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トーク:日本巫女史/第一篇/第四章/第四節
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==メモ== * 底本 p.180 ** 湯立をおこなう巫女のことを、伊智(イチ)という。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST) * 底本 p.181, 201 ** 「尸坐(よりまし)」と「戸座(へざ)」には何か関聯あり?--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST) * 底本 p.182 ** 「物部守屋が'''衣摺の榎'''を利用して、聖徳太子の軍兵を三度迄撃退したのを始めとして」について、原文では「於是、大連昇'''衣揩朴'''枝間、臨射如雨。其軍強盛、填家溢野。皇子等軍與群臣衆、怯弱恐怖、三廻却還。」であって、その榎は朴とも書く、大辞林によれば「えのき [0]【▼ 榎・▽ 朴】 ニレ科の落葉高木。」となります。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月15日 (月) 03:30 (JST) * 底本 p.183 ** 「櫻皮纒 作流舟」([http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?06/0942 万葉集 6-942])--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST) * 底本 p.187 ** 「<宍>串呂 黄泉尓将待跡 隠沼乃 下延置而 打歎 妹之去者」([http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?09/1809 万葉集 9-1809])--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST) * 底本 p.191 ** 天稚日子の葬儀: マザーグースの "Who killed Cock Robin?" が連想される。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST) ** 「人の魂神鳥に化する信仰」への言及は、[[日本巫女史/第二篇/第一章/第一節|第二篇第一章第一節]]の「C、複雑せる識神の正体」にもあり。 * 底本 p.198 ** 「夕衢占問 石卜以而」([http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?03/0420 万葉集 3-420]) ** 「神功紀」の引用箇所は、[[日本巫女史/第一篇/第三章/第二節|第一篇第三章第二節]]の「ウケヒ」にも現れる。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST) * 底本 p.199 ** 「崇神紀」十年秋九月の條の引用箇所は、[[日本巫女史/第一篇/第三章/第二節|第一篇第三章第二節]]の「ウケヒ」にも現れる。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST) * 底本 p.199-200 ** 「古事記」神代巻の引用箇所は、[[日本巫女史/第一篇/第三章/第二節|第一篇第三章第二節]]の「一 祝言から祝詞へ」にも現れる。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST) * 美作国久米郡久米村大字久米川南の蟹八幡 ** 佐藤芳範氏によると、久米町史下巻に「仮八幡」からの転訛説が記載されているらしい。 *** <cite>さて蟹八幡であるが、自分の家で語り伝えられているところによると時代はわからないが自分の祖先は(古くは貞広と言っていた)は宇佐八幡宮の分霊をいただいて久米上村の自宅に帰りついた。宅には庭に現在もある「鈴の御前」と称する祖霊社があってこのお社に二,三日の御休憩を願ったものである。しかし、自家の祖霊社にそう長くお留り願う事は恐れ多いことなので、幸い自宅の近くの谷尻(たんじり 地名)にお森様と称する荒神様の小祠があった。このお宮は後のことであるが大正7年ごろには一間四方の拝殿もあり,神輿庫もあり、太鼓もある程度のお宮であるが、当時は規模も小さかったろうが、此の「お森様」に御神体を移し奉って、宮尾村の地に新しく八幡神社の社殿が出来上がるまで仮に「お森様」に鎮座ましましたのである。「お森様」のましますところの地名が「谷尻」と言われるように谷の端にあたり、小さな溝川も流れているので付近に蟹もいる事は居たにはちがいないが、八幡様とは何の関係もなく、「仮八幡」と称したもので、これが転化して「蟹八幡」となり、なにか蟹に関する縁起でもありそうなことになったものであろう。とのことであった。</cite> *** http://townweb.e-okayamacity.jp/minan-r/spot/kanihachiman.htm
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