トーク:日本巫女史/第二篇/第三章/第六節

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修正箇所[編集]

  • 底本 p.494
    • 「若娶妾供神事不得者」は「若娶妾供神事不得者」であろうと思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月20日 (土) 20:16 (JST)
    • 「一字つゞ」を「一字づゝ」に改めた。--たちゃな 2008年9月20日 (土) 20:16 (JST)

未修正箇所[編集]

  • 底本 p.496
    • 註二「その序に」の次の漢字が判読できず。「簞」すなわち「その序にを採り」で良いか。--たちゃな 2008年9月20日 (土) 20:16 (JST)

メモ[編集]

  • 神ノ采女
    • 神ノ采女を多数雇用するには自ずとそれに見合った資金力が必要となるため、単に神主の所有物として償却されるだけであったとは考えにくい。(神ノ采女を雇用することで新たな収入を呼び込まないと、経済的にスケールしない。)よしんば神主の愛人としてのみあったのだとしても、それは個人的な男女関係に終始するものであり、社会の風俗を汚すまでには至らなかったと考えられる。すなわち、ここでの神ノ采女は氏子や参拝客に対して奉納を対価に売色を提供した者であり、それが問題視されたと見るべきではなかろうか。
    • また、神社近辺の遊郭に関していうならば、延暦十七年十月十七日の太政官符が発せられた結果、それまで神社内で(神聖)売春に携わっていた部局がスピンアウトし、遊郭を形成したと見るのが自然であろう。(中山が言うような、神の寵が衰えたり、神戒を破った異端の巫女が、各々結束して遊郭を作ったという説には現実味が乏しく、私は到底左袒しかねる。)
    • 以上のような経緯で、両者の蜜月関係(遊郭は神社の一種外郭団体として売り上げの一部を神社に奉納し、また神社は遊郭を庇護する。集客面に関しても、両者は共に集客能力のある施設であったため、それなりのシナジー効果が得られた筈である。)はその後永く続いたのであろう。
    • このように考えると、我国の信仰には常に好色が隣り合わせで存在していたとも言えるのではなかろうか。--たちゃな 2008年9月23日 (火) 19:40 (JST)