日本巫女史/第一篇/第一章/第一節」を編集中

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こうした最初の発見の<ruby><rb>魔</rb><rp>(</rp><rt>デーモン</rt><rp>)</rp></ruby>は、一面社会的であると同時に、一面個人的のものであった。而して前者の社会的魔は山や河に潜む魔になり、更に森や野に、又は時として空中に迷い、地下に潜む魔となった。そして後者の個人的魔は死体より出ずる魔、病気を起す魔となったのである。けれども、魔は個性を有せず、類型的であるために、後には雑糅されて、魔から幽霊へ、更に幽霊から霊魂へと過程して、遂に精霊なるものとなって信仰されるようになった。即ちこれが<ruby><rb>古有霊</rb><rp>(</rp><rt>プレアニミズム</rt><rp>)</rp></ruby>から<ruby><rb>精霊</rb><rp>(</rp><rt>スピリット</rt><rp>)</rp></ruby>への発見の過程である。
こうした最初の発見の<ruby><rb>魔</rb><rp>(</rp><rt>デーモン</rt><rp>)</rp></ruby>は、一面社会的であると同時に、一面個人的のものであった。而して前者の社会的魔は山や河に潜む魔になり、更に森や野に、又は時として空中に迷い、地下に潜む魔となった。そして後者の個人的魔は死体より出ずる魔、病気を起す魔となったのである。けれども、魔は個性を有せず、類型的であるために、後には雑糅されて、魔から幽霊へ、更に幽霊から霊魂へと過程して、遂に精霊なるものとなって信仰されるようになった。即ちこれが<ruby><rb>古有霊</rb><rp>(</rp><rt>プレアニミズム</rt><rp>)</rp></ruby>から<ruby><rb>精霊</rb><rp>(</rp><rt>スピリット</rt><rp>)</rp></ruby>への発見の過程である。


併しながら、魔と云い、霊魂と云い、精霊と云うも、所詮は眼に見ることの出来ぬものに対する心の力である。此の心の力の動きは即ち宗教的感情そのものであらねばならぬ。而して古代人は、人は各一つの霊魂を有し、その霊魂は或は身体と共に存し(ヴントはこれを<ruby><rb>一般的身体魂</rb><rp>(</rp><rt>アルゲマイネ・ケルパーゼーレ</rt><rp>)</rp></ruby>といっている)、又は一時的に身体から去り、離れた所に現れると信じられ、この思想を拡大して行って、土地や、動物や、植物まで、霊魂を有すると考え、更に死によって、霊魂と身体とが永久的に分離する所に、精霊が生ずるのであると信じた。或はこれを価値批判の立場から、精霊の崇高なるものは、土地や、山海や、河川の精霊であって、その最も簡単なるものは、人間や、動物の精霊であって、元の肉体から分離したものであると考えた。精霊は外の生物の中に入って住む事が出来るが、その肉体に属するものとして入っているのではない。実際、霊魂は体と分離し得るとしても、それは生きているうちは、睡眠中における夢の如く一時的のものか、それでなければ死んだ場合に限られるとしていた。こうした思想から導かれて、我国の古代人の世界観は、無数の霊魂と精霊——即ち体を離れた霊魂によって満たされているものと信じていたのである。
併しながら、魔と云い、霊魂と云い、精霊と云うも、所詮は眼に見ることの出来ぬものに対する心の力である。此の心の力の動きは即ち宗教的感情そのものであらねばならぬ。而して古代人は、人は各一つの霊魂を有し、その霊魂は或は身体と共に存し(ヴントはこれを<ruby><rb>一般的身体魂</rb><rp>(</rp><rt>アルケツスイネ・ケルベルビール</rt><rp>)</rp></ruby>といっている)、又は一時的に身体から去り、離れた所に現れると信じられ、この思想を拡大して行って、土地や、動物や、植物まで、霊魂を有すると考え、更に死によって、霊魂と身体とが永久的に分離する所に、精霊が生ずるのであると信じた。或はこれを価値批判の立場から、精霊の崇高なるものは、土地や、山海や、河川の精霊であって、その最も簡単なるものは、人間や、動物の精霊であって、元の肉体から分離したものであると考えた。精霊は外の生物の中に入って住む事が出来るが、その肉体に属するものとして入っているのではない。実際、霊魂は体と分離し得るとしても、それは生きているうちは、睡眠中における夢の如く一時的のものか、それでなければ死んだ場合に限られるとしていた。こうした思想から導かれて、我国の古代人の世界観は、無数の霊魂と精霊——即ち体を離れた霊魂によって満たされているものと信じていたのである。


然るに我々の遠い祖先である日本人は、<ruby><rb>魔</rb><rp>(</rp><rt>デーモン</rt><rp>)</rp></ruby>を発見する以前——若しくは同時に、一種の神聖観念である神秘的の力の信念とも云うべきものを有していた。そしてこれを「いつ」(稜威、厳)という語で現わしていた。而して此の「いつ」の観念は、我国の原始時代の神聖観念の源泉であり、基調であって、神を発見する以前にあっては、専ら此の観念が活いたもので、最近の宗教学、民俗学・乃至社会学者の間において、深甚の研究と、多大の興味を維がれている彼のメラネシヤ民俗の有するマナ(mana)又はイロクオア人(アメリカ・インディアンの一部族)の有するオレンダ(Orenda)、又は支那の「精」(Tsing)(精は気(Khi)の中に示現して、生物を発生せしめる意)と同じようなものを有していた〔七〕。
然るに我々の遠い祖先である日本人は、<ruby><rb>魔</rb><rp>(</rp><rt>デーモン</rt><rp>)</rp></ruby>を発見する以前——若しくは同時に、一種の神聖観念である神秘的の力の信念とも云うべきものを有していた。そしてこれを「いつ」(稜威、厳)という語で現わしていた。而して此の「いつ」の観念は、我国の原始時代の神聖観念の源泉であり、基調であって、神を発見する以前にあっては、専ら此の観念が活いたもので、最近の宗教学、民俗学・乃至社会学者の間において、深甚の研究と、多大の興味を維がれている彼のメラネシヤ民俗の有するマナ(mana)又はイロクオア人(アメリカ・インディアンの一部族)の有するオレンダ(Orenda)、又は支那の「精」(Tsing)(精は気(Khi)の中に示現して、生物を発生せしめる意)と同じようなものを有していた〔七〕。
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