「
トーク:日本巫女史/第二篇/第一章/第一節
」を編集中
2009年8月31日 (月) 09:18時点における
浦木裕
(
トーク
|
投稿記録
)
による版
(
差分
)
← 古い版
|
最新版
(
差分
) |
新しい版 →
(
差分
)
ナビゲーションに移動
検索に移動
警告: このページの古い版を編集しています。
公開すると、この版以降になされた変更がすべて失われます。
警告:
ログインしていません。編集を行うと、あなたの IP アドレスが公開されます。
ログイン
または
アカウントを作成
すれば、あなたの編集はその利用者名とともに表示されるほか、その他の利点もあります。
スパム攻撃防止用のチェックです。 けっして、ここには、値の入力は
しない
でください!
==修正箇所== * 底本 p.384 ** 底本には「五行'''纖'''緯の説」とあるが「五行'''讖'''緯の説」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) * 底本 p.385 ** 底本には「瀰'''蔓'''」とあるが「瀰'''漫'''」に改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月25日 (火) 17:31 (JST) * 底本 p.386 ** 底本には「後一條帝」とあるが「後朱雀帝」の誤植なので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月25日 (火) 17:31 (JST) * 底本 p.388 ** 「賊盗律」引用部分の組版が、底本では若干乱れているので、適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) ** 「賊盗律」脚註の「剋」の字は、底本では{克篇刂}となっている。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) ** 底本「帰附彦人皇子水派宮」を「帰附彦人皇子於水派宮」に修正した。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月26日 (水) 02:36 (JST) * 底本 p.389 ** 「祈りて竹柏を折る」直後の読点を句点に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) * 底本 p.391 ** 「橘千陰」を「橘千蔭」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) ** 「安部佐由美」を「安都佐由美」に改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月27日 (木) 02:14 (JST) * 底本 p.392 ** 「習俗があったので〔一六〕」直後の句点を読点に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) * 底本 p.398 ** 「皆一と見ゆ」直後の読点を句点に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) * 底本 p.399 ** 「弓立でと同じ」を「弓立てと同じ」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) * 底本 p.400 ** 多田南嶺の引用部 *** 組版が底本では若干乱れているので適宜修正した。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) ***「蒼朮の事也(中略)」直後に句点を補った。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) *** 「合湯を用ゆ」直後の読点を句点に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) * 底本 p.405 ** 註一八「琴の始めだなと云う説は」を「琴の始めだなどと云う説は」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) ==未修正箇所== * 底本 p.386 ** 「葬送令」は「喪葬令」ではないのか。 *** 『養老令』喪葬令第二 服錫紵條:凡天皇,為本服二等以上親喪,服錫紵。為三等以下及諸臣之喪,除帛衣外,通用雜色。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月25日 (火) 17:38 (JST) * 底本 p.389 ** 「過房」は「過防」ではないのか。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月26日 (水) 02:36 (JST) * 底本 p.392 ** 「書いて造る習俗」は「書いて送る習俗」ではないのか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) ==メモ== * 底本 p.391 ** 「梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨」([http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?02/0098 万葉集 2-98]) ** 「梓弓 末者師不知 雖然 真坂者<君>尓 縁西物乎」([http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?12/2985 万葉集 12-2985]) ** 「梓弓 引見<緩>見 思見而 既心齒 因尓思物乎」([http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?12/2986 万葉集 12-2986]) ** 「安豆左由美 欲良能夜麻邊能 之牙可久尓 伊毛呂乎多弖天 左祢度波良布母」([http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?14/3489 万葉集 14-3489]) ** 「安都左由美 須恵波余里祢牟 麻左可許曽 比等目乎於保美 奈乎波思尓於家礼」([http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?14/3490 万葉集 14-3490]) * 底本 p.397 ** 「人の魂神鳥に化する信仰、印度外にもあり」: 「山海経」北山経にも見え、『有鳥焉、其狀如烏、文首、白喙、赤足、名曰精衛、其鳴自詨。是炎帝之少女名曰女娃、女娃游于東海、溺而不返、故為精衛、常銜西山之木石、以堙于東海。』とある。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月8日 (月) 05:39 (JST) *** [[日本巫女史/第一篇/第四章/第四節|第一篇第四章第四節]]の「三 鵜」にも「人は死ぬと鳥の形となって天に昇る」信仰への言及あり。 * 底本 p.401 ** 「寛文頃の記録〜我国の原始神道には、湯を用いて身体を浄める思想は無く、従って道教の輸入以前には湯立というが如き神事は存しなかった」: 寛文年間は西暦1661〜1673年、即ち応仁の乱の200年後であり、この時代の宮中における女官のしきたりが原始神道のそれを直接反映しているとは言い切れないのでは。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) * 底本 p.403 ** 註四「郊祀霊畤の用語」:『神武紀』に「詔曰:『我皇祖之靈也,自天降鑑,光助朕躬。今諸虜已平,海內無事。可以<b>郊祀</b>天神,用申大孝者也。』乃立<b>靈畤</b>於鳥見山中。」がある。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月31日 (月) 18:18 (JST) ** 註十一に「梓弓を折つて橋の代りとした。」は出所不明と書いたが、『倭姬命世記』による『伊勢國風土記逸文』の引用である。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年8月31日 (月) 18:18 (JST)
編集内容の要約:
Docsへの投稿はすべて、他の投稿者によって編集、変更、除去される場合があります。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。
また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください(詳細は
Docs:著作権
を参照)。
著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください!
このページを編集するには、下記の確認用の質問に回答してください (
詳細
):
いちたすには?
キャンセル
編集の仕方
(新しいウィンドウで開きます)
案内メニュー
個人用ツール
ログインしていません
トーク
投稿記録
アカウント作成
ログイン
名前空間
ページ
議論
日本語
表示
閲覧
編集
話題追加
履歴表示
その他
検索
案内
メインページ
談話室
ページ一覧
最近の更新
ヘルプ
ツール
リンク元
関連ページの更新状況
特別ページ
ページ情報