日本巫女史/第一篇/第七章/第二節」を編集中

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茲に「御子神記事」により、その要領を摘記すると、同地方の神職その他の者で、先規に従い、御子神を祭っている家筋がある。その家では人が死んでこれを御子神に祭ろうとするときは、これを旦那寺に断り、亡父何右衛門事先例を以て後年神に祭る故過去帳に御記しくだされまじくと言って置く。又、当時この断りをせざりし者は、三年忌或は七年忌法事の節、此の者先例を以て今日より神に祭るを以て、過去帳の法名御消しくだされと断り、位牌を墓所へ捨てるのである。位牌を捨てなければ神になることは出来ぬ。かくて愈々神に祭るのは、その年十一月氏神祭の日、神事の済んだ後で、今日は是より何右衛門を神に祭るといえば、子孫血縁の者が皆集り、<ruby><rb>村長</rb><rp>(</rp><rt>ムラオサ</rt><rp>)</rp></ruby>を上座に招ぎ、太夫(中山曰。神職なり)二三人又は四五人を頼み、その中の一人を本主の太夫と定め、白幣を振りてタテ<ruby><rb>食</rb><rp>(</rp><rt>クラ</rt><rp>)</rp></ruby>えという儀式を行うのである。在生中に正直を第一として悪事を<ruby><rb>巧</rb><rp>(</rp><rt>たく</rt><rp>)</rp></ruby>まぬ人は、ただ一度のタテ食えにて早速神の座に直るが、不正直であって謀計多かりし者は、タテ食え五六度に及ぶも猶お神の座に直らぬこともあるが、その時は先ずこれ迄として置くのである。それより更に本主の太夫へ神を<u>のり</u>移すと称して、何やら舞を舞っていると、やがて託宣がある。曰く是より内は木ノ葉の下のオボレ神にてありしが、大小氏子心を揃え今日伊勢のミコが瀧へ請じられ、ホウメンをさましてやあら嬉しやと云う。答えに大小氏子を揃えホウメンをさまします。大の氏子小の氏子悪事災難来り候とも払いのけてちがえ守らせ給えと云い、やあら嬉しや嬉しやと舞う。御子神には名は附けぬが、其の者子ノ歳ならば子歳の御子神、丑ノ歳なれば丑歳の御子神と唱え、年忌盆彼岸にも祭らず、ただ氏神祭の日に<ruby><rb>作初穂</rb><rp>(</rp><rt>ツクリハツホ</rt><rp>)</rp></ruby>を出し神楽を舞ってもらうだけである(以上。土佐群書類従巻十所収)。
茲に「御子神記事」により、その要領を摘記すると、同地方の神職その他の者で、先規に従い、御子神を祭っている家筋がある。その家では人が死んでこれを御子神に祭ろうとするときは、これを旦那寺に断り、亡父何右衛門事先例を以て後年神に祭る故過去帳に御記しくだされまじくと言って置く。又、当時この断りをせざりし者は、三年忌或は七年忌法事の節、此の者先例を以て今日より神に祭るを以て、過去帳の法名御消しくだされと断り、位牌を墓所へ捨てるのである。位牌を捨てなければ神になることは出来ぬ。かくて愈々神に祭るのは、その年十一月氏神祭の日、神事の済んだ後で、今日は是より何右衛門を神に祭るといえば、子孫血縁の者が皆集り、<ruby><rb>村長</rb><rp>(</rp><rt>ムラオサ</rt><rp>)</rp></ruby>を上座に招ぎ、太夫(中山曰。神職なり)二三人又は四五人を頼み、その中の一人を本主の太夫と定め、白幣を振りてタテ<ruby><rb>食</rb><rp>(</rp><rt>クラ</rt><rp>)</rp></ruby>えという儀式を行うのである。在生中に正直を第一として悪事を<ruby><rb>巧</rb><rp>(</rp><rt>たく</rt><rp>)</rp></ruby>まぬ人は、ただ一度のタテ食えにて早速神の座に直るが、不正直であって謀計多かりし者は、タテ食え五六度に及ぶも猶お神の座に直らぬこともあるが、その時は先ずこれ迄として置くのである。それより更に本主の太夫へ神を<u>のり</u>移すと称して、何やら舞を舞っていると、やがて託宣がある。曰く是より内は木ノ葉の下のオボレ神にてありしが、大小氏子心を揃え今日伊勢のミコが瀧へ請じられ、ホウメンをさましてやあら嬉しやと云う。答えに大小氏子を揃えホウメンをさまします。大の氏子小の氏子悪事災難来り候とも払いのけてちがえ守らせ給えと云い、やあら嬉しや嬉しやと舞う。御子神には名は附けぬが、其の者子ノ歳ならば子歳の御子神、丑ノ歳なれば丑歳の御子神と唱え、年忌盆彼岸にも祭らず、ただ氏神祭の日に<ruby><rb>作初穂</rb><rp>(</rp><rt>ツクリハツホ</rt><rp>)</rp></ruby>を出し神楽を舞ってもらうだけである(以上。土佐群書類従巻十所収)。


