「日本巫女史/第一篇/第一章/第四節」を編集中
ナビゲーションに移動
検索に移動
この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を公開して取り消しを完了してください。
最新版 | 編集中の文章 | ||
35行目: | 35行目: | ||
本居宣長翁が「駁戎慨言」巻上において、「後漢書」の卑弥呼が鬼神に事え、以妖惑衆とあるのに対して、『からびと大御国の神の道をしらざるが故に、かかるみだりごとはするなり』と評し、更に「魏志」の『自為王以来、少有見者』以下に就いて、『おのれまことには男にて、女王にあらざるが故に、かの魏の使いにたたにはえあはで、帳などたれて、物ごしにぞあへりけん』云々と言っているが、これこそ却って、本居翁が我が古代の実相を見誤った智者の一失である。 | 本居宣長翁が「駁戎慨言」巻上において、「後漢書」の卑弥呼が鬼神に事え、以妖惑衆とあるのに対して、『からびと大御国の神の道をしらざるが故に、かかるみだりごとはするなり』と評し、更に「魏志」の『自為王以来、少有見者』以下に就いて、『おのれまことには男にて、女王にあらざるが故に、かの魏の使いにたたにはえあはで、帳などたれて、物ごしにぞあへりけん』云々と言っているが、これこそ却って、本居翁が我が古代の実相を見誤った智者の一失である。 | ||
; 〔註一八〕 : | ; 〔註一八〕 : 本居翁は、卑弥呼を神功皇后に擬し、内藤虎次郎氏倭姫命に擬せられているが、私はそれよりは更に一段と古い時代の女酋であると考えている。 | ||
; 〔註一九〕 : 卑弥呼の治めた国に就いても、九州説と畿内説とがあるが、私は後者の説に従うものである。管見は「考古学雑誌」に発表した。 | ; 〔註一九〕 : 卑弥呼の治めた国に就いても、九州説と畿内説とがあるが、私は後者の説に従うものである。管見は「考古学雑誌」に発表した。 | ||
; 〔註二〇〕 : 是等に関して拙著「日本婚姻史」に詳記した。参照をねがいたい。 | ; 〔註二〇〕 : 是等に関して拙著「日本婚姻史」に詳記した。参照をねがいたい。 |