日本巫女史/第一篇/第一章/第二節」を編集中

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此の考証は、我国の巫女史にとっては、かなり重大なる示唆を与えているのである。即ち第一は、巫女の初見の記事が、恰も後世の口寄の如く、死霊の意を通じていること、第二は、此の菊理媛神の鎮座せる加賀の<ruby><rb>白山</rb><rp>(</rp><rt>シラヤマ</rt><rp>)</rp></ruby>神社を中心とせる巫女が、一流をなして永く世に存したことである(これに就いては後段に述べる機会がある)。第三は「白す」という言葉の意味であるが、今に各国の各地で祭のことを「申す」というのは此の名残りであって、然も此の言葉の底には、祭のある毎に託宣のあったことを思わせ、その託宣が泯びてしまってからは、神から人に白すことが、反対に人から——即ち祠官から神に申すように変ってしまったのである。而して此の立場から言えば、菊理媛神より前に、冊尊の言を諾尊に白した泉津道守(重胤翁の考証にては、道守は関守で、男性であろうと云うている)は、覡男であったと考えられぬでもないが、今はそこまで言う必要もないと思うので差控える。我国の巫女はその最初から、幽冥の境に在る霊魂の言を、顕世の人に伝える<ruby><rb>霊媒者</rb><rp>(</rp><rt>ミディアム</rt><rp>)</rp></ruby>として考えられていたようであるが、併しこれは巫女の行うた呪術の一面であって、これ以外にも巫女の仕事は夥しきまでに存していたことは言うまでもない。
此の考証は、我国の巫女史にとっては、かなり重大なる示唆を与えているのである。即ち第一は、巫女の初見の記事が、恰も後世の口寄の如く、死霊の意を通じていること、第二は、此の菊理媛神の鎮座せる加賀の<ruby><rb>白山</rb><rp>(</rp><rt>シラヤマ</rt><rp>)</rp></ruby>神社を中心とせる巫女が、一流をなして永く世に存したことである(これに就いては後段に述べる機会がある)。第三は「白す」という言葉の意味であるが、今に各国の各地で祭のことを「申す」というのは此の名残りであって、然も此の言葉の底には、祭のある毎に託宣のあったことを思わせ、その託宣が泯びてしまってからは、神から人に白すことが、反対に人から——即ち祠官から神に申すように変ってしまったのである。而して此の立場から言えば、菊理媛神より前に、冊尊の言を諾尊に白した泉津道守(重胤翁の考証にては、道守は関守で、男性であろうと云うている)は、覡男であったと考えられぬでもないが、今はそこまで言う必要もないと思うので差控える。我国の巫女はその最初から、幽冥の境に在る霊魂の言を、顕世の人に伝える<ruby><rb>霊媒者</rb><rp>(</rp><rt>ミディアム</rt><rp>)</rp></ruby>として考えられていたようであるが、併しこれは巫女の行うた呪術の一面であって、これ以外にも巫女の仕事は夥しきまでに存していたことは言うまでもない。


我国には古く「をなり神」の信仰というがあった。此の信仰は、余りに原始的であったために、内地においては夙に痕跡を残さぬまでに泯びてしまったが、それでも克明に社名や地名を詮索すると、各地に於成神社または母成峠などが今に存しているし、更に「をなりど伝説」なるものが(これに就いては後段に詳述する参照を乞う)、これ亦各地に残っているので、古くその信仰が殆ど全国に渉って行われたことが知られるのである。而して此の「をなり神」なるものは、内地の古俗を化石させて、そのまま保存して来た琉球のそれを基準として考えると、同胞のうち、姉なり妹なり(姉妹のなき者は従姉妹)の女性は、兄なり弟なり、男性の守護神となるという信仰で、此の「をなり神」に姉妹の生身魂の義があると云われている。これに就き、同地出身の伊波普猷氏は、その著「琉球聖典おもろさうし選釈」において、左の如き考証を発表されている。
我国には古く「おなり神」の信仰というがあった。此の信仰は、余りに原始的であったために、内地においては夙に痕跡を残さぬまでに泯びてしまったが、それでも克明に社名や地名を詮索すると、各地に於成神社または母成峠などが今に存しているし、更に「おなりど伝説」なるものが(これに就いては後段に詳述する参照を乞う)、これ亦各地に残っているので、古くその信仰が殆ど全国に渉って行われたことが知られるのである。而して此の「おなり神」なるものは、内地の古俗を化石させて、そのまま保存して来た琉球のそれを基準として考えると、同胞のうち、姉なり妹なり(姉妹のなき者は従姉妹)の女性は、兄なり弟なり、男性の守護神となるという信仰で、此の「おなり神」に姉妹の生身魂の義があると云われている。これに就き、同地出身の伊波普猷氏は、その著「琉球聖典おもろさうし選釈」において、左の如き考証を発表されている。


:     すずなりがふなやれのふし
:     すずなりがふなやれのふし
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: 第二、姉妹が直ちに兄弟の守護神となり得たことは、女子に多くの神性を認めたことであって、その神性の基調は、女子が巫女たる可能性に富んでいたことを証すること。
: 第二、姉妹が直ちに兄弟の守護神となり得たことは、女子に多くの神性を認めたことであって、その神性の基調は、女子が巫女たる可能性に富んでいたことを証すること。
: 第三、更に姉妹が直ちに兄弟の守護神となり得たことは、当時の巫女が、家族的巫女(Family Witch)であって、まだ職業的巫女(Professional Witch)が発生しなかったこと。
: 第三、更に姉妹が直ちに兄弟の守護神となり得たことは、当時の巫女が、家族的巫女(Family Witch)であって、まだ職業的巫女(Professional Witch)が発生しなかったこと。
: 第四、後世、我国で妻女を「山の神」と称し、宅内の祭祀に服したことは、遠く源流を「をなり神」の信仰に発し、家族的巫女の面影を残したものであること。
: 第四、後世、我国で妻女を「山の神」と称し、宅内の祭祀に服したことは、遠く源流を「おなり神」の信仰に発し、家族的巫女の面影を残したものであること。
: 第五、女子に多くの神性を認めた結果として、我国の古代には神々に仕える者を女性に限った最大の理由であること。
: 第五、女子に多くの神性を認めた結果として、我国の古代には神々に仕える者を女性に限った最大の理由であること。


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