日本巫女史/第一篇/第一章/第四節」を編集中

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第一の卑弥呼が比売子——即ち日女子であることは言うまでもない。古く日女子を比美子と云う例証は、天寿国曼荼羅にも見えている。而して此の名を負うものが、古代にあっては、女性の社会的階級の高位に居る者に限って用いられたことは疑いない。後世になると、姫の名が下級の者にまで濫用されるようになったが、日女は即ち日神の裔という意であるから、古代にあっては、神聖にして濫りに用いることが出来なかった筈である。而して卑弥呼が、此の名で呼ばれているところを見ると、彼女は当時の社会階級の高位に居たことが知られると同時に、原始神道の最高神である日神の裔であると信用され、崇拝されていたことが、併せ知られるのである。
第一の卑弥呼が比売子——即ち日女子であることは言うまでもない。古く日女子を比美子と云う例証は、天寿国曼荼羅にも見えている。而して此の名を負うものが、古代にあっては、女性の社会的階級の高位に居る者に限って用いられたことは疑いない。後世になると、姫の名が下級の者にまで濫用されるようになったが、日女は即ち日神の裔という意であるから、古代にあっては、神聖にして濫りに用いることが出来なかった筈である。而して卑弥呼が、此の名で呼ばれているところを見ると、彼女は当時の社会階級の高位に居たことが知られると同時に、原始神道の最高神である日神の裔であると信用され、崇拝されていたことが、併せ知られるのである。


第二の、鬼神に事え、衆を惑すは、改めて言うを要せぬほど明確に、彼女が巫女であったことを語っているのであるが、ただ茲に慎重に考うべきことは、最高の巫女が最高の治者であったと云う点である。而してこの事は、一方社会学的に見れば、我国の古代には、母権社会が行われていたことを想わせる有力なる手掛りとなり、更に一方神道発達史から見ると、神に事える最高の神職は女性であって、神職の最高者なるが故に、一国の治者となり得るのであるという、所謂、祭政一致時代の最も古き相を稽えさせる重要なる傍証となるのである。寔に比倫を失うことではあるが、此の例を神代に覓めれば、即ち天照神がそれであると申すことが出来るのである。前にも記した如く、天照神が新嘗をされたということは、神に事えられたことであって、その時だけは神官としては最高に位し、併せて高天原の統治者であらせられたからである。
第二の、鬼神に事え、衆を惑すは、改めて言うを要せぬほど明確に、彼女が巫女であったことを語っているのであるが、ただ茲に慎重に考うべきことは、最高の巫女が最高の治者であったと云う点である。而してこの事は、一方社会学的に見れば、我国の古代には、母権社会が行われていたことを想わせる有力なる手掛りとなり、更に一方神道発達史から見ると、神に事える最高の神職は女性であって、神職の最高者なるが故に、一国の治者となり得るのであるという、所謂、祭政一致時代の最も古き相を稽えさせる重要なる傍証となるのである。寔に比倫を失うことではあるが、此の例を神代に覔めれば、即ち天照神がそれであると申すことが出来るのである。前にも記した如く、天照神が新嘗をされたということは、神に事えられたことであって、その時だけは神官としては最高に位し、併せて高天原の統治者であらせられたからである。


第三の、卑弥呼が年長ずるも夫婿が無かったということも、又た我国の古俗を示しているものである。巫女は、原則として、神と結婚すべき約束の下に置かれていた(これ等の実例は後段に詳述する)のである。国中の女性が巫女として神人生活を営んでいた時代にあっては、夫婿を定めるには、悉く神判成婚の形式に由らなければならなかったのである。而して初夜の権利は神が占めべきものとさだめられていた〔二〇〕。「万葉集」巻二に『玉かづら実ならぬ木には千早振る、神ぞ憑くちふならぬ木毎に』とあるのは、此の思想を詠じたもので、更に同集巻三に『千早振る神の社し無かりせば、春日の野辺に粟蒔かましを』とあるのも、亦此の思想を言外に寓しているのである。而して「源氏物語」の若菜巻を読むと、上代貴族の婦人は結婚せぬのを習いとしていたことが釈然する。これは何時でも神に占められることの出来るようにとの必要から来ていたのである。内地の古俗を克明に保存した琉球でも、先五代の王女は結婚しなかったとある〔二一〕。卑弥呼に夫婿が無かったのは、彼女が巫女であったからである。
第三の、卑弥呼が年長ずるも夫婿が無かったということも、又た我国の古俗を示しているものである。巫女は、原則として、神と結婚すべき約束の下に置かれていた(これ等の実例は後段に詳述する)のである。国中の女性が巫女として神人生活を営んでいた時代にあっては、夫婿を定めるには、悉く神判成婚の形式に由らなければならなかったのである。而して初夜の権利は神が占めべきものとさだめられていた〔二〇〕。「万葉集」巻二に『玉かづら実ならぬ木には千早振る、神ぞ憑くちふならぬ木毎に』とあるのは、此の思想を詠じたもので、更に同集巻三に『千早振る神の社し無かりせば、春日の野辺に粟蒔かましを』とあるのも、亦此の思想を言外に寓しているのである。而して「源氏物語」の若菜巻を読むと、上代貴族の婦人は結婚せぬのを習いとしていたことが釈然する。これは何時でも神に占められることの出来るようにとの必要から来ていたのである。内地の古俗を克明に保存した琉球でも、先五代の王女は結婚しなかったとある〔二一〕。卑弥呼に夫婿が無かったのは、彼女が巫女であったからである。
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