日本巫女史/第一篇/第一章/第一節」を編集中

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而して此の「いつ」の我国の用法及び観念は、漢書の註に「神霊之威曰稜」と同じく〔八〕、語源は倭訓栞に『いつ、神代紀に稜威をよみ、皇代紀に厳をよめり、<ruby><rb>気出</rb><rp>(</rp><rt>イツ</rt><rp>)</rp></ruby>の義なるべし』とある如く、これが<ruby><rb>神秘力</rb><rp>(</rp><rt>ミスティック・パワー</rt><rp>)</rp></ruby>となって、稲の精霊を<ruby><rb>厳稲魂女</rb><rp>(</rp><rt>イツノウカノメ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、呪詛することを<ruby><rb>巌呪詛</rb><rp>(</rp><rt>イツノカジリ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、呪力を有する武器を<ruby><rb>稜威之高鞆</rb><rp>(</rp><rt>イツノタカトモ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、天皇の御大言を<ruby><rb>厳勅</rb><rp>(</rp><rt>イツノクシキミコトノリ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、国家の大典を<ruby><rb>憲法</rb><rp>(</rp><rt>イツクシキノリ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い。更に祭具を<ruby><rb>厳瓮</rb><rp>(</rp><rt>イツベ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、斎主を<ruby><rb>厳媛</rb><rp>(</rp><rt>イツヒメ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、これより転じて斎きとなり、<ruby><rb>厳忌</rb><rp>(</rp><rt>イチハヤシ</rt><rp>)</rp></ruby>となるなど、我国古代の、神聖とか、神秘とか、霊験とか、威厳とかいうべき思想は、悉く此の「いつ」の語によって表現されているのである。従って、我国上代の生命の本質は、実に此の「いつ」の観念に存していたのである。而して此の神聖観念は、精霊観念と或は併行し、或は抱合して、遂に神なるものを発見するまでに進んだのである。
而して此の「いつ」の我国の用法及び観念は、漢書の註に「神霊之威曰稜」と同じく〔八〕、語源は倭訓栞に『いつ、神代紀に稜威をよみ、皇代紀に厳をよめり、<ruby><rb>気出</rb><rp>(</rp><rt>イツ</rt><rp>)</rp></ruby>の義なるべし』とある如く、これが<ruby><rb>神秘力</rb><rp>(</rp><rt>ミスティック・パワー</rt><rp>)</rp></ruby>となって、稲の精霊を<ruby><rb>厳稲魂女</rb><rp>(</rp><rt>イツノウカノメ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、呪詛することを<ruby><rb>巌呪詛</rb><rp>(</rp><rt>イツノカジリ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、呪力を有する武器を<ruby><rb>稜威之高鞆</rb><rp>(</rp><rt>イツノタカトモ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、天皇の御大言を<ruby><rb>厳勅</rb><rp>(</rp><rt>イツノクシキミコトノリ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、国家の大典を<ruby><rb>憲法</rb><rp>(</rp><rt>イツクシキノリ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い。