「トーク:日本巫女史/総論/第一章/第一節」の版間の差分

提供:Docs
ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
 
(2人の利用者による、間の2版が非表示)
23行目: 23行目:
* 底本 p.14
* 底本 p.14
** 「新編常陸国誌」の引用文中「鄽」の偏は、底本では「麻垂に墨」である。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月21日 (木) 03:49 (JST)
** 「新編常陸国誌」の引用文中「鄽」の偏は、底本では「麻垂に墨」である。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年8月21日 (木) 03:49 (JST)
* 「あるに云うが」→「ある<b>と</b>云うが」か。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年4月14日 (木) 14:40 (JST)


==メモ==
==メモ==
28行目: 29行目:
** 神社老麻呂の歌は、万葉集中 [http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?06/0976 6-976], [http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?06/0977 977] の二編が見える。
** 神社老麻呂の歌は、万葉集中 [http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?06/0976 6-976], [http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?06/0977 977] の二編が見える。
* 「鈴鹿神社の鈴ノ巫女」 : [[日本巫女史/第二篇/第三章/第五節|第二篇/第三章/第五節]] に「伊勢国鈴鹿郡片山神社の鈴ノ御子」として言及あり。
* 「鈴鹿神社の鈴ノ巫女」 : [[日本巫女史/第二篇/第三章/第五節|第二篇/第三章/第五節]] に「伊勢国鈴鹿郡片山神社の鈴ノ御子」として言及あり。
* 金田一京助氏が「ツス」の漢字を「巫呪」と書いたことがあるが定めでない。『蝦夷の謡ひ物に見える巫女』に、「巫呪のこと、アイヌでは男もするやうな話を聞くことが無いでもないが、私のよく聞く所では、やはり神に祝詞(のりと・カムイ=ノミ)を捧げる事は男の専門で、(女は汚れがある故出来ない。)その代わり巫呪の事の方は女の主としてやる事のやうである。尤も私の茲に云ふ巫呪とは、アイヌのツスを指す。アイヌには祝詞(カムイノミ)・巫呪(ツス)の外にも尚雑多の類似のことがあつて入込んでゐるから、実は此のツスも巫呪と訳していいんだかどうだか、むつかしい。」とある。--[[利用者:浦木裕|浦木裕]] 2009年9月27日 (日) 23:26 (JST)
* 「今はY先生の御説に従い」: [[日本巫女史/第一篇/第六章/第二節|第一篇/第六章/第二節]]註一〇では「K先生」とある。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2011年4月14日 (木) 14:43 (JST)

2011年4月14日 (木) 14:43時点における最新版

修正箇所[編集]

  • 底本 p.7
    • 「あれは姉子」は「あはれ姉子」の誤植と思われるので修正した。参考--浦木裕 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)
  • 底本 p.8
    • 「伊勢斎宮の寮頭藤原通高の妻が、小木古曾と称して詐巫を行い」
      • 他の箇所では「古木古曾」の表記が使われているため、用語の統一を図った。--たちゃな 2009年7月13日 (月) 19:24 (JST)
    • 「神社忌河内」は「神社忌寸河内」の誤植なので修正した。--浦木裕 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)
  • 底本 p.10
    • 本文中「娍」は、正しくは女偏盛。娍はその異字体。--たちゃな 2008年8月21日 (木) 03:49 (JST)
    • 「本朝文集云、大宝元秦都理始建立神殿」は「本朝文集云、大宝元年、秦都理始建立神殿」の誤植と思われるので修正した。--浦木裕 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)
  • 底本 p.15
    • 「アリサマ 陸奥国の一部 津軽旧事談」は「アリマサ 陸奥国の一部 津軽旧事談」の誤植と思われるので修正した。--たちゃな 2008年8月21日 (木) 03:49 (JST)
  • 底本 p.22
    • 「イチツコ」: 増補版索引には「イチツコ」とあるが、「ツ」は促音(即ち「イチッコ」)と思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月10日 (水) 06:22 (JST)
  • 底本 p.24
    • 「ヤカミシユ」: 増補版索引には「ヤカミシユ」とあるが、「ユ」は促音(即ち「ヤカミシュ」)と思われるので改めた。--たちゃな 2008年9月10日 (水) 06:22 (JST)
    • 「飯縄」→「飯綱」へと用語の統一を図った。--たちゃな 2009年7月13日 (月) 19:15 (JST)

未修正箇所[編集]

  • 底本 p.6
    • キネの條に「大歌所」ではなく正しくは「神遊歌」だと思う。--浦木裕 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)
  • 底本 p.8
    • 「大化元年春二月」は「大化二年春二月」ではないかと思う。確認を頼む。--浦木裕 2009年8月12日 (水) 00:58 (JST)
  • 底本 p.14
    • 「新編常陸国誌」の引用文中「鄽」の偏は、底本では「麻垂に墨」である。--たちゃな 2008年8月21日 (木) 03:49 (JST)
  • 「あるに云うが」→「ある云うが」か。--たちゃな 2011年4月14日 (木) 14:40 (JST)

メモ[編集]

  • 底本 p.14
    • 神社老麻呂の歌は、万葉集中 6-976, 977 の二編が見える。
  • 「鈴鹿神社の鈴ノ巫女」 : 第二篇/第三章/第五節 に「伊勢国鈴鹿郡片山神社の鈴ノ御子」として言及あり。
  • 金田一京助氏が「ツス」の漢字を「巫呪」と書いたことがあるが定めでない。『蝦夷の謡ひ物に見える巫女』に、「巫呪のこと、アイヌでは男もするやうな話を聞くことが無いでもないが、私のよく聞く所では、やはり神に祝詞(のりと・カムイ=ノミ)を捧げる事は男の専門で、(女は汚れがある故出来ない。)その代わり巫呪の事の方は女の主としてやる事のやうである。尤も私の茲に云ふ巫呪とは、アイヌのツスを指す。アイヌには祝詞(カムイノミ)・巫呪(ツス)の外にも尚雑多の類似のことがあつて入込んでゐるから、実は此のツスも巫呪と訳していいんだかどうだか、むつかしい。」とある。--浦木裕 2009年9月27日 (日) 23:26 (JST)
  • 「今はY先生の御説に従い」: 第一篇/第六章/第二節註一〇では「K先生」とある。--たちゃな 2011年4月14日 (木) 14:43 (JST)