日本巫女史/第一篇/第三章/第三節」を編集中

ナビゲーションに移動 検索に移動
警告: ログインしていません。編集を行うと、あなたの IP アドレスが公開されます。ログインまたはアカウントを作成すれば、あなたの編集はその利用者名とともに表示されるほか、その他の利点もあります。

この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を公開して取り消しを完了してください。

最新版 編集中の文章
39行目: 39行目:
とて〔六〕、遂に禊祓を太祝詞と断定したのである。鈴木重胤は平田説に示唆されて一段と発展し、伯家に伝りし大祓式に三種ノ祝詞あるを論拠として、遂に太詔詞は、
とて〔六〕、遂に禊祓を太祝詞と断定したのである。鈴木重胤は平田説に示唆されて一段と発展し、伯家に伝りし大祓式に三種ノ祝詞あるを論拠として、遂に太詔詞は、


: 吐普加身衣身多女とて、此は占方に用ふる詞なるが、吐普は<ruby><rb>遠大</rb><rp>(</rp><rt>トホ</rt><rp>)</rp></ruby>にて天地の<ruby><rb>底際</rb><rp>(</rp><rt>ソコヒ</rt><rp>)</rp></ruby>の内を悉く取統て云なり、加身は神にて天上地下に至るまで感通らせる神を申せり、依身は<ruby><rb>能看</rb><rp>(</rp><rt>エミ</rt><rp>)</rp></ruby>、多女は<ruby><rb>可給</rb><rp>(</rp><rt>タメ</rt><rp>)</rp></ruby>と云ふ事にて(中略)。簡古にして能く六合を<ruby><rb>網羅</rb><rp>(</rp><rt>トリスベ</rt><rp>)</rp></ruby>たる神呪にて、中中に人為の能く及ぶ所にあらざりけり(中略)。此三種ノ祝詞を諄返し唱ふる事必ず上世の遺風なるものなり、そは大祓の大祝詞に用ゐららるに祓給<small>幣</small>清給<small>幣</small>の語を添て申すを以て<ruby><rb>暁</rb><rp>(</rp><rt>サト</rt><rp>)</rp></ruby>る可きなり云々。
: 吐普加身衣身多女とて、此は占方に用ふる詞なるが、吐普は<ruby><rb>遠大</rb><rp>(</rp><rt>トホ</rt><rp>)</rp></ruby>にて天地の<ruby><rb>底際</rb><rp>(</rp><rt>ソコヒ</rt><rp>)</rp></ruby>の内を悉く取統て云なり、加身は神にて天上地下に至るまで感通らせる神を申せり、依身は<ruby><rb>能看</rb><rp>(</rp><rt>エミ</rt><rp>)</rp></ruby>、多女は<ruby><rb>可給</rb><rp>(</rp><rt>タメ</rt><rp>)</rp></ruby>と云ふ事にて(中略)。簡古にして能く六合を<ruby><rb>網羅</rb><rp>(</rp><rt>トリスベ</rt><rp>)</rp></ruby>たる神呪にて、中中に人為の能く及ぶ所にあらざりけり(中略)。此三種ノ祝詞を諄返し唱ふる事必ず上世の遺風なるものなり、そは大祓の大祝詞に用ゐらゝるに祓給<small>幣</small>清給<small>幣</small>の語を添て申すを以て<ruby><rb>暁</rb><rp>(</rp><rt>サト</rt><rp>)</rp></ruby>る可きなり云々。


と主張している〔七〕。鈴木翁が太詔詞を神呪と見た警眼には服するが、これを吐普加身云々を以て充当しようと企てられたのは、恰も平田翁がこれを皇祖天神の口授とし、禊祓を擬せんとしたのと全く同じことで、共に出典を欠いた臆説と見るべき外はないのである。
と主張している〔七〕。鈴木翁が太詔詞を神呪と見た警眼には服するが、これを吐普加身云々を以て充当しようと企てられたのは、恰も平田翁がこれを皇祖天神の口授とし、禊祓を擬せんとしたのと全く同じことで、共に出典を欠いた臆説と見るべき外はないのである。
Docsへの投稿はすべて、他の投稿者によって編集、変更、除去される場合があります。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。
また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください(詳細はDocs:著作権を参照)。 著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください!

このページを編集するには、下記の確認用の質問に回答してください (詳細):

取り消し 編集の仕方 (新しいウィンドウで開きます)