「日本巫女史/第一篇/第五章/第一節」の版間の差分
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2008年10月29日 (水) 15:31時点における最新版
第一節 巫女の呪術的作法[編集]
古代の巫女が呪術を行う折に、如何なる作法を執ったものか、その詳細は元より知ることは出来ぬけれども、古文献に現われたところでは、(一)逆手を打つこと、(二)跳躍すことの二つだけは、やや明確に知ることが出来るので、これに就いて記述する。
一 逆手
逆手の典拠に就いては、「古事記」国譲りの条に、八重事代主神が『此の国は天神の御子に立奉りたまへと言ひて、乃ち其の船を踏傾けて、天ノ逆手を青柴垣に打成して、隠りましき』とあるのが、それである。然るに、此の逆手の研究にあっては、これ又、古くから異説が多く、今にその定説を見ぬほどの難問題なのである。ここには代表的の研究として二三の異説を挙げる。
本居宣長翁はこう云っている。
- 伊勢物語に、天の逆手を拍てなむのろひ居るとあると、相照して思ふに、古へに逆手を拍て、物を
呪 る術(俗にいふ麻自那比 なり)のありしなり(中略)。ここは船を柴垣に変化 むための呪術なり。さて逆手を拍と云ふ拍状は先づ常に手を拍は、掌をうつを、此は逆に翻して、掌を外になして拍を云ふか、又は常には両の掌を同じさまに対へて拍を此は左と右との上下を、逆にやり違へて拍を云か、此二の間今定めがたし。
と説き、更に逆手は吉凶ともに拍つものであること、及び逆手と後手(この事は後に云う)とは別なものであるとて僧契沖と賀茂真淵の両説を難じている〔一〕。
然るに、本居翁の論敵である橘守部翁は、これに就いて先ず本居説を引き、更に曰く、
- 逆手とは、逆はただ借字にて、
栄手 の義にこそあれ逆にするにはあらず、栄手とは栄ノ字を、常にさかえともはえとも訓ムごとく、其為術事に栄あらせんとて、手を拍てものとするを云ふ。こを右の古事記以ていはば、即船を青柴垣に変化 術に栄あらせんとて手を拍てものし給ひしなり云々。
と論じ、猶お『本居氏等の、恒に右の如きおさな
而して谷川士清翁は曰く『天の逆手といへるは、蒼柴垣に隠れたまはんとての事なれば、進むは順退くは逆なれば、逆手打とはいふなるべし。伊勢物語に天ノ逆手打てのろひをりけると見えたるは、人を呪詛するよう逆手を用ゐたる成べし。猶
猶お、此の外に、伊勢貞丈翁は、『逆手は退手なり、退くことをさか事と云ふ、人の前へ進みて逢ふ時に、手を拍つ、これ進み見るの礼也、退く時にも又手を拍て退くこれ退出の礼也。天ノ逆手の事を海人の事と云説あり(中略)。色々様々の邪説まちまち也、用ゆべからず(中略)。逆手とてうしろ手に、手をうちて、人を呪詛する事也と云は、伊勢物語の本文に合ふやう作りたる説なり、是ひがごとなり。』と〔四〕、殆んど以上の諸説を否定するが如き駁論を試みている。
而して是等の諸説を参酌して、私の考察を述べんに、事代主命の船を踏み傾けて青柴垣に隠るるとは、即ち入水したことを意味しているのであるから〔五〕、此の場合に拍った逆手なるものが、本居翁の言う如く、吉凶の両方に用いたと解せらるべき筈はなく、さればとて、守部翁の言う如く、船を柴垣に打ち成す栄手とも考えられず、谷川翁の三義も徹底せぬ嫌いがあり、伊勢翁の退手も字義に捉われたように想われるので、所詮は賀茂翁の言われたように、凶事にのみ用いる呪術の一作法と信ずるのである。後手に就いては、「日本書紀」の一書に、海神が彦火々出見尊に教えて『此の鈎を汝の兄に与へたまはん時に、即ち
二 跳躍
シャーマン教は、一名跳神教とも言われるほどであって、これに属する巫覡の徒は、猛烈に跳躍をつづけ、その結果催眠状態に入るのであるが、我が古代の巫女が、これと同じように旺んに跳躍したか否か、判然しない。勿論鈿女命が天磐戸の斎庭において神憑りした事を、「日本書紀」には、『
ただ、問題として残る所は、鈿女命の此の動作が、シャーマンのそれと、直接なり、間接なりに、交渉を有っているか、どうかと云う点である。私の浅薄なる見聞では、此の問題を解決する事は至難であるが、兎に角に我国の古代は、シャーマニズムの文化圏内に在った所から見ると、全く影響が無かったとは言えぬけれども、さりとてシャーマン即鈿女命と断ずる事は如何かと考えられる。而してずっと後世になると、巫女も猖んに跳躍を試みた記事が散見するが、これが鈿女直系の所作か、或は仏道修験道の影響を受けたものか、その辺が明瞭を欠くので、これを以て古代を反推する訳にも往かぬのである。猶お、巫女と舞躍との関係に就いては、後章に述べる考えである。
- 〔註一〕
- 「古事記伝」巻一四(本居宣長全集本)。
- 〔註二〕
- 「鐘のひびき」巻三(橘守部全集本)。
- 〔註三〕
- 「増補語林和訓栞」その条。
- 〔註四〕
- 「貞丈雑記」巻一(故実叢書本)。
- 〔註五〕
- 事代主命が蒼柴垣に隠るるとは、即ち入水した意味と解釈する学者も少くない。私もそう解釈することが至当であると考えている。