜悦は永劫のものでなく、何時か最後が訪れることと信ぜしめる。燃ゆる強い光を有する太陽、生の力――陽の限りなき供給者太陽と打って変って、単調な冷い光に包まれている太陰は、正反対の陰の力――死の力を明白に表しているものとして眺められている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一般に、本能的死の恐怖、疑もなく、久しき以前に、海浜地方の住民によって注視されていた満干潮に対する月の影響、婦人の月経と月、夢遊病者に対する月の神秘的関係、及び時の計算の基礎となった規則正しき月の盈虧――こうしたことどもは、夜の自然と一つに溶け合う月の美と共に、神秘的な神となって了った。或る民族は世界及び人類の創造者とさえ考えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本に於て、この月の擬人神は「ツクヨミノミコト」「ツクユミノミコト」という名を持っている。尚、この *tukujumi は「時を算える者」を意味することは、疑の無い処である。(古代の *tu は一方 tsw に転じ、他方 to に変じている。万葉集では、アカツキはアカトキと読んでいる。琉球語の akatuɳk´i/akatunći)。古代日本神話はこれを日の女神、天照大神の弟と我々に語っているが、一般に影が薄いのは、古代記録作成者に特別の理由があったのであろう。それで日本人と勿論起原を共にして、日本本国にあって既に消滅し、又はほとんど消滅した幾多の古代信仰式典を保っている住民を有する沖縄列島に於て、主に宮古群島に於て、私が蒐集した月に関する二三の伝説を次に持って来ることにする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮古群島では、この二つの大きな世界的発光体、太陽と太陰は、古代日本神話の様に姉弟とは考えずに、夫婦となっている。それで夫婦が同衾して夫が愛に包まれて片足を妻――月の体に投げた時、月の光は曇って月蝕が起り、妻が同じ様に夫に媚びた時に、日蝕が現われるものと、平良町では謂っている。因に、北米インディアン、トリンギト族も、同様に日蝕は妻の月が夫の太陽を訪ねたものと説いている。(The Mythology of all Races. Vol. X, North American, by Hartley Burr Alexander; p.277. Boston, 1916)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
然しながら、日月蝕の解釈を言語に表したものとしては、宮古島民は「太陽を（ぞ）鬼が呑む、お月様を（ぞ）鬼が呑む」(tido; du unnu num; cïkśśːdu unnu num)という説明文句を有している。これは前記のものと合わせて、日月蝕を或る怪物の嚥下した結果と説明する他の神話の存在したことを示しているので、この現象はアイヌ族及び馬来族の間にも見受けられる（金田一京助氏著「アイヌ聖典」、東京、一九二三、「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;大伝&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ポロオイナ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」九九‐一五〇頁）、(Skeat, Malay-Magic. p.11. London, 1900)。後者にあっては、この怪物は或は竜 rahu 或は犬 anjing と呼ばれ、日月を呑む竜の如き形を意味する rahu の考えは言葉と共に恐らく、馬来族がヒンズース族より伝え受けたものであろう(Skeat, loc. cit. 下段の註二、三)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮古群島の多良間島に伝わる伝説によれば、太古、妻――月の光は、夫――日の光よりはるかに強く明るいものであった。処が夫が羨望の余り、夜歩む者には、この様な目を眩す光は不必要だという口実で、少し光を自分に譲る様、屡月に願ってみた。然し妻は夫の願を聞き入れなかった。そこで夫は妻が外出する機会を攫んで、急に後から忍び寄り、地上に突き落とした。月は盛装を凝らしていたが、丁度、泥濘の中に落ちたので、前身汚れて了った。この時、水の入った二つの桶を天秤棒につけて、一人の農夫が通りかかった。泥の中でしきりに踠いている月の姿を見て、農夫は早速手を貸して泥から出してやり、桶の水で綺麗に洗った。それから、月は再び蒼穹へ上って、世界を照らそうとしたが、この時から、明るい輝ける月の光を失って了った。月は謝礼として農夫を招き、この招かれた農夫は今尚留まっていて、満月の夜、この農夫が二つの桶を天秤棒につけて運ぶ姿がはっきり見受けられる（多良間生れの徳山清定氏の談話による）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
満月の夜、流れ入る憂鬱な考えに閉ざされて、人類永久の悲劇である死を思い、明るい月の光、姿にこの解釈を求めようと努める。毎月、月が大空から姿を消して、三日経て再び現れて来る現象は、死者がこの間に復活する思想を、基督に結び付ける基督教の思想を生ぜしめた。種々の民族は、月の斑点も同じく、不死の思想と何らかの関係を有するものと考えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、日本に於ては、月に餅や不死の薬の様なものを臼の中で搗いている兎の姿を眺めている。然し、月の斑点のこの説明は、純日本のものとは考えられないので、これは、漢籍と共に支那から伝来したものである（支那はこの説明を恐らく印度より受容れたものであろう）。然し又、これ以前に既に存在していた考えと、或る程度まで一致したので、此処に織込まれたものであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前記多良間の例の様に、多くの民族はこの斑点の中に、人の姿を認めている。そして、この説明に於て屡々この人が多少とも、水と関係のあるのは興味深い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば、アイヌ族は、これは水を汲みに行くのが煩しい、非常な怠惰な忰で、終には神様達のお怒にふれ、人々の戒めとして人の世界から離して、月へ連れて来られたものと語っている(Batchelor, The Ainu and their Folk-lore. pp.67‐68.)。これに相当する原文がバチェラー博士著辞書三版にある文法の部に載せられてある（一二〇‐一二一頁）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ランタム(Rantum)の住民は、これは地上に水を注いで満干潮の原因を作る一巨人であるとしているので、満潮時には、身を曲げて水を汲み、干潮時には、全く仕事を休んでいると物語る(S. Baringgould, Curious Myths of the Middle Ages. p.194. London, 1914)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、瑞典の農夫の語るのによれば、月の斑点は、棒にて水桶を運ぶ少年少女を表している。この見方は水を運べる少年少女が月に奪われて天上に送られ、地上からも其の姿が見受けられるというスカンジナビアの古代神話にも存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前記多良間の例の如く、月の斑点は、天秤棒に水の入った二つの桶を運ぶ人の姿を表しているという見方は、沖縄本島でも国頭郡&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;久志&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;くし&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;地方の村落には、伝っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首里及び那覇に於ては、冴えた月夜に「アカナー」即ち赤い顔と髪とを有する童子の様な生物が、月に見えるといわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
或る人達の説明によれば、「アカナー」は赤い顔と髪を有する童子然とした怪物で、山間に棲息する非常な酒豪である。この形容では、日本の猩々とほとんど完全な類似を見ることが出来る。然しこの見方は、私の意見では、根本の性質を失える二次的のもので、他より持来れる日本の猩々の譚に単に結び付けたもので、恐らくアカナーの（アカ）を（赤）と解したが故に、右の譚と混同されるに到ったのであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首里の児童が赤い顔と髪を有する「アカナー」を月の弟であろうとすることは、次の童謡からでも窺わられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;table&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;akanaː joː akanaː&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;もし、もし、アカナー、アカナー&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;maːkai ićuga akanaː&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;何処へ行くのか、アカナー&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;niśinu nmikai&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;北の海へ&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;gani tujiga&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;蟹取りに&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;waɳja ićuɳ&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;私が行くのよ&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;gani tuti nuːsu ga akanaː&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;蟹取ってどうするか、アカナー&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;waːwunajaːni k´wijaɳ&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;私の姉様に呉れるのよ&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;ˀjaːwunajaːja taːjaga&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;お前の姉様は誰だい&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;źuːguja uciću&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;十五夜のお月様だ&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;/table&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「アカナー」は、時々、月から地上に下りて、海浜で魚類（と蟹と前の唄の様に）を取り、眼を食べてあとはそのまま人に残して置くそうである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日琉方言に於て、不断のrとnの交代及び元の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;口蓋化&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;パラタリゼーション&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の喪失に留意すれば、「アカナー」という言葉は「アカリヤ」(akaráː)（輝ける者）とならねばならぬ。