「日本巫女史/第一篇/第一章/第三節」を編集中
ナビゲーションに移動
検索に移動
この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を公開して取り消しを完了してください。
最新版 | 編集中の文章 | ||
33行目: | 33行目: | ||
; 〔註一〇〕 : 山路氏が主宰した「独立評論」に連載したものを、後に「山路愛山講演集」第二に収めた。今は講演集に拠った。 | ; 〔註一〇〕 : 山路氏が主宰した「独立評論」に連載したものを、後に「山路愛山講演集」第二に収めた。今は講演集に拠った。 | ||
; 〔註一一〕 : | ; 〔註一一〕 : 鳥居氏は多くの著書において、上田氏は神道談話会、白鳥氏は東洋文庫講演会において、共に高見を発表されている。茲に一々それを記述することは出来ぬけれども、いづれも大家の説とて傾聴すべきものである。 | ||
; 〔註一二〕 : 白鳥庫吉氏の講演で、此の事を聴いた。猶お雑誌「民族」に掲載された、圀下大慧氏のシャーマンに関する論文中には、此の問題に触れたところが多い。 | ; 〔註一二〕 : 白鳥庫吉氏の講演で、此の事を聴いた。猶お雑誌「民族」に掲載された、圀下大慧氏のシャーマンに関する論文中には、此の問題に触れたところが多い。 | ||
; 〔註一三〕 : 此の事は「古事記」に見えている。新嘗をなされるということは、即ち神々を祭られる儀式であることは言うまでもない。我国の至上神が猶お神を祭るとあるのは、至上神が御女性であったためである。 | ; 〔註一三〕 : 此の事は「古事記」に見えている。新嘗をなされるということは、即ち神々を祭られる儀式であることは言うまでもない。我国の至上神が猶お神を祭るとあるのは、至上神が御女性であったためである。 |