更に祭具を<ruby><rb>厳瓮</rb><rp>(</rp><rt>イツベ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、斎主を<ruby><rb>厳媛</rb><rp>(</rp><rt>イツヒメ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、これより転じて斎きとなり、<ruby><rb>厳忌</rb><rp>(</rp><rt>イチハヤシ</rt><rp>)</rp></ruby>となるなど、我国古代の、神聖とか、神秘とか、霊験とか、威厳とかいうべき思想は、悉く此の「いつ」の語によって表現されているのである。従って、我国上代の生命の本質は、実に此の「いつ」の観念に存していたのである。而して此の神聖観念は、精霊観念と或は併行し、或は抱合して、遂に神なるものを発見するまでに進んだのである。


我が日本人が、始めて神を発見したときの神の力は、守護の神霊ともいうべきほどのものであって、個人的の精霊よりは一歩すすめたが、まだ社会的の神とはならなかった。謂わばその中間にある部族を守護する神霊(後の氏神)に過ぎなかったのである。「日本書紀」の一書、諾尊が冊尊と<ruby><rb>絶妻誓</rb><rp>(</rp><rt>コトドワタ</rt><rp>)</rp></ruby>しの条に、
我が日本人が、始めて神を発見したときの神の力は、守護の神霊ともいうべきほどのものであって、個人的の精霊よりは一歩すすめたが、まだ社会的の神とはならなかった。謂わばその中間にある部族を守護する神霊(後の氏神)に過ぎなかったのである。「日本書紀」の一書、諾尊が冊尊と<ruby><rb>絶妻誓</rb><rp>(</rp><rt>コトドワタ</rt><rp>)</rp></ruby>しの條に、


: 盟ひて曰く、<ruby><rb>族離</rb><rp>(</rp><rt>ウカラハナ</rt><rp>)</rp></ruby>れなむ、又曰く、<ruby><rb>族負</rb><rp>(</rp><rt>ウカラマケ</rt><rp>)</rp></ruby>じ。乃ち<ruby><rb>唾</rb><rp>(</rp><rt>ツバ</rt><rp>)</rp></ruby>く時に<ruby><rb>化為</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>る神の<ruby><rb>号</rb><rp>(</rp><rt>ミナ</rt><rp>)</rp></ruby>を速玉之男神と曰ふ。次に掃ふ時に<ruby><rb>化出</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>る神の号を泉津事解之男神と云ふ(中略)。其の妹(中山曰。冊尊なり)と泉津平坂に相鬪ふに及びて、伊弉諾尊曰く、始め<ruby><rb>族</rb><rp>(</rp><rt>ウカラ</rt><rp>)</rp></ruby>が為めに悲しみ、<ruby><rb>思哀</rb><rp>(</rp><rt>シノ</rt><rp>)</rp></ruby>びけることは、是れ吾が<ruby><rb>怯</rb><rp>(</rp><rt>ツタナキ</rt><rp>)</rp></ruby>なり。時に泉津守道といふもの白して曰く、言あり(中山曰。冊尊の意を取次ぐもの)曰く、吾れ汝と已に国を生みにき、奈何ぞ更に生まむことを求めんや、吾れ則ちまさに此の国に留まりて、共に去るべからずといふ。是の時に菊理媛神(中山曰、此の神は巫女である。後にやや詳述する)亦白す事あり、伊弉諾尊聞しめして<ruby><rb>善</rb><rp>(</rp><rt>ホ</rt><rp>)</rp></ruby>めたまひて、乃ち<ruby><rb>散去</rb><rp>(</rp><rt>アラケ</rt><rp>)</rp></ruby>ましぬ。
: 盟ひて曰く、<ruby><rb>族離</rb><rp>(</rp><rt>ウカラハナ</rt><rp>)</rp></ruby>れなむ、又曰く、<ruby><rb>族負</rb><rp>(</rp><rt>ウカラマケ</rt><rp>)</rp></ruby>じ。乃ち<ruby><rb>唾</rb><rp>(</rp><rt>ツバ</rt><rp>)</rp></ruby>く時に<ruby><rb>化為</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>る神の<ruby><rb>号</rb><rp>(</rp><rt>ミナ</rt><rp>)</rp></ruby>を速玉之男神と曰ふ。