この名で月の人が宮古島民に知られている。然し、通常その者を「アカリヤーザガマ」(Akará-zzagama)と呼び、言葉の後半は日本の「オトッツァン」に相当して、士族階級の者が一般庶民の老人に対して用いている（尚、「ザガマ」という言葉で物貰いを施しを乞う家の主人が呼んでいる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==月と不死(二)==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大正十五年８月１７日、私が漲水湾より那覇に向う汽船に乗り込んだ時、この「アカリヤザガマ」に関する興味深い伝説を、平良町出身の慶世村恒任氏より聞き書き留めておいた。慶世村氏は祖母より聞いたものである。&lt;br /&gt;
原文は次回に譲りこれを本邦語に訳してみる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;u&amp;gt;月のアカリヤザガマの話&amp;lt;/u&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
是は昔々大昔この大宮古、美しい宮古に始めて人間が住む様になった時の事だそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お月様お天道様(Cïkˢï̥ganasï-Tiɳganasï̥)が真上に輝いていて、美しい心の持主であったから、幾世変らじ人間の生れつきの美しさを守り、長命(Cïgᶻinnucï)(継命)の薬を与えようとお思いになって節祭(s̀ïcï)の新夜(arajuː)に、この&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;大地&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;おおじ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;へ、下の島へアカリヤザガマを御使としてお遣しになったそうです。アカリヤザガマが何を持って降りて来たかというと、二つの桶を重そうに担いで来たそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、その一つには変若水(sïlimizï)、今一つの方には&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;死水&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;しにみず&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;(sïnimizï)を入れて来ました。お月様お天道様のお言附けには「人間に変若水を浴せて世が幾度変ってもいつも、生き替る事と長命をもたせよ。蛇には——&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;肝心&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;きもごころ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;をもっているものじゃないから——死水を浴せよ」という事であったそうです。けれども天から長い旅をして降りて来たアカリヤザガマが非常に疲れ、草臥れて脚脛を休ませようと思って担いで来たその桶を、道に下ろし路端で小便をしていた処、その隙に何処からともなく一匹の大蛇が現われて来て、まあなんという事でしょう、見れば人間に浴びせる変若水をジャブジャブ浴びてしまっていたのであります。アカリヤザガマの驚きは譬え様もありませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「おやおやこれはまあ、どうしよう、まさか蛇の浴び残りの水を人間に浴せるというわけには行かないし、どうしたらいいんだろう、斯うなったら仕方がないから、死水でも人間に浴せる事にしようか」と思って泣き泣き死水を人間にあびせたそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカリヤザガマが非常に心配しながら、天へのぼり、上へのぼって入って委細の事を申上げると、お天道様は大変お怒りになって「長命や生れ替の美しさを守ろうと思っていたが、お前のために破られ、みんな私の心尽しが無駄になってしまった。お前の人間に対する罪は幾等払っても払い切れない程のものであるから、人間のある限り、宮古の青々としている限り、その桶を担いで永久に(m´aːkutunagi)立っておれ」といって体刑をお加えになりました。それがためアカリヤザガマが今もなおお月様の中にいて桶を担いで立ちはだかって罰せられているとさ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人間はなんという馬鹿者だろう！　若し蛇の様に気早いものであったなら、変若水を浴びて生れ替えて、いつもいつも長命でいられた筈なのに、死水を浴びてしまったから死んでゆかねばならぬ様になりました。それに引返えて蛇はその時から今まで終始脱皮し、生れ替えて長生しているのだとさ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶世村氏は話を了えて次の様に日本語で補足した。人間は不死を恵む月の慈悲も、人の悲劇となったが、それにも拘わらず、神(toːtu-ganasï̥)は人を憐み永久の生命でなくとも、多少若返り位はさせて幾分でも粧飾せんとした。その時から毎年「s̀icïnu arajuː」と呼ぶ、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;節祭&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;しつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の祭日に向う夜、大空から若水(bakamizï)を送ることとなった。これより今日に至るまで第一日の祭日の黎明に、井戸より水を汲み、若水と呼び全家族が水浴する習慣が存している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
月に就て云々していないが、前記のものに類似した伝説を大正十一年夏、故富盛寛卓氏より聞いたことがある。即ち&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:: s̀icïnu juːnna pstunudu pavv&amp;lt;u&amp;gt;iu&amp;lt;/u&amp;gt;zsa sakˢiɳ bakamidzu am&amp;lt;u&amp;gt;iu&amp;lt;/u&amp;gt;taribadu/pstoːbakagaiz/pavva bakagairadana ntazsuga/aru tusï pavn makiːbakamidzuamiutiː/pavva bakagaiz/pstoːbakagairan´n´oːɳ naztaz ca.&lt;br /&gt;
:: 「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;節祭&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;しつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の夕には蛇より先に人が若水を浴びて居ったから、人が若返り、蛇は若返らずに居った。処がある年、蛇にまけて人が後で若水を浴びたから、蛇が若返り人は若返らぬ様になったという。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どういう様子で当時若返ったものかという私の問に、富盛氏は蛇の様に皮を脱いだものだと答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、私が多良間に滞在していた時、垣花春綱という青年から、同じ様な物語を聞いた。即ち&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:: ɳk´eːndu s´icïnu juːnu mizïu tiɳkara urus´ivaːlbadu/niɳgiɳjukara amiru tiːsï̥badu/niɳgiɳja makiːpau̯nu sakˢï nari amital tiːaz´z´ibadu/niɳgiɳja s´ikatain&amp;lt;u&amp;gt;ai&amp;lt;/u&amp;gt;tiːtïːtu pagᶻitu aruːtaltiː/as´ibadu/cïmeːɳgᶻïbaɳ-ɳgᶻïbaɳ tada m´eːja ksïːksï s´ïːbul tiː/pau̯ia sïnirubamai sïdiːja ikˢïikˢï-stiː&lt;br /&gt;
::「むかしむかし&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;節祭&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;しつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の夕に天から水を下ろして下されたら「人から先に浴びろ」との事でしたが、人間がまけて蛇が先になって浴びたので、人間は仕方なしに手と足とを洗った。だから爪だけがいくらぬいても、つぎからつぎへと生えて来るのである。蛇は死んでもどんどん蘇生してゆけるのである」と。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶世村氏の前記物語を分解して次の如き根本の要素に分つことが出来る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:: 一、月又は天帝が永久の世命を布告する者として使者を人間に遣したこと。&lt;br /&gt;
:: 二、使者の怠慢が神の慈悲を無にしたこと。&lt;br /&gt;
:: 三、使者の処罰&lt;br /&gt;
