「トーク:日本巫女史/第一篇/第五章/第三節」の版間の差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
細 (徒然草 第二百十段 を引用。) |
細編集の要約なし |
||
(他の1人の利用者による、間の3版が非表示) | |||
2行目: | 2行目: | ||
* 底本 p.218 | * 底本 p.218 | ||
** 「是れを召すと。」を「是れを召すこと。」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 00:35 (JST) | ** 「是れを召すと。」を「是れを召すこと。」に改めた。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 00:35 (JST) | ||
** 〔註一〕「応神紀」とあるが、本当は「仁徳紀」であるので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年12月8日 (月) 23:25 (JST) | |||
==未修正箇所== | ==未修正箇所== | ||
* 底本 p.216 | * 底本 p.216 | ||
8行目: | 10行目: | ||
;徒然草 第二百十段 : 喚子鳥は春の物なりとばかりいひて、如何なる鳥ともさだかに記せる物なし。ある眞言書の中に、喚子鳥鳴く時、招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。萬葉集の長歌に、「霞立つながき春日の」などつゞけたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまにかよひてきこゆ。 | ;徒然草 第二百十段 : 喚子鳥は春の物なりとばかりいひて、如何なる鳥ともさだかに記せる物なし。ある眞言書の中に、喚子鳥鳴く時、招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。萬葉集の長歌に、「霞立つながき春日の」などつゞけたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまにかよひてきこゆ。 | ||
: http://etext.lib.virginia.edu/japanese/tsure/YosTsur.html | : http://etext.lib.virginia.edu/japanese/tsure/YosTsur.html | ||
中山の引用文中では「真言書の中に<b>呼子鳥の鳴くは</b>招魂の法をば行ふ次第あり。」とされているが、上に掲げた原文は、これとは別の意味に解することも可能 (ambiguous) である。徒然草のテキストは一般に烏丸光広校訂古活字本が用いられるが、中山はこれ以外の版本に拠ったのか? |
2008年12月8日 (月) 14:25時点における最新版
修正箇所[編集]
- 底本 p.218
未修正箇所[編集]
- 底本 p.216
- 「政事略第二十六要」の「政事略」って、「政事要略」の誤写ではないか。--浦木裕 2008年11月23日 (日) 02:10 (JST)
メモ[編集]
- 徒然草 第二百十段
- 喚子鳥は春の物なりとばかりいひて、如何なる鳥ともさだかに記せる物なし。ある眞言書の中に、喚子鳥鳴く時、招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。萬葉集の長歌に、「霞立つながき春日の」などつゞけたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまにかよひてきこゆ。
- http://etext.lib.virginia.edu/japanese/tsure/YosTsur.html
中山の引用文中では「真言書の中に呼子鳥の鳴くは招魂の法をば行ふ次第あり。」とされているが、上に掲げた原文は、これとは別の意味に解することも可能 (ambiguous) である。徒然草のテキストは一般に烏丸光広校訂古活字本が用いられるが、中山はこれ以外の版本に拠ったのか?