「日本巫女史/第一篇/第一章/第四節」を編集中
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以上の考察より見るも「魏志」の記事は、我が古代の社会制度と、原始神道と、巫女との関係を、明確に記述したものであることが知られるのである。倭国の所在地が九州であったか、畿内であったかは姑らく措くも、更に卑弥呼が、倭姫命であるか、神功皇后であるかは、同じく別問題とするも、此の記事が、我国の全般の巫女に関するものであることは、疑う余地はないのである。 | 以上の考察より見るも「魏志」の記事は、我が古代の社会制度と、原始神道と、巫女との関係を、明確に記述したものであることが知られるのである。倭国の所在地が九州であったか、畿内であったかは姑らく措くも、更に卑弥呼が、倭姫命であるか、神功皇后であるかは、同じく別問題とするも、此の記事が、我国の全般の巫女に関するものであることは、疑う余地はないのである。 | ||
本居宣長翁が「駁戎慨言」巻上において、「後漢書」の卑弥呼が鬼神に事え、以妖惑衆とあるのに対して、『からびと大御国の神の道をしらざるが故に、かゝるみだりごとはするなり』と評し、更に「魏志」の『自為王以来、少有見者』以下に就いて、『おのれまことには男にて、女王にあらざるが故に、かの魏の使いにたゝにはえあはで、帳などたれて、物ごしにぞあへりけん』云々と言っているが、これこそ却って、本居翁が我が古代の実相を見誤った智者の一失である。 | |||
; 〔註一八〕 : 本居翁は、卑弥呼を神功皇后に擬し、内藤虎次郎氏は倭姫命に擬せられているが、私はそれよりは更に一段と古い時代の女酋であると考えている。 | ; 〔註一八〕 : 本居翁は、卑弥呼を神功皇后に擬し、内藤虎次郎氏は倭姫命に擬せられているが、私はそれよりは更に一段と古い時代の女酋であると考えている。 |