「トーク:日本巫女史/第二篇/第一章/第一節」の版間の差分
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* 「寛文頃の記録〜我国の原始神道には、湯を用いて身体を浄める思想は無く、従って道教の輸入以前には湯立というが如き神事は存しなかった」: 寛文年間は西暦1661〜1673年、即ち応仁の乱の200年後であり、この時代の宮中における女官のしきたりが原始神道のそれを直接反映しているとは言い切れないのでは。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) | * 「寛文頃の記録〜我国の原始神道には、湯を用いて身体を浄める思想は無く、従って道教の輸入以前には湯立というが如き神事は存しなかった」: 寛文年間は西暦1661〜1673年、即ち応仁の乱の200年後であり、この時代の宮中における女官のしきたりが原始神道のそれを直接反映しているとは言い切れないのでは。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST) | ||
* 「人の魂神鳥に化する信仰、印度外にもあり」: 「山海経」北山経にも見え、『有鳥焉、其狀如烏、文首、白喙、赤足、名曰精衛、其鳴自詨。是炎帝之少女名曰女娃、女娃游于東海、溺而不返、故為精衛、常銜西山之木石、以堙于東海。』とある。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月8日 (月) 05:39 (JST) | * 「人の魂神鳥に化する信仰、印度外にもあり」: 「山海経」北山経にも見え、『有鳥焉、其狀如烏、文首、白喙、赤足、名曰精衛、其鳴自詨。是炎帝之少女名曰女娃、女娃游于東海、溺而不返、故為精衛、常銜西山之木石、以堙于東海。』とある。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月8日 (月) 05:39 (JST) | ||
* 「人は死ぬと鳥の形となって天に昇る」信仰への言及は、[[日本巫女史/第一篇/第四章/第四節|第一篇第四章第四節]]の「三 鵜」にもあり。 |
2008年9月16日 (火) 15:30時点における版
修正箇所
- 底本には「五行纖緯の説」とあるが「五行讖緯の説」に改めた。--たちゃな 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)
- 「賊盗律」引用部分の組版が、底本では若干乱れているので、適宜修正した。--たちゃな 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)
- 「賊盗律」脚註の「剋」の字は、底本では{克篇刂}となっている。--たちゃな 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)
- 「祈りて竹柏を折る」直後の読点を句点に改めた。--たちゃな 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)
- 「橘千陰」を「橘千蔭」に改めた。--たちゃな 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)
- 「習俗があったので〔一六〕」直後の句点を読点に改めた。--たちゃな 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)
- 「皆一と見ゆ」直後の読点を句点に改めた。--たちゃな 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)
- 「弓立でと同じ」を「弓立てと同じ」に改めた。--たちゃな 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)
- 多田南嶺の引用部
- 註一八「琴の始めだなと云う説は」を「琴の始めだなどと云う説は」に改めた。--たちゃな 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)
未修正箇所
- 「書いて造る習俗」は「書いて送る習俗」ではないのか。--たちゃな 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)
メモ
- 「梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨」(万葉集 2-98)
- 「梓弓 末者師不知 雖然 真坂者<君>尓 縁西物乎」(万葉集 12-2985)
- 「梓弓 引見<緩>見 思見而 既心齒 因尓思物乎」(万葉集 12-2986)
- 「安豆左由美 欲良能夜麻邊能 之牙可久尓 伊毛呂乎多弖天 左祢度波良布母」(万葉集 14-3489)
- 「安都左由美 須恵波余里祢牟 麻左可許曽 比等目乎於保美 奈乎波思尓於家礼」(万葉集 14-3490)
- 「寛文頃の記録〜我国の原始神道には、湯を用いて身体を浄める思想は無く、従って道教の輸入以前には湯立というが如き神事は存しなかった」: 寛文年間は西暦1661〜1673年、即ち応仁の乱の200年後であり、この時代の宮中における女官のしきたりが原始神道のそれを直接反映しているとは言い切れないのでは。--たちゃな 2008年9月6日 (土) 13:18 (JST)
- 「人の魂神鳥に化する信仰、印度外にもあり」: 「山海経」北山経にも見え、『有鳥焉、其狀如烏、文首、白喙、赤足、名曰精衛、其鳴自詨。是炎帝之少女名曰女娃、女娃游于東海、溺而不返、故為精衛、常銜西山之木石、以堙于東海。』とある。--たちゃな 2008年9月8日 (月) 05:39 (JST)
- 「人は死ぬと鳥の形となって天に昇る」信仰への言及は、第一篇第四章第四節の「三 鵜」にもあり。