日本巫女史/第一篇/第一章/第三節」を編集中

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原始神道が巫女教であったことは、山路氏の研究でその要領は尽きているのであるが、併し私は此の研究の総てを無条件で受け容れる者ではない。成る程、我国の原始神道は、山路氏の言われた如く、(一)地理的に見てシャマニズムの圏内に入るものであろうし、(二)教理的に見て共通の点が多くあるし、(三)祭儀的に見て類似の形式が尠くないことだけは異存もないが、これより一歩すすめて、原始神道は直ちにシャマニズムなりと言うに至っては、私としては如何にするにも承認することが出来ぬのである。専門外の研究ではあるが、現存の学者中にも原始神道即ちシャマニズムと考えている者も少くないようであるから、此の機会を利用して私の考えているところを述べるとする。
原始神道が巫女教であったことは、山路氏の研究でその要領は尽きているのであるが、併し私は此の研究の総てを無条件で受け容れる者ではない。成る程、我国の原始神道は、山路氏の言われた如く、(一)地理的に見てシャマニズムの圏内に入るものであろうし、(二)教理的に見て共通の点が多くあるし、(三)祭儀的に見て類似の形式が尠くないことだけは異存もないが、これより一歩すすめて、原始神道は直ちにシャマニズムなりと言うに至っては、私としては如何にするにも承認することが出来ぬのである。専門外の研究ではあるが、現存の学者中にも原始神道即ちシャマニズムと考えている者も少くないようであるから、此の機会を利用して私の考えているところを述べるとする。


私がシャーマン教に就いて有している知識は、誠に恥しいほど稀薄のものではあるが、その稀薄なる聞見から言うも、第一は我国の巫女は教義の基調を祖先崇拝に置いているのに、シャーマン教の巫女は、全く祖先崇拝と交渉を有していない点である。我国の巫女を通じて託宣する神の多くは祖先神(始めは氏神であったのが、後に社会組織の推移につれて<ruby><rb>産土</rb><rp>(</rp><rt>ウブスナ</rt><rp>)</rp></ruby>神となった。これに就いて後段に記述する)であるが、シャーマン教の巫女に憑くものは、祖先神でなくして、遊離している一種の精霊にしか過ぎぬようである。第二は我が原始神道における巫女の多くは、直ちに神として崇拝され(又巫女自身もかく信じていた)ていたのであるが、シャーマン教の巫女は、どこまでも精霊と人間との間に介在するものであって、決して神として崇拝されていない。第三は巫女となる形式上の手続きにおいて、両者の間に相違がある。家の娘が母の後を承けて巫女となるに就いては、彼我共に共通の相続を以てしたようであるが、実際の娘以外の女性(親族または弟子)が巫女になって跡を継ぐには、彼にあっては山中にある鏡を拾い得ることを条件とするに反し、我にあっては、多く発熱して、神懸り状態の症状となることが要件になっている。
私がシャーマン教に就いて有している知識は、誠に恥しいほど稀薄のものではあるが、その稀薄なる見聞から言うも、第一は我国の巫女は教義の基調を祖先崇拝に置いているのに、シャーマン教の巫女は、全く祖先崇拝と交渉を有していない点である。我国の巫女を通じて託宣する神の多くは祖先神(始めは氏神であったのが、後に社会組織の推移につれて<ruby><rb>産土</rb><rp>(</rp><rt>ウブスナ</rt><rp>)</rp></ruby>神となった。これに就いて後段に記述する)であるが、シャーマン教の巫女に憑くものは、祖先神でなくして、遊離している一種の精霊にしか過ぎぬようである。第二は我が原始神道における巫女の多くは、直ちに神として崇拝され(又巫女自身もかく信じていた)ていたのであるが、シャーマン教の巫女は、どこまでも精霊と人間との間に介在するものであって、決して神として崇拝されていない。第三は巫女となる形式上の手続きにおいて、両者の間に相違がある。家の娘が母の後を承けて巫女となるに就いては、彼我共に共通の相続を以てしたようであるが、実際の娘以外の女性(親族または弟子)が巫女になって跡を継ぐには、彼にあっては山中にある鏡を拾い得ることを条件とするに反し、我にあっては、多く発熱して、神懸り状態の症状となることが要件になっている。


以上の三点は、その重なるものに過ぎぬが、更に此の理由から派生したものとして、巫女の神祇観において、巫女が行う呪術の方法において、更に巫女の性的方面の作法において、彼我の間に相違するものが相当に存しているのである。而して最近の研究によれば、シャーマンと云う語義、及びシャーマンの有せる宇宙観の如きも、果して彼れ独特のものか否かさえ判然せず〔一二〕、従って我が原始神道の世界観の如きも、シャーマニズムよりも、寧ろ仏教の教理に負うのではないかと云う説あるにおいては、猶お今後の研究を俟つべきものが多いのである。私は原始神道がシャーマン教によく似ていると云うのならば異議はないが、これより進んで全く同じだと云うに対しては、到底左袒することが出来ぬのである。
以上の三点は、その重なるものに過ぎぬが、更に此の理由から派生したものとして、巫女の神祇観において、巫女が行う呪術の方法において、更に巫女の性的方面の作法において、彼我の間に相違するものが相当に存しているのである。而して最近の研究によれば、シャーマンと云う語義、及びシャーマンの有せる宇宙観の如きも、果して彼れ独特のものか否かさえ判然せず〔一二〕、従って我が原始神道の世界観の如きも、シャーマニズムよりも、寧ろ仏教の教理に負うのではないかと云う説あるにおいては、猶お今後の研究を俟つべきものが多いのである。私は原始神道がシャーマン教によく似ていると云うのならば異議はないが、これより進んで全く同じだと云うに対しては、到底左袒することが出来ぬのである。
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