:: 四、永久にわたる確証として月の表面に斑点を有すること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この外、尚次の如き付随的要素がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:: 一、蛇が人より不死の秘密を横取りしたこと。&lt;br /&gt;
:: 二、或る種の動物、ここにては蛇が脱皮するのは、甦生と不死の徴候として考えられること。&lt;br /&gt;
:: 三、不死と死の象徴にして、月に変若水、死水があること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その根本の要素に於て、地上人類の死の根源を語る伝説は地球の各方面に散見される。例えばホッテントット族の伝えるところによれば、月は嘗て世界に兎を遣して人間に、死滅するも暫しにして、月の様に復活することを告げさせんとした。処が忘却して兎は人は死し月の如く甦生しないものと告げたので、其の時から人は死ぬ様になった。兎は帰った上、左様述べたので月は憤怒の余り棒を投げて兎の唇を裂いた。それで兎は逃げ出し、今日に至るも走っていると。兎が逃げる前に、月の顔を爪で傷け、その痕跡は、今でも見えると或る者は語っている(J.G. Frazer. The Belief in Immortality and the Worship of the Dead. Vol. I. p.65. London, 1913)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに類似した伝説をこれ以上挙げるのを差し控え、唯今引用したフレザ教授の著書を一般興味を感ずる方々に推薦したい。右の著書はこの問題に関する各種民族の民譚が夥多に集められている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前記ホッテントットの民譚は、兎が月に移ったことを物語っていないが、月の斑点が兎の傷つけたものであるということは、根本の話が後に至って変化したものと見做される。即ち、月又は天帝が使者として、派遣した動物及びフレザ教授の著書に記載されている動物の凡てに至っては、民族の民譚により月に棲息しているものと思われる。例えば、印度、支那に於ける兎、支那の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;蟾蜍&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ひきがえる&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、馬来半島の鼠、英国の犬等である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フレザの蒐集した民譚によれば、蛇、蟹其他の動物に見受けられるところの、脱皮による不死の秘法を説明したものは、主として太平洋民族の間に見出される。解説としてニュブリテンのメラネシア人の民譚より一例を持って来る。それによれば「ト・カンビナナ」神は人間を愛し、不死を恵み、蛇を憎み、駆除せんとして、弟ト・コルブブを呼ぶ。「人間の世界に下り不死の秘法を伝えよ、毎年脱皮することを命ぜよ、斯くして人の生命は不断に甦生され、死より免れるであろう、然し蛇には死を伝えよ」といった。然るにト・コルブブは人に死を命じ蛇に不死の秘法を授けたので、その時より人は死し蛇は毎年脱皮して不死となった。(フレザ書、六十九頁)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
蛇、蜥蜴、蟹の脱皮が永遠に生長らえる方法と考えられたことは、この動物を長寿の象徴として、多くの民族の民譚に入り、出生又は祝賀の節、幸運を祈るものとして用いられる様になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の伝説に、持守連が彦瀲尊の誕生の日、箒を作り、海浜に出て蟹を掃いたという話は琉球の習慣によって確証されている。即ち生れ落ちた幼児に蟹を這わしたり、又は宮古島では、満潮の海水で湿っている砂地に散在している穴より、「P´azma/P´alma」及び「çaima」と呼ばれている、二疋の白色の美しい蟹を持来り、中一疋は生れた家の縁の下に入れ、残りの一疋で産婦と幼児のお汁がこしらえられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新年に日本人が種々縁起を祝うものと共に家を飾る伊勢海老のことも、明かに甦生と長寿のこの考えに属している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊良部島の佐良浜村では粟の播種の時、豊作の神栄世之迦那志(haiju´nukanasï)に対して歌を歌う。この歌は播種より収穫及び新造酒による酒宴に至る農事の全期を現したもので、即ち実現をはかる神に対する呪として、「祈年祭の祝詞」と同様に見られるべきものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この歌の主要な個所は宮古全体に共通しているが、最初の歌詞がその村特有のものでこれに相当するには、他の村では見当たらなかった。即ち&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:: 栄世之迦那志！&lt;br /&gt;
:: 佐良浜のヒヤイマは&lt;br /&gt;
:: 下の家と上の家とを持っていて&lt;br /&gt;
:: 　　栄世之迦那志よ、&lt;br /&gt;
:: 通家を持っていて&lt;br /&gt;
:: 潮の干る時は下の家に下りていて&lt;br /&gt;
:: 潮の満つ時は上の家に上っていて&lt;br /&gt;
:: 　　栄世之迦那志よ&lt;br /&gt;
:: (そして次の)話を始めるのである。&lt;br /&gt;
:: &amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;蝦蟹&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;えびがに&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;は(殻を脱けて)若返るのだ&lt;br /&gt;
:: &amp;lt;u&amp;gt;イサウ&amp;lt;/u&amp;gt;蟹も若返るのだ&lt;br /&gt;
:: 　　栄世之迦那志よ&lt;br /&gt;
:: 我等が若返らぬという事はない&lt;br /&gt;
:: 兄弟が(皆)若返らぬという事はない&lt;br /&gt;
:: 　　栄世之迦那志よ&lt;br /&gt;
:: (そういう)話が出るのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この歌章は後に続くと少しも共通点が無いが、一種の呪の文句と見る事が出来る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
即ち、蟹が永久に甦生する様に、其の年蒔いた粟も必ず枯れずに例年の通り芽生える事を祈ったのである。(未完)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ニコライ・ネフスキー]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%9C%88%E3%81%A8%E4%B8%8D%E6%AD%BB&amp;diff=1296</id>
		<title>トーク:月と不死</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%9C%88%E3%81%A8%E4%B8%8D%E6%AD%BB&amp;diff=1296"/>
		<updated>2009-10-22T12:44:22Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* 未修正箇所 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
*語り初めた→語り始めた&lt;br /&gt;
*インデアン→インディアン&lt;br /&gt;
*スカンヂナビヤ→スカンジナビア&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
*「北の海へ」は「西の海へ」ではないのか。&lt;br /&gt;
* 発音表記中の下線部は、正しくはスラー。&lt;br /&gt;
* 「甦生」「蘇生」の表記の揺らぎがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
*宮古群島の多良間島に伝わる伝説&lt;br /&gt;
**女神の優位性とその没落とがモチーフ。&lt;br /&gt;
*月の兎はインド起原？&lt;br /&gt;
* アカナー/アカリヤ&lt;br /&gt;
**インド神話のアハリヤーとの関連性は？&lt;br /&gt;
**「アハリヤ　アソビハストマウサヌ〜」の神歌との関連性は？&lt;br /&gt;
**酒呑童子との関連性は？&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%9C%88%E3%81%A8%E4%B8%8D%E6%AD%BB&amp;diff=1295</id>
		<title>トーク:月と不死</title>
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		<updated>2009-10-22T12:27:58Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
*語り初めた→語り始めた&lt;br /&gt;
*インデアン→インディアン&lt;br /&gt;
*スカンヂナビヤ→スカンジナビア&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
*「北の海へ」は「西の海へ」ではないのか。&lt;br /&gt;
* 前記のものに類似した伝説&lt;br /&gt;
** 発音表記中の下線部は、正しくはスラー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
*宮古群島の多良間島に伝わる伝説&lt;br /&gt;
**女神の優位性とその没落とがモチーフ。&lt;br /&gt;
*月の兎はインド起原？&lt;br /&gt;
* アカナー/アカリヤ&lt;br /&gt;
**インド神話のアハリヤーとの関連性は？&lt;br /&gt;
**「アハリヤ　アソビハストマウサヌ〜」の神歌との関連性は？&lt;br /&gt;
**酒呑童子との関連性は？&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%9C%88%E3%81%A8%E4%B8%8D%E6%AD%BB&amp;diff=1294</id>
		<title>月と不死</title>
