「トーク:日本巫女史/第一篇/第四章/第四節」の版間の差分
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* [http://homepage1.nifty.com/k-kitagawa/data/shoji01.html 新撰姓氏録]の引用文に「和泉国、葦占臣、大春日'''道'''祖、天足彦国押人命之後也。」は、正しくは「和泉国。葦占臣。大春日同祖。天足彦国押人命之後也。」であるので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月15日 (月) 20:05 (JST) | * [http://homepage1.nifty.com/k-kitagawa/data/shoji01.html 新撰姓氏録]の引用文に「和泉国、葦占臣、大春日'''道'''祖、天足彦国押人命之後也。」は、正しくは「和泉国。葦占臣。大春日同祖。天足彦国押人命之後也。」であるので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月15日 (月) 20:05 (JST) | ||
* 伊須気余理媛の歌について、出典の「神武紀」は正しく「神武記」であるので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月16日 (火) 23:35 (JST) | * 伊須気余理媛の歌について、出典の「神武紀」は正しく「神武記」であるので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月16日 (火) 23:35 (JST) | ||
* 「古語拾遺」の引用に、「今俗謂之'''掃'''守者彼詞之転也。」とあるが、正は「今俗謂之'''借'''守者彼詞之転也。」であるので改めた。従って、「蟹守(カニモリ)」から「借守(カリモリ)」へ、「借守(カリモリ)」から「掃守(カモリ)」になったようです。どころで、直ちに「掃蟹」から「蟹守」と言っても構わない気がするけど、やっぱり「蟹」の呪力を強調するのでしょう。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月17日 (水) 16:54 (JST) | |||
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2008年9月17日 (水) 07:54時点における版
修正箇所
- 註七中「狂乱の保名」の直前に句点が欠けていると思われるので補った。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
- 註一二中「これに就いては」の直前に句点が欠けていると思われるので補った。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
- 本文中「あとる如く、神憑りと、」は「とある如く、神憑りと、」の誤植であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
- 底本 p.190 の「青いものは見當らねやうである。」は、正しくは「青いものは見當らぬやうである。」であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
- 本文中「他の治方も承知しているが」直後の句点は、正しくは読点であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
- 本文中「次節鎮魂の條」は、正しくは「次章鎮魂の節」であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
- 底本 p.196 最終行の「考とへたので」は、正しくは「考へたので」であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
- 本文中「悉く省略し〔五〇〕」直後の読点は、正しくは句点であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
- 註六中「火によって壮厳の気を加える」は、正しく「荘厳」であろうと思われるので改めた。--浦木裕 2008年9月10日 (水) 15:26 (JST)
- 新撰姓氏録の引用文に「和泉国、葦占臣、大春日道祖、天足彦国押人命之後也。」は、正しくは「和泉国。葦占臣。大春日同祖。天足彦国押人命之後也。」であるので改めた。--浦木裕 2008年9月15日 (月) 20:05 (JST)
- 伊須気余理媛の歌について、出典の「神武紀」は正しく「神武記」であるので改めた。--浦木裕 2008年9月16日 (火) 23:35 (JST)
- 「古語拾遺」の引用に、「今俗謂之掃守者彼詞之転也。」とあるが、正は「今俗謂之借守者彼詞之転也。」であるので改めた。従って、「蟹守(カニモリ)」から「借守(カリモリ)」へ、「借守(カリモリ)」から「掃守(カモリ)」になったようです。どころで、直ちに「掃蟹」から「蟹守」と言っても構わない気がするけど、やっぱり「蟹」の呪力を強調するのでしょう。--浦木裕 2008年9月17日 (水) 16:54 (JST)
未修正箇所
- 「四 蟹」の條、及び「一 石」の條に「新選姓氏録」とあるのは、正しくは「新撰姓氏録」であろう。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
- 「崇神紀」十年秋九月の條の引用中「褁」の字は、本文中では{果下衣}となっている。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
- 「播磨風土記」引用中「御舟裳」は「御丹裳」ではないのか。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
- 樺の條、「信濃国樺ノ皮四囲、上野国樺ノ皮四囲」とあるが、原文では「信濃國、筆一百管・零羊角六具・木賊二圍・樺皮二圍。上野國、筆一百管・零羊角六具・杏仁三斗・膠十二斤・樺皮四張。」であり。正しくは「信濃国樺ノ皮二囲、上野国樺ノ皮四張」ではないか。
- 橘守部「鐘のひびき」巻一の引用中、「磨(中山曰、守部自身を指す。)」とあるが、「磨」は「麿」の誤植ではないだろうか。--浦木裕 2008年9月16日 (火) 23:35 (JST)
メモ
- 湯立をおこなう巫女のことを、伊智(イチ)という。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
- 「尸坐(よりまし)」と「戸座(へざ)」には何か関聯あり?--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
- 「櫻皮纒 作流舟」(万葉集 6-942)--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
- 「<宍>串呂 黄泉尓将待跡 隠沼乃 下延置而 打歎 妹之去者」(万葉集 9-1809)--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
- 「神功紀」の引用箇所は、第一篇第三章第二節にも現れる。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
- 「崇神紀」十年秋九月の條の引用箇所は、第一篇第三章第二節にも現れる。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
- 「古事記」神代巻の引用箇所は、第一篇第三章第二節にも現れる。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
- 天稚日子の葬儀: マザーグースの "Who killed Cock Robin?" が連想される。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
- 「人の魂神鳥に化する信仰」への言及は、第二篇第一章第一節の「C、複雑せる識神の正体」にもあり。
- 「物部守屋が衣摺の榎を利用して、聖德太子の軍兵を三度迄撃退したのを始めとして」について、原文では「於是、大連昇衣揩朴枝間、臨射如雨。其軍強盛、填家溢野。皇子等軍與群臣衆、怯弱恐怖、三廻却還。」であって、その榎は朴とも書く、大辞林によれば「えのき [0]【▼ 榎・▽ 朴】 ニレ科の落葉高木。」となります。--浦木裕 2008年9月15日 (月) 03:30 (JST)