日本巫女史/巻頭小言」を編集中

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当時、私の一番上の姉婿が、私の生家の留守居をしてくれる事となり、それに本家を相続した弟——即ち季妹の小兄も附近に居るし、大字こそ違うが同村内に二人の兄もいるし、其他に親族や故旧も沢山あるので、相談の結果、姉婿の許に季妹を託す事として私は単身で上京した。
当時、私の一番上の姉婿が、私の生家の留守居をしてくれる事となり、それに本家を相続した弟——即ち季妹の小兄も附近に居るし、大字こそ違うが同村内に二人の兄もいるし、其他に親族や故旧も沢山あるので、相談の結果、姉婿の許に季妹を託す事として私は単身で上京した。


季妹は夙く両親に先立たれる程の薄倖の者であっただけに、健康も恵まれていず、いずれかと云えば、蒲柳の質であった。それに子供心にも両親に別れ、更に兄である私とも離れなければならぬこととなり、兄婿とは云え兎に角に多少の気苦労をせねばならぬ境遇に置かれ、それやこれやで小さき心身を痛めたものか、間もなく不治の病気に襲われた。
季妹は夙く両親に先立たれる程の薄倖の者であっただけに、健康も恵まれていず、いずれかと云えば、薄柳の質であった。それに子供心にも両親に別れ、更に兄である私とも離れなければならぬこととなり、兄婿とは云え兎に角に多少の気苦労をせねばならぬ境遇に置かれ、それやこれやで小さき心身を痛めたものか、間もなく不治の病気に襲われた。


私は学窓に居て此の通知に接したので、学業の閑を偸んでは帰郷し、療養の方法を尽し、慰めもし、看護もしたが、遂に明治三十二年の徂く春と共に、私の膝に抱かれたまま「兄やん、兄やん」と私の名を呼ばりながら帰らぬ旅へ赴いてしまった。私は亡くなった両親が、私が妹を愛することの足らぬのを草葉の陰から見て、自分達の手許へ迎えたもののように考えられ、自責の念と骨肉の愛とで、かなり苦しめられたものである。私は、私の学問の為に季妹を殺してしまったのであると考えざるを得ぬのである。
私は学窓に居て此の通知に接したので、学業の閑を偸んでは帰郷し、療養の方法を尽し、慰めもし、看護もしたが、遂に明治三十二年の徂く春と共に、私の膝に抱かれたまま「兄やん、兄やん」と私の名を呼ばりながら帰らぬ旅へ赴いてしまった。私は亡くなった両親が、私が妹を愛することの足らぬのを草葉の陰から見て、自分達の手許へ迎えたもののように考えられ、自責の念と骨肉の愛とで、かなり苦しめられたものである。私は、私の学問の為に季妹を殺してしまったのであると考えざるを得ぬのである。
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巫女史の執筆が思うように運ばぬ折に、此の妹の事を追懐した私は「私の学問のために死んでくれた妹の為に本書を完成し、そして霊前へ手向けてやろう、これこそ妹を追善する唯一の方法である」と考えつくと、今度はそれに勇気づけられたか、暑熱も忘れ、難問も苦にならず、殆んど筆も乾かず一万言、ペンに亡妹の霊が乗り移ったのか躍るように奔って行く。斯うして書きあげたのが即ち本書である。不出来であろうが、不詮索であろうが、私としては是れまでの著述のうちで、一番努力を尽したものであると同時に、一番、思い出の深い執筆である。私情を巻頭に記すのは慎まねばならぬが、私としては本書の完成が、この私情に負うことの大なるため、実に止むを得ぬことと諒察を乞う次第である。
巫女史の執筆が思うように運ばぬ折に、此の妹の事を追懐した私は「私の学問のために死んでくれた妹の為に本書を完成し、そして霊前へ手向けてやろう、これこそ妹を追善する唯一の方法である」と考えつくと、今度はそれに勇気づけられたか、暑熱も忘れ、難問も苦にならず、殆んど筆も乾かず一万言、ペンに亡妹の霊が乗り移ったのか躍るように奔って行く。斯うして書きあげたのが即ち本書である。不出来であろうが、不詮索であろうが、私としては是れまでの著述のうちで、一番努力を尽したものであると同時に、一番、思い出の深い執筆である。私情を巻頭に記すのは慎まねばならぬが、私としては本書の完成が、この私情に負うことの大なるため、実に止むを得ぬことと諒察を乞う次第である。


此の小著を出すために恩師柳田国男先生始め、先学同好の方々の深い学恩に対して、衷心からの感謝と敬意とを捧げるものである。殊に大橋図書館の大藤時彦氏が劇務の傍ら私のために諸書を渉猟して、貴重なる史料を提供してくれた厚誼に対しては、格別の恩義を感じた。鳴謝に堪えぬ次第である。
此の小著を出すために恩師柳田国男先生始め、先学同好の方々の深い学恩に対して、衷心からの感謝と敬意とを捧げるものである。殊に大橋図書館の大藤時彦氏が劇務の傍ら私のために諸書を渉猟して、貴重なる史料を提供してくれた厚誼に対しては、格段の恩義を感じた。鳴謝に堪えぬ次第である。


最後に一言附記せねばならぬ事がある。私は従来著述に故人の名を引用する場合に、一切の敬称を廃して、悉く呼び棄てにした。然るに私の父は、平田翁を狂的に崇拝し、これを神に祭って朝夕奉仕していた。その子である私が学問のためとは云え呼び棄てにするのは非道だと、郷里の者から忠告された。それで故人に対しては翁と云うこととした。私も案外気が弱くなったものだと思わざるを得ぬのである。これを以て自序に代える。
最後に一言附記せねばならぬ事がある。私は従来著述に故人の名を引用する場合に、一切の敬称を廃して、悉く呼び棄てにした。然るに私の父は、平田翁を狂的に崇拝し、これを神に祭って朝夕奉仕していた。その子である私が学問のためとは云え呼び棄てにするのは非道だと、郷里の者から忠告された。それで故人に対しては翁と云うこととした。私も案外気が弱くなったものだと思わざるを得ぬのである。これを以て自序に代える。
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