日本巫女史/第一篇/第六章/第三節
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第三節 巫女の私生活は判然せぬ[編集]
古代の巫女の修行や、師承関係や、その給分の実際等に就いては、私の寡聞のためか、皆目知ることが出来ぬのである。全国の女性が、悉く巫女的生活を営んでいたとは云うものの、純乎たる巫女として神に仕え世に処すには、相当の修行を要した事と想われるが、それが尠しも判然せぬのである。更に古代においては、呪術を学ぶには、後世の師匠どりともいうべき関係も存したことと考えるが、これも全く手掛りすら判然せぬ。また神社に仕える巫女には、一定の給分もあったことと思うが、これも又た遂に知ることが出来ぬのである。換言すれば、此の方面における巫女の生活は、一切を挙げて歳月の流れと共に永久に流れ去ってしまって、何事も痕跡だに留めていぬのである。従って下級の巫女の社会的位置なども、詳細には知ることが出来ず、ただ漠然と、相当に敬意を払われたり、恐怖されたりしていたのであろうと想像するだけである。
斯うした時代においても、巫女の間に二つの大きな区別が在った事だけは、やや明白に知られるのである。即ち一は神社に附属して、或る定まれる神以外には仕えぬ巫女と、一はこれに反して、神社を離れて、村落に土着し、依頼を受けて呪術を行うた巫女との存したことである。名神・大社に奉仕した巫女は、前者であって、蘇我大臣の渡橋を要して神語を寄せた巫女や、「皇極紀」にある常世神を祭った巫覡などは、後者であると見て大過ないようである。而して此の区別は、時代の降ると共に、その間が漸く拡大されて来て、前者は所謂カンナギ系の巫女として、益々高く浄く固定し、後者は仏教、道教、修験道などの信仰と雑糅して、愈々低く俗化し、クチヨセ系の市子と堕落したものと考えるのである。