「日本巫女史/第一篇/第七章/第五節」を編集中
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我国の文学は是等の類例が示しているように、先ず叙事詩によって始められていて、然もそれは言い合わしたように、悉く第一人称となっている。而して、此の事は、独り我が内地ばかりでなく、アイヌにおいても、琉球においても、又た同じ経路を歩んできたものである。アイヌに就いては、金田一京助氏はその著「アイヌの研究」詩歌の条において、概略左の如く論じている。 | 我国の文学は是等の類例が示しているように、先ず叙事詩によって始められていて、然もそれは言い合わしたように、悉く第一人称となっている。而して、此の事は、独り我が内地ばかりでなく、アイヌにおいても、琉球においても、又た同じ経路を歩んできたものである。アイヌに就いては、金田一京助氏はその著「アイヌの研究」詩歌の条において、概略左の如く論じている。 | ||
: | : 総じてアイヌは歌を嗜む民族である(中略)。裁判のことばが全部歌でのべられる。大酋長の会見も歌で辞令を交換する。神への祈禱にも、凶変の際の儀式にも、喜びの際の挨拶にも、皆曲調をもつことばづかいをする(中略)。さて最後に、アイヌ文学の特徴である此の第一人称説述の形式は、何を意味するもので、如何にして出来たと解釈すべきものであろうか(中略)。アイヌはユカラは寧ろ男子のもので、オイナは寧ろ女子のものである。そしてアイヌでは婦女子は神へ祈禱することは禁忌であるが、その代り神の<u>よりまし</u>となって其託宣をのべる役をもつのである(即ち巫は女子の専務)。アイヌのオイナが女子に依って伝えられ、そこでそれが第一人称の叙述に成っているということは、即ち神自ら女子に憑って述べた(巫は歌でのべる)ものを伝え伝えた形になっているものに相違ないのである云々〔二〕。 | ||
琉球のそれに就いては、伊波普猷氏は、その著「おもろさうし選釈」の前文において、大略左の如く論じ、歌謡の巫女によって発生したことを言外に寓されている。 | 琉球のそれに就いては、伊波普猷氏は、その著「おもろさうし選釈」の前文において、大略左の如く論じ、歌謡の巫女によって発生したことを言外に寓されている。 |