日本巫女史/第一篇/第五章/第一節

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日本巫女史

第一篇 固有呪法時代

第五章 巫女の作法と呪術の種類

第一節 巫女の呪術的作法

古代の巫女が呪術を行う折に、如何なる作法を執ったものが、その詳細は元より知ることは出来ぬけれども、古文献に現われたところでは、(一)逆手を打つこと、(二)跳躍すことの二つだけは、やや明確に知ることが出来るので、これに就いて記述する。

一 逆手

逆手の典拠に就いては、「古事記」国譲りの條に、八重事代主神が『此の国は天神の御子に立奉りたまへと言ひて、乃ち其の船を踏傾けて、天ノ逆手を靑柴垣に打成して、隠りましき』もあるのが、それである。然るに、此の逆手の研究にあっては、これ又、古くから異説が多く、今にその定説を見ぬほどの難問題なのである。ここには代表的の研究として二三の異説を挙げる。

本居宣長翁はこう云っている。

伊勢物語に、天の逆手を拍てなむのろひ居るとあると、相照して思ふに、古へに逆手を拍て、物を呪る術(俗にいふ麻自那比なり)のありしなり(中略)。ここは船を柴垣に變化むための呪術なり。さて逆手を拍と云ふ拍狀は先づ常に手を拍は、掌をうつを、此は逆に翻して、掌を外になして拍を云ふか、又は常には兩の掌を同じさまに對へて拍を此は左と右との上下を、逆にやり違へて拍を云か、此二の間今定めがたし。

と説き、更に逆手は吉凶ともに拍つものであること、及び逆手と後手(この事は後に云う)とは別なものであるとて僧契沖と賀茂真淵の両説を難じている〔一〕。

然るに、本居翁の論敵である橘守部翁は、これに就いて先づ本居説を引き、更に曰く、

逆手とは、逆はただ借字にて、榮手の義にこそあれ逆にするにはあらず、榮手とは榮ノ字を、常にさかえともはえとも訓ムごとく、其爲術事に榮あらせんとて、手を拍てものとするを云ふ。こを右の古事記以ていはば、卽船を靑柴垣に變化術に榮あらせんとて手を拍てものし給ひしなり云々。

と論じ、猶お、『本居氏等の、恒に右の如きおさな説をいいはやせる、打見るも痴々しく』と云い、一歩をすすめて『かくて復古の大道開くべき器かはと思えば悲しくさへなりて』とまで極言している〔二〕。

而して谷川士清翁は曰く『天の逆手といへるは、蒼柴垣に隠れたまはんとての事なれば、進むは順退くは逆なれば、逆手打とはいふなるべし。伊勢物語に天ノ逆手打てのろひをりけると見えたるは、人を呪詛するよう逆手を用ゐたる成べし。猶後手の義の如し。天とは例文による詞也。今の人逆手を忌といふも是なり。寄海人戀の歌に、我戀は蜑の逆手を打返しおもひときてや世をもうらみん、肖聞抄に海人のかつきに海底へ入らんとて、手にて浪を打也といへり』と述べている〔三〕。

猶お、此の外に、伊勢貞丈翁は、『逆手は退手なり、退くことをさか事と云ふ、人の前へ進みて逢ふ時に、手を拍つ、これ進み見るの禮也、退く時にも又手を拍て退くこれ退出の禮也。天ノ逆手の事を海人の事と云説あり(中略)。色々様々の邪説まちまち也、用ゆべからず(中略)。逆手とてうしろ手に、手をうちて、人を呪詛する事なりと云は、伊勢物語の本文に合ふやう作りたる説なり、是ひがごとなり。』と〔四〕、殆んど以上の諸説を否定するが如き駁論を試みている。

而して是等の諸説を参酌して、私の考察を述べんに、事代主命の船を踏み傾けて青柴垣に隠るるとは、即ち入水したことを意味しているのであるから〔五〕、此の場合に拍った逆手なるものが、本居翁の言う如く、吉凶の両方に用いたと解せらるべき筈はなく、さればとて、守部翁の言う如く、船を柴垣に打ち成す栄手とも考えられず、谷川翁の三義も徹底せぬ嫌いがあり、伊勢翁の退手も字義に捉われたように想われるので、所詮は賀茂翁の言われたように、凶事にのみ用いる呪術の一作法と信ずるのである。後手に就いては、「日本書紀」の一書に、海神が彦火々出見尊に教えて『此の鈎を汝の兄に與へたまはん時に、即ち貧鈎、滅鈎、落薄鈎と稱へ、言ひ訖りて後手に投與へたまへ、向ひてな授けたまひそ』とあるように、これは呪術的の意味が明白に且つ濃厚に含まれていたことが知られる。「釈日本紀」巻八に『今世厭物之時、必以後手也』と述べたのも、決して虚構だとは想われぬ。私は逆手は此の後手と同じほどの内容を有するものと信ずるのである。

二 跳躍

シャーマン教は、一名跳神教とも言われるほどであって、これに属する巫覡の徒は、猛烈に跳躍をつづけ、その結果催眠状態に入るのであるが、我が古代の巫女が、これと同じように旺んに跳躍したか否か、判然しない。勿論鈿女命が天磐戸の斎庭において神憑りした事を、「日本書紀」には、『巧に俳優す』と載せているより推すも、鈿女命が跳躍的の動作を執ったことは明白であるが、此の動作が、神憑り状態に入るべき必要條件であったか、それとも磐戸に隠れし天照神を誘い出す手段として、八百萬神を{口偏眹旁}楽せしむるためであったか、その点が少しく釈然せぬ嫌いがある。併しながら、私の考えているところを簡単に言えば、鈿女命は「釈日本紀」に引用せる「天書」第二にある如く、神憑りには熟練せる師巫であったと想われるので、シャーマンの如く狂跳勇躍せずとも、直ちにその状態に入る事が出来たのであろうが、又相当の跳躍的動作をなした事も、覆槽を踏みとどろかして拍手をとり、胸孔を掻き出し、裳紐を番登に押し垂れる有様から見て、疑う余地はない。

ただ、問題として残る所は、鈿女命の此の動作が、シャーマンのそれと、直接なり、間接なりに、交渉を有っているか、どうかと云う点である。私の浅薄なる見聞では、此の問題を解決する事は至難であるが、兎に角に我国の古代は、シャーマニズムの文化圏内に在った所から見ると、全く影響が無かったとは言えぬけれども、さりとてシャーマン即鈿女命と断ずる事は如何かと考えられる。而してずっと後世になると、巫女も猖んに跳躍を試みた記事が散見するが、これが鈿女直系の所作か、或は仏道修験道の影響を受けたものか、その辺が明瞭を欠くので、これを以て古代を反推する訳にも往かぬのである。猶お、巫女と舞躍との関係に就いては、後章に述べる考えである。

〔註一〕
「古事記伝」巻一四(本居宣長全集本)。
〔註二〕
「鐘のひびき」巻三(橘守部全集本)。
〔註三〕
「増補語林和訓栞」その條。
〔註四〕
「貞丈雑記」巻一(故実叢書本)。
〔註五〕
事代主命が蒼柴垣に隠れるとは、即ち入水した意味と解釈する学者も少くない。私もそう解釈することが至当であると考えている。