日本巫女史/第一篇/第一章/第二節」を編集中

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:   くせ、はべる、なりよわちへ
:   くせ、はべる、なりよわちへ
: をなり神をうたったオモロ。これは「船ゑとのおもろさうし」の中のもので、表題の「すじなりがふなやれのふし」には、すずなり丸(船名)航行の歌というほどの意味がある。
: をなり神をうたったオモロ。これは「船ゑとのおもろさうし」の中のもので、表題の「すじなりがふなやれのふし」には、すずなり丸(船名)航行の歌というほどの意味がある。
: (釈)一、<u>あが</u>は我が。二、<u>おなりみかみ</u>は姉妹の生ける霊の義。五の巻(中山曰。おもろさうし)の六十七章尚真王をうたったオモロに、「をなりぎみたかべ(中山曰。たかべは拝むの意)」という句がある。をなり神を拝む風習は、今尚沖縄諸島全体に遺っている。琉球の上古では、女子の地位はそう低くはなかった(中略)。又氏神は、男神、女神の二柱になっているが、女神が男神の上に位している。そして女神に仕えるおみなり(中山曰。女神の意)おこで(中山曰。託女の意)でも、男子に仕えるおみけり(中山曰。女神の意)おこで(中山曰。同上)の上に位している。これらはいずれも母権時代の面影を留めているものではあるまいか。久高島の結婚式の時に合唱する「ゐけがみぐわ<ruby><rb>産</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>さば、首里がなしみやだいり、ゐなごみぐわ<ruby><rb>産</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>さば、君のみやだいり」(原註。男の子を生んだら、首里の王の御奉公をさせよう。女の子を生んだら、聞得大君(中山曰。内地の斎宮、斎院と同じ意味のもので、琉球王の王姉又は王姪が任ぜられ、古くはその位置は王の皇后より高かった)の御奉公をさせよう)という謡の通り、祭政一致時代には、男子は政治にたずさわり、女子は祭事にたずさわるようになっていたが、特に女子は、神によって神聖な力を附与されたものとして尊敬されていた。久高島では、十二年に一回イザイホーという女子の成年試験(中山曰。内地にも此の種の民俗が行われたが、それは[[日本巫女史/第二篇/第三章/第五節|後段]]に詳述する)が行われているが、これに及第した者は聞得大君に仕える資格があるとされている。男子が海外に出る場合には、をなり神(原註。姉妹のおすじ)が終始つきまとって、彼を守護するという信仰は、今なお沖縄諸島全体に遺っている。そして彼等がをなり神の頂の髪を乞うて、守り袋に入れて旅立つ風習は首里那覇辺にさえ、ついこの頃まで遺っていた。三、<u>まぶら</u>は守らん。四、<u>でて</u>はとて。五、<u>おわちやむ</u>は来ませり。六、<u>やれ</u>、<u>ゑけ</u>は舟をやる時のかけ声。七、<u>おとおなり</u>は妹。八、<u>あやはべる</u>は綾蝶即ち美しい胡蝶。九、<u>くせはべる</u>はその対語。奇しき胡蝶の意(中略)。一〇、<u>なりわちへ</u>は成り給いて。
: (釈)一、<u>あが</u>は我が。二、<u>おなりみかみ</u>は姉妹の生ける霊の義。五の巻(中山曰。おもろさうし)の六十七章尚真王をうたったオモロに、「をなりぎみたかべ(中山曰。たかべは拝むの意)」という句がある。をなり神を拝む風習は、今尚沖縄諸島全体に遺っている。琉球の上古では、女子の地位はそう低くはなかった(中略)。又氏神は、男神、女神の二柱になっているが、女神が男神の上に位している。そして女神に仕えるおみなり(中山曰。女神の意)おこで(中山曰。託女の意)でも、男子に仕えるおみけり(中山曰。女神の意)おこで(中山曰。同上)の上に位している。これらはいずれも母権時代の面影を留めているものではあるまいか。