日本巫女史/第一篇/第七章/第二節」を編集中

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而してこれに似た思想は、南嶋の極地である琉球の与那国嶋にも現存していて「与那国嶋図誌」によると、『嶋の家にはそれぞれヤーハンといふものがあつた。蓋し「家判」の意であらう。それは家紋よりもずつと広い意味に用ゐられた。一方では屋号でもあり、又その家を表示する記号でもあつた。以前は郵便物を配達するにも一々ヤーハンを封筒に記入して配つたといはれてゐる』と載せてある。
而してこれに似た思想は、南嶋の極地である琉球の与那国嶋にも現存していて「与那国嶋図誌」によると、『嶋の家にはそれぞれヤーハンといふものがあつた。蓋し「家判」の意であらう。それは家紋よりもずつと広い意味に用ゐられた。一方では屋号でもあり、又その家を表示する記号でもあつた。以前は郵便物を配達するにも一々ヤーハンを封筒に記入して配つたといはれてゐる』と載せてある。


これ等のことを併せ考えるとき、我国に行われている<ruby><rb>輪鼓</rb><rp>(</rp><rt>りゅうご</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>入山形</rb><rp>(</rp><rt>いりやまがた</rt><rp>)</rp></ruby>などという家々の記号も、その元の形はこうした思想をも含めていたもので、これが始めはアイヌの<ruby><rb>神標</rb><rp>(</rp><rt>カムイシルシ</rt><rp>)</rp></ruby>のようなものではなかったかとも思われる。そして此の記号の意匠化されたもの、図按化されたものが、現時の家紋であると信じている。胎児の胞衣に父の紋所が現われるという俗信も、又これと交渉があるのではないかと考える。而して是等の合標を工夫したり、又は合標を死者に与えることが、巫女の職務の一つであったに違いない。
これ等のことを併せ考えるとき、我国に行われている<ruby><rb>輪鼓</rb><rp>(</rp><rt>りうご</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>入山形</rb><rp>(</rp><rt>いりやまがた</rt><rp>)</rp></ruby>などという家々の記号も、その元の形はこうした思想をも含めていたもので、これが始めはアイヌの<ruby><rb>神標</rb><rp>(</rp><rt>カムイシルシ</rt><rp>)</rp></ruby>のようなものではなかったかとも思われる。そして此の記号の意匠化されたもの、図按化されたものが、現時の家紋であると信じている。胎児の胞衣に父の紋所が現われるという俗信も、又これと交渉があるのではないかと考える。而して是等の合標を工夫したり、又は合標を死者に与えることが、巫女の職務の一つであったに違いない。


死者が果して神の国に安住したか否かを、知る——と云うよりは占う方法は、古くから種々なる民俗が伝えられている。これも後世になると仏教に附会されてしまって、成仏の<ruby><rb>印</rb><rp>(</rp><rt>しるし</rt><rp>)</rp></ruby>とのみ解釈されているが、その方法の如何にも原始的であるところから推すと、却って我が古俗が仏教に取り入れられたものと思われるのである。而してその方法として、殆んど全国的に行われたものは、死者を葬りし際に、墓の上に青竹を三本サギチョウ型に立てて結び、その中央から縄を下げその先端に石を付けるのであるが、此の縄が自然に腐朽して石が池上に落ちたときが、その死者の神となったときであるという民俗である。更にこれを産婦の死の場合には、流れ灌頂とて、俗にサイミと称する麻の粗布へ名号を記し、これを竹にて低く四方に張り、通行の者に水をかけさせ、その布が腐れて穴が明けば成仏したというのが、それである。元より私の寡聞かは知らぬが、かくの如き原始的民俗は、仏教の渡来などよりは迥かに古き時代から在ったものと思われるので、その起原は巫女が死者を取り扱うた時分に工夫したものだと信じたいのである。
死者が果して神の国に安住したか否かを、知る——と云うよりは占う方法は、古くから種々なる民俗が伝えられている。これも後世になると仏教に附会されてしまって、成仏の<ruby><rb>印</rb><rp>(</rp><rt>しるし</rt><rp>)</rp></ruby>とのみ解釈されているが、その方法の如何にも原始的であるところから推すと、却って我が古俗が仏教に取り入れられたものと思われるのである。而してその方法として、殆んど全国的に行われたものは、死者を葬りし際に、墓の上に青竹を三本サギチョウ型に立てて結び、その中央から縄を下げその先端に石を付けるのであるが、此の縄が自然に腐朽して石が池上に落ちたときが、その死者の神となったときであるという民俗である。更にこれを産婦の死の場合には、流れ灌頂とて、俗にサイミと称する麻の粗布へ名号を記し、これを竹にて低く四方に張り、通行の者に水をかけさせ、その布が腐れて穴が明けば成仏したというのが、それである。元より私の寡聞かは知らぬが、かくの如き原始的民俗は、仏教の渡来などよりは迥かに古き時代から在ったものと思われるので、その起原は巫女が死者を取り扱うた時分に工夫したものだと信じたいのである。
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