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		<updated>2009-10-22T12:26:40Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==月と不死（若水の研究の試み）==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ずっと以前のこと、かのシベリアの大鉄道を旅行して、私が丁度バイカルを過ぎたのは、麗しい六月のことであった。天地に迫る涼味、寧ろ寒気が感ぜられる程で、威大な夜の光は、隈なく湖と程近く聳える山々を輝し、水面には己が姿を映していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は汽車のプラットホームに出て見た時、其処には一人の日本人が佇んで、蠱惑的なシーンに見とれていた。暫しの間息もつかず、沈黙が僅かに規則的車輌の響に妨げられて続いてゆく。やがて彼の方から振り向いて来た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「この様な月を眺めていると」と語り初めた。「夥しく湧き出て来る感情で、たましいは独り、満たされるものです。貴方も感ぜないわけにはゆきますまい。私達日本人は非常に月を愛します。今日の様な景色に接すると、詩が自然に口に浮びます。こうして、此処に私は既に半時間程佇んでいますが、どうしても離れて行くことが出来ないのです。こうしている間に、二三の詩を作りました。お聞かせ申しましょうか。」と云って二三の日本の短歌を続けて吟じ、露語に表わそうと努めて不充分の所、辛うじてほのめかし得た所を説明したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私がまだ学生の頃、支那や日本の韻文を知り得た時、露西亜の韻文の特徴の一つである所の、生を讃美し、太陽を歌えるモチーフがほとんど完全に欠けていることに驚いた。物侘びしげなところ、憂鬱な感傷的なところを具えている月のモチーフは日本及び支那にあっては、極めて普通のものとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生の力の神、冷い物寂しい自然の受胎者、甦生者の神、ヤールを崇拝するスラヴ思想にとっては、輝ける温い光を与え、冷い単調な自然に包まれて、唯一の喜び、唯一の慰藉を齎らす太陽は、懐かしくも心近きものであるが、哀れを加える冷き月の光、さらぬだに哀れを感ぜしめる月には、何の縁もなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
支那及び日本、殊に日本は大自然に恵まれ、夏期過度の太陽の熱に苦しめられる者は、周囲を囲む凡ての丘陵森神社仏閣、さては山寺の夕の鐘の響にぴったりと調子を一つにする純潔な白い姿の月に心を向ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
静かな、青ざめた月の光は、これらの地方の住民を、安逸と自足とを告げる昼の太陽から遠ざけて、花やかな現実より、遠く離れたるものを思わしめ、終には世の中の歓楽喜悦は永劫のものでなく、何時か最後が訪れることと信ぜしめる。燃ゆる強い光を有する太陽、生の力――陽の限りなき供給者太陽と打って変って、単調な冷い光に包まれている太陰は、正反対の陰の力――死の力を明白に表しているものとして眺められている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一般に、本能的死の恐怖、疑もなく、久しき以前に、海浜地方の住民によって注視されていた満干潮に対する月の影響、婦人の月経と月、夢遊病者に対する月の神秘的関係、及び時の計算の基礎となった規則正しき月の盈虧――こうしたことどもは、夜の自然と一つに溶け合う月の美と共に、神秘的な神となって了った。或る民族は世界及び人類の創造者とさえ考えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本に於て、この月の擬人神は「ツクヨミノミコト」「ツクユミノミコト」という名を持っている。尚、この *tukujumi は「時を算える者」を意味することは、疑の無い処である。(古代の *tu は一方 tsw に転じ、他方 to に変じている。万葉集では、アカツキはアカトキと読んでいる。琉球語の akatuɳk´i/akatunći)。古代日本神話はこれを日の女神、天照大神の弟と我々に語っているが、一般に影が薄いのは、古代記録作成者に特別の理由があったのであろう。それで日本人と勿論起原を共にして、日本本国にあって既に消滅し、又はほとんど消滅した幾多の古代信仰式典を保っている住民を有する沖縄列島に於て、主に宮古群島に於て、私が蒐集した月に関する二三の伝説を次に持って来ることにする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮古群島では、この二つの大きな世界的発光体、太陽と太陰は、古代日本神話の様に姉弟とは考えずに、夫婦となっている。それで夫婦が同衾して夫が愛に包まれて片足を妻――月の体に投げた時、月の光は曇って月蝕が起り、妻が同じ様に夫に媚びた時に、日蝕が現われるものと、平良町では謂っている。因に、北米インディアン、トリンギト族も、同様に日蝕は妻の月が夫の太陽を訪ねたものと説いている。(The Mythology of all Races. Vol. X, North American, by Hartley Burr Alexander; p.277. Boston, 1916)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
然しながら、日月蝕の解釈を言語に表したものとしては、宮古島民は「太陽を（ぞ）鬼が呑む、お月様を（ぞ）鬼が呑む」(tido; du unnu num; cïkśśːdu unnu num)という説明文句を有している。これは前記のものと合わせて、日月蝕を或る怪物の嚥下した結果と説明する他の神話の存在したことを示しているので、この現象はアイヌ族及び馬来族の間にも見受けられる（金田一京助氏著「アイヌ聖典」、東京、一九二三、「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;大伝&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ポロオイナ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」九九‐一五〇頁）、(Skeat, Malay-Magic. p.11. London, 1900)。後者にあっては、この怪物は或は竜 rahu 或は犬 anjing と呼ばれ、日月を呑む竜の如き形を意味する rahu の考えは言葉と共に恐らく、馬来族がヒンズース族より伝え受けたものであろう(Skeat, loc. cit. 下段の註二、三)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮古群島の多良間島に伝わる伝説によれば、太古、妻――月の光は、夫――日の光よりはるかに強く明るいものであった。処が夫が羨望の余り、夜歩む者には、この様な目を眩す光は不必要だという口実で、少し光を自分に譲る様、屡月に願ってみた。然し妻は夫の願を聞き入れなかった。そこで夫は妻が外出する機会を攫んで、急に後から忍び寄り、地上に突き落とした。月は盛装を凝らしていたが、丁度、泥濘の中に落ちたので、前身汚れて了った。この時、水の入った二つの桶を天秤棒につけて、一人の農夫が通りかかった。泥の中でしきりに踠いている月の姿を見て、農夫は早速手を貸して泥から出してやり、桶の水で綺麗に洗った。それから、月は再び蒼穹へ上って、世界を照らそうとしたが、この時から、明るい輝ける月の光を失って了った。月は謝礼として農夫を招き、この招かれた農夫は今尚留まっていて、満月の夜、この農夫が二つの桶を天秤棒につけて運ぶ姿がはっきり見受けられる（多良間生れの徳山清定氏の談話による）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
満月の夜、流れ入る憂鬱な考えに閉ざされて、人類永久の悲劇である死を思い、明るい月の光、姿にこの解釈を求めようと努める。毎月、月が大空から姿を消して、三日経て再び現れて来る現象は、死者がこの間に復活する思想を、基督に結び付ける基督教の思想を生ぜしめた。種々の民族は、月の斑点も同じく、不死の思想と何らかの関係を有するものと考えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、日本に於ては、月に餅や不死の薬の様なものを臼の中で搗いている兎の姿を眺めている。然し、月の斑点のこの説明は、純日本のものとは考えられないので、これは、漢籍と共に支那から伝来したものである（支那はこの説明を恐らく印度より受容れたものであろう）。然し又、これ以前に既に存在していた考えと、或る程度まで一致したので、此処に織込まれたものであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前記多良間の例の様に、多くの民族はこの斑点の中に、人の姿を認めている。そして、この説明に於て屡々この人が多少とも、水と関係のあるのは興味深い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば、アイヌ族は、これは水を汲みに行くのが煩しい、非常な怠惰な忰で、終には神様達のお怒にふれ、人々の戒めとして人の世界から離して、月へ連れて来られたものと語っている(Batchelor, The Ainu and their Folk-lore. pp.67‐68.)。これに相当する原文がバチェラー博士著辞書三版にある文法の部に載せられてある（一二〇‐一二一頁）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ランタム(Rantum)の住民は、これは地上に水を注いで満干潮の原因を作る一巨人であるとしているので、満潮時には、身を曲げて水を汲み、干潮時には、全く仕事を休んでいると物語る(S. Baringgould, Curious Myths of the Middle Ages. p.194. London, 1914)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、瑞典の農夫の語るのによれば、月の斑点は、棒にて水桶を運ぶ少年少女を表している。この見方は水を運べる少年少女が月に奪われて天上に送られ、地上からも其の姿が見受けられるというスカンジナビアの古代神話にも存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前記多良間の例の如く、月の斑点は、天秤棒に水の入った二つの桶を運ぶ人の姿を表しているという見方は、沖縄本島でも国頭郡&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;久志&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;くし&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;地方の村落には、伝っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首里及び那覇に於ては、冴えた月夜に「アカナー」即ち赤い顔と髪とを有する童子の様な生物が、月に見えるといわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
