「日本巫女史/第一篇/第七章/第二節」を編集中
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: 第七 人家七世に神を生ずる事 | : 第七 人家七世に神を生ずる事 | ||
: 我国(中山曰。琉球)古来の習俗として、人家相継して七世に及べば、必ず神を生じて尊信す。其神は只二位を設く、蓋し祖老以上始祖に至るの亡霊を以て神とするなり。而して親族の女子二名を以て、神コデと称し、之を任ぜしむ。一名はオメケーオコデとなし、一名はオメナイオゴデとなし(原註。方言、男兄弟をオメケーと云い、姉妹をオメナヒと云う)、其神を祭る一切の事を掌る。其祭祀は、毎年二月には麦の穂祭と称し、麦の穂を薦む。三月には麦の祭と称し、酒香{酢下灬}脯を薦む、五月には稲の穂祭と称し、酒香{酢下灬} | : 我国(中山曰。琉球)古来の習俗として、人家相継して七世に及べば、必ず神を生じて尊信す。其神は只二位を設く、蓋し祖老以上始祖に至るの亡霊を以て神とするなり。而して親族の女子二名を以て、神コデと称し、之を任ぜしむ。一名はオメケーオコデとなし、一名はオメナイオゴデとなし(原註。方言、男兄弟をオメケーと云い、姉妹をオメナヒと云う)、其神を祭る一切の事を掌る。其祭祀は、毎年二月には麦の穂祭と称し、麦の穂を薦む。三月には麦の祭と称し、酒香{酢下灬}脯を薦む、五月には稲の穂祭と称し、酒香{酢下灬}脯を薦む。亦族中課出金を以て祖考祖妣の神衣を製し、祭祀毎に神コデ二人之を着て神を拝祭す。三月五月の祭には、族中の男女尽く来り、香を焚き礼拝す、コデの酌を受く。而して神の生ずる期月、三年の期月、七年の期月、一三年の期月、二五年の期月、三三年の期月には、酒香{酢下灬}脯{麥繞井}餅を具へて以て之を薦む。其費用悉く族中課出をなす。三十三年の期月を畢れば、其翌年復神を生じ、及び期月毎に祭礼すること旧の如し。其コデの任命は専ら祖宗神霊の命ずる所に因る。予め祖宗の神霊あり、其コデと為すべき者及び巫婦の身に附着して言語をなし、或はコデと為るべき者疾病をなし、其女コデとなることを御請すれば即ち癒ゆ。是を以てコデと為ることを得る。コデは終身の職となす。死するときは即ち其後任を選ぶこと復此の如し。故にコデ職は自ら命ぜられんと欲るも得ず、自ら免れんと欲するも得ざるものとす云々(以上片仮名を平仮名に改め、句読点を加えた)。 | ||
此の記事は種々なる意味において、関心すべき多くの暗示を与えているが、殊に七世にして神を生ず(或は支那思想の影響かとも思うが、私の学問の力では判然しない)と云うことは、即ち霊魂が神となる過程を説明するものとして考えたい。而してかかる民俗が、古く内地にも存していたか否かに就いては、私は何等の耳福にも接していぬので余り明白には言えぬけれども、これに就いて思い起されることは、土佐国長岡郡の豊永本山等の山村に行われた<ruby><rb>御子神</rb><rp>(</rp><rt>ミコカミ</rt><rp>)</rp></ruby>を祭る神事である。 | 此の記事は種々なる意味において、関心すべき多くの暗示を与えているが、殊に七世にして神を生ず(或は支那思想の影響かとも思うが、私の学問の力では判然しない)と云うことは、即ち霊魂が神となる過程を説明するものとして考えたい。而してかかる民俗が、古く内地にも存していたか否かに就いては、私は何等の耳福にも接していぬので余り明白には言えぬけれども、これに就いて思い起されることは、土佐国長岡郡の豊永本山等の山村に行われた<ruby><rb>御子神</rb><rp>(</rp><rt>ミコカミ</rt><rp>)</rp></ruby>を祭る神事である。 |