日本巫女史/第二篇/第二章
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第二章 修験道の発達と巫道との関係
明治四年に、全国の修験道に属する修験者(俗に山伏と云った)を廃止した時の第一の理由は、修験は神社と事り、一定の氏子を有せず、更に寺院と違い、一定の檀徒を持たぬためであったと聞いている。維新の際の宗教行政には、今から考えて見ると、多少の無理も伴っていたようであるが、これは万事に改革を急いだ当時としては止むを得ぬことと思われる。而して此の修験道なるものは、独り一定の氏子や檀徒を有していないばかりでなく、その教義においても、儀軌においても、これがと云う独自の特色があるではなく、古神道と、道教と、仏教との三者のうちから、民間信仰に交渉あるものだけを拾いあつめ、それへ不完全な体系を加えたものであって、一言にして云えば、無特色が特色で、俗に謂う八宗兼学的の何でも御座れを表看板にしていたのである。換言すれば、神道と、道教と、仏教の三つから、都合の宜いところを少しずつ摘んできて、これを山岳崇拝という修験道の基調とした