「トーク:日本巫女史/第一篇/第六章/第一節」の版間の差分
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* 義江明子はその著書『日本古代の祭祀と女性』において、神の寵愛を受けた巫女に月経がなかったとするのは幻想だと論じているが、まったくもってナンセンスである。中山がここに言うように、その真偽を論じてみてもはじまらず、むしろそうした幻想を共有していた共同体の民俗的側面に目を向けなければならない。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 03:16 (JST) | * 義江明子はその著書『日本古代の祭祀と女性』において、神の寵愛を受けた巫女に月経がなかったとするのは幻想だと論じているが、まったくもってナンセンスである。中山がここに言うように、その真偽を論じてみてもはじまらず、むしろそうした幻想を共有していた共同体の民俗的側面に目を向けなければならない。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月4日 (木) 03:16 (JST) | ||
* [http://www.nakamura-u.ac.jp/library/kaibara/archive05/ 中村学園大学 の 貝原益軒アーカイブ] にて PDF されたものが読める。底本は 明治43年刊 益軒全集 巻之四 とのこと。巻16の45ページ目。--たちゃな |
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メモ[編集]
- 義江明子はその著書『日本古代の祭祀と女性』において、神の寵愛を受けた巫女に月経がなかったとするのは幻想だと論じているが、まったくもってナンセンスである。中山がここに言うように、その真偽を論じてみてもはじまらず、むしろそうした幻想を共有していた共同体の民俗的側面に目を向けなければならない。--たちゃな 2008年9月4日 (木) 03:16 (JST)
- 中村学園大学 の 貝原益軒アーカイブ にて PDF されたものが読める。底本は 明治43年刊 益軒全集 巻之四 とのこと。巻16の45ページ目。--たちゃな