土佐の此の記事を読んで、更に琉球の民俗を考うるとき、何となく、その間に、一脈相通ずるものが在るように思われる。勿論、土佐のそれは、仏教や修験道の影響を多く受けていて、その元の<ruby><rb>相</rb><rp>(</rp><rt>すがた</rt><rp>)</rp></ruby>は判然せぬまでに雑糅しているけれども、仔細にその神事を検討すると、琉球と同じく、霊魂の神への進化の過程と、儀式とを説明していることが、会得されるのである。而して斯うした場合にその神事の中心となった者が巫女であったことは、改めて言うまでも無いことである。
土佐の此の記事を読んで、更に琉球の民俗を考うるとき、何となく、その間に、一脈相通ずるものが在るように思われる。勿論、土佐のそれは、仏教や修験道の影響を多く受けていて、その元の<ruby><rb>相</rb><rp>(</rp><rt>すがた</rt><rp>)</rp></ruby>は判然せぬまでに雑糅しているけれども、仔細にその神事を検討すると、琉球と同じく、霊魂の神への進化の過程と、儀式とを説明していることが、会得されるのである。しかして斯うした場合にその神事の中心となった者が巫女であったことは、改めて言うまでも無いことである。


霊魂が神へ進化するということは、他の語を以て云えば、即ち霊魂が神の国(ここでは黄泉国よりは高天原の意)へ安住することを得たという意味である。而して此の霊魂を安住の国へ導くことが巫女の職務の一つであった。記述が伝説から仮説へと脱線するようで少しく恐縮する次第であるが、全体、我が古代にあって、人が死亡した折に、霊界に在る祖先に対して、此の死人はその子孫であるということを、如何なる方法を以て証明したか、それを考えて見たいと思う。ずっと後世になれば、旦那寺から授ける血脈なるものが、此の代用を弁じているのであるが、古代にもこれに似通った信仰が在りそうに思われる。勿論、仏教の血脈信仰の影響を受けたものに相違ないが「熱田旧記」に熱田宮の神詠として『彼の世にていづくの人と問ふたらば、熱田の宮の者と答へよ』とあるのは、神詠に仮託した後世の俗歌ではあるけれども、こうした信仰は我国にも存したところが、決して不思議ではないのである。我国におけるトーテムの研究が進んでいれば、此の種の問題も容易に解決されることと思うが、これは当分研究されそうにも見えぬので〔二〇〕、いやが上にもその解決に困難を感するのであるが、併し私に強弁することを許さるるならば、我国の家紋の起原は、実に此の信仰と交渉を有しているのではないかと考えたい。
霊魂が神へ進化するということは、他の語を以て云えば、即ち霊魂が神の国(ここでは黄泉国よりは高天原の意)へ安住することを得たという意味である。而して此の霊魂を安住の国へ導くことが巫女の職務の一つであった。記述が伝説から仮説へと脱線するようで少しく恐縮する次第であるが、全体、我が古代にあって、人が死亡した折に、霊界に在る祖先に対して、此の死人はその子孫であるということを、如何なる方法を以て証明したか、それを考えて見たいと思う。ずっと後世になれば、旦那寺から授ける血脈なるものが、此の代用を弁じているのであるが、古代にもこれに似通った信仰が在りそうに思われる。勿論、仏教の血脈信仰の影響を受けたものに相違ないが「熱田旧記」に熱田宮の神詠として『彼の世にていづくの人と問ふたらば、熱田の宮の者と答へよ』とあるのは、神詠に仮託した後世の俗歌ではあるけれども、こうした信仰は我国にも存したところが、決して不思議ではないのである。我国におけるトーテムの研究が進んでいれば、此の種の問題も容易に解決されることと思うが、これは当分研究されそうにも見えぬので〔二〇〕、いやが上にもその解決に困難を感するのであるが、併し私に強弁することを許さるるならば、我国の家紋の起原は、実に此の信仰と交渉を有しているのではないかと考えたい。
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