或る人達の説明によれば、「アカナー」は赤い顔と髪を有する童子然とした怪物で、山間に棲息する非常な酒豪である。この形容では、日本の猩々とほとんど完全な類似を見ることが出来る。然しこの見方は、私の意見では、根本の性質を失える二次的のもので、他より持来れる日本の猩々の譚に単に結び付けたもので、恐らくアカナーの（アカ）を（赤）と解したが故に、右の譚と混同されるに到ったのであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首里の児童が赤い顔と髪を有する「アカナー」を月の弟であろうとすることは、次の童謡からでも窺わられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;table&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;akanaː joː akanaː&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;もし、もし、アカナー、アカナー&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;maːkai ićuga akanaː&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;何処へ行くのか、アカナー&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;niśinu nmikai&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;北の海へ&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;gani tujiga&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;蟹取りに&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;waɳja ićuɳ&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;私が行くのよ&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;gani tuti nuːsu ga akanaː&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;蟹取ってどうするか、アカナー&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;waːwunajaːni k´wijaɳ&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;私の姉様に呉れるのよ&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;ˀjaːwunajaːja taːjaga&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;お前の姉様は誰だい&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;td&amp;gt;źuːguja uciću&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;十五夜のお月様だ&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;/table&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「アカナー」は、時々、月から地上に下りて、海浜で魚類（と蟹と前の唄の様に）を取り、眼を食べてあとはそのまま人に残して置くそうである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日琉方言に於て、不断のrとnの交代及び元の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;口蓋化&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;パラタリゼーション&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の喪失に留意すれば、「アカナー」という言葉は「アカリヤ」(akaráː)（輝ける者）とならねばならぬ。この名で月の人が宮古島民に知られている。然し、通常その者を「アカリヤーザガマ」(Akará-zzagama)と呼び、言葉の後半は日本の「オトッツァン」に相当して、士族階級の者が一般庶民の老人に対して用いている（尚、「ザガマ」という言葉で物貰いを施しを乞う家の主人が呼んでいる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==月と不死(二)==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大正十五年８月１７日、私が漲水湾より那覇に向う汽船に乗り込んだ時、この「アカリヤザガマ」に関する興味深い伝説を、平良町出身の慶世村恒任氏より聞き書き留めておいた。慶世村氏は祖母より聞いたものである。&lt;br /&gt;
原文は次回に譲りこれを本邦語に訳してみる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;u&amp;gt;月のアカリヤザガマの話&amp;lt;/u&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
是は昔々大昔この大宮古、美しい宮古に始めて人間が住む様になった時の事だそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お月様お天道様(Cïkˢï̥ganasï-Tiɳganasï̥)が真上に輝いていて、美しい心の持主であったから、幾世変らじ人間の生れつきの美しさを守り、長命(Cïgᶻinnucï)(継命)の薬を与えようとお思いになって節祭(s̀ïcï)の新夜(arajuː)に、この&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;大地&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;おおじ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;へ、下の島へアカリヤザガマを御使としてお遣しになったそうです。アカリヤザガマが何を持って降りて来たかというと、二つの桶を重そうに担いで来たそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、その一つには変若水(sïlimizï)、今一つの方には&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;死水&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;しにみず&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;(sïnimizï)を入れて来ました。お月様お天道様のお言附けには「人間に変若水を浴せて世が幾度変ってもいつも、生き替る事と長命をもたせよ。蛇には——&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;肝心&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;きもごころ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;をもっているものじゃないから——死水を浴せよ」という事であったそうです。けれども天から長い旅をして降りて来たアカリヤザガマが非常に疲れ、草臥れて脚脛を休ませようと思って担いで来たその桶を、道に下ろし路端で小便をしていた処、その隙に何処からともなく一匹の大蛇が現われて来て、まあなんという事でしょう、見れば人間に浴びせる変若水をジャブジャブ浴びてしまっていたのであります。アカリヤザガマの驚きは譬え様もありませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「おやおやこれはまあ、どうしよう、まさか蛇の浴び残りの水を人間に浴せるというわけには行かないし、どうしたらいいんだろう、斯うなったら仕方がないから、死水でも人間に浴せる事にしようか」と思って泣き泣き死水を人間にあびせたそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカリヤザガマが非常に心配しながら、天へのぼり、上へのぼって入って委細の事を申上げると、お天道様は大変お怒りになって「長命や生れ替の美しさを守ろうと思っていたが、お前のために破られ、みんな私の心尽しが無駄になってしまった。お前の人間に対する罪は幾等払っても払い切れない程のものであるから、人間のある限り、宮古の青々としている限り、その桶を担いで永久に(m´aːkutunagi)立っておれ」といって体刑をお加えになりました。それがためアカリヤザガマが今もなおお月様の中にいて桶を担いで立ちはだかって罰せられているとさ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人間はなんという馬鹿者だろう！　若し蛇の様に気早いものであったなら、変若水を浴びて生れ替えて、いつもいつも長命でいられた筈なのに、死水を浴びてしまったから死んでゆかねばならぬ様になりました。それに引返えて蛇はその時から今まで終始脱皮し、生れ替えて長生しているのだとさ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶世村氏は話を了えて次の様に日本語で補足した。人間は不死を恵む月の慈悲も、人の悲劇となったが、それにも拘わらず、神(toːtu-ganasï̥)は人を憐み永久の生命でなくとも、多少若返り位はさせて幾分でも粧飾せんとした。その時から毎年「s̀icïnu arajuː」と呼ぶ、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;節祭&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;しつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の祭日に向う夜、大空から若水(bakamizï)を送ることとなった。これより今日に至るまで第一日の祭日の黎明に、井戸より水を汲み、若水と呼び全家族が水浴する習慣が存している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
月に就て云々していないが、前記のものに類似した伝説を大正十一年夏、故富盛寛卓氏より聞いたことがある。即ち&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:: s̀icïnu juːnna pstunudu pavv&amp;lt;u&amp;gt;iu&amp;lt;/u&amp;gt;zsa sakˢiɳ bakamidzu am&amp;lt;u&amp;gt;iu&amp;lt;/u&amp;gt;taribadu/pstoːbakagaiz/pavva bakagairadana ntazsuga/aru tusï pavn makiːbakamidzuamiutiː/pavva bakagaiz/pstoːbakagairan´n´oːɳ naztaz ca.&lt;br /&gt;
