「トーク:日本巫女史/第一篇/第四章/第四節」の版間の差分

提供:Docs
ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
11行目: 11行目:
* 註六中「火によって'''壮'''厳の気を加える」は、正しく「荘厳」であろうと思われるので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月10日 (水) 15:26 (JST)
* 註六中「火によって'''壮'''厳の気を加える」は、正しく「荘厳」であろうと思われるので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月10日 (水) 15:26 (JST)
* [http://homepage1.nifty.com/k-kitagawa/data/shoji01.html 新撰姓氏録]の引用文に「和泉国、葦占臣、大春日'''道'''祖、天足彦国押人命之後也。」は、正しくは「和泉国。葦占臣。大春日同祖。天足彦国押人命之後也。」であるので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月15日 (月) 20:05 (JST)
* [http://homepage1.nifty.com/k-kitagawa/data/shoji01.html 新撰姓氏録]の引用文に「和泉国、葦占臣、大春日'''道'''祖、天足彦国押人命之後也。」は、正しくは「和泉国。葦占臣。大春日同祖。天足彦国押人命之後也。」であるので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月15日 (月) 20:05 (JST)
* 伊須気余理媛の歌について、出典の「神武紀」は正しく「神武記」であるので改めた。--[[特別:Contributions/140.121.125.213|140.121.125.213]] 2008年9月16日 (火) 23:33 (JST)
* 伊須気余理媛の歌について、出典の「神武紀」は正しく「神武記」であるので改めた。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月16日 (火) 23:35 (JST)


==未修正箇所==
==未修正箇所==
19行目: 19行目:
* 「播磨風土記」引用中「御舟裳」は「御丹裳」ではないのか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
* 「播磨風土記」引用中「御舟裳」は「御丹裳」ではないのか。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
*  樺の條、「信濃国樺ノ皮四囲、上野国樺ノ皮四囲」とあるが、原文では「信濃國、筆一百管・零羊角六具・木賊二圍・樺皮二圍。上野國、筆一百管・零羊角六具・杏仁三斗・膠十二斤・樺皮四張。」であり。正しくは「信濃国樺ノ皮二囲、上野国樺ノ皮四張」ではないか。
*  樺の條、「信濃国樺ノ皮四囲、上野国樺ノ皮四囲」とあるが、原文では「信濃國、筆一百管・零羊角六具・木賊二圍・樺皮二圍。上野國、筆一百管・零羊角六具・杏仁三斗・膠十二斤・樺皮四張。」であり。正しくは「信濃国樺ノ皮二囲、上野国樺ノ皮四張」ではないか。
* 橘守部「鐘のひびき」巻一の引用中、「'''磨'''(中山曰、守部自身を指す。)」とあるが、「磨」は「麿」の誤植ではないだろうか。--[[特別:Contributions/140.121.125.213|140.121.125.213]] 2008年9月16日 (火) 23:33 (JST)
* 橘守部「鐘のひびき」巻一の引用中、「'''磨'''(中山曰、守部自身を指す。)」とあるが、「磨」は「麿」の誤植ではないだろうか。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2008年9月16日 (火) 23:35 (JST)


==メモ==
==メモ==

2008年9月16日 (火) 14:35時点における版

修正箇所

  • 註七中「狂乱の保名」の直前に句点が欠けていると思われるので補った。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
  • 註一二中「これに就いては」の直前に句点が欠けていると思われるので補った。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
  • 本文中「あとる如く、神憑りと、」は「とある如く、神憑りと、」の誤植であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
  • 底本 p.190 の「青いものは見當らねやうである。」は、正しくは「青いものは見當らぬやうである。」であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
  • 本文中「他の治方も承知しているが」直後の句点は、正しくは読点であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
  • 本文中「次節鎮魂の條」は、正しくは「次章鎮魂の節」であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
  • 底本 p.196 最終行の「考とへたので」は、正しくは「考へたので」であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
  • 本文中「悉く省略し〔五〇〕」直後の読点は、正しくは句点であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
  • 註六中「火によって厳の気を加える」は、正しく「荘厳」であろうと思われるので改めた。--浦木裕 2008年9月10日 (水) 15:26 (JST)
  • 新撰姓氏録の引用文に「和泉国、葦占臣、大春日祖、天足彦国押人命之後也。」は、正しくは「和泉国。葦占臣。大春日同祖。天足彦国押人命之後也。」であるので改めた。--浦木裕 2008年9月15日 (月) 20:05 (JST)
  • 伊須気余理媛の歌について、出典の「神武紀」は正しく「神武記」であるので改めた。--浦木裕 2008年9月16日 (火) 23:35 (JST)

未修正箇所

  • 「四 蟹」の條、及び「一 石」の條に「新選姓氏録」とあるのは、正しくは「新撰姓氏録」であろう。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
  • 「崇神紀」十年秋九月の條の引用中「褁」の字は、本文中では{果下衣}となっている。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
  • 「播磨風土記」引用中「御舟裳」は「御丹裳」ではないのか。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
  • 樺の條、「信濃国樺ノ皮四囲、上野国樺ノ皮四囲」とあるが、原文では「信濃國、筆一百管・零羊角六具・木賊二圍・樺皮二圍。上野國、筆一百管・零羊角六具・杏仁三斗・膠十二斤・樺皮四張。」であり。正しくは「信濃国樺ノ皮二囲、上野国樺ノ皮四張」ではないか。
  • 橘守部「鐘のひびき」巻一の引用中、「(中山曰、守部自身を指す。)」とあるが、「磨」は「麿」の誤植ではないだろうか。--浦木裕 2008年9月16日 (火) 23:35 (JST)

メモ

  • 湯立をおこなう巫女のことを、伊智(イチ)という。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
  • 「尸坐(よりまし)」と「戸座(へざ)」には何か関聯あり?--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
  • 「櫻皮纒 作流舟」(万葉集 6-942)--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
  • 「<宍>串呂 黄泉尓将待跡 隠沼乃 下延置而 打歎 妹之去者」(万葉集 9-1809)--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
  • 「神功紀」の引用箇所は、第一篇第三章第二節にも現れる。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
  • 「崇神紀」十年秋九月の條の引用箇所は、第一篇第三章第二節にも現れる。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
  • 「古事記」神代巻の引用箇所は、第一篇第三章第二節にも現れる。--たちゃな 2008年8月24日 (日) 11:25 (JST)
  • 天稚日子の葬儀: マザーグースの "Who killed Cock Robin?" が連想される。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 13:38 (JST)
  • 「物部守屋が衣摺の榎を利用して、聖德太子の軍兵を三度迄撃退したのを始めとして」について、原文では「於是、大連昇衣揩朴枝間、臨射如雨。其軍強盛、填家溢野。皇子等軍與群臣衆、怯弱恐怖、三廻却還。」であって、その榎は朴とも書く、大辞林によれば「えのき [0]【▼ 榎・▽ 朴】 ニレ科の落葉高木。」となります。--浦木裕 2008年9月15日 (月) 03:30 (JST)