「日本巫女史/第一篇/第七章/第三節」を編集中
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; 〔注一〇〕 : 「出雲懐橘談」の杵築の条(続々群書類従本の地理部所収) | ; 〔注一〇〕 : 「出雲懐橘談」の杵築の条(続々群書類従本の地理部所収) | ||
; 〔注一一〕 : 「三嶋大祝家譜資料」及び同書に引用せる「三嶋大祝記録」並びに「予樟記」等に載せてある。 | ; 〔注一一〕 : 「三嶋大祝家譜資料」及び同書に引用せる「三嶋大祝記録」並びに「予樟記」等に載せてある。 | ||
; 〔注一二〕 : | ; 〔注一二〕 : 我国の神々と音楽との関係は、原始神道史における重要なる問題で、ここには略述する事さえ困難であるが、私見を摘要すれば、我国の神々は、その神々の系統に属する音楽を有していたようである。例えば、出雲系の神は琴鈴を、高天原系の神も琴鈴を、南方系の神は臼太鼓と称する臼を楽器としたのを、更に笛を鼓をと云ったように特殊のものが在った。「政事政略」第二十八賀茂臨時祭の条に「古老云、昔臨箕攪其背遊」とあるのは、賀茂社に限られた音楽であり、「郷土研究」一ノ四に載せた、磐城国石城郡草野村大字北神谷の白山神社の祭に、氏子の壮者が鍬と鋤とをたたいて踊るのも、此の社に限られた音楽である。而して是等の音楽は、その始めにあっては、神の声であった。それが追々と神が整理され、音楽が統一されるようになって、琴、鈴、鼓、笛が、神の声を代表するようになり、更にそれが変化して、是等の音楽を奏することは、神が出現するときの合図と云うように解釈されて来たのである。巫女が弓弦をたたき、又は鼓を打てば、神を呼び出し得るものと考えたのは、此の信仰に由来しているのである。猶お、巫女と、音楽や、楽器の関係に就いては、本文の後章に記すゆえ、参照せられたい。 | ||
; 〔注一三〕 : 「神道問答」巻下(大日本風教叢書本第八輯) | ; 〔注一三〕 : 「神道問答」巻下(大日本風教叢書本第八輯) | ||
; 〔注一四〕 : 前掲の「奈留別志」。 | ; 〔注一四〕 : 前掲の「奈留別志」。 |