「日本巫女史/第一篇/第一章/第五節」を編集中

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而してこれに較べると、鈴木重胤翁の『荒魂は現魂にて、和魂は饒魂なり』と解釈されたのは、一段の進歩である。然りと雖も、此の鈴木翁の説も、次の如く
 
而してこれに較べると、鈴木重胤翁の『荒魂は現魂にて、和魂は饒魂なり』と解釈されたのは、一段の進歩である。然りと雖も、此の鈴木翁の説も、次の如く
  
: 現魂は外に進み現出坐て、其神威を示し、又其強異を摧伏せたまはむとなるに、それに引替て、和魂は玉体に服て、御寿を守りたまはむと宣べるは、其玉体を離れず、鎮守御在むと云ふことにて、謂はゆる和魂の饒魂なる所以なり〔二五〕。
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: 現魂は外に進み現出坐て、其神威を示し、又其強異を摧伏せたまはむとなるに、それに引替て、和魂は玉体を離れず、鎮守御在むと云ふことにて、謂はゆる和魂の饒魂なる所以なり〔二五〕。
  
 
と言うに至っては、これとても字義に重きを置いて、古代人の思想を閑却したものとして、高田翁の説と五十歩百歩たることを免れぬのである。
 
と言うに至っては、これとても字義に重きを置いて、古代人の思想を閑却したものとして、高田翁の説と五十歩百歩たることを免れぬのである。
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而して、私はこれに対して、巫女史の観点から、極めて常識的に考えているのである。それは、荒魂の古意は現魂であって、即ち現に生きているものの魂であって、これに反して和魂とは、死したるものの魂を云ったものであると言うのである。<ruby><rb>現人神</rb><rp>(</rp><rt>アラヒトカミ</rt><rp>)</rp></ruby>のアラは、即ち現存の意であって、荒魂のアラは、これと同じものに違いない。ニギに就いては、誠に徴証が弱いのであるが、『古く延喜式に消炭を<ruby><rb>和炭</rb><rp>(</rp><rt>ニギズミ</rt><rp>)</rp></ruby>と称するより推して、和魂は死魂の意なるべし』とある説を採るものである〔二六〕。
 
而して、私はこれに対して、巫女史の観点から、極めて常識的に考えているのである。それは、荒魂の古意は現魂であって、即ち現に生きているものの魂であって、これに反して和魂とは、死したるものの魂を云ったものであると言うのである。<ruby><rb>現人神</rb><rp>(</rp><rt>アラヒトカミ</rt><rp>)</rp></ruby>のアラは、即ち現存の意であって、荒魂のアラは、これと同じものに違いない。ニギに就いては、誠に徴証が弱いのであるが、『古く延喜式に消炭を<ruby><rb>和炭</rb><rp>(</rp><rt>ニギズミ</rt><rp>)</rp></ruby>と称するより推して、和魂は死魂の意なるべし』とある説を採るものである〔二六〕。
  
全体、荒魂及び和魂の出典は、「古事記」では、神功皇后征韓の折に、新羅国に『墨江大神の荒御魂を、国守ります神に、神鎮りて還渡りましき』とあるのみで、和魂は見えず。「日本書紀」には、同じ神后紀に二ヶ所あるが、始めのは『神有誨曰、和魂服王身而守寿命、荒魂為先鋒而導師船』とあり、後のは『授荒魂為軍先鋒、請和魂為王船鎮』とあるのがそれである。
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全体、荒魂及び和魂の出典は、「古事記」では、神功皇后征韓の折に、新羅国に『墨江大神の荒御魂を、国守ります神に、神鎮りて還渡りましき』とあるのみで、和魂は見えず。「日本書紀」には、同じ神后紀に二ヶ所あるが、始めのは『神有誨曰、和魂服天身而守寿命、荒魂為先鋒而導師船』とあり、後のは『授荒魂為軍先鋒、請和魂為王船鎮』とあるのがそれである。
  
