日本巫女史/第一篇/第一章/第三節」を編集中

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: 今先ず日本の教えがシャマニズムと同じように、女巫の教であったと云うことを申上げます。日本では、昔は神主は多く女でありまして、男は少のう御座いました。それ故に斎主を斎姫とも云います。中頃になって、支那の文明を採用し、日本の文明が段々支那流になって来ましたが、それでも女巫の宗教であった時代の遺風として、其時代にも<ruby><rb>御巫</rb><rp>(</rp><rt>ミカンナギ</rt><rp>)</rp></ruby>と云うのは女でありまして、娘で神を祭る事が出来る資格の者を採ったのであります。<ruby><rb>祝</rb><rp>(</rp><rt>ハフリ</rt><rp>)</rp></ruby>と云うのは神主のようなものであるけれども、これも中世までは女が多く、祝と<ruby><rb>禰宜</rb><rp>(</rp><rt>ネギ</rt><rp>)</rp></ruby>とを一つの社に並べて置いた時も、祝も禰宜も女の方が男よりも多う御座いました。中古でさえ此位であったから、其昔に於いて女が多く宗教に<ruby><rb>携</rb><rp>(</rp><rt>たずさ</rt><rp>)</rp></ruby>わったことは勿論のことであります。故に大昔には猿女君などと云つて、女を以て神に事えることを職とした種族もあった。天朝でも、天照大御神を祭り、大国魂神を祭るのは、<ruby><rb>皇女</rb><rp>(</rp><rt>ヒメミコ</rt><rp>)</rp></ruby>の御役であった。胸肩神と云うのが九州にありますが、<ruby><rb>采女</rb><rp>(</rp><rt>ウネメ</rt><rp>)</rp></ruby>を遣って其祭を助けさせたことが、古い書物に書いてあります。神に事える女を<ruby><rb>巫</rb><rp>(</rp><rt>カンナギ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、男性で神に事えるのを<ruby><rb>男巫</rb><rp>(</rp><rt>ヲカンナギ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、始めは神に事える者は巫と云えば女性であると云うことが分り、男で神に事える者の方は後になって出来たゆえに、男と云う字を附けて男巫と云うようにして、男女を分ったと云うことを考えると、言葉の上から言っても、日本は始めは女巫の宗教の国であったと云うことが明白ではありませぬか。斯様に女性が宗教を掌るのは日本ばかりではない(中略)。地理の上から言うと、日本、朝鮮、満洲、蒙古と、地続きで何れも女巫の世界でありました。私は此事実に拠つても、斯う云う国は何れも女巫の宗教を信ずる国であったと云うことを断定するに足りると思う云々。
: 今先ず日本の教えがシャマニズムと同じように、女巫の教であったと云うことを申上げます。日本では、昔は神主は多く女でありまして、男は少のう御座いました。それ故に斎主を斎姫とも云います。中頃になって、支那の文明を採用し、日本の文明が段々支那流になって来ましたが、それでも女巫の宗教であった時代の遺風として、其時代にも<ruby><rb>御巫</rb><rp>(</rp><rt>ミカンナギ</rt><rp>)</rp></ruby>と云うのは女でありまして、娘で神を祭る事が出来る資格の者を採ったのであります。<ruby><rb>祝</rb><rp>(</rp><rt>ハフリ</rt><rp>)</rp></ruby>と云うのは神主のようなものであるけれども、これも中世までは女が多く、祝と<ruby><rb>禰宜</rb><rp>(</rp><rt>ネギ</rt><rp>)</rp></ruby>とを一つの社に並べて置いた時も、祝も禰宜も女の方が男よりも多う御座いました。中古でさえ此位であったから、其昔に於いて女が多く宗教に<ruby><rb>携</rb><rp>(</rp><rt>たずさ</rt><rp>)</rp></ruby>わったことは勿論のことであります。故に大昔には猿女君などと云つて、女を以て神に事えることを職とした種族もあった。天朝でも、天照大御神を祭り、大国魂神を祭るのは、<ruby><rb>皇女</rb><rp>(</rp><rt>ヒメミコ</rt><rp>)</rp></ruby>の御役であった。胸肩神と云うのが九州にありますが、<ruby><rb>采女</rb><rp>(</rp><rt>ウネメ</rt><rp>)</rp></ruby>を遣って其祭を助けさせたことが、古い書物に書いてあります。神に事える女を<ruby><rb>巫</rb><rp>(</rp><rt>カンナギ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、男性で神に事えるのを<ruby><rb>男巫</rb><rp>(</rp><rt>ヲカンナギ</rt><rp>)</rp></ruby>と云い、始めは神に事える者は巫と云えば女性であると云うことが分り、男で神に事える者の方は後になって出来たゆえに、男と云う字を附けて男巫と云うようにして、男女を分ったと云うことを考えると、言葉の上から言っても、日本は始めは女巫の宗教の国であったと云うことが明白ではありませぬか。斯様に女性が宗教を掌るのは日本ばかりではない(中略)。地理の上から言うと、日本、朝鮮、満洲、蒙古と、地続きで何れも女巫の世界でありました。私は此事実に拠つても、斯う云う国は何れも女巫の宗教を信ずる国であったと云うことを断定するに足りると思う云々。


