日本巫女史/総論/第一章/第三節
第三節 巫女史の学問上に於ける位置
巫女史の交渉する所は、既述の如く、政治、経済、祭祀、文学、歌舞、法制等の各般に及んでいるのであるが、これ等は言うまでもなく、我国の文化の大系であって、これを知るにあらざれば、文化の真相は遂に了解することが出来ぬのである。而して、巫女史の学問上に於ける地位は、大略、左の三点より考察すべきものと信じている。
一 文化史に於ける巫女史の地位
発生的に言えば、我国のあらゆる文化は巫女から生まれたものであると云えるのである。即ち巫女史は、人類文化生活の根蔕である。政治、経済、法制、文学、歌舞、祭祀等の総てに亘って交渉を有し、然も是等の文化事象を生んだ母体であるから、広い意味から言えば、文化史の起源であって、これを疎却しては、文化の発生的意義は、尋ねることが出来ぬのである。文化史に於いて、与えられたる巫女史の地位は、かなり重要なる役割を占めているのである。
巫女史を、文化発達史の方面から見れば、それは母権時代の人類生活を意味している。此の時代にあっては、専ら女子が社会の中心となっていて、所謂、女子政治時代を現出していた。巫女の発生は即ち此の時代にあったもので、鬼道に通ぜる巫女が支配者として、一国または一郡を統治していた。而して、此の時代にあっては、巫道に通じ、呪術に長じたものが、社会の最高位に置かれたのであるから、ここに種々なる巫術の発達を促し、併せて巫道の進歩を来たしたのである。巫女史は、是等の各般に就いて、研究すべき使命を有しているのである。
二 原始神道に於ける巫女史の地位
人類の間に宗教なるものが発生せぬ以前において、既に呪術なるものが存在し、宗教は此の呪術によって発生したという呪術先行論というのがある。これに反して、宗教の基調である神聖観念は、呪術の発生に先って人類の間に意識されていたので、宗教は呪術の以前に発生したものだという宗教先在論がある。更に、此の両説を折衷して、宗教と呪術とは、元々発生の動機を別にしているもので、これに前後の区別をするのは無理であって、両者ともに併行したものだという併行論もある。而して我国の巫女の有する呪術なるものが、宗教——即ち神聖観念の基調を外にして発生したものか否か、更に原始神道と巫女教との関係が如何であったか、これ等は共に相当の研究を要すべき問題であるが(但しその事は本文中に記す考えである)、兎に角に、広い宗教学の意味から離れて、狭い意味の原始神道の上から見ただけでも、巫女史の研究は、相当に意味の深いものと言えるのである。
現在の如く、神道が固定してしまって、祭神の考覈も、教義の研究も、内務省の神社局から発せられるものが絶対の権威を有つようになっては、巫女と神道との関係の如きは、有無ともに問題にならぬ迄に稀薄なものとなったが、原始神道は巫女教であっただけに、巫女を閑却しては、教義の考覈などは、到底企てる事が出来なかったのである。原始神道の研究は、巫女史を闡明にするにあらざれば、達成することは不可能である。
三 民俗学に於ける巫女史の地位
民俗学(Ethnology)の目的の一は、異った集団の性質を究める点にある。我国の民族の如きも、現時にあっては、殆んど同一民族と見るまでに、同化し、融和してしまったが、併し是等のうちに、幾多の異った民族の集団の曾て存在したことは、今や、人類学的にも、考古学的にも、更に民俗学的にも、証示されるまでになった。而して此の異った集団は、又各自の巫女を有していたのである。それが巫女の流派として、後世に残されたものである。勿論、此の流派のうちには、師資の関係から来た変化も認めなければならぬけれども、鼓を打って神を降した巫女と、弦を叩いて神を降した巫女とは、民俗学的には、必ずしも同一と見ることは出来ぬのである。これには、文化の移動ということも考慮のうちに加えなければならぬが、巫女史の研究は、民俗学的に見るとき、一段と学問的の価値を大ならしめるものと信ずるのである。