トーク:日本巫女史/第二篇/第四章/第三節
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修正箇所
- 底本 p.521
- 「寡見に入らね」を「寡見に入らぬ」に改めた。--たちゃな 2008年9月29日 (月) 10:39 (JST)
- 底本 p.524
- 「伝説を合理化そうとした」を「合理化しようとした」に改めた。--たちゃな 2008年9月29日 (月) 10:39 (JST)
- 底本 p.528
- 底本 p.530
未修正箇所
- 底本 p.520, 528
- 「康富紀」は「康富記」ではないか。--たちゃな 2008年9月29日 (月) 10:39 (JST)
- 底本 p.521
- 「耶摩郡」は「耶麻郡」ではないか。--たちゃな 2008年9月29日 (月) 10:39 (JST)
メモ
- 底本 p.520
- 中山は白比丘尼の正体に関して、「八百比丘尼の正体は...オシラ神を呪神とした熊野比丘尼の、漂泊生活の伝説化に外ならぬ...此の尼が古く白比丘尼と称したとあるのは、即ちシラ神を呪力の源泉として捧持したのに所以する」(p.527)と結論づけている。
- 白比丘尼の伝説に関しては、オシラ神との関連(p.527)で考えるよりも、アルビノの少女が見せ物とされた際の口上に起因すると考えたほうが自然ではなかろうか。実際、アルビノと思しき白髪の少女が見せ物小屋に居たという記録は存在する。ただ、確かそちらは江戸時代の頃のもので、その口上も不老不死ではなく、親の因果が子に報いた結果だとされていたように記憶しているが。(書名等失念のため、後ほど確認する。)ちなみに男性で良ければ、白頭和尚の伝説が事例として挙げられよう。--たちゃな 2008年9月29日 (月) 10:39 (JST)
- 2008年10月9日、浦木氏との対談から着想。白比丘尼は「九十九比丘尼」の意と考えることもできる。(白は百の字に一画足りないところから。)白比丘尼も八百比丘尼も、共に大きな数(年齢?)を意味しているに過ぎないとなれば、「白」の字にそれ以上の特別の意味を求めようとする試み(オシラ神との関連性、アルビノ説、etc.)は無意味なことかも知れない。--たちゃな
- なお、巫女にとって三十三は聖数(?)であるらしい。ニコライ・ネフスキーは「常陸国のワカと称する巫女の呪文中に「三十三」の数が好んで用いられているのは、仏教の三十三天の思想に負うものである」と考えたようだ。(→第三篇/第二章/第二節)
- メモ: 八卦における「坤」は漢数字「三三」と読めなくもない。何か関連はないか。--たちゃな
- なお、巫女にとって三十三は聖数(?)であるらしい。ニコライ・ネフスキーは「常陸国のワカと称する巫女の呪文中に「三十三」の数が好んで用いられているのは、仏教の三十三天の思想に負うものである」と考えたようだ。(→第三篇/第二章/第二節)
- 本朝神社考の原文テキストは、National Institute of Japanese Literatureを参考すべし。引用文は都良香伝にある。--浦木裕 2009年10月1日 (木) 00:08 (JST)
- 底本 p.527
- 下総国海上郡椎柴村大字猿田: 猿女氏との関連が推察される。なお、柳田国男はこれら漂泊の婦女を没落した猿女氏の末裔ではないかと考えていた節がある。(http://phpbb.miko.org/viewtopic.php?f=3&t=530 )--たちゃな 2008年9月29日 (月) 10:39 (JST)
- 底本 p.528
- 俗間に八百比丘尼の影とて、小児の守にも入れるものあり: まるで鬼子母神のよう。--たちゃな 2008年9月29日 (月) 10:39 (JST)