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月と不死
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==月と不死(二)== 大正十五年8月17日、私が漲水湾より那覇に向う汽船に乗り込んだ時、この「アカリヤザガマ」に関する興味深い伝説を、平良町出身の慶世村恒任氏より聞き書き留めておいた。慶世村氏は祖母より聞いたものである。 原文は次回に譲りこれを本邦語に訳してみる。 <u>月のアカリヤザガマの話</u> 是は昔々大昔この大宮古、美しい宮古に始めて人間が住む様になった時の事だそうです。 お月様お天道様(Cïkˢï̥ganasï-Tiɳganasï̥)が真上に輝いていて、美しい心の持主であったから、幾世変らじ人間の生れつきの美しさを守り、長命(Cïgᶻinnucï)(継命)の薬を与えようとお思いになって節祭(s̀ïcï)の新夜(arajuː)に、この<ruby><rb>大地</rb><rp>(</rp><rt>おおじ</rt><rp>)</rp></ruby>へ、下の島へアカリヤザガマを御使としてお遣しになったそうです。アカリヤザガマが何を持って降りて来たかというと、二つの桶を重そうに担いで来たそうです。 そして、その一つには変若水(sïlimizï)、今一つの方には<ruby><rb>死水</rb><rp>(</rp><rt>しにみず</rt><rp>)</rp></ruby>(sïnimizï)を入れて来ました。お月様お天道様のお言附けには「人間に変若水を浴せて世が幾度変ってもいつも、生き替る事と長命をもたせよ。蛇には——<ruby><rb>肝心</rb><rp>(</rp><rt>きもごころ</rt><rp>)</rp></ruby>をもっているものじゃないから——死水を浴せよ」という事であったそうです。けれども天から長い旅をして降りて来たアカリヤザガマが非常に疲れ、草臥れて脚脛を休ませようと思って担いで来たその桶を、道に下ろし路端で小便をしていた処、その隙に何処からともなく一匹の大蛇が現われて来て、まあなんという事でしょう、見れば人間に浴びせる変若水をジャブジャブ浴びてしまっていたのであります。アカリヤザガマの驚きは譬え様もありませんでした。 「おやおやこれはまあ、どうしよう、まさか蛇の浴び残りの水を人間に浴せるというわけには行かないし、どうしたらいいんだろう、斯うなったら仕方がないから、死水でも人間に浴せる事にしようか」と思って泣き泣き死水を人間にあびせたそうです。 アカリヤザガマが非常に心配しながら、天へのぼり、上へのぼって入って委細の事を申上げると、お天道様は大変お怒りになって「長命や生れ替の美しさを守ろうと思っていたが、お前のために破られ、みんな私の心尽しが無駄になってしまった。お前の人間に対する罪は幾等払っても払い切れない程のものであるから、人間のある限り、宮古の青々としている限り、その桶を担いで永久に(m´aːkutunagi)立っておれ」といって体刑をお加えになりました。それがためアカリヤザガマが今もなおお月様の中にいて桶を担いで立ちはだかって罰せられているとさ。 人間はなんという馬鹿者だろう! 若し蛇の様に気早いものであったなら、変若水を浴びて生れ替えて、いつもいつも長命でいられた筈なのに、死水を浴びてしまったから死んでゆかねばならぬ様になりました。それに引返えて蛇はその時から今まで終始脱皮し、生れ替えて長生しているのだとさ。 慶世村氏は話を了えて次の様に日本語で補足した。人間は不死を恵む月の慈悲も、人の悲劇となったが、それにも拘わらず、神(toːtu-ganasï̥)は人を憐み永久の生命でなくとも、多少若返り位はさせて幾分でも粧飾せんとした。