次に掃ふ時に<ruby><rb>化出</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>る神の号を泉津事解之男神と云ふ(中略)。其の妹(中山曰。冊尊なり)と泉津平坂に相鬪ふに及びて、伊弉諾尊曰く、始め<ruby><rb>族</rb><rp>(</rp><rt>ウカラ</rt><rp>)</rp></ruby>が為めに悲しみ、<ruby><rb>思哀</rb><rp>(</rp><rt>シノ</rt><rp>)</rp></ruby>びけることは、是れ吾が<ruby><rb>怯</rb><rp>(</rp><rt>ツタナキ</rt><rp>)</rp></ruby>なり。時に泉津守道といふもの白して曰く、言あり(中山曰。冊尊の意を取次ぐもの)曰く、吾れ汝と已に国を生みにき、奈何ぞ更に生まむことを求めんや、吾れ則ちまさに此の国に留まりて、共に去るべからずといふ。是の時に菊理媛神(中山曰、此の神は巫女である。後にやや詳述する)亦白す事あり、伊弉諾尊聞しめして<ruby><rb>善</rb><rp>(</rp><rt>ホ</rt><rp>)</rp></ruby>めたまひて、乃ち<ruby><rb>散去</rb><rp>(</rp><rt>アラケ</rt><rp>)</rp></ruby>ましぬ。
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; 〔註一〕 : 「古事記」の国訳は岩波文庫本に拠った。訓み方に多少の疑いもあるが、今は姑らくこれに従う。以下総てこれに同じである。
; 〔註一〕 : 「古事記」の国訳は岩波文庫本に拠った。訓み方に多少の疑いもあるが、今は姑らくこれに従う。以下総てこれに同じである。
; 〔註二〕 : 「日本書紀」の国訳も、同じく岩波文庫本に拠った。ただ私が本書を執筆した際には、「神代巻」だけしか発行されなかったので、それ以下は国史大系本の原文に拠るとした。記事の統一を欠く憾みがあるも致し方がない。
; 〔註二〕 : 「日本書紀」の国訳も、同じく岩波文庫本に拠った。ただ私が本書を執筆した際には、「神代巻」だけしか発行されなかったので、それ以下は国史大系本の原文に拠るとした。記事の統一を欠く憾みがあるも致し方がない。
; 〔註三〕 : 本居翁の「古事記伝」の該条に、詳しく病魔の事が載せてある。<br/>猶、この機会に言うて置くが、「古事記」に、諾冊二尊が蛭子を儲けた折に、「天神の命を請い」云々とあるより推して、病魔や死魔以前に、既に神の存したことを説く学者が多いのであるが、私は、此の神は、神話が永く伝承される間に構成されたものだと考えている。
; 〔註三〕 : 本居翁の「古事記伝」の該條に、詳しく病魔の事が載せてある。<br/>猶、この機会に言うて置くが、「古事記」に、諾冊二尊が蛭子を儲けた折に、「天神の命を請い」云々とあるより推して、病魔や死魔以前に、既に神の存したことを説く学者が多いのであるが、私は、此の神は、神話が永く伝承される間に構成されたものだと考えている。
; 〔註四〕 : 我が古代では蛇と雷は一体であると信じていた。詳細は「郷土趣味」特別号の雷神研究号の拙稿に尽した考えである。
; 〔註四〕 : 我が古代では蛇と雷は一体であると信じていた。詳細は「郷土趣味」特別号の雷神研究号の拙稿に盡した考えである。
; 〔註五〕 : 我国では、火の神より、水の神に対する信仰の方が、古くから在ったように思う。火の無い時代は考えられるが、水の無い時代は想像されぬ。これに就いても「郊外」誌上に拙稿を載せたことがある。
; 〔註五〕 : 我国では、火の神より、水の神に対する信仰の方が、古くから在ったように思う。火の無い時代は考えられるが、水の無い時代は想像されぬ。これに就いても「郊外」誌上に拙稿を載せたことがある。
; 〔註六〕 : こう云うと、如何にも我国には宗教に先って呪術が在った——所謂呪術先行説のように解せられるのであるが、私の知る限りでは、我国に呪術先行を積極的に証示すべき手掛りは、無いように思われる。勿論、私はかかる問題に対しては門外漢であるが、思いついたままを記すとする。
; 〔註六〕 : こう云うと、如何にも我国には宗教に先って呪術が在った——所謂呪術先行説のように解せられるのであるが、私の知る限りでは、我国に呪術先行を積極的に証示すべき手掛りは、無いように思われる。勿論、私はかかる問題に対しては門外漢であるが、思いついたままを記すとする。
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