而して茲に荒魂を<ruby><rb>授</rb><rp>(</rp><rt>ホキヲキ</rt><rp>)</rp></ruby>(古点に斯く訓むと云う橘守部翁に従う)と云い、和魂を<ruby><rb>請</rb><rp>(</rp><rt>ネキ</rt><rp>)</rp></ruby>と云うたことは関心すべき事で、現魂なればこそ<ruby><rb>祝招</rb><rp>(</rp><rt>ホキヲキ</rt><rp>)</rp></ruby>る必要もあり、死魂なるゆえに<ruby><rb>念</rb><rp>(</rp><rt>ネキ</rt><rp>)</rp></ruby>た次第と解すべきだと思う。それ故に古くは荒御魂は現人の魂、和魂は死人の魂(魂に此の二つの区別をしていたことは、[[日本巫女史/第一篇/第七章|巫女の職務]]中の鎮魂の節に述べる)と解していたのを、記・紀が文字に記録される際に、荒和の二字を当てたので、種々なる疑義が生じ、遂に高田翁の如く武魂文魂を以て解説を企てるまでにすすんだことと思う。国学者としては創見に富んでいる橘守部翁が『荒魂は此の時に顯れ給ひし、現人神なる故に先鋒となり給ふ』とあるのは〔二七〕、参考すべき説と考えている。而して次の幸魂と奇魂とに就いても私は別に考えるところがあるが、これは巫女史の立場からは左迄に重要な問題と思われぬので、姑らく高田翁の説に従うこととする。
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而して茲に荒魂を<ruby><rb>授</rb><rp>(</rp><rt>ホキヲキ</rt><rp>)</rp></ruby>(古点に斯く訓むと云う橘守部翁に従う)と云い、和魂を<ruby><rb>請</rb><rp>(</rp><rt>ネキ</rt><rp>)</rp></ruby>と云うたことは関心すべき事で、現魂なればこそ<ruby><rb>祝招</rb><rp>(</rp><rt>ホキヲキ</rt><rp>)</rp></ruby>る必要もあり、死魂なるゆえに<ruby><rb>念</rb><rp>(</rp><rt>ネキ</rt><rp>)</rp></ruby>た次第と解すべきだと思う。それ故に古くは荒御魂は現人の魂、和魂は死人の魂(魂に此の二つの区別をしていたことは、[[日本巫女史/第一篇/第七章|巫女の職務]]中の鎮魂の節に述べる)と解していたのを、記紀が文字に記録される際に、荒和の二字を当てたので、種々なる疑義が生じ、遂に高田翁の如く武魂文魂を以て解説を企てるまでにすすんだことと思う。国学者としては創見に富んでいる橘守部翁が『荒魂は此の時に顯れ給ひし、現人神なる故に先鋒となり給ふ』とあるのは〔二七〕、参考すべき説と考えている。而して次の幸魂と奇魂とに就いても私は別に考えるところがあるが、これは巫女史の立場からは左迄に重要な問題と思われぬので、姑らく高田翁の説に従うこととする。
  
さて、こうした霊魂に対する巫女の態度は、荒魂も和魂も、その霊魂が能動的に、人に<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>カカ</rt><rp>)</rp></ruby>って活く場合は、何等の予告もなく、場所と時間とに関係なく、突如として現れるものとし。これに反して、霊魂を衝動的に降き招して託宣を聴くことは出来るが、それには或る定まれる祭儀を行う事を必要とし、且つその<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>ヨ</rt><rp>)</rp></ruby>り<ruby><rb>代</rb><rp>(</rp><rt>シロ</rt><rp>)</rp></ruby>となり得る資格を有している者は巫女に限られたものと信じていたのである。少しく後世の事例を以て古代を類推する嫌いはあるが、後代の巫女が専ら用いた生口——即ち生ける人の魂を遠隔の地において引き寄せて語るのは、此の荒魂の誨えから出たもので、死口——即ち死せる人の魂を幽界から引出して語るのは、此の和魂の法に由るものではなかろうか。更に後代の巫女が「<ruby><rb>神口</rb><rp>(</rp><rt>カミクチ</rt><rp>)</rp></ruby>」と称して、人間のその年だけの運命を予言し、凶を吉に返し、禍を福に転じ、又は与えられた吉なり福なりを、保持し発展するように仕向けた一事は、此の幸魂と奇魂との信仰に負うところがあるのではないかと思われる。それでないと、我国において特種的に発達した巫女の呪術の起原が不明に帰するからである。
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さて、こうした霊魂に対する巫女の態度は、荒魂も和魂も、その霊魂が能動的に、人に<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>カカ</rt><rp>)</rp></ruby>って活く場合は、何らの予告もなく、場所と時間とに関係なく、突如として現れるものとし。これに反して、霊魂を衝動的に降き招して託宣を聴くことは出来るが、それには或る定まれる祭儀を行う事を必要とし、且つその<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>ヨ</rt><rp>)</rp></ruby>り<ruby><rb>代</rb><rp>(</rp><rt>シロ</rt><rp>)</rp></ruby>となり得る資格を有している者は巫女に限られたものと信じていたのである。少しく後世の事例を以て古代を類推する嫌いはあるが、後代の巫女が専ら用いた生口——即ち生ける人の魂を遠隔の地において引き寄せて語るのは、此の荒魂の誨えから出たもので、死口——即ち死せる人の魂を幽界から引出して語るのは、此の和魂の法に由るものではなかろうか。更に後代の巫女が「<ruby><rb>神口</rb><rp>(</rp><rt>カミクチ</rt><rp>)</rp></ruby>」と称して、人間のその年だけの運命を予言し、凶を吉に返し、禍を福に転じ、又は与えられた吉なり福なりを、保持し発展するように仕向けた一事は、此の幸魂と奇魂との信仰に負うところがあるのではないかと思われる。それでないと、我国において特種的に発達した巫女の呪術の起原が不明に帰するからである。
  
 
; 〔註二二〕 : 黄泉戸喫のことは、土俗として民間にも今に残っている。その最も顕著な一例は、結婚の夜に、新郎新婦が同じ茶碗に盛った飯を、二人して食うのがそれであろう。同じ鍋の物を食うということは、即ち、彼等が同族になったことを意味するのである。
 
; 〔註二二〕 : 黄泉戸喫のことは、土俗として民間にも今に残っている。その最も顕著な一例は、結婚の夜に、新郎新婦が同じ茶碗に盛った飯を、二人して食うのがそれであろう。同じ鍋の物を食うということは、即ち、彼等が同族になったことを意味するのである。

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