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月と不死
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==月と不死(若水の研究の試み)== ずっと以前のこと、かのシベリアの大鉄道を旅行して、私が丁度バイカルを過ぎたのは、麗しい六月のことであった。天地に迫る涼味、寧ろ寒気が感ぜられる程で、威大な夜の光は、隈なく湖と程近く聳える山々を輝し、水面には己が姿を映していた。 私は汽車のプラットホームに出て見た時、其処には一人の日本人が佇んで、蠱惑的なシーンに見とれていた。暫しの間息もつかず、沈黙が僅かに規則的車輌の響に妨げられて続いてゆく。やがて彼の方から振り向いて来た。 「この様な月を眺めていると」と語り初めた。「夥しく湧き出て来る感情で、たましいは独り、満たされるものです。貴方も感ぜないわけにはゆきますまい。私達日本人は非常に月を愛します。今日の様な景色に接すると、詩が自然に口に浮びます。こうして、此処に私は既に半時間程佇んでいますが、どうしても離れて行くことが出来ないのです。こうしている間に、二三の詩を作りました。お聞かせ申しましょうか。」と云って二三の日本の短歌を続けて吟じ、露語に表わそうと努めて不充分の所、辛うじてほのめかし得た所を説明したのであった。 私がまだ学生の頃、支那や日本の韻文を知り得た時、露西亜の韻文の特徴の一つである所の、生を讃美し、太陽を歌えるモチーフがほとんど完全に欠けていることに驚いた。物侘びしげなところ、憂鬱な感傷的なところを具えている月のモチーフは日本及び支那にあっては、極めて普通のものとなっている。 生の力の神、冷い物寂しい自然の受胎者、甦生者の神、ヤールを崇拝するスラヴ思想にとっては、輝ける温い光を与え、冷い単調な自然に包まれて、唯一の喜び、唯一の慰藉を齎らす太陽は、懐かしくも心近きものであるが、哀れを加える冷き月の光、さらぬだに哀れを感ぜしめる月には、何の縁もなかった。 支那及び日本、殊に日本は大自然に恵まれ、夏期過度の太陽の熱に苦しめられる者は、周囲を囲む凡ての丘陵森神社仏閣、さては山寺の夕の鐘の響にぴったりと調子を一つにする純潔な白い姿の月に心を向ける。 静かな、青ざめた月の光は、これらの地方の住民を、安逸と自足とを告げる昼の太陽から遠ざけて、花やかな現実より、遠く離れたるものを思わしめ、終には世の中の歓楽喜悦は永劫のものでなく、何時か最後が訪れることと信ぜしめる。燃ゆる強い光を有する太陽、生の力――陽の限りなき供給者太陽と打って変って、単調な冷い光に包まれている太陰は、正反対の陰の力――死の力を明白に表しているものとして眺められている。 一般に、本能的死の恐怖、疑もなく、久しき以前に、海浜地方の住民によって注視されていた満干潮に対する月の影響、婦人の月経と月、夢遊病者に対する月の神秘的関係、及び時の計算の基礎となった規則正しき月の盈虧――こうしたことどもは、夜の自然と一つに溶け合う月の美と共に、神秘的な神となって了った。或る民族は世界及び人類の創造者とさえ考えている。 日本に於て、この月の擬人神は「ツクヨミノミコト」「ツクユミノミコト」という名を持っている。尚、この *tukujumi は「時を算える者」を意味することは、疑の無い処である。(古代の *tu は一方 tsw に転じ、他方 to に変じている。万葉集では、アカツキはアカトキと読んでいる。琉球語の akatuɳk´i/akatunći)。古代日本神話はこれを日の女神、天照大神の弟と我々に語っているが、一般に影が薄いのは、古代記録作成者に特別の理由があったのであろう。それで日本人と勿論起原を共にして、日本本国にあって既に消滅し、又はほとんど消滅した幾多の古代信仰式典を保っている住民を有する沖縄列島に於て、主に宮古群島に於て、私が蒐集した月に関する二三の伝説を次に持って来ることにする。 