久高島の結婚式の時に合唱する「ゐけがみぐわ<ruby><rb>産</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>さば、首里がなしみやだいり、ゐなごみぐわ<ruby><rb>産</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>さば、君のみやだいり」(原註。男の子を生んだら、首里の王の御奉公をさせよう。女の子を生んだら、聞得大君(中山曰。内地の斎宮、斎院と同じ意味のもので、琉球王の王姉又は王姪が任ぜられ、古くはその位置は王の皇后より高かった)の御奉公をさせよう)という謡の通り、祭政一致時代には、男子は政治にたずさわり、女子は祭事にたずさわるようになっていたが、特に女子は、神によって神聖な力を附与されたものとして尊敬されていた。久高島では、十二年に一回イザイホーという女子の成年試験(中山曰。内地にも此の種の民俗が行われたが、それは後段に詳述する)が行われているが、これに及第した者は聞得大君に仕える資格があるとされている。男子が海外に出る場合には、をなり神(原註。姉妹のおすじ)が終始つきまとって、彼を守護するという信仰は、今なお沖縄諸島全体に遺っている。そして彼等がをなり神の頂の髪を乞うて、守り袋に入れて旅立つ風習は首里那覇辺にさえ、ついこの頃まで遺っていた。三、<u>まぶら</u>は守らん。四、<u>でて</u>はとて。五、<u>おわちやむ</u>は来ませり。六、<u>やれ</u>、<u>ゑけ</u>は舟をやる時のかけ声。七、<u>おとおなり</u>は妹。八、<u>あやはべる</u>は綾蝶即ち美しい胡蝶。九、<u>くせはべる</u>はその対語。奇しき胡蝶の意(中略)。一〇、<u>なりわちへ</u>は成り給いて。
: 我が<ruby><rb>同胞</rb><rp>(</rp><rt>ハラカラ</rt><rp>)</rp></ruby>なる<ruby><rb>女神</rb><rp>(</rp><rt>メガミ</rt><rp>)</rp></ruby>、我を守らんとて、来ませり。(エンヤラヤー)。妹の生ける<ruby><rb>霊</rb><rp>(</rp><rt>ミタマ</rt><rp>)</rp></ruby>、美しき胡蝶になりて、奇しき胡蝶となりての意。「やれ、ゑけ」という船を<ruby><rb>行</rb><rp>(</rp><rt>ヤ</rt><rp>)</rp></ruby>る時のかけ声などがあるところから見ると、このオモロを航海中に唄ったことがわかる。沖縄では今日でも胡蝶はあの世の使者といわれているが、オモロ時代には生ける「をなり神」(原註。即ち<ruby><rb>顯</rb><rp>(</rp><rt>アキ</rt><rp>)</rp></ruby>つ神、姉妹)の象徴とされたことがわかる云々。
: 我が<ruby><rb>同胞</rb><rp>(</rp><rt>ハラカラ</rt><rp>)</rp></ruby>なる<ruby><rb>女神</rb><rp>(</rp><rt>メガミ</rt><rp>)</rp></ruby>、我を守らんとて、来ませり。(エンヤラヤー)。妹の生ける<ruby><rb>霊</rb><rp>(</rp><rt>ミタマ</rt><rp>)</rp></ruby>、美しき胡蝶になりて、奇しき胡蝶となりての意。「やれ、ゑけ」という船を<ruby><rb>行</rb><rp>(</rp><rt>ヤ</rt><rp>)</rp></ruby>る時のかけ声などがあるところから見ると、このオモロを航海中に唄ったことがわかる。沖縄では今日でも胡蝶はあの世の使者といわれているが、オモロ時代には生ける「をなり神」(原註。即ち<ruby><rb>顯</rb><rp>(</rp><rt>アキ</rt><rp>)</rp></ruby>つ神、姉妹)の象徴とされたことがわかる云々。


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