更に山路氏は論旨をすすめて、(一)シャマンの祭儀(神杆を樹て、鈴を用いることなど)と、我国の神道の祭儀との共通を説き、(二)シャマンの宇宙観が、天、地、下界と立体的の三層にあることが、同じく我が神道の高天原、顕国、黄泉国と三界に言うのと一致するを明にし、(三)三神を一組にして崇拝する事が日韓満共に同源から出たこと等を挙げて、シャーマン教と原始神道との関係、及び原始神道が巫女教であった事を詳細に論じている。
更に山路氏は論旨をすすめて、(一)シャマンの祭儀(神杆を樹て、鈴を用いることなど)と、我国の神道の祭儀との共通を説き、(二)シャマンの宇宙観が、天、地、下界と立体的の三層にあることが、同じく我が神道の高天原、顕国、黄泉国と三界に言うのと一致するを明にし、(三)三神を一組にして崇拝する事が日韓満共に同源から出たこと等を挙げて、シャーマン教と原始神道との関係、及び原始神道が巫女教であった事を詳細に論じしている。


山路氏は生前野史国士を以て自ら任じ、他も許した人だけに、此の種の文化現象を専門に研究している者から見ると、論旨が大<u>まか</u>で観察も多少藪睨みのところがあるのは免れぬが、それにしても、当時にあって、専門外の同氏が早く此の点に着眼したことは、氏が凡庸の史家でなかったことを証拠立てると同時に、永く此の研究の権輿者たる光栄を荷うものである。私が長々と氏の講演を引用したのも、生前に知遇を受けていたばかりでなく、全く此の微意に外ならぬのである。而して最近になっては鳥居龍蔵氏を始め、上田万年氏、白鳥庫吉氏を重なるものとし〔一一〕、此の外にも多くの研究者を出している。
山路氏は生前野史国士を以て自ら任じ、他も許した人だけに、此の種の文化現象を専門に研究している者から見ると、論旨が大<u>まか</u>で観察も多少藪睨みのところがあるのは免れぬが、それにしても、当時にあって、専門外の同氏が早く此の点に着眼したことは、氏が凡庸の史家でなかったことを証拠立てると同時に、永く此の研究の権輿者たる光栄を荷うものである。私が長々と氏の講演を引用したのも、生前に知遇を受けていたばかりでなく、全く此の微意に外ならぬのである。而して最近になっては鳥居龍蔵氏を始め、上田万年氏、白鳥庫吉氏を重なるものとし〔一一〕、此の外にも多くの研究者を出している。
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