その時から毎年「s̀icïnu arajuː」と呼ぶ、<ruby><rb>節祭</rb><rp>(</rp><rt>しつ</rt><rp>)</rp></ruby>の祭日に向う夜、大空から若水(bakamizï)を送ることとなった。これより今日に至るまで第一日の祭日の黎明に、井戸より水を汲み、若水と呼び全家族が水浴する習慣が存している。 月に就て云々していないが、前記のものに類似した伝説を大正十一年夏、故富盛寛卓氏より聞いたことがある。即ち :: s̀icïnu juːnna pstunudu pavv<u>iu</u>zsa sakˢiɳ bakamidzu am<u>iu</u>taribadu/pstoːbakagaiz/pavva bakagairadana ntazsuga/aru tusï pavn makiːbakamidzuamiutiː/pavva bakagaiz/pstoːbakagairan´n´oːɳ naztaz ca. :: 「<ruby><rb>節祭</rb><rp>(</rp><rt>しつ</rt><rp>)</rp></ruby>の夕には蛇より先に人が若水を浴びて居ったから、人が若返り、蛇は若返らずに居った。処がある年、蛇にまけて人が後で若水を浴びたから、蛇が若返り人は若返らぬ様になったという。」 どういう様子で当時若返ったものかという私の問に、富盛氏は蛇の様に皮を脱いだものだと答えた。 同年、私が多良間に滞在していた時、垣花春綱という青年から、同じ様な物語を聞いた。即ち :: ɳk´eːndu s´icïnu juːnu mizïu tiɳkara urus´ivaːlbadu/niɳgiɳjukara amiru tiːsï̥badu/niɳgiɳja makiːpau̯nu sakˢï nari amital tiːaz´z´ibadu/niɳgiɳja s´ikatain<u>ai</u>tiːtïːtu pagᶻitu aruːtaltiː/as´ibadu/cïmeːɳgᶻïbaɳ-ɳgᶻïbaɳ tada m´eːja ksïːksï s´ïːbul tiː/pau̯ia sïnirubamai sïdiːja ikˢïikˢï-stiː ::「むかしむかし<ruby><rb>節祭</rb><rp>(</rp><rt>しつ</rt><rp>)</rp></ruby>の夕に天から水を下ろして下されたら「人から先に浴びろ」との事でしたが、人間がまけて蛇が先になって浴びたので、人間は仕方なしに手と足とを洗った。だから爪だけがいくらぬいても、つぎからつぎへと生えて来るのである。蛇は死んでもどんどん蘇生してゆけるのである」と。 慶世村氏の前記物語を分解して次の如き根本の要素に分つことが出来る。 :: 一、月又は天帝が永久の世命を布告する者として使者を人間に遣したこと。 :: 二、使者の怠慢が神の慈悲を無にしたこと。 :: 三、使者の処罰 :: 四、永久にわたる確証として月の表面に斑点を有すること。 この外、尚次の如き付随的要素がある。 :: 一、蛇が人より不死の秘密を横取りしたこと。 :: 二、或る種の動物、ここにては蛇が脱皮するのは、甦生と不死の徴候として考えられること。 :: 三、不死と死の象徴にして、月に変若水、死水があること。 その根本の要素に於て、地上人類の死の根源を語る伝説は地球の各方面に散見される。例えばホッテントット族の伝えるところによれば、月は嘗て世界に兎を遣して人間に、死滅するも暫しにして、月の様に復活することを告げさせんとした。処が忘却して兎は人は死し月の如く甦生しないものと告げたので、其の時から人は死ぬ様になった。兎は帰った上、左様述べたので月は憤怒の余り棒を投げて兎の唇を裂いた。それで兎は逃げ出し、今日に至るも走っていると。兎が逃げる前に、月の顔を爪で傷け、その痕跡は、今でも見えると或る者は語っている(J.G. Frazer. The Belief in Immortality and the Worship of the Dead. Vol. I. p.65. London, 1913)。 