:: 「&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;節祭&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;しつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の夕には蛇より先に人が若水を浴びて居ったから、人が若返り、蛇は若返らずに居った。処がある年、蛇にまけて人が後で若水を浴びたから、蛇が若返り人は若返らぬ様になったという。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どういう様子で当時若返ったものかという私の問に、富盛氏は蛇の様に皮を脱いだものだと答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、私が多良間に滞在していた時、垣花春綱という青年から、同じ様な物語を聞いた。即ち&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:: ɳk´e:ndu s´icïnu ju:nu mizïu tiɳkara urus´iva:lbadu/niɳgiɳjukara amiru ti:sï̥badu/niɳgiɳja maki:pau̯nu sakˢï nari amital ti:az´z´ibadu/niɳgiɳja s´ikatain&amp;lt;u&amp;gt;ai&amp;lt;/u&amp;gt;ti:tï:tu pagᶻitu aru:talti:/as´ibadu/cïme:ɳgᶻïbaɳ-ɳgᶻïbaɳ tada m´e:ja ksï:ksï s´ï:bul ti:/pau̯ia sïnirubamai sïdi:ja ikˢïikˢï-sti:&lt;br /&gt;
::「むかしむかし&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;節祭&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;しつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の夕に天から水を下ろして下されたら「人から先に浴びろ」との事でしたが、人間がまけて蛇が先になって浴びたので、人間は仕方なしに手と足とを洗った。だから爪だけがいくらぬいても、つぎからつぎへと生えて来るのである。蛇は死んでもどんどん蘇生してゆけるのである」と。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶世村氏の前記物語を分解して次の如き根本の要素に分つことが出来る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:: 一、月又は天帝が永久の世命を布告する者として使者を人間に遣したこと。&lt;br /&gt;
:: 二、使者の怠慢が神の慈悲を無にしたこと。&lt;br /&gt;
:: 三、使者の処罰&lt;br /&gt;
:: 四、永久にわたる確証として月の表面に斑点を有すること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この外、尚次の如き付随的要素がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:: 一、蛇が人より不死の秘密を横取りしたこと。&lt;br /&gt;
:: 二、或る種の動物、ここにては蛇が脱皮するのは、甦生と不死の徴候として考えられること。&lt;br /&gt;
:: 三、不死と死の象徴にして、月に変若水、死水があること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その根本の要素に於て、地上人類の死の根源を語る伝説は地球の各方面に散見される。例えばホッテントット族の伝えるところによれば、月は嘗て世界に兎を遣して人間に、死滅するも暫しにして、月の様に復活することを告げさせんとした。処が忘却して兎は人は死し月の如く甦生しないものと告げたので、其の時から人は死ぬ様になった。兎は帰った上、左様述べたので月は憤怒の余り棒を投げて兎の唇を裂いた。それで兎は逃げ出し、今日に至るも走っていると。兎が逃げる前に、月の顔を爪で傷け、その痕跡は、今でも見えると或る者は語っている(J.G. Frazer. The Belief in Immortality and the Worship of the Dead. Vol. I. p.65. London, 1913)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに類似した伝説をこれ以上挙げるのを差し控え、唯今引用したフレザ教授の著書を一般興味を感ずる方々に推薦したい。右の著書はこの問題に関する各種民族の民譚が夥多に集められている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前記ホッテントットの民譚は、兎が月に移ったことを物語っていないが、月の斑点が兎の傷つけたものであるということは、根本の話が後に至って変化したものと見做される。即ち、月又は天帝が使者として、派遣した動物及びフレザ教授の著書に記載されている動物の凡てに至っては、民族の民譚により月に棲息しているものと思われる。例えば、印度、支那に於ける兎、支那の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;蟾蜍&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ひきがえる&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、馬来半島の鼠、英国の犬等である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フレザの蒐集した民譚によれば、蛇、蟹其他の動物に見受けられるところの、脱皮による不死の秘法を説明したものは、主として太平洋民族の間に見出される。解説としてニュブリテンのメラネシア人の民譚より一例を持って来る。それによれば「ト・カンビナナ」神は人間を愛し、不死を恵み、蛇を憎み、駆除せんとして、弟ト・コルブブを呼ぶ。「人間の世界に下り不死の秘法を伝えよ、毎年脱皮することを命ぜよ、斯くして人の生命は不断に甦生され、死より免れるであろう、然し蛇には死を伝えよ」といった。然るにト・コルブブは人に死を命じ蛇に不死の秘法を授けたので、その時より人は死し蛇は毎年脱皮して不死となった。(フレザ書、六十九頁)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
蛇、蜥蜴、蟹の脱皮が永遠に生長らえる方法と考えられたことは、この動物を長寿の象徴として、多くの民族の民譚に入り、出生又は祝賀の節、幸運を祈るものとして用いられる様になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の伝説に、持守連が彦瀲尊の誕生の日、箒を作り、海浜に出て蟹を掃いたという話は琉球の習慣によって確証されている。即ち生れ落ちた幼児に蟹を這わしたり、又は宮古島では、満潮の海水で湿っている砂地に散在している穴より、「P´azma/P´alma」及び「çaima」と呼ばれている、二疋の白色の美しい蟹を持来り、中一疋は生れた家の縁の下に入れ、残りの一疋で産婦と幼児のお汁がこしらえられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新年に日本人が種々縁起を祝うものと共に家を飾る伊勢海老のことも、明かに甦生と長寿のこの考えに属している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊良部島の佐良浜村では粟の播種の時、豊作の神栄世之迦那志(haiju´nukanasï)に対して歌を歌う。この歌は播種より収穫及び新造酒による酒宴に至る農事の全期を現したもので、即ち実現をはかる神に対する呪として、「祈年祭の祝詞」と同様に見られるべきものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この歌の主要な個所は宮古全体に共通しているが、最初の歌詞がその村特有のものでこれに相当するには、他の村では見当たらなかった。即ち&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:: 栄世之迦那志！&lt;br /&gt;
:: 佐良浜のヒヤイマは&lt;br /&gt;
:: 下の家と上の家とを持っていて&lt;br /&gt;
:: 　　栄世之迦那志よ、&lt;br /&gt;
:: 通家を持っていて&lt;br /&gt;
:: 潮の干る時は下の家に下りていて&lt;br /&gt;
:: 潮の満つ時は上の家に上っていて&lt;br /&gt;
:: 　　栄世之迦那志よ&lt;br /&gt;
:: (そして次の)話を始めるのである。&lt;br /&gt;
:: &amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;蝦蟹&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;えびがに&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;は(殻を脱けて)若返るのだ&lt;br /&gt;
:: &amp;lt;u&amp;gt;イサウ&amp;lt;/u&amp;gt;蟹も若返るのだ&lt;br /&gt;
:: 　　栄世之迦那志よ&lt;br /&gt;
:: 我等が若返らぬという事はない&lt;br /&gt;
:: 兄弟が(皆)若返らぬという事はない&lt;br /&gt;
:: 　　栄世之迦那志よ&lt;br /&gt;
:: (そういう)話が出るのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この歌章は後に続くと少しも共通点が無いが、一種の呪の文句と見る事が出来る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
即ち、蟹が永久に甦生する様に、其の年蒔いた粟も必ず枯れずに例年の通り芽生える事を祈ったのである。(未完)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ニコライ・ネフスキー]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=Docs:%E8%AB%87%E8%A9%B1%E5%AE%A4&amp;diff=1285</id>
		<title>Docs:談話室</title>
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		<updated>2009-09-29T01:55:33Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ここでは、サイトの運営に関する話題や、&lt;br /&gt;
個別のページでは扱えない広い話題を扱います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 談話室 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
気軽な雑談・相談用にお使い下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;comments /&amp;gt;&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* ページの更新にかかる時間を大幅に短縮できたと思います。(やれやれ…)　技術的な面については[http://macwiki.sourceforge.jp/wiki/index.php/MacWiki:MediaWikiのインストール#.E5.85.A8.E6.96.87.E6.A4.9C.E7.B4.A2.E3.81.AE.E6.A9.9F.E8.83.BD.E6.94.B9.E5.96.84_.28experimental.29 こちら]を参照ください。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年9月29日 (火) 10:55 (JST)&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 「日本巫女史」中、「じゅず」に「数珠」と「珠数」の表記の揺らぎがあります。「数珠」に統一すべきかも知れません。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2009年8月28日 (金) 01:11 (JST)&lt;br /&gt;
