「日本巫女史/第一篇/第七章/第四節」を編集中
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: 故出雲臣等畏是事、不祭大神、而有間、時丹波氷上人、名氷香戸辺、啓于皇太子活目尊曰、己子有小児、而自然言之(中略)。是非似小児之言、若有託言乎、於是皇太子奏于天皇、則勅之使祭云々。 | : 故出雲臣等畏是事、不祭大神、而有間、時丹波氷上人、名氷香戸辺、啓于皇太子活目尊曰、己子有小児、而自然言之(中略)。是非似小児之言、若有託言乎、於是皇太子奏于天皇、則勅之使祭云々。 | ||
とあるのも、その母親である氷香戸辺が〔二〕、巫女としての素養——当代の女性は、殆んど悉く巫女的の生活を送っていたので、夙くも此の童話を神託と判ずるだけの知識を有していたのであろう。斯う考えて来ると、例の速断から、古代の託言を意味した童話(これ以外にも皇極紀や斎明紀にも見えている)の作者は、或は是等の巫女が予言者としての所為ではなかったかとも想像せられるのである。例えば「皇極紀」三年夏六月の条に、 | |||
: 是月、国内巫覡等、折取枝葉、懸掛木綿、伺大臣度橋之時、争陳神語入微之説、其巫甚多、不可具聴(中略)于時有謡歌三首云々。 | : 是月、国内巫覡等、折取枝葉、懸掛木綿、伺大臣度橋之時、争陳神語入微之説、其巫甚多、不可具聴(中略)于時有謡歌三首云々。 |