これに類似した伝説をこれ以上挙げるのを差し控え、唯今引用したフレザ教授の著書を一般興味を感ずる方々に推薦したい。右の著書はこの問題に関する各種民族の民譚が夥多に集められている。 前記ホッテントットの民譚は、兎が月に移ったことを物語っていないが、月の斑点が兎の傷つけたものであるということは、根本の話が後に至って変化したものと見做される。即ち、月又は天帝が使者として、派遣した動物及びフレザ教授の著書に記載されている動物の凡てに至っては、民族の民譚により月に棲息しているものと思われる。例えば、印度、支那に於ける兎、支那の<ruby><rb>蟾蜍</rb><rp>(</rp><rt>ひきがえる</rt><rp>)</rp></ruby>、馬来半島の鼠、英国の犬等である。 フレザの蒐集した民譚によれば、蛇、蟹其他の動物に見受けられるところの、脱皮による不死の秘法を説明したものは、主として太平洋民族の間に見出される。解説としてニュブリテンのメラネシア人の民譚より一例を持って来る。それによれば「ト・カンビナナ」神は人間を愛し、不死を恵み、蛇を憎み、駆除せんとして、弟ト・コルブブを呼ぶ。「人間の世界に下り不死の秘法を伝えよ、毎年脱皮することを命ぜよ、斯くして人の生命は不断に甦生され、死より免れるであろう、然し蛇には死を伝えよ」といった。然るにト・コルブブは人に死を命じ蛇に不死の秘法を授けたので、その時より人は死し蛇は毎年脱皮して不死となった。(フレザ書、六十九頁)。 蛇、蜥蜴、蟹の脱皮が永遠に生長らえる方法と考えられたことは、この動物を長寿の象徴として、多くの民族の民譚に入り、出生又は祝賀の節、幸運を祈るものとして用いられる様になった。 日本の伝説に、持守連が彦瀲尊の誕生の日、箒を作り、海浜に出て蟹を掃いたという話は琉球の習慣によって確証されている。即ち生れ落ちた幼児に蟹を這わしたり、又は宮古島では、満潮の海水で湿っている砂地に散在している穴より、「P´azma/P´alma」及び「çaima」と呼ばれている、二疋の白色の美しい蟹を持来り、中一疋は生れた家の縁の下に入れ、残りの一疋で産婦と幼児のお汁がこしらえられる。 新年に日本人が種々縁起を祝うものと共に家を飾る伊勢海老のことも、明かに甦生と長寿のこの考えに属している。 伊良部島の佐良浜村では粟の播種の時、豊作の神栄世之迦那志(haiju´nukanasï)に対して歌を歌う。この歌は播種より収穫及び新造酒による酒宴に至る農事の全期を現したもので、即ち実現をはかる神に対する呪として、「祈年祭の祝詞」と同様に見られるべきものである。 この歌の主要な個所は宮古全体に共通しているが、最初の歌詞がその村特有のものでこれに相当するには、他の村では見当たらなかった。即ち :: 栄世之迦那志! :: 佐良浜のヒヤイマは :: 下の家と上の家とを持っていて :: 栄世之迦那志よ、 :: 通家を持っていて :: 潮の干る時は下の家に下りていて :: 潮の満つ時は上の家に上っていて :: 栄世之迦那志よ :: (そして次の)話を始めるのである。 :: <ruby><rb>蝦蟹</rb><rp>(</rp><rt>えびがに</rt><rp>)</rp></ruby>は(殻を脱けて)若返るのだ :: <u>イサウ</u>蟹も若返るのだ :: 栄世之迦那志よ :: 我等が若返らぬという事はない :: 兄弟が(皆)若返らぬという事はない :: 栄世之迦那志よ :: (そういう)話が出るのである。 この歌章は後に続くと少しも共通点が無いが、一種の呪の文句と見る事が出来る。 即ち、蟹が永久に甦生する様に、其の年蒔いた粟も必ず枯れずに例年の通り芽生える事を祈ったのである。(未完) [[Category:ニコライ・ネフスキー]]
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