宮古群島では、この二つの大きな世界的発光体、太陽と太陰は、古代日本神話の様に姉弟とは考えずに、夫婦となっている。それで夫婦が同衾して夫が愛に包まれて片足を妻――月の体に投げた時、月の光は曇って月蝕が起り、妻が同じ様に夫に媚びた時に、日蝕が現われるものと、平良町では謂っている。因に、北米インディアン、トリンギト族も、同様に日蝕は妻の月が夫の太陽を訪ねたものと説いている。(The Mythology of all Races. Vol. X, North American, by Hartley Burr Alexander; p.277. Boston, 1916) 然しながら、日月蝕の解釈を言語に表したものとしては、宮古島民は「太陽を(ぞ)鬼が呑む、お月様を(ぞ)鬼が呑む」(tido; du unnu num; cïkśśːdu unnu num)という説明文句を有している。これは前記のものと合わせて、日月蝕を或る怪物の嚥下した結果と説明する他の神話の存在したことを示しているので、この現象はアイヌ族及び馬来族の間にも見受けられる(金田一京助氏著「アイヌ聖典」、東京、一九二三、「<ruby><rb>大伝</rb><rp>(</rp><rt>ポロオイナ</rt><rp>)</rp></ruby>」九九‐一五〇頁)、(Skeat, Malay-Magic. p.11. London, 1900)。後者にあっては、この怪物は或は竜 rahu 或は犬 anjing と呼ばれ、日月を呑む竜の如き形を意味する rahu の考えは言葉と共に恐らく、馬来族がヒンズース族より伝え受けたものであろう(Skeat, loc. cit. 下段の註二、三)。 宮古群島の多良間島に伝わる伝説によれば、太古、妻――月の光は、夫――日の光よりはるかに強く明るいものであった。処が夫が羨望の余り、夜歩む者には、この様な目を眩す光は不必要だという口実で、少し光を自分に譲る様、屡月に願ってみた。然し妻は夫の願を聞き入れなかった。そこで夫は妻が外出する機会を攫んで、急に後から忍び寄り、地上に突き落とした。月は盛装を凝らしていたが、丁度、泥濘の中に落ちたので、前身汚れて了った。この時、水の入った二つの桶を天秤棒につけて、一人の農夫が通りかかった。泥の中でしきりに踠いている月の姿を見て、農夫は早速手を貸して泥から出してやり、桶の水で綺麗に洗った。それから、月は再び蒼穹へ上って、世界を照らそうとしたが、この時から、明るい輝ける月の光を失って了った。月は謝礼として農夫を招き、この招かれた農夫は今尚留まっていて、満月の夜、この農夫が二つの桶を天秤棒につけて運ぶ姿がはっきり見受けられる(多良間生れの徳山清定氏の談話による)。 満月の夜、流れ入る憂鬱な考えに閉ざされて、人類永久の悲劇である死を思い、明るい月の光、姿にこの解釈を求めようと努める。毎月、月が大空から姿を消して、三日経て再び現れて来る現象は、死者がこの間に復活する思想を、基督に結び付ける基督教の思想を生ぜしめた。種々の民族は、月の斑点も同じく、不死の思想と何らかの関係を有するものと考えた。 現在、日本に於ては、月に餅や不死の薬の様なものを臼の中で搗いている兎の姿を眺めている。然し、月の斑点のこの説明は、純日本のものとは考えられないので、これは、漢籍と共に支那から伝来したものである(支那はこの説明を恐らく印度より受容れたものであろう)。然し又、これ以前に既に存在していた考えと、或る程度まで一致したので、此処に織込まれたものであろう。 前記多良間の例の様に、多くの民族はこの斑点の中に、人の姿を認めている。そして、この説明に於て屡々この人が多少とも、水と関係のあるのは興味深い。 例えば、アイヌ族は、これは水を汲みに行くのが煩しい、非常な怠惰な忰で、終には神様達のお怒にふれ、人々の戒めとして人の世界から離して、月へ連れて来られたものと語っている(Batchelor, The Ainu and their Folk-lore. pp.67‐68.)