「トーク:日本巫女史/第二篇/第五章/第三節」の版間の差分
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** 「甚た寄なり」→「甚だ寄なり」 | ** 「甚た寄なり」→「甚だ寄なり」 | ||
*「扶桑略記」巻二十八が初見のようである。即ち治安三年<b>七月十七日</b> | *「扶桑略記」巻二十八が初見のようである。即ち治安三年<b>七月十七日</b>(<b>此月</b>十三日に万寿と改元) | ||
** [[:ファイル:扶桑略記 第二十八 後一条天皇 治安.jpg|本当]]は十月十九日。--浦木裕 2010年12月16日 (木) 20:49 (JST) | ** [[:ファイル:扶桑略記 第二十八 後一条天皇 治安.jpg|本当]]は十月十九日。--浦木裕 2010年12月16日 (木) 20:49 (JST) | ||
2010年12月16日 (木) 11:53時点における最新版
修正箇所[編集]
- 底本 p.562
- 「生命の指標」に「ライフインデッキス」と振り仮名されているのを「ライフ・インデックス」に改めた。
- 底本 p.569
- 「甚た寄なり」→「甚だ寄なり」
- 「扶桑略記」巻二十八が初見のようである。即ち治安三年七月十七日(此月十三日に万寿と改元)
- 本当は十月十九日。--浦木裕 2010年12月16日 (木) 20:49 (JST)
未修正箇所[編集]
- 底本 p.567
- 「讃岐国大川郡誉水村の水主神社」は、「讃岐国大内郡誉水村の水主神社」ではないか。
メモ[編集]
- むじゅう‐どうぎょう【無住道暁】ムヂユウダウゲウ
- [1226〜1312]鎌倉後期の臨済宗の僧。鎌倉の人。号、一円。天台•真言を学び、円爾(えんに)に師事して臨済禅を修め、のち、尾張に長母寺を開山した。諡号は大円国師。著「沙石集」「雑談(ぞうだん)集」など。(大辞泉)