日本巫女史/第一篇/第一章/第一節」を編集中

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我が日本人が、始めて神を発見したときの神の力は、守護の神霊ともいうべきほどのものであって、個人的の精霊よりは一歩すすめたが、まだ社会的の神とはならなかった。謂わばその中間にある部族を守護する神霊(後の氏神)に過ぎなかったのである。「日本書紀」の一書、諾尊が冊尊と<ruby><rb>絶妻誓</rb><rp>(</rp><rt>コトドワタ</rt><rp>)</rp></ruby>しの条に、
我が日本人が、始めて神を発見したときの神の力は、守護の神霊ともいうべきほどのものであって、個人的の精霊よりは一歩すすめたが、まだ社会的の神とはならなかった。謂わばその中間にある部族を守護する神霊(後の氏神)に過ぎなかったのである。「日本書紀」の一書、諾尊が冊尊と<ruby><rb>絶妻誓</rb><rp>(</rp><rt>コトドワタ</rt><rp>)</rp></ruby>しの条に、


: 盟ひて曰く、<ruby><rb>族離</rb><rp>(</rp><rt>ウカラハナ</rt><rp>)</rp></ruby>れなむ、又曰く、<ruby><rb>族負</rb><rp>(</rp><rt>ウカラマケ</rt><rp>)</rp></ruby>じ。乃ち<ruby><rb>唾</rb><rp>(</rp><rt>ツバ</rt><rp>)</rp></ruby>く時に<ruby><rb>化為</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>る神の<ruby><rb>号</rb><rp>(</rp><rt>ミナ</rt><rp>)</rp></ruby>を速玉之男神と曰ふ。次に掃ふ時に<ruby><rb>化出</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>る神の号を泉津事解之男神と云ふ(中略)。其の妹(中山曰。冊尊なり)と泉津平坂に相鬪ふに及びて、伊弉諾尊曰く、始め<ruby><rb>族</rb><rp>(</rp><rt>ウカラ</rt><rp>)</rp></ruby>が為めに悲しみ、<ruby><rb>思哀</rb><rp>(</rp><rt>シノ</rt><rp>)</rp></ruby>びけることは、是れ吾が<ruby><rb>怯</rb><rp>(</rp><rt>ツタナキ</rt><rp>)</rp></ruby>なり。時に泉津守道といふもの白して曰く、言あり(中山曰。冊尊の意を取次ぐもの)曰く、吾れ汝と已に国を生みにき、奈何ぞ更に生まむことを求めんや、吾れ則ちまさに此の国に留まりて、共に去るべからずといふ。是の時に菊理媛神(中山曰、此の神は巫女である。後にやや詳述する)亦白す事あり、伊弉諾尊聞しめして<ruby><rb>善</rb><rp>(</rp><rt>ホ</rt><rp>)</rp></ruby>めたまひて、乃ち<ruby><rb>散去</rb><rp>(</rp><rt>アラケ</rt><rp>)</rp></ruby>ましぬ。
: 盟ひて曰く、<ruby><rb>族離</rb><rp>(</rp><rt>ウカラハナ</rt><rp>)</rp></ruby>れなむ、又曰く、<ruby><rb>族負</rb><rp>(</rp><rt>ウカラマケ</rt><rp>)</rp></ruby>じ。乃ち<ruby><rb>唾</rb><rp>(</rp><rt>ツバ</rt><rp>)</rp></ruby>く時に<ruby><rb>化為</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>る神の<ruby><rb>号</rb><rp>(</rp><rt>ミナ</rt><rp>)</rp></ruby>を速玉之男神と曰ふ。次に掃ふ時に<ruby><rb>化出</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>る神の号を泉津事解之男神と云ふ(中略)。其の妹(中山曰。冊尊なり)と泉津平坂に相鬪ふに及びて、伊弉諾尊曰く、始め<ruby><rb>族</rb><rp>(</rp><rt>ウカラ</rt><rp>)</rp></ruby>が為めに悲しみ、<ruby><rb>思哀</rb><rp>(</rp><rt>シノ</rt><rp>)</rp></ruby>びけることは、是れ吾が<ruby><rb>怯</rb><rp>(</rp><rt>ツタナキ</rt><rp>)</rp></ruby>なり。時に泉津守道といふもの白して曰く、言あり(中山曰。冊尊の意を取次ぐもの)曰く、吾れ汝と已に國を生みにき、奈何ぞ更に生まむことを求めんや、吾れ則ちまさに此の國に留まりて、共に去るべからずといふ。是の時に菊理媛神(中山曰、此の神は巫女である。後にやや詳述する)亦白す事あり、伊弉諾尊聞しめして<ruby><rb>善</rb><rp>(</rp><rt>ホ</rt><rp>)</rp></ruby>めたまひて、乃ち<ruby><rb>散去</rb><rp>(</rp><rt>アラケ</rt><rp>)</rp></ruby>ましぬ。


とある「族離れ」「族負けじ」及び「族の為めに悲しむ」の意は、従来の所謂国学者に解釈させたら、種々なる異説もあることと思うが、神の進化の過程から言えば、それは諾尊が冊尊と絶妻したために部族を離れることであって、冊尊が『吾れまさに此の国に留まりて』とあるのは、即ち冊尊が黄泉の神となられたことを示しているのである。而して此の解釈から、当然導き出されることは、当時の我国の社会組織は、一種の「呪術集団」を以て単位としていたという点である。当時、まだ神という観念が固定せぬので、単なる神聖観念を基調として、専ら同じ呪術を信ずる部族が相集って社会をなし、これが紐帯は同じ祭儀を営み、同じ墳墓を有し、同じ言語と、同じ習慣を有する者のみで組織されていたのである。而して此の精霊から部族の神へ、更に部族の神から社会の神へと聖化し、発展したに就いては、此の神徳を称え広めた巫覡の運動が与って力があったのである。
とある「族離れ」「族負けじ」及び「族の為めに悲しむ」の意は、従来の所謂国学者に解釈させたら、種々なる異説もあることと思うが、神の進化の過程から言えば、それは諾尊が冊尊と絶妻したために部族を離れることであって、冊尊が『吾れまさに此の國に留まりて』とあるのは、即ち冊尊が黄泉の神となられたことを示しているのである。而して此の解釈から、当然導き出されることは、当時の我国の社会組織は、一種の「呪術集団」を以て単位としていたという点である。当時、まだ神という観念が固定せぬので、単なる神聖観念を基調として、専ら同じ呪術を信ずる部族が相集って社会をなし、これが紐帯は同じ祭儀を営み、同じ墳墓を有し、同じ言語と、同じ習慣を有する者のみで組織されていたのである。而して此の精霊から部族の神へ、更に部族の神から社会の神へと聖化し、発展したに就いては、此の神徳を称え広めた巫覡の運動が与って力があったのである。


; 〔註一〕 : 「古事記」の国訳は岩波文庫本に拠った。訓み方に多少の疑いもあるが、今は姑らくこれに従う。以下総てこれに同じである。
; 〔註一〕 : 「古事記」の国訳は岩波文庫本に拠った。訓み方に多少の疑いもあるが、今は姑らくこれに従う。以下総てこれに同じである。
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