。これに相当する原文がバチェラー博士著辞書三版にある文法の部に載せられてある(一二〇‐一二一頁)。 ランタム(Rantum)の住民は、これは地上に水を注いで満干潮の原因を作る一巨人であるとしているので、満潮時には、身を曲げて水を汲み、干潮時には、全く仕事を休んでいると物語る(S. Baringgould, Curious Myths of the Middle Ages. p.194. London, 1914)。 現在、瑞典の農夫の語るのによれば、月の斑点は、棒にて水桶を運ぶ少年少女を表している。この見方は水を運べる少年少女が月に奪われて天上に送られ、地上からも其の姿が見受けられるというスカンジナビアの古代神話にも存在している。 前記多良間の例の如く、月の斑点は、天秤棒に水の入った二つの桶を運ぶ人の姿を表しているという見方は、沖縄本島でも国頭郡<ruby><rb>久志</rb><rp>(</rp><rt>くし</rt><rp>)</rp></ruby>地方の村落には、伝っている。 首里及び那覇に於ては、冴えた月夜に「アカナー」即ち赤い顔と髪とを有する童子の様な生物が、月に見えるといわれている。 或る人達の説明によれば、「アカナー」は赤い顔と髪を有する童子然とした怪物で、山間に棲息する非常な酒豪である。この形容では、日本の猩々とほとんど完全な類似を見ることが出来る。然しこの見方は、私の意見では、根本の性質を失える二次的のもので、他より持来れる日本の猩々の譚に単に結び付けたもので、恐らくアカナーの(アカ)を(赤)と解したが故に、右の譚と混同されるに到ったのであろう。 首里の児童が赤い顔と髪を有する「アカナー」を月の弟であろうとすることは、次の童謡からでも窺わられる。 <table><tr> <td>akanaː joː akanaː</td><td>もし、もし、アカナー、アカナー</td> </tr><tr> <td>maːkai ićuga akanaː</td><td>何処へ行くのか、アカナー</td> </tr><tr> <td>niśinu nmikai</td><td>北の海へ</td> </tr><tr> <td>gani tujiga</td><td>蟹取りに</td> </tr><tr> <td>waɳja ićuɳ</td><td>私が行くのよ</td> </tr><tr> <td>gani tuti nuːsu ga akanaː</td><td>蟹取ってどうするか、アカナー</td> </tr><tr> <td>waːwunajaːni k´wijaɳ</td><td>私の姉様に呉れるのよ</td> </tr><tr> <td>?jaːwunajaːja taːjaga</td><td>お前の姉様は誰だい</td> </tr><tr> <td>źuːguja uciću</td><td>十五夜のお月様だ</td> </tr></table> 「アカナー」は、時々、月から地上に下りて、海浜で魚類(と蟹と前の唄の様に)を取り、眼を食べてあとはそのまま人に残して置くそうである。 日琉方言に於て、不断のrとnの交代及び元の<ruby><rb>口蓋化</rb><rp>(</rp><rt>パラタリゼーション</rt><rp>)</rp></ruby>の喪失に留意すれば、「アカナー」という言葉は「アカリヤ」(akaráː)(輝ける者)とならねばならぬ。この名で月の人が宮古島民に知られている。然し、通常その者を「アカリヤーザガマ」(Akará-zzagama)と呼び、言葉の後半は日本の「オトッツァン」に相当して、士族階級の者が一般庶民の老人に対して用いている(尚、「ザガマ」という言葉で物貰いを施しを乞う家の主人が呼んでいる)。 [[Category:ニコライ・ネフスキー]]
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