「トーク:日本巫女史/第二篇/第四章/第三節」を編集中
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** 2008年10月9日、浦木氏との対談から着想。白比丘尼は「九十九比丘尼」の意と考えることもできる。(白は百の字に一画足りないところから。)白比丘尼も八百比丘尼も、共に大きな数(年齢?)を意味しているに過ぎないとなれば、「白」の字にそれ以上の特別の意味を求めようとする試み(オシラ神との関連性、アルビノ説、etc.)は無意味なことかも知れない。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] | ** 2008年10月9日、浦木氏との対談から着想。白比丘尼は「九十九比丘尼」の意と考えることもできる。(白は百の字に一画足りないところから。)白比丘尼も八百比丘尼も、共に大きな数(年齢?)を意味しているに過ぎないとなれば、「白」の字にそれ以上の特別の意味を求めようとする試み(オシラ神との関連性、アルビノ説、etc.)は無意味なことかも知れない。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] | ||
*** なお、巫女にとって三十三は聖数(?)であるらしい。ニコライ・ネフスキーは「常陸国のワカと称する巫女の呪文中に「三十三」の数が好んで用いられているのは、仏教の三十三天の思想に負うものである」と考えたようだ。(→[[日本巫女史/第三篇/第二章/第二節|第三篇/第二章/第二節]]) | *** なお、巫女にとって三十三は聖数(?)であるらしい。ニコライ・ネフスキーは「常陸国のワカと称する巫女の呪文中に「三十三」の数が好んで用いられているのは、仏教の三十三天の思想に負うものである」と考えたようだ。(→[[日本巫女史/第三篇/第二章/第二節|第三篇/第二章/第二節]]) | ||
*** | *** 八卦における「坤」を漢数字として読んていただけだったりして…?--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] | ||
* 底本 p.527 | * 底本 p.527 | ||
** 下総国海上郡椎柴村大字<b>猿田</b>: 猿女氏との関連が推察される。なお、柳田国男はこれら漂泊の婦女を没落した猿女氏の末裔ではないかと考えていた節がある。(http://phpbb.miko.org/viewtopic.php?f=3&t=530 )--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月29日 (月) 10:39 (JST) | ** 下総国海上郡椎柴村大字<b>猿田</b>: 猿女氏との関連が推察される。なお、柳田国男はこれら漂泊の婦女を没落した猿女氏の末裔ではないかと考えていた節がある。(http://phpbb.miko.org/viewtopic.php?f=3&t=530 )--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月29日 (月) 10:39 (JST) | ||
* 底本 p.528 | * 底本 p.528 | ||
** 俗間に八百比丘尼の影とて、小児の守にも入れるものあり: まるで鬼子母神のよう。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月29日 (月) 10:39 (JST) | ** 俗間に八百比丘尼の影とて、小児の守にも入れるものあり: まるで鬼子母神のよう。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年9月29日 (月) 10:39 (JST) |