** この辺についてはたちゃなさんの判断に譲ります。 --[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月1日 (火) 00:27 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%AF%80&amp;diff=1275</id>
		<title>トーク:日本巫女史/第二篇/第三章/第五節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%AF%80&amp;diff=1275"/>
		<updated>2009-09-19T14:40:29Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: /* メモ */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.477&lt;br /&gt;
** 「チヨロは冥土の渡し船」の「ヨ」は促音と思われるので改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月20日 (土) 15:30 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.486&lt;br /&gt;
* 「祭らるべき」を「祭らるるべき」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月20日 (土) 15:30 (JST)&lt;br /&gt;
* 「日吉神社の未社」を「日吉神社の末社」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月20日 (土) 15:30 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.487&lt;br /&gt;
** 「一人一所つゞ」を「一人一所づゝ」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月20日 (土) 15:30 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.489&lt;br /&gt;
** 註一二「かく称したのて」を「かく称したので」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月20日 (土) 15:30 (JST)&lt;br /&gt;
** 註一三「おじやらく」「おしやらく」「おしやめ女郎」「シヤラ」「おしやらく目の毒」を、それぞれ「おじゃらく」「おしゃらく」「おしゃめ女郎」「シャラ」「おしゃらく目の毒」に改めた。漢字表記では御洒落か。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月20日 (土) 15:30 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.490&lt;br /&gt;
** 註二一「それである」直後の読点を句点に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月20日 (土) 15:30 (JST)&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
* 底本 p.473&lt;br /&gt;
** 「倫落の淵」は「淪落の淵」の誤用か。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月20日 (土) 15:30 (JST)&lt;br /&gt;
** 「なりと記し」の「記」が、底本では{言偏巳}となっている。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月20日 (土) 15:30 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.478-479&lt;br /&gt;
** 「牡前」の振り仮名に「オイメー」と「オイメェ」の二種あり。&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;br /&gt;
* 底本 p.469&lt;br /&gt;
** 「吾門尓 千鳥數鳴 起余々々 我一夜妻 人尓所知名」（[http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?16/3873 万葉集 16-3873]）&lt;br /&gt;
* 底本 p.470&lt;br /&gt;
** 野里住吉神社に伝わる一夜官女の伝説では、「豪傑、岩見重太郎が乙女の代わりとなって櫃に入り、狒々の現れたところを退治」したことになっている。一夜官女と[http://phpbb.miko.org/viewtopic.php?f=3&amp;amp;t=515&amp;amp;p=1145 女装]には微妙な関連性（？）が認められるため、個人的に、この岩見重太郎が女装していたとしても、話の筋としては何ら不思議ではない（寧ろ女装していないことのほうがおかしい）と考えるのだが、残念ながらそのような話は伝わっていないようだ。いずれにせよ後世の附会なので、どうでもよいと云われればそれまでだが。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月20日 (土) 15:30 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.469&lt;br /&gt;
** 一度でも異性に許したことのある女子は、此の橋を無事に渡り得ず: ケルトにおける女神アリアンロード (Arianrhod) の神話が連想される。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月20日 (土) 15:30 (JST)&lt;br /&gt;
* 底本 p.477&lt;br /&gt;
** モルガン: Lewis H. Morgan (1818-1881)&lt;br /&gt;
* 底本 p.490&lt;br /&gt;
** 註二一「上総の末の珠名郎子」: [http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?09/1738 万葉集 9-1738], [http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?09/1739 1739]&lt;br /&gt;
* 「妭」U+59AD は JIS X 0212 (補助漢字) 内の文字。Adobe Japan 1-5 に未収録のため、表示・印刷の際には Adobe Japan 1-6 文字セット対応のフォントが必要。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
	</entry>
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		<title>トーク:日本巫女史/総論/第四章/第二節</title>
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		<updated>2009-09-18T06:22:48Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: ページの作成: ==修正箇所== *言うもでもない→言うまでもない ==未修正箇所== ==メモ==&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==修正箇所==&lt;br /&gt;
*言うもでもない→言うまでもない&lt;br /&gt;
==未修正箇所==&lt;br /&gt;
==メモ==&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
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		<id>https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%83%E7%AF%80&amp;diff=1267</id>
		<title>日本巫女史/第二篇/第三章/第七節</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://docs.miko.org/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%B8%83%E7%AF%80&amp;diff=1267"/>
		<updated>2009-09-11T10:09:54Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;たちゃな: リンクの追加。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[日本巫女史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第二篇|第二篇　習合呪法時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本巫女史/第二篇/第三章|第三章　巫女の信仰的生活と性的生活]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第七節　女系相続制と巫女堕落の関係==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平安期を境界線として、巫女の堕落が殊に著しくなったのは、勿論、幾多の原因が在って存したことは言うまでもない。想い出すままを数えて見ても、（一）時勢と環境とが淫蕩靡爛であったこと、（二）彼等に対する信仰が全く衰えたこと、（三）給分を失い、収入の減損したことが、重なるものであるが、他に併せ考うべきことは、（四）巫女は原則として女系相続制度を強いられていたことも、又た大なる原因であると見るべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元来、巫女が好んで独身生活を送ったことは、屡記の如く「神に占められた」古き信仰を墨守した為であるが、此の結果として当然、二つの事象が随伴していたのである。即ち第一は、独身なるがゆえに（後世になると神妻とも成り得られぬため）実子のあるべき筈がないので、その遺跡は、自分の兄弟の子（それは必ず姪に限られていた）に譲った女系相続制度であって、第二は、巫女の行う呪術は択まれた女性以外には相伝することの出来ぬものであって、且つ此の継承者は、自分の血統に属する者に限るという——一種の血液の迷信に囚われていたのである。大和の葛城山麓の、前鬼・後鬼の家は、修験道の開祖といわれる役小角が初めて峯入りした折に、これを助けた所謂「鬼筋」として有名の子孫であるが、この家などでも、血筋の混濁するのを恐れて、幾十代となく、血族結婚のみを（後世になると却って一般人から通婚を忌まれ、拠ろなく血族結婚をしたのである）続けていたが、近世になり他氏族の血液を加えてから、祖先に比して、飛行・隠形等の呪術が衰えたと云うていた〔一〕。而して此の心理状態は、等しく神に仕え、呪術を生命とした巫女にあっても、全く同一であらねばならぬのである。血液を濁すまい、呪術を堕すまいとの志願から、古き信仰に引きずられて、女系制度を厳守して来たのである。然るに、平安期になって、此の制度が漸く崩壊を見るようになった。「朝野群載」巻九に左の如き文書が載せてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:  　　丹後国司解　申請　官裁事&lt;br /&gt;
