日本巫女史/第二篇/第三章/第四節

提供: Docs
移動: 案内検索

日本巫女史

第二篇 習合呪法時代

第三章 巫女の信仰的生活と性的生活

第四節 巫女を通じて行われた神の浄化[編集]

「元享釈書」の僧行基伝にある一節は、元より荒唐無稽の説であることは、敢て平田篤胤翁の考証を俟つまでもなく〔一〕、多少の注意を払って読書する者ならば、誰でも気の付くことではあるが、ただ問題となる点は、斯うした思想が、古くから、我が神々の間に存していたということである。換言すれば、僧行基が、伊勢の皇大神宮に参詣した折に、畏くも仏舎利を給わり、渡りに舟を得たようだとか、闇夜に燈を得たようだとか仰せられたとあるのは、虚偽には相違ないが、此の虚偽を事実であろうと信用するほどの交渉が、古い神と、仏との間に在ったことだけは、注意せねばならぬ。

奈良朝に芽を発した本地垂跡——即ち神仏一如の思想は、必ずしも仏徒の方面ばかりで提唱したものではなく、その根底には、神々の方から歩み寄った形跡のあることは、既述した。更に、道徳を超越していた我国の神々が、道徳的に浄化された過程に、仏教の力の加っていたことも記載した。然るに、此の傾向は、平安期から鎌倉期にかけて、巫女を通じて行うことが、特に目立って来た。これは巫女の方から云えば堕落であるが、神々の方から見れば進化であって、他の時代には多く見ることの出来ぬ、巫女の新しい任務の一つであった〔二〕。而して、此の事を記したものは、相当に多く存しているけれども、左に二三を抄録する。「私聚百因縁集」巻九「山王に詣てる僧担死人許す事」の条に、

中比ノ事ナルニ、無事ナル法師世ニ歎有、自京日吉ノ社ヘ有詣百日僧(中略)下向過大津ト云ふ所ヲ、或ル家ノ前ニ女ノ目モ不知サクリモアヘス溶々有泣立、此ノ僧見此ノ気色(中略)何ヲカ問ヘハ悲シムト、女ノ云フ様ハ(中略)母ニテ侍ヘル人ノ、日来悩ミ侍ヘリツルガ、朝終ニ無墓成リ侍ヘル也(中略)僧聞之(中略)我レトモカクモ引隠サント(中略)日暮レヌレバ夜ニ隠レ遷シテ送リテ便吉キ所(中略)ツラツラ思フ様、サテモ詣八十余日事成徒止ナン事口惜シキ事ナレド、為名利不為只詣テ、知ル神ノ御誓様ヲ(中略)又日吉ヘ打向フテ詣ル通道サスガ胸打騒キ、空恐シク畏ルル事無限、詣リ付テ見レバ二ノ宮ノ前ニ人ノ所モナク集レリ、只今十禅師ノ付テ巫様々ノ事ノタマフ節也ケリ、此僧思知リテ身ノ誤(中略)為帰ント程ニ、巫遙ニ見付テ彼者僧近ク寄、有リト可云フ事ノタマフ(中略)汝勿恐事イミシク為物哉ト、見レハ我身本非神、哀ミノ余垂タリ跡ヲ、信ヲ発サセン為メナレハ忌物事又仮ノ方便也(中略)、僧ノ心斜ナランヤ、哀レニ忝ナク覚ヘテ流涙ツツ出ニケリ云々(大日本仏教全書本)。

此の記事なども、平田翁流に解釈すれば、仏徒が仏法弘通の方便として言い触らしたものであって、所謂古川柳の『神道のヒサシをかりて大伽藍』の一例となるのであるが、斯うして神から仏へ歩み寄った信仰は、此の時代の特徴として数えることが出来るのである。僧無住の書いた「沙石集」巻一に載せてある十項の記事は、殆ど此の神と仏との歩み寄りを伝えたものであって、畏くも皇大神宮を始めとして、大和の三輪明神、尾州の熱田神宮、奈良の春日明神、安芸の厳島明神などが、その対象の重なるものとして挙げられている。而してその方法は、概して巫女が仲介者となっているのであるが、左にその一例を示すとする。同書巻一「神明慈悲貴給事」に大和三輪の常観坊というが、吉野へ詣でる途中不幸なる女子の死骸を葬り、身に不浄を負いたれば、金峯神社へも参詣せず、

さて恐もあれば、御殿よりはるかなる木の下にて、念誦し法施たてまつるに、折節巫神カンナギつきて舞をどりけるが走出て、「あの御房はいかに」とて来りけり。「あら浅猿、これまでも参まじかりけるに、御とがめにや」と、胸うち騒ぎて恐思ひける程に、近づきよりて「何に御房此ほど待入たれば遅くはおはするぞ、我は物をば忌まぬぞ、慈悲こそたうとけれ」とて、袖をひきて拝殿へ具しておはしける(中略)。そのかみ慧心僧都の参詣せられたりけるにも、御託宣有て、法門なんど仰せられければ、目出たくありがたく覚えて、天台の法門不審申されけるに、明かに答へ給ふ(中略)。此巫柱にたちそひて、足をよりてほけほけと物思すがたにて、「あまりに和光同塵が久しく成て忘れたるぞ」と仰せられけるこそ中々哀に覚し云々(国文学名著集本)。

斯うした思想は「日本霊異記」以来の伝統的のものであって、それを集成したものが「今昔物語」であるが、その詮索は姑らく措くとするも、兎に角に神々の浄化が仏法によって行われ、然もその仲介者が常に巫女であったことは注意すべき点だと考えている。

〔註一〕 
「出定笑語」や「俗神道大意」などに、平田一流の説が載せてある。
〔註二〕 
巫女の任務に就いては、その作法が秘密とされていただけに、文献にも現われず、伝説にも残らぬ多くのものが在ったようである。併し、此の事は今からでは、既に知ることの出来ぬものとなってしまった。