: 　　　　請被殊蒙官裁依采女従五位下丹波勝子辞譲姪同姓徳子補任采女職状&lt;br /&gt;
: 右得勝子解状偁、謹検案内、去天慶七年被補当職、従事之後、未闕職掌、依其労効、安和二年初預栄爵、永延元年更叙内階、計其年労、三十五個年于今遺命不幾、且暮難期、方今以所帯職、譲与同姓姪之例、継踵不絶、近則紀伊国采女寛子、譲於同安子、備前国采女壬生平子、譲於同貞子等是也、以往之例、不可勝計者、国加覆審、所申有実、仍言上如件、望請、官裁以件徳子、被替神采女職、将令勤譜第之業、仍録事状謹言&lt;br /&gt;
: 　永祚二年二月二十三日　正六位上行□□（紙魚不明、以下同じ）坂上□□（史籍集覧本）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の国司解を仔細に検討すると〔二〕、巫女（神采女とあるが、その実質の同じものである事は既述した）が、その職を姪に譲るに、他の類例を挙げて、証左とするところは、既に此の制度の崩壊期にあることを物語るものである。何となれば、若し従来の如く姪に譲ることが当然であったとすれば、別段に他の類例などを挙げる必要がないからである。而して世襲の職務と給分とを有する神采女までが、斯くの如き地位に置かれたのは、一般の神社に奉仕する巫女が堕落したので〔三〕、官憲としては出来るだけこれを取締り、併せて女系制度を廃止する計画が存していたのであろう。さなぎだに艶聞の伴いやすい巫女にあって、殊にそれが女系制度のために、人道に反した独身生活を強いられては、耳に余り眼を掩うような醜態が頻出したであろうから、官憲は彼等の信仰が落ち、神事の形式も漸く女子の手を離れて男子に移ろうとした変革期を機会に、此の不自然な制度を根絶せんために、特に厳重に相続を監督したのであろう。[[日本巫女史/第一篇/第八章/第一節|前]]に記した京都の桂女が古くから女系相続を固守して明治期まで伝え〔四〕、更に紀伊国海草郡加太町の淡嶋神社の祠官前田氏が、同じく女系のみで相続したとあるのは〔五〕、共に特別なる事例であると言わねばならぬ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
併しながら、巫女の独身生活は、極めて形式的ではあったが、その後とても続けられていたのである。世が変っても、巫女は神と結婚すべきもの、常人の男を良人としたのでは信仰に反くものであるという潜在意識は代々相続されて来て、内縁の夫は持ちながらも、猶お表面だけは、独身を装うことを忘れなかった。畏き事ではあるが「古事談」第一に『前斎院、斎院は、人の妻となっても、無子息』とあるのも、蓋し此事を言うたのではあるまいか。而して単に良人を持たぬばかりでなく、稀には親子の縁まで切って巫女に出る習わしさえあった。「和歌童蒙抄」巻二塩竃の条に左の如き記事がある。&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
如何にも簡古の記述ではあるが、これによって、巫女は親子の俗縁を断って神に仕え、併も神に占められて子孫を挙げることを如実に伝えている。筆路が多少脱線するが、「源平盛衰記」巻十一金剛力士兄弟事の条、静憲法印熊野参詣の次に、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 皆石皆鶴兄弟を請出て見参し（中略）、此児童兄弟はいかなる人ぞと尋給えば、祐金答申て云、母にて侍し者は、&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;夕霧&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ユウギリ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;板&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;イタ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;（中山曰。熊野で巫女をイタと称したとは、奥州のイタコと対照して関心すべきことである）とて山上無双の&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;御子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;、一生不犯の女にて候し程に、不知者夜々通事有て、儲けたる子どもとぞ申侍し、其&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;御子&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ミコ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;離山して今は行方を不知とぞ申す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とあるのは、神を夫とする信仰の残れるを証示すると同時に、寔に畏きことながら、古き百襲媛の故事まで想い出され、更に「処女受胎」の古俗が偲ばれるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
斯うした生活は、近世まで続けられていて、琉球では&amp;lt;ruby&amp;gt;&amp;lt;rb&amp;gt;巫女&amp;lt;/rb&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;（&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;rt&amp;gt;ノロ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;rp&amp;gt;）&amp;lt;/rp&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;は原則として亭主を持つことが出来ず、内地にても内縁関係以上にすすむことは憚っていた。「新編常陸国志」巻十二に、大略次の如くある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 近き世までも神主を宮市子と云ひて、女子の勤めしがままありしなり。夫はあれど奴僕の如し。然るに近き頃に至り、夫たる者吉田家の仮官など授かりて、自ら主人の如くなれり。当地辺にも此類まま有るなり。当国の内さるべき神社には、大市小市又は市子と呼ばれて、祭事に預る婦女あり。又神主をも、市とも市子とも云ふ村々あり。これは女の名いつと無く男子の方に移れるなるべし云々。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に柳田国男先生の記すところによれば、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 近頃、越前のテテと称する、或神官の家の系図を見たが、十数代の間婦女から婦女に相続の朱線を引き、夫の名は女の右に傍註してあった。処女の間ばかり神職を勤めたものならば、直系で続く筈が無いから、これは疑いも無く不処女になっても神子をして居たのである云々〔六〕。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
巫女の性生活も又た幾多の変遷を経て、以て堕落期に到達したのであるが、此の問題こそ巫女自身にとっても、更に巫女史にとっても、一番複雑していて、然も一番困難な問題なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
巫女が娼婦と化した事象に就いては、猶お熊野比丘尼及び此の後身なる売り比丘尼のことを記さねばならぬが、それを言う以前に一言して置くべきことがある。それは外でもなく、古代から平安朝の末頃までは、遊女というものの社会的地位は、必ずしも後世の如く低劣ではなかったという一事である。勿論、いつの時代でも高下のあることは言うまでもないが、平安朝までは高級の遊女は畏くも宮中にも召され、又た仙洞にも聘せられ、更に金枝玉葉の身近く招かれた例さえ、史上に少からず存しているのである。而してかく遊女が社会から卑められなかった理由は、ここに詳細を尽すことは埒外に出るので、省筆するのが当然と考えるので〔七〕、これ以上は何事も言わぬとするが、此の理由は、或る程度までは、巫女から出た巫娼の上にも適用されることであって、後代の成心を以て当代を推すには、そこに相当の手心を要することが必要なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 〔註一〕 : 享保頃に書かれた「諸州採薬記」に拠る。猶お「大阪毎日新聞」（大正四年七月廿四日）によると、大和国吉野郡天川村大字洞川が後鬼のいた所で、同郡下北山村大字前鬼が前鬼の住んだ所で、極端なる血族結婚の事情が載せてある。又「紀伊続風土記」巻三十三には、前鬼より分れたる子孫が、同国那賀郡粉河町大字中津川に居住し、同じく家族相婚した事が記してある。&lt;br /&gt;
; 〔註二〕 : これと同じ国司解が「類聚三代格」にも載せてある。更に物忌（巫女と同じ）の補任に就いては「類聚符宜抄」巻一「太政官符神祇官」の条に左の如きものがある。&amp;lt;br /&amp;gt;　　応補坐河内国平岡神社物忌大中臣時于事&amp;lt;br /&amp;gt;右得官去正月十三日解称、彼社物忌大中臣吉子、長体之替撰定件時子、言上如件、望請官裁、彼補物忌、将会勤職掌者、中納言従三位兼行左衛門督源朝臣高明宣、依請者、官宣承知依宣行之、符到奉行、&amp;lt;br /&amp;gt;　　防鴨河使位　右大史位&amp;lt;br /&amp;gt;　天暦六年五月十一日&amp;lt;br /&amp;gt;初めは本文に採録する考えでいたが、余りに同じようなものと思うたので略し、ここに参考までに附載した。&lt;br /&gt;
; 〔註三〕 : 巫女の堕落には、制度とか環境とか云う以外に、巫女の内的衝動から来るものが多いことも注意せねばならぬ。前に挙げた平田篤胤翁が「古今妖魅考」三巻に集めた比丘尼の性的苦悩の事情は、当然、巫女の身の上であらねばならぬ。茲には詳細を尽すことが出来ぬが、特に此の種の問題に興味を有さるるお方は、同書に就いて知られたい。&lt;br /&gt;
; 〔註四〕 : 桂女が時勢の推移に頓着せず、古きままの女系相続を墨守したために、思わぬ悲劇まで惹起したことがある。詳細は前掲の柳田国男先生の「桂女由来記」に載せてある。&lt;br /&gt;
; 〔註五〕 : 「和歌山県海草郡誌」。&lt;br /&gt;
; 〔註六〕 : 「郷土研究」第一巻第十号。&lt;br /&gt;
; 〔註七〕 : 是等の事情に就いては、拙著「売笑三千年史」に詳記して置いた。参照がねがわれると仕合せである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:中山